MARU にひかれて ~ ある Violin 弾きの雑感

“まる” は、思い出をたくさん残してくれた駄犬の名です。

一途なアガーテ

2010-10-05 00:00:00 | 私の室内楽仲間たち

10/05 私の音楽仲間 (216) ~ 私の室内楽仲間たち (190)

             一途なアガーテ



         これまでの 『私の室内楽仲間たち』



                関連記事

                 30年ぶりの再会
              ケーキの後のハプニング
                  音に託して?
               誤解されるブラームス
                 一途なアガーテ
                 月明かりの歌声
             音符でどこまで表現できるか
                 急いては事を…
                   嘆きと破局
                 自虐的なトリオ
                 悲しみは尽きず
                 愛~悔恨と情熱
               化粧を排したブラームス
                 ホ短調のアガ―テ




 1858年の夏、休暇中のブラームスゲッティンゲンを訪れます。
そこに住む友人のユリウス・オットー・グリム (1827~1903) の招待
でした。 彼は作曲家仲間であり、また当地の楽団の音楽監督
でもあったのです。



 グリムの元には音楽家、また地元の合唱団のメンバーたちを
始め、多くの愛好家が出入りしていました。

 その中にアガーテがいました。




 アガーテは、類いまれな美しいソプラノの声を持ち、Violin 奏者
ヨアヒムが驚嘆したほどでした。

 「まるで名器アマティのように甘く美しい!」



 長い黒髪の持ち主で、父が大学の (婦人科医) 教授ということも
あり、まことに理知的であったと伝えられています。



 一方ブラームスは、前年よりデトモルトの宮廷合唱団指揮者
としての地位を得ていました。 彼にとっては初めての公職に
就いて間もない頃で、前途を嘱望される天才音楽家として将来
を期待されていました。




 二人はすぐに恋に陥ります。 ブラームス25歳、アガーテ23歳
の年のことでした。 やがて休暇も終わりに近づき、彼が任地の
デトモルトへ戻る頃には、すでに将来を誓い合う仲になっていた
のです。

 翌年にかけて、二人は内密で婚約指輪を交わしました。 周囲
の目は温かく、障害になる問題もありません。 二人の前途は
洋々に見えました。



 1859年1月のことでした。 訪れていたゲッティンゲンで無事に
婚約を終えたブラームスは、アガーテの元を離れます。 自作の
ピアノ協奏曲第1番を初演するためです。 指揮者はヨアヒム、
そして自らが独奏を務めます。

 残されたアガーテの真剣さを間近で見るにつけ、「このままでは
いけない」と考えたのでしょうか。 ゲッティンゲンの町でも有名な
噂話になっていました。 グリムは二人の将来を案じ、ブラームス
に手紙を書き送ります。

 「結婚式はいつにするんだ? せめて婚約を公表しなさい。
さもなくばアガ―テには今後一切会わないようにするか、態度
を直ちに明確にしてほしい。」




 「アガ―テ、あなたを愛しています! でも縛り付けられるわけ
にはいかないんだ。 自分が戻るべきなのか? それともこの地
で、あなたを迎えるべきなのか…? とにかくもう一度逢わなきゃ。
でも、キスを交わし、好きだと告げて夫婦になるべきなのか…。
僕には分らないんだ…。」



 アガーテが一途に愛していたヨハネス。 その彼からアガ―テ
が受け取ったのは、このような手紙でした。




 大作曲家への道を歩むブラームスと、「間もなく結ばれる」と
固く信じていたアガーテ。

 「私の歌を見事な伴奏で支えてくれたヨハネスが、こんな手紙
を! 歌曲まで幾つも作ってくれた、私のヨハネスが…。」

 「ヨハネス! 貴方との手紙のやり取りは、これ以上無い深く
純粋な喜びの源泉です!」 アガーテはかつてそう書き送った
ほど彼を慕っていたのです。



 「自分もヨハネスの心の支えになっている。」 固くそう信じて
いたアガーテにとって、その驚きと心痛は如何ばかりだったで
しょうか。

 「作曲家の邪魔にならぬよう、幸せな家庭を作ってみせる。」
アガーテも、きっとそう決意していたことでしょう。 その自尊心
も、今や打ち砕かれました。

 アガーテは自らの名誉を重んじ、婚約破棄を認 (したた) める
手紙を送り、ヨハネスに別れを告げたのでした。




 しかし別離を宣言したとはいえ、アガーテもヨハネスへの思い
を捨て切れなかったのでしょう。



 彼女はブラームスと別れてから10年間というものは、結婚など
は考える気になれなかったようです。 また後年、実際に結婚を
迎えるまでは、ブラームスからの手紙などをすべて大切に保管
していたほどです。

 後に夫となったのはカルル・シュッテ博士という、医学・衛生学
関係の顧問官でした。



 結婚式の前夜、彼女はヨハネスにつながる想い出の品々を
すべて破棄してしまいます。 こうして、ブラームスの当時の
状況を記した手紙など、正確な資料が失われてしまうことに
なりました。



 アガーテは1909年に74歳で亡くなっています。 作曲家
が64歳を前に1897年に没してから、すでに12年が経って
いました。




 なお、このAgathe von Siebold (1835~1909) の祖父の兄は、
我が国とも所縁のある、フィリップ・フランツ・バルタザール・
フォン・シーボルト
(Philipp Franz Balthasar von Siebold) です。

 アガーテが "―ボルト" と呼ばれたり "ーボルト" になったり
するのは、この医師・博物学者のためでしょう。 標準ドイツ語で
は "ジ" ですが、彼は南の出身だったので、自ら "" と発音して
いたのです。




