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飾釦(かざりぼたん)とは意匠を施されたお洒落な釦。生活に飾釦をと、もがきつつも綴るブログです。

気ままに新書NO.14・・・「演劇とは何か」鈴木忠志(岩波新書)を読む

2012-01-26 | 新書(読書)

現代演劇史を見ると必ず登場するのが鈴木忠志という名前を、劇団SCOTという名前を、利賀フェスティバルという名前を見ることができます。昨年末にはその鈴木忠志の劇団SCOTのお芝居を初めて見たのです。(演目は「別冊 谷崎潤一郎」)一時は一週間に一冊の読破を目標にしていたけれど、最近はあまり手にすることがめっきり少なくなってしまった新書、その鈴木忠志が岩波から「演劇とは何か」を出していて(初版は1988年)、いい機会なのでその本を読んでみました。

 

鈴木忠志のその本を私なりの言葉と解釈でまとめて理解するには、演劇とは何年何月何日の今ここという時間と空間において、演劇が上演される場所があって、そこに集団でひとつの劇を構成するために身体感覚を切磋琢磨し磨きあげた俳優らがいて、我々が培ってきた言葉と遊ぶ俳優の演技が実践される、そしてそれを見る観客らがおり、双方で作り上げていく創造的な何物か、とでも定義づけられるもの…。そんな風に私は鈴木の本を読んで理解しました。その中でも鈴木は俳優という存在と演じられる場所というものをとても重視しているように感じました。今ここという哲学的とも考えられる一回性の中で、最大に上演された演目を観客に感じ取ってもらうためには、上演される場所の雰囲気と演じる俳優の力量が問われるのは当たり前と言えば当たり前のことなのだと思います。

 

ちなみに私が注目してこのblogに取り上げている寺山修司は当時、前衛、アンダーグラウンドのレッテルの中で演劇という在り方に大きな疑問符を投げかけた演出家であったのですが、鈴木忠志はこの本を読んでいる限り真摯に演劇の根本原理を深堀りしていった演出家なんだろうと思いました。だから、持続というキーワードを持ってきて永く演じられ存続している歌舞伎なり能なりの本質、つまり型でもって表現される形式を重視したのだろうと推測されるのです。私は鈴木忠志の演劇を一回しか見ておりませんので、そうした理解が彼の論理とあっているのかわかりませんが、王道に切り込んだ芸術家、そんな印象を持ったのでした。

 

演劇とは何か (岩波新書)
鈴木 忠志
岩波書店
鈴木忠志の世界(3枚組) [DVD]
劇団SCOT,SPAC
カズモ
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