10/09 私の音楽仲間 (218) ~ 私の室内楽仲間たち (192)
音符でどこまで表現できるか
これまでの 『私の室内楽仲間たち』
関連記事
30年ぶりの再会
ケーキの後のハプニング
音に託して?
誤解されるブラームス
一途なアガーテ
月明かりの歌声
音符でどこまで表現できるか
急いては事を…
嘆きと破局
自虐的なトリオ
悲しみは尽きず
愛~悔恨と情熱
化粧を排したブラームス
ホ短調のアガ―テ
ブラームスは、恋人のアガーテから別離を告げられた。 後に
作曲家は、「この弦楽六重奏曲第2番ト長調 作品36の創作に
より、自分は最後の恋から解放された」と語ったと伝えられる。
その信憑性の根拠として考えられるのは、アガーテ (Agathe) の
名前がドイツ語読みで、音の形として記されているからだ。
しかし、ブラームス自身はこの音型について何も語っていないし、
それを裏付ける証拠は何も無い。 また、作曲時期との間には
4~5年のずれがある。
結局、"恋愛の破局" と "曲の成立" との関連は不明である。
これまで何度もお読みいただいた、解説サイトの一節です。
作曲時期のずれについては、前回触れました。
それに "事件" と "曲の成立" が同時進行するとは限り
ません。 作るのは人間なのですから。
[音源ページ]
作品は、「成立した途端に作曲家の手を離れる」と言われる
ことがあります。
これには色々な場合がありますが、一つには 「作曲家は自分
の作品についてそれ以上語らないから」という側面もあります。
作曲家も人間。 その性格は様々です。
リハーサル時に立ち会い、著作で自分の意図を語る者も
いれば、逆に、最後まで沈黙を守る場合もあります。
後者の場合は、まるで 「言うべきことは言い尽くした。
後は音符をよく見てくれればいい。」…と言いたげです。
「自己の力量に対する、並々ならぬ自負心の表われ」
なのかもしれません。
真の作曲家は作品でものを言います。
もちろん言葉では「口下手で言えない場合」もあります。 しかし
中には、「描写音楽でもないのに情景を彷彿とさせる」ほど見事な
手腕を、音符で発揮する作曲家もいます。
これがさらに、「抽象的な事象を音楽で表現できる」となると、
我々凡人には不可思議と言うしかありません。 そのような例
には…、愛情の表現、愛の切なさ、精神の気高さ、崇高な魂、
宗教的とも言える恍惚感なども含まれます。
また、言葉ではもはや表現できない、「芸術における自己の
義務や責任感の表明」まで、音符で表現しようとする者まで
います。
こうなると、"作り手" と "聴き手" の間には、"精神的感応"
とも言うべき現象が存在しなければなりません。
ですから「作曲家が沈黙を守る」のは決して珍しい例では
なく、むしろごく一般的なことです。
まして作品の成立の裏にもっと深い事情があるときには、
作曲者が何も語らないとしても、それは別に不思議なこと
ではないでしょう。
それが、人間と人間との深い魂の交流に関わる場合には
なおさらです。
ブラームスが語らなかった以上、この曲の成立の由来は不明
です。 「いわゆる "アガ―テ音型" を意識していた」のかどうか
も、今となっては証明できるはずがありません。
私たちは、残された楽譜を唯一の資料として検証していくしか
ありません。 「作曲者が "アガ―テ音型" を重視していた」との
仮説を立てた上で。
「だとすると、自然に説明できると言うのか?」
あるいは、やはり「矛盾が残るのではないのか?」
これにまつわる疑問は尽きません。
「"アガ―テ音型" と呼べるほどのものが存在するのか?」
「意味があるとしても、それは単なる挿入に過ぎないのでは?」
「3回も繰り返しているのは、誰に対して? また、なぜ?」
「それは出現した際の3回だけなのか?」
「作曲者は、なぜ "解放された" と感じるのか?」
ご一緒に考えてみませんか?