 ところでブラームスはなぜ、あのような手紙をアガーテに
書き送ったのでしょうか。



 ブラームスは、作曲家としての自分の将来に不安を抱いて
いました。 自作のピアノ協奏曲第1番の初演が酷評を浴び、
落ち込んでしまったのです。

 その上 彼の性格は "慎重"。 いわゆる "優柔不断" です。
「結婚生活が音楽活動の制約になりはしないか…。」 そう
恐れたのでしょう。 あるいは、アガ―テから励まされたいが
ゆえに、あのような表現になったのかもしれません。

 また一説には、すでに未亡人となっていたクララ・シューマン
を「永遠に失ってしまうのではないか…。」 そのような危惧を
抱いていたとも考えられます。 14歳年長のクララが、若い二人
に対して実際に嫉妬していたのも事実だったからです。



 ブラームスは色々迷いましたが、自分では結論を出せなかった
と見えます。 そして決心のつかないままアガ―テに手紙を送り、
結婚の決断を相手に委ねる形になってしまったのでした。

 シワ寄せは、すべてアガーテに降りかかったとも言えます。



 「この一年で変わってしまったことが、あまりにも多い。 私は
音楽に恋しているのです。」 1859年秋になり、ブラームスは
そうも書き残しています。




 しかしその反面、繊細なブラームスのことです。 相手が
被った打撃に対して無感覚であるとは、到底思えません。
良心の呵責ゆえに、彼もまた深く思い悩んだことでしょう。

 「この六重奏曲の創作により、自分は最後の恋から解放さ
れた」と語ったのは、友人の歌手、ヨーゼフ・ゲンズバッヒャー
に対してでした。 この "解放" とは、また "罪の意識からの
解放" という意味も含まれているような気がしてなりません。




 ところでこの頃ブラームスは、アガーテのために10曲以上の
歌曲を作曲しています。 もちろん、いずれも彼女が歌うことを
想定したものです。



            

        Agathe von Siebold (1835~1909)




 その中に、『5つの詩』 (Fünf Gedichte) Op.19 (1858年) があり、
『くちづけ』(L.C.H.ヘルティ詞)、『別離』、『遠い国で』、『鍛冶屋』
(以上 L.ウーラント詞)、『エオルスの竪琴に寄せて』(E.メーリケ詞)
から成っています。



 そのうちの一部の邦訳をご覧いただきます。

 これは[虹の架け橋]中の[ドイツ歌曲訳詩集]から転載
させていただきました。 (このページの末尾をクリックしてください。)




 音源の一部です。



   [鍛冶屋



   [『エオルスの竪琴に寄せて』]

     Elisabeth Grümmer

     Marija Vidovic

     Nadine Sierra




  (続く)




 以下は、メゾ・ソプラノ 江川きぬさん による訳と解説です。




          『鍛冶屋』  ウーラント



 ウーラントは18世紀のオーストリー文学を発展させた文学者たちの一人で、東洋的美への憧憬が強い。

この詩にブラームスが、作曲したのは25歳の時で、当時、彼は美声のソプラノ,アガーテ、フォン、シーボルトに熱烈な恋をしていたので、彼女のために多くの歌曲を書きました。

アガーテの情熱的な瞳、黒い髪、ユーモアなどが、この歌の中に活き活きと息づいています。短いけれど非常に巧みな曲です。ピアノは鍛冶屋のハンマーの音を終始鳴らしています。




 恋人がハンマーを振るっているのが聴こえる

 大きな音で、響き渡り、遠くの方まで

 まるで鐘の音のように

 通りや広場を抜けてゆく。




         恋人は黒い炉の前に座っている

         でも、私が知らぬ振りして通り過ぎていくと

         ふいごがゴーっと鳴り,炎が荒れ狂って

         まるで、彼をカッカッとさせているみたい。




  『エオールスハープに寄せて』:メーリケ


   
  
 ブラームス26歳の作品。『作品19』に属し、軽快な歌「鍛冶屋」と並んで作曲されました。

エオールスは風の神の名。その名を付けられた竪琴は、英語ではエオリアンハープと称されています。

木の枝などに掛けて、吹く風によって弦が鳴る竪琴です。

メーリケはこの神秘的な楽器に寄せて、憂いを帯びた抒情詩を書きました。

その詩にブラームスは、風に鳴る楽器の振動を巧みに描写し優美な歌曲に書き上げました。

同じ詩に、フーゴ・ヴォルフも、又、名曲を作曲しています。



              
    古いテラスの 木蔦のからむ壁に 寄りかかる お前よ

    風から生まれた楽の女神の神秘な弦の音を
  
    かき鳴らしてごらん、 もう一度鳴らしてごらん

    お前の嘆きの歌を。




 はるかな彼方からの風よ

 あゝ 私がかつて こよなく愛した少年の

 新しい墓から吹いてくるお前たち

 墓には まだ草が萌えだしたばかり       

 
    過ぎゆく風は、春のの花々にやさしく触れて

    溢れるばかりの かぐわしい香りを撒き散らし

    なんと甘く この心を かきみだすことか!




 かくして、弦のかき鳴らす音は

 憂愁のかぐわしい高鳴りを忍び込ませ

 私の憧れの想いを広がらせて

 また再び消え去っていく。

   
    だが急に 風が激しく吹きすさび

    琴の優しい叫び声は 快い驚きで

    幾たびも 私の魂を目覚めさせ

         
    かくして、ここに 

        咲きそろったバラの花を撒き散らし 

        私の足元は バラの花弁で満たされる。