庭で座ってのいろんな思い

庭の四季で花や木との語らいを写真とともに思いついたら記載する

ありがとうの心

2009-05-06 | ちょっとした話
今日はこどもの日、読売新聞に「ありがとう つたわるこころが うれしいよ」という標語が、こどもの日から始まる児童福祉週間の今年の標語で、34歳の男性が作った若い親の世代から子供たちへのメッセージだ、と掲載されていた。

また、奈良の薬師寺で買った“てつじょう(大谷徹奘)さん”作の5日の日めくりにも、「なかなか言えないありがとう なかなかわからぬおかげさま」と、偶然に「ありがとう」に今日は2度出合った。

そういえば、我輩も退職する前、仕事場での電話応対で電話が終るとき、相手に「ありがとう」と言ってもらえるように受答えを心がけていた。そして、黄色い付箋に「お客さんにありがとう!を言ってもらった回数は?」と書いて机に貼り付け、5時の仕事終了で何回「ありがとう」を言ってもらえてか?で自分自身のその日の仕事成績をつけたていた。一度だけ「親切な対応ありがとう」と態々ハガキが来たことがあったことに自己満足した。

最近クレーマーと呼ばれる理不尽に抗議する人も目立つと新聞に書かれていた。
教えてもらうのに、なんと言う失礼な乱暴な聞き方や!と腹が立ち、知っていても教えたるかぁ!と思うが、そこをジーッと辛抱して、その質問以外のこともプラスして答えてあげることが相手を歓心させ喜んでもらえるコツだと思っている。

あの“ありがとうの付箋”は今も職場の机に残っているだろうか?
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続・西国めぐり

2009-05-06 | 西国33所の旅
おまけ話ですが。
家へ帰ると、我家の豆を早どりして豆ご飯が炊けていました。
ご飯の豆は鍋の上にかたよっています。エンドウ豆を混ぜて均等にすればよいのに、「そんなもん、豆は多いほどよいんや!」と、その日の茶碗には豆の多い豆ご飯を入れてくれました。

そして次の日には、豆が無いエンドウご飯を美味しく(?)いただくことになるだろうなぁ!と想像しながら、食しました。
これは、其の時だけを喜んで、明日のことは何も考えない誰かさんのことでした。
このとき、夫婦二人は顔を見合わせて言いました。「やっぱり○○はんは、イタリア人や!」と。

もう一つ、おまけ話ですが。
お土産のマッタケの佃煮とフキの佃煮は、いつの間にかテーブルから消え、その姿は見えなくなっていました。
きっと、ゴールデンウィーク明けにはデーサービス会場で、その土産姿を見つけることができるのではないでしょうか。
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西国めぐり

2009-05-06 | 西国33所の旅
4日に5寺お参りし、兵庫県・舞鶴・岐阜県など遠い所の残りあと5寺になりました。
前回桜満開で駐車場に入れずパスした醍醐寺・京都市内の華道家元池坊の発祥地である六角堂と西国唯一の尼寺である革堂・京都西山の上にある善峰寺・亀岡の穴太寺をまわりました。

醍醐寺は広いので2時間ほどかかりました。奥の院が去年の夏8月24日に落雷で焼失したので、納経帳への記帳は麓の金堂でしてもらいました。
賑やかな京都市内の六角堂(頂法寺)と革堂(行願寺)は旅行客などが多いように思いました。平安京遷都時代に都の中心を表す“へそ石“がある六角堂では、池坊会館で生け花展をしていました。また、革堂は、若いころ九州の狩人だった行円上人が、雌鹿を射た時に子鹿を産み落とすのを見て殺生を後悔し出家し、その雌鹿の皮を身に着けて仏道を説いて回ったことから、お寺の名称が革堂と呼ばれていました。
京都西山の竹藪の山頂にある善峯寺では、日本一と呼ばれる樹齢600年の松が見事でした。横に40mほど伸びた、まるで龍が寝そべっているがごときで天然記念物の「遊龍松」と呼ばれていた。
亀岡の穴太寺では、京都縦貫高速道路を降りたところを高速道に沿えば20~30mなのに、9号線を回って元の道路へ帰るようなカーナビ案内に怒りたくなりましたが、いつもお世話になっているカーナビの忍ちゃんなので、まーええか?と思いました。

連休ど真ん中、名神の吹田で入ったとたん近い茨木からも合流してきているので車が動かずどれほど渋滞しているか心配でしたが、山崎から京滋バイパスに向かい宇治西で降りたので渋滞を避けられることができました。
そして、我々2人の団体は家人の先達さんの指図のもと、名神を通らず亀岡から池田へ抜けたので、渋滞の難を免れ帰宅できました。
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全兄弟の集合

2009-05-06 | 行事などいろいろなこと
今生きている姉弟が5人集合し、ゴールデンウィーク5月2日に、建碑のお祝いをしました。トシやん・ミチやん・ヒトッちゃん、それに我々夫婦2人でした。会長のコウちゃんの祝詞、お爺ちゃんの弟の孫のヒロッちゃんと母親の元気100倍の米寿のジツエはんも出席でした。

長男・長女の2人が生きていたらどんなんだったかなぁ?と思いながら、仏教のお墓も整備し、1年がかりのリフォーム事業でした。というのは、昨年が閏年だったので、その年はこの事業には好くないとの理由だったからです。

会食は近くの料亭(?)で、ジツエはんの毒舌「私は間違ったことは言わへん!」に参加者全員皆は、呆れ顔でした。
なかでも、これが(我輩のことですが)一番気楽や!とのことらしいです。

10年後のそれぞれの年齢は、74歳・71歳と69歳・68歳・65歳、それに98歳になり、これらの年齢のそう合計は445歳にもなり、今年の西暦2009年から引き算すると1564年で、武田信玄と上杉謙信の川中島の合戦があった時代で、関が原の合戦1600年よりずーっと以前になります。

おまけですが、トシやんが我家に寄って帰るときETCカードが見つからず30分探し回り大騒ぎしました。それは一番近い運転席上のさんバインダーに挟んでいました。
この時玄関を開けていたので、蚊が部屋に入り込み、まだ蚊取り線香を買っていなかったので、夜に咬まれて寝不足になりました。

追伸
10年後の年齢は、すべてそれぞれの誕生日を迎えた年齢です。
また、シラン(紫欄)の花が咲く頃の出来事でした。
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