[譜例 ①]は、第Ⅰ楽章の冒頭です。
最初の "Bratsche" (Viola) の動きをA、Violine の動きを
Bと呼ぶことにします。
Bは完全5度の上昇音形で解りやすいですね。 以後、
これは下降したり、完全4度になったりしますが、すべて
同じものとして扱うことにします。
ではAは何でしょうか? 同じ動きが延々と続いています。
また音程の幅が3度になったり4度になったりしても、やはり
同じAの色が塗られています。
どうも音程の幅が問題になっているのではないようですね。
よく見ると上下運動を繰り返している点で、どれも共通して
います。 そこで、これを往復音形Aと呼びましょう。
譜例の最後では切れていますが、3つ目の音がこれに続く
ので、半音による往復音形まであることになります。 音程と
しては "Sol - Fa# - Sol" なので、冒頭の Viola と同じ、半音
には違いないのですが。
[譜例 ②]
いよいよ "アガ―テ音型" です。 往復音形A、Bの5度、
半音Cが見られます。
今回初めてご覧いただく[譜例 ③]では、Aが執拗に
繰り返されています。 これが途切れると、それまでの
完全4度、5度は、不安な響きの増4度、減5度に
変わります。
Vn.Ⅰが半音の嘆きとなって崩れ落ちる様は、まるで破局
を思わせるかのようです。
これと同時に、Vn.Ⅱ、Vc.Ⅰには3 (9) 連符が現われます。
ブラームスに限らず、"3" は "運命の数"、"不吉な数" と
して特殊な意味を持つことがあります。
これは展開部の一番最後です。 ドラマチックな事件が
起こりがちな部分ですね。
関連記事 『嘆きと破局』
[譜例 ④]は第Ⅱ楽章の冒頭です。 相変わらず往復音形A
や、完全4度、5度音程Bが頻繁に現われます。
最初の3小節間の Vn.Ⅰには装飾音 (モルデント) があります。
これは "一度だけの上下運動" なので、実質的には音符3個分
に相当します。 つまり、これも往復音形と解釈できます。
楽譜の2段目になると、Violin や Viola に 5個の音から
成る "往復音形A" が、初めて明確な形で現われます。
すると "b" と書かれたところで、"アガ―テ音型" D が、
これも初めて、独立した明確な形で登場します。 ただし
調性はニ短調です。
関連記事 『悲しみは尽きず』
[譜例 ⑤]は第Ⅲ楽章の冒頭で、印象的なのは Vn.Ⅱの
半音の嘆きです。 これを 「"アガ―テ音型" D が変形して
しまったもの」と考えることも出来ます。
Viola はこれと同じ方向に動いていますが、5個の音から
成る"往復音形A" と考えることも出来ます。
ただし "ジグザグ" に上下運動を繰り返しており、その上
元の音には帰ることが出来ず、絶えず 「下へ下へ」と頭
(こうべ) を垂れています。
なお、Vn.Ⅰでは4度音程が連続していますね。 第Ⅰ楽章
冒頭の5度音程と関連しているのは明らかです [譜例 ①])。
段が変わるとこの傾向は著しくなり、Viola の最後の音は
1オクターヴも下がってしまいます。 この "オクターヴ下降"
はこれまで現われていませんでしたが、この後は上方への
"オクターヴの跳躍" となって出現し、変奏での重要な動機
(モティーフ) として活躍します。
ここはアンサンブルが大変難しい箇所ですね。
関連記事 『愛~悔恨と情熱』
[譜例 ⑥]は第Ⅲ楽章の最後、ホ長調の Adagio の開始
部分で、往復音形Aが目立ちます。
よく見ると、音符の数は5個のものだけでなく、7個のもの
まであります。
ところで、もし貴方が以下のように言うとします。
「"アガ―テ音型" Dが長調の響きとなって木魂
(こだま) しているんですね?」
すると、作曲者は何と答えるでしょう?
