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シニアー個人旅行のかわら版

国内・海外旅行の話題を中心に、アップデートな情報とともに、シニアーのための手作り旅行を発信する。

安全な雪道ドライブのために・・・豪雪の南会津を走る

2011-12-06 09:07:12 | Weblog


12月、スタッドレスに履き替えました。
雪のほとんど降ることがない首都圏に住んでいますが、年末年始を豪雪地帯である南会津湯の花温泉で過ごすようになってから三十年、我が家の恒例行事となっています。

那須塩原で高速を降りてから湯の花温泉までのドライブを紹介しながら、安全に雪道を運転する私の心構えを紹介いたします。

 
草津温泉・観光協会のサイトから
 海抜1200メートルの高地にある草津温泉の観光協会サイト「雪道ちょっとアドバイス」に車の駆動とタイヤの組み合わせから、雪道に強い順位を紹介しています。

1番目 4WD+スタッドレス (雪国住人は殆どがコレです
2番目 4WD+ノーマルタイヤ+チェーン
3番目 FF+スタッドレス+チェーン
4番目 FF+スタッドレス
5番目 FF+ノーマルタイヤ+チェーン
6番目 FR+スタッドレス+チェーン
7番目 FR+スタッドレス
8番目 FR+ノーマルタイヤ+チェーン

 四輪駆動車を購入した時のことです。ノーマルタイヤでしたので雪道になってから、前輪にチェーンを巻きました。スキー場への登りは実に快調、四輪駆動の優秀さに満足していました。ところがです・・・帰路、下り坂のカーブで大きくスピン・・・本当に怖い思いをしました。
 帰宅して、メーカーに問い合わせたところ「四輪、全部にチェーンを巻かなければ、安全とはいえません」とのことでした。2輪にチェーンを巻くだけでも手間がかかります。4輪に巻くのはとても・・・というわけでスタッドレスに替えたのです。

 後日、白石スキー場でのことです。雪上訓練に来ている自衛隊に出会いましたが、隊員運搬車両はすべて、4輪にチェーンが巻いてありました。

こんな事故がありました

 毎年出かける福島県南会津町、5年前の12月22日午前7時半ごろのことです。国道352号線新田原(しんでんばら)で乗用車と30名が乗る舘岩小学校・中学校のスクールバス正面衝突事故を起こし、全員が町内外の病院に運ばれました。幸い、軽傷だったということですが、事故原因はどこにあったのでしょうか。大晦日に同じ場所を通りますので、人ごとではありません。

 6年前の11月22日にもほぼ同じ場所で正面衝突事故があり、重傷者がでています。この時は早い降雪があり、県外の夏タイヤのワンボックスカーがスリップしたのが原因でしたが、今回は事情が異なります。
 雪のない、ほぼ直線道路で、スタッドレスを装着した、地元の運転手の乗用車が中央線をはみ出したことが原因です。路面凍結でスリップしたようですが、恐らく通勤時間帯、通いなれた道ということでスピードを出していたのではないでしょうか。

西那須野塩原I.C.から南会津町・湯の花温泉まで
平成29年1月現在の最新状況も書き加えました

 

 東北自動車道「西那須野塩原I.C.で降り、国道400号を塩原温泉へ進みます。道の駅を越えてから昔の街道に登っていきます。箒川の渓谷沿いの400号は改修工事を重ね、1.5キロのトンネルが開通、山肌に沿って曲がりくねり、狭いトンネルを抜けて行く負担が軽くなりました。ただ、トンネル出口は急カーブ・・・快適なトンネル内のドライブでスピードにのったまま突入すれば箒川に転落ということになりかねません。現在、第二トンネルの工事も開始されました。