「そうかね。 それが一体どうしたって言うんだ?」…なんて
返事が来そうなんです。 単刀直入に言葉を返さない、皮肉
屋さんだったらしいですから。 ブラームスさんは。
でも貴女が女性なら、それを聞いて、「あら、シャイなのね。
可愛いわ!」なんておっしゃるかも…。 貴女の勝ちです。
冷たい響きの[譜例 ⑦]は、第Ⅳ楽章の開始部分です。
音符の数は多いのですが、よく見ると、往復音形Aが、
あちこちで組み合わされているのが判ります。
この4度、5度跳躍は、直後に聞かれる、[譜例 ⑧]の、
"2b" と書かれている部分の形にほかなりません。
[譜例 ⑧]
この Vn.Ⅰの譜面では Dが、ついに明るいト長調で聞かれ
ます。 音名は、[譜例 ②]と同じ、"G A H" です。
ただしご覧のとおり、これは Violin の最低音域です。 楽章
の最後では幾分高い音域で、色々な楽器に現われます。
しかし、「このテーマが、最後のコーダでは高音域で歌われ
るだろう」と期待しても、そうはなりません。 全曲がト長調で
終わるからといって、今一つ "伸びやかな印象" は受けない
のです。
関連記事 『化粧を排したブラームス』
[譜例 ⑨]は第二主題で、まずチェロの高音域に現われます。
実に朗々たる歌ですが、続く Violin たちが、これを高らかに
繰り返しても駄目。 激しい下降音階が雪崩を打ち、何度
やっても水泡に帰してしまうのです。 これは再現部でも同じ。
気付いてみると、聴く者はいつの間にか上記のコーダ (終結部)
に差し掛かっています。 曲は終わってしまうのです。
楽章は 9/8拍子で、本来ならワクワクするリズムです。 しかし
全体から受ける印象は、「絶えず水を差され、成就しないダンス」
です。
「長調で終わる = 肯定的」とは言えない例の一つでしょう。
この "アガ―テ音型" を、そう呼んでいいのかどうか?
それは別にしても、「全曲の素材、あるいはその萌芽が、
この音型内に多く見られる」のは確かなようです。 特に
重要なのは、「"A - G - A" にスラ―記号がかかっている」
事実です。
纏めると以下のようになります。
Aの往復音形。 3、5、7個、あるいはそれ以上の音符
から成り、V字型のほか、ジグザグのものもある。
Bの4、5度の跳躍。
Cの半音階。 3、5、10個の音符が連続することがあり、
すべて下降形。
Dの長音階で、基本的に3個の音符から成る。 短音階で
現われることもある。
またAは中心的な役割を担い、他の音形と組み合わされます。
下記はその一例です。
[譜例 ①]。 AとCの半音階。
譜例は挙げてありませんが、第Ⅲ楽章では⑤の
"半音の嘆き" と共に重要な役割を果たします。
[譜例 ⑥]。 AとDの長音階。
[譜例 ⑦]、[譜例 ⑧]。 AとBの4、5度の跳躍。
なおこの音型には含まれていませんが、"連続する3度音程"
をこのほかに挙げておきます。
解りやすい形では "Do - Mi - Sol" がありますね。 この曲
でもそれが無いわけではありませんが、極めて限定的にしか
用いられていません。 敢えてそうしてあるようです。 曲全体
が明るく聞こえない、大きな原因でもあります。
しかし一方では、下降しながら10回も連続する場合が、何度
もあります。 "Sol Mi Do# La Fa# Re Si Sol Mi Do#" のように
(第Ⅳ楽章)。
それは上でも触れた、激しい下降音階が雪崩を打って下降
する際に、同時に現われます。
この形については下記の関連記事があります。
関連記事 Brahms の四重奏曲第3番
(1) 念願の初対面
(2) 3度への愛着
(3) 3度への執着
(4) 過去と現在
(5) 蝋燭の燃え尽きるとき
(6) 束の間の憩い
(この項終わり)