 温泉街に入る直前の信号を左折すれば山側のバイパスへ、直進すれば旅館やみやげ物店が軒を連ね、観光客や温泉客が行き来する塩原温泉街を通り抜ける旧来の道です。二つの道路は温泉街を超えた地点で合流・・・尾頭峠に進みます。
 尾頭トンネルを越えて、鬼怒川から会津方面に向かう121号線に合流、田島方面に北上し山王トンネルを越え、野岩鉄道(やがん)のガードの早坂信号を左折、352号線で中山トンネルを通り南会津町に向かうという70キロ、約90分のドライブです。

 夏場なら快適な山間ドライブを楽しめますが、冬期にはドライブ事情が一変、アイスバーンの坂あり、除雪のために狭くなった道路の幅員、曲がりくねる山道あり・・・神経を使う雪道ドライブとなります。
 
この中で特に注意しなければならない三つの峠と、地吹雪になりやすい熨斗戸(のしと)付近の情報を記します。

尾頭峠(海抜820m)



塩原温泉街を抜けると峠に向かいます。上り坂になり、徐々に積雪が見られるようになりますが、道路は十分な幅員があり、ヘアピンカーブも大きなカーブを描いていますので、安心してドライブできます。海抜800mの尾頭トンネルを抜けると途端、「トンネルと抜けると雪国だった」という積雪のある風景に変わります。

 ここからの下りは、幅員が狭く、カーブの連続、急坂、そして凍結する路面での下りのドライブが15分ほど続きます。エンジンブレーキを使い、スピードを落としての細心のドライブが要求されます。

 坂を降りきると直線の道路になり、左からの121号に合流、ここからは5キロほどのドライブは林間の道路で、側溝に落輪しないように、またアイスバーンに車輪を取られないようスピードはあくまで控えめにします。やがて林間を抜けると山王峠までは改修された緩やかな坂道の運転しやすい道路に変わります。

山王峠(海抜850m)



 かつては、会津へ向かう旅人の最大の難所だったこの峠も山王トンネルの開通とそれに続く道路の改修工事の結果、冬期でも比較的安心して通行できるようになりました。
 山王トンネルを抜けると、幅員が十分な、ほぼ直線の下りになります。10分ほど下ると左手に道の駅があり、ここが唯一のトイレ休憩の場所です。

 道の駅から更に下ると野岩鉄道のガードがあり、早坂の信号で352号線と出会います。山王トンネルから下ってきた車がここで必ず止まるため、アイスバーンになりやすく、毎年事故が多発する箇所でしたが、。道路表面から地下水が常時噴き出すように改修されてから比較的安全にはなりました。

 右折すると田島へ、左折して高杖スキー場、湯の花温泉に向かいます。直線道路を5分ほど走ると、左手に会津高原尾瀬口駅が見えます。滝の原温泉を抜けた辺りから登りになります。

中山峠(海抜1100m)

 尾頭トンネル、山王トンネルはトンネルを抜けてからの下り坂のドライブに注意が必要ですが、中山トンネルはその逆で、トンネルまでの上り坂は深い谷沿いの山の斜面を切り開いた道で、狭い幅員、曲がりくねった道路、落石危険地帯です

 五年前でしたか、ここが雪崩で通行止めになり、高畑スキー場から田島回りで帰ったことがありました。毎年通るたびに工事が行われていますが、目立った変化は見られません。



 最大の難所は、金竜橋です。深い渓谷を渡る金竜橋は、橋への取り付け口が両方とも急カーブ・・・初夏の新緑、秋の紅葉の頃は最も景色の良いところですが、冬場はスリップして欄干を突き破ったら・・・と渡るたびに対向車がいないことを祈っていましたが、ようやく新しい橋が完成しました。



 中山トンネルは改修工事も終了、安全に通行できるようになりました。トンネルを抜けると道路がぐっと良くなります。中山峠が東西の分水嶺となり、ここから流れ出る川は、全て日本海に注ぎます。緩やかな下り坂を下っていけば八総(やそう)の集落まで10分くらいのドライブです。ここで右折すれば、たかつえスキー場です。

熨斗戸付近の地吹雪



 八総から平坦なまっすぐな道が数キロ続きますが、ここは風雪をさえぎる樹木がない畑の中の直線道路で、地吹雪が発生しやすい地形です。一度、猛烈な地吹雪に会い、ホワイトアウト現象を体験、前後左右の感覚だけでなく、天地の識別もできない状況に陥りました。車を停めれば、追突される恐れがあります。歩くようなスピードでの運転です。幸い、ハザードランプを点滅して走るトラックの後ろにつくことができ、このときほどトラックの後ろについて走ることを感謝したことはありません。

除雪する住民の方々へ配慮しながらの運転を

 夕方のドライブは注意が必要です。特に雪が降り続く中の雪道の運転は、一種のホワイトアウト現象で、カーブでは直進するのか曲がるのか一瞬判断がつかない現象が起きます。側溝を示すポールを丹念に探しながらの運転が必要です。
また、集落に入ると、夕方近くは住民の方が戸口から道路までの除雪に精を出す時間帯・・・集落を抜けるときには、直線の道路であっても、人の動きに細心の注意を払ってあくまでもスピードを控え目に運転しましょう。

 
私の雪道安全ドライブ術

 ドライブ歴35年ですが、雪道は毎年数回しか走らない初心者です。その私が心がけている雪道ドライブ術です。
○ 40キロ以上は絶対に出しません。一度、桧枝岐のスキー場から戻る際、トンネル出口のカーブでスピンしかかったことがあります。40キロを越えていました。
○ 後ろに付かれたら、安全を確認して路肩に止まり、道を譲ります
○ エンジンブレーキで減速、ブレーキは必要最小限に
○ 牽引用ロープを携帯。助けられたり、助けたり・・・
○ 高出力の黄色フォッグランプを装着
○ 四輪駆動車(パートタイプ)、スタッドレス装着です

帰路の渋滞情報です

 渋滞に巻き込まれることを避けるために、午前中には塩原を抜けるようにしています。午後になると、南会津方面から帰る車と日塩道路沿いのスキー場から帰る車が塩原市内で合流、渋滞が起きやすいのです。この数年、スキー客減少で渋滞は見られなくなりましたが・・・

 事故渋滞の場合は逃げ道がありません。甲子道路が開通、下郷から白河I.C.に出られますが、大回りになります。東京方面へは塩原を通るか、121号を直進して鬼怒川経由の二つしかありません。そこに至る途中で事故があれば、121号線全体に渋滞が広がります。その場合は、同乗者に野岩鉄道で先に帰ってもらうのが得策です。10年前、事故渋滞に巻き込まれ、東京に戻るまで12時間も掛かったことがありました。

 もう一つの渋滞があります。関東地方に雪が降った場合です。会津地方では、どんなに雪が降ろうとも一晩中除雪作業が行われ、次の日は通れるようになりますが、塩原から東京に至る道路はわずかな雪でも動きが取れなくなります。高速道路は最初に通行止め、一般道をのろのろと帰ることになります。以前、この渋滞に会い、同乗者には矢板駅からJR東北本線で帰ってもらいました。

曲がり家が点在する村が待っています



 こんな苦労をしてまでも冬の南会津を訪れるのは、今日でも茅葺の曲がり家が点在する雪深い会津の村々の佇まい、迎えてくれる人々の暖かさ、伝統的で素朴な会津地方の料理の味、地元産の蕎麦を天然水で打った天下一品のソバ、囲炉裏で何時間もかけて焼き枯らした岩魚の骨酒豊富な温泉、その上、スキーも楽しめる自然環境・・・遠い昔に置いてきてしまった郷愁に浸ることができる旅があるからです


 


ぜひ、一度、冬の南会津にお越しください・・・安全運転で・・・



 
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秩父鉄道・大霧山ハイキングに参加しました

2011-12-01 14:37:33 | Weblog

11月27日の日曜日、秩父鉄道が主催する「秩父路峠道ハイキング・秋色の眺望 大霧山へ」に参加しました。
秩父は中学校の遠足で長瀞に出かけただけ・・・いつかは秩父の山々に登ってみたいと思っていましたが、一人で出かける自信が無く、憧れのままとなっていました。

和同開珎ゆかりの地であり、困民党の秩父事件にもかかわった黒谷(くろや)を訪れること、そして 自由歩行方式のハイキングで自分のペースで歩くことができることから出かけました。

「やや健脚向き」となっており、766メートルの大霧山へ登る10キロ4時間というルートに一抹の不安がありましたが、毎日1時間は歩いているので大丈夫だろうと気軽な気持ちで参加しました。

8:00 秩父鉄道・熊谷駅
 熊谷駅で秩父鉄道に乗換。切符売り場では「秩父路遊々フリーきっぷ」を求めるハイカーが並んでいます。乗客のほとんどがハイカー、秩父鉄道では土曜・日曜・祝日に沿線ハイキングを主催、乗車割引券を発行、ハイキング専用列車運行の感があります」。

9:00 和銅黒谷駅
 和同開珎のモニュメントがあるユニークなホーム。トイレの順番を待つ女性ハイカーが列を作っていました。


9:00~10:30 バスで順次出発
 駅前で受付を済まし、バス乗車券(1000円)とルート地図を受け取り、ピストン運行のバスに50人ずつ乗車。当日、約500名のハイカーが参加したと後で知りました。
9時10分のバスに乗車。

9:30 定峰(さだみね)入り口
 海抜300メートル位でしょうか。大霧山まで4百メートル強を登ります。


旧道に入り、七曲がりの道を登ると定峰神社に。

   

10分ほど更に進むと、定岳寺を囲むように南斜面に開けた十数戸の定峰の里にでます。

   

さらに進み県道を横切ると、昔ながらの細い山道です。「ワナに注意」の標識。イノシシ捕獲用でしょうか。
見晴らしが利かない桧の林の中を登っていくと旧定峰峠です。

10:40 旧定峰峠
 石で囲った祠があり、ダイダラボッチの伝承が伝わる切通しは、昔は東秩父と秩父を結ぶ主要な往還であったのでしょう。今はハイカーがわずかに訪れるだけ・・・多くの旅人や牛馬が行き来した頃の賑わいが偲ばれます。
 峠の南北に連なる峰々を結ぶ「外秩父七峰縦走ハイキングコース」を大霧山へと北に登ります。



11:00 桧平

 桧の樹林に杭を打ち階段状にした急坂を登ります。桧平を越え、尾根沿いを進むと雑木林に入り、落葉した明るい道となり、西に秩父盆地、東に東京大学天文台がある876メートルの堂平山や笠山などが放牧場越しに見えます。ハングライダーが飛んでいました。

   

 前方に大霧山が見え、いったん急坂を鞍部まで下り、そこから頂上を目指します。



11:30~12:00 大霧山

 頂上からの眺望は素晴らしいの一言・・・北東に赤城山、北に日光連山、北西に上越国境の山々、北西に八ヶ岳、東に奥秩父の山々・・・上越の山々は雪に輝いています。
頂上は昼食を取るハイカーで大混雑、腰をおろる場所を探すのにも一苦労でした。



 大霧山山頂からは下り一方の坂道が続きます。木々の葉は落ち、遠くの集落を見ながらの快適な下りが続きます。



このまま進めば粥新田峠ですが、峠すぐ手前の石碑で左に曲がり、「関東ふれあいの道」に入ります。牧場のフェンスに沿って、上三沢へ向かいます。だらだらと下る道にうんざりした頃に最初の民家に・・・振り向くと大霧山が見えます。

  

13:20 上三沢の八幡神社
 
待機しているバスに、50人ずつ乗り込み、長瀞駅へ・・・

  


14:03 長瀞駅
14:54 熊谷駅


 ハイカーの安全への気配りは、万全でした

*和銅黒谷駅と上三沢でのバスの乗車時に、それぞれ50人ずつカウントして、参加人員を把握
*ルートを示す矢印がいたるところに掲示
*桧平と大霧山の急な下り斜面、迷いやすい粥新田峠手前の「関東ふれあいの道」分岐点の三箇所には係員が待機
*4人の係員がルート最後尾を歩き、遅れ気味のハイカーに付き添い、上三沢発15時の最終バスに間に合うよう誘導


 歴史よもやま話です

和同開珎と黒谷

 慶雲五年、西暦七〇八年、武蔵国秩父郡であったここ黒谷で高品質の自然銅、「にぎあかがね(和銅)」が発見され、朝廷に献上されました。大宝律令が発布され、通貨の必要性を痛感していた朝廷はこれを喜び、年号を「和銅」と改め、本格的な銭貨である和同開珎(わどうかいほう・わどうかいちん)を鋳造・発行しました。

 2008年、和銅発見から1300年であることを記念して、秩父鉄道では「黒谷駅」を「和銅黒谷駅」と改め、和同開珎モニュメントをホームに建てました。駅近くにある聖神社には和同開珎が祀られ、地元の人々からも銭神様と呼ばれ、お金儲けの縁起の神様として親しまれています。 

秩父事件と黒谷

 明治時代初め、自由民権運動が盛んになり、政府のデフレ政策で生糸相場の暴落・過重な税負担・高利の借金に苦しむ農民蜂起が全国各地でありました。明治17年、秩父では、農民に同情した名主・商店主・教師・役場の書記などが指導者となって、困民党と称し、総理・副総理・会計長・参謀長・大隊長などを決めるなど3,000名の組織的な反政府蜂起を起こしました。

 粥新田峠を越えて進軍してきた東京鎮台の軍隊によって蜂起は鎮圧され、総理の田代栄助は黒谷に潜んでいるところを逮捕されます。
 ハイキング途中、定峰の里で出会った年配の女性に秩父事件について尋ねると、田代栄助が親戚筋であること、直系の子孫が健在であることを教えていただきました。秩父事件については学校で習ったとのこと・・・127年たった現在でも困民党が地元の方の記憶に生きていることに感動しました。
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秋の三瓶山を訪れる

2011-10-29 08:39:04 | Weblog
高速バス「いわみエクスプレス」が運行休止となりました。高速バス「スサノオ」利用、jr出雲市駅から大田方面に向かう旅程となります。

この時期になると思い出すのが、三瓶山への旅です。岩見銀山を訪れた帰りに寄りました。



出雲風土記の国引き神話によると、その昔、朝鮮半島の新羅の岬から余った土地を引き寄せて、出雲の国の一部にしたとのことですが、その時、杭代わりになったのが三瓶山だとのこと、高い山が少ない出雲・石見の地で、海岸からわずか10キロ足らずの地に海抜1,126mの主峰男三瓶山と961mの子三瓶山が並び立つ美しい山容は際立っており、古代の人々がこの山に特別な思いを抱いていたのももっともなことです。
海上から、車窓から、周辺の町からよく見ることができる三瓶山は、島根の方のみならず誰でも一度は登ってみたい山の一つでしょう。

山陰本線大田駅から三瓶温泉へ

鞆ヶ浦道銀山ウオークの帰路、大田駅前から16時22分発の三瓶温泉行きのバスに乗ります。バス停には私の他に、温泉に出かける夫婦連れ方と島根の温泉地を1週間かけて一人で楽しむというという名古屋からの年配の女性だけです。
バスを待つ間、名古屋からの女性と旅の会話が弾みましたが、この方の旅に対する姿勢から多くのことを学びました。日本全国、ほぼ、観光地は回られ、秘湯として知られる東北地方の「酸ヶ湯」「玉川温泉」「泥湯」なども訪れておられるのにはびっくりしました。なぜ単独旅行をされるのか尋ねたところ「旅行仲間が一人減り、二人減り、ついに一人になってしまった」「ツアー旅行は行動が規制されること、自分に合った食事が取れないことから参加しない」「一人で旅の計画を練るのが最大の楽しみ」「荷物はカート式のキャリアに載せてでどこでも出かけるが、島根の駅は階段ばかりで大変だ」とのことでした。

結局このバスには途中のバス停で、地元の方が2、3人乗っただけ、月曜日という平日でしたが、一日8便しかない路線にしてはあまりにも少ない乗客です。大田駅から三瓶温泉の国民宿舎前まで40分、810円でした。

三瓶国民宿舎に泊まる三瓶山登山ルート





コースは東西南北どこからでも登るルートがあり、北の原から登るルートが一般的なようですが、そちらへ回るバスは一日三便、国民宿舎の裏の登山道から登りました。三瓶山は火山が隆起してできた山で、右回りに、男三瓶山・女三瓶山・太平山・孫三瓶山・子三瓶山の5つの山が円形に隆起し、室の内と呼ばれる中心部の平野部が取り残され、そこに小さな室の内池があります。

健脚なら一周することも可能なようですが、5つの独立峰を登っては降りるコースはとても無理・・・脚力相応の登山コースとして、国民宿舎→孫三瓶山→風越→子三瓶山→室の内池→東の原リフト→東の原→国民宿舎の予定でした。

孫三瓶山へ

国民宿舎の裏の登山口には、また「熊注意!」の標識です。6月の軽井沢白糸の滝歩道、8月の長浜小谷城址歩道でもこの標識がありました。それだけ熊が安心して住める森が少なくなっている証です。
孫三瓶山までは林間のジグザグに登る道で、眺望はまったく利きません。時折、栗の実が落ちています。頂上は903mで、国民宿舎から300mを一気に上ります。20分ほど喘ぎながら登っていましたら、同年輩の男性があっという間に私を抜いていきました。

4時間ほど三瓶山の山中にいましたが、出会ったのはこの男性一人だけ、地図では40分の登りと書いてありましたが、1時間かかりました。頂上は潅木がありますが、見晴らしは利きます。北に頂上が雲に覆われた1,126mの主峰男三瓶山が、大きな山容を東から西へ伸ばしています。子三瓶山は手が届くばかりに近くに聳えています。南には昨日訪れた石見銀山の山々が一塊にまとまって見えています。何万年前には大きな火山であったものが、今のような山塊となったのではないかと思われます。



強風で子三瓶山頂上目前で断念

風が大変強くなってきたので、早々に鞍部の風越まで降りることにしました。孫三瓶も独立峰で、風越までいったん一気に下り、再び、子三瓶の頂上への登りです。低い潅木の中の岩が多く滑りやすい登りとなりますが、見晴らしは抜群です。火山湖のような室の内池の向こう側に女三瓶が聳えています。南には石見銀山の山塊がさらによく見え、昨日の鞆ヶ浦道ウオ―クの昼食地点から今登っている子三瓶が良く見えましたから、その逆の方向から同地点を見ているわけです。あと一息で頂上への稜線に出れば、大田市とその向こうに日本海が見えるはずです。しかし風が非常に激しくなり、草木につかまっていないと身体ごと持っていかれるような強風です。安全を考え、頂上を目指すことを諦め、風越まで引き返しました。登山帽は風に飛ばされ、しゃがんで道の両側の潅木に捉まりながら、身体を丸めるようにして降りました。

室の内を横断



風越からは林の中を室の内池までの下りです。ぐるりと三瓶山塊に囲まれていますから、風はまったくここには吹いてきません。池周辺だけは今でも火山活動の痕跡がみられ、草木も限定した種類しか育たないと説明版にありました。ここから見る男三瓶山は様変わりの印象を見せています。頂上直下から、岩だらけのガレ場が中腹まで押し下り、荒ら荒らしい姿を見せています。池を抜けると再び登り・・・ここからの登山道はよく整備され歩きやすく、また、説明版も適当な間隔で設置され、読みながら登っていると疲れも忘れます。時折、雑木林の合間から、男三瓶山のガレ場とその下に広がるブナ林が見えます。



誰一人いない登山道を、ときおり枯れ枝やドングリが落ちる音を聞きながら、熊の生活圏に一人侵入しているのではないかと不安になり、銀山ウオ―クで購入した杖の鈴を意図的に鳴らしながらウオーキングとなり
 
牧場の広大な景色を楽しむ

 登り切るとスキーリフトのある稜線に出ます。左に歩くと女三瓶山から男三瓶山へ、右に行くと太平山から孫三瓶山、子三瓶山、男三瓶山へとなります。ここにも「8月19日、登山道に熊出没」との警告板がありました。リフトで降りると10分で東の原バス停ですが、丁度、一日三便の一つ12時33分発のバスが西の原から出て行くのが、遥か下の国道を走って行くのが見えました。スキー場を迂回するように歩道があり、牛止めの柵を開けて、牧場を巻くように降りる歩道に入りました。冬場はスキー場となる牧場は見晴らしは抜群です。



江戸時代から放牧の歴史が続いているという雄大な景観を楽しみながら、昼食を取ることにしましたが、いたるところに牛の糞があり、腰を下ろす空間を探すのに手間取りました。国民宿舎で作ってもらった弁当を食べ、再び歩き出しましたら、すぐ近くで、女性三人のグループが、見晴らしのよいこの地点で昼食中です。地元の方たちで、おいしそうな混ぜご飯のおにぎりを勧められましたがお腹が一杯、ポットまで持参しての、暖かいコーヒーと果物をご馳走になりました。石見銀山の話がでましたが、以前は自由に車で入れたのに、今では規制が厳しく、もう行く気がしないと贅沢なお話、四季折々、こうして三人で食事を楽しんでいるとのこと、特に4月上旬の桜の頃は最高だと羨ましい限りの生活です。
 
三瓶温泉から、東京へ



グループと別れて、歩道を下ります。車や牛も通る道は林の中に入っていきます。途中で最近できたと思われる2~3メートルの深さの空沢に分断されていました。黄色のロープが張られていましたが、それに気づかず林の中を牛の踏み跡を歩道と勘違いして進んでしまい、スキー場から離れていくことに気がつき、ロープの地点まで戻りました。

 東の原から国民宿舎まで舗装道路を延々と一時間歩きました。国民宿舎の温泉でゆっくり汗を流し、15時11分発のバスを待っていましたら、国民宿舎前の足湯でおしゃべりに華を咲かせている三人グループの女性と再会、自家用車で帰宅途中に立ち寄ったとのことです。大田行きのバスに乗り込みましたが、乗客は私一人だけ、実に、大田駅までの40分の間、乗ってきたのは市立病院で孫を連れた女性だけ、このバスを利用したのは結局大人2人、子供1人だけでした。

大田から松江までJR特急、松江から空港連絡バス、米子空港からANAで羽田空港へ、更に一時間かけて自宅に着いたのが午後11時過ぎ、三瓶温泉から8時間の旅でした。

三瓶山関係資料 国民宿舎さんべ荘にあります
関係リンク   さんべ荘        三瓶山
        路線バス(石見交通三瓶線
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秋晴れの10月12日に奥日光へ日帰りハイキングに出かけました

2011-10-16 14:46:12 | Weblog


平日の火曜日でしたが、浅草発の日光行きの快速電車は北千住駅で早くも満席、しかも乗客のほとんどが日光を目指すハイカーのようでした。

東武日光駅からの湯元温泉行のバス停には行列ができていました。運転手の話ですと、休日はイロハ坂から先は大渋滞、竜頭の滝まで通常の3倍、3時間もかかるそうです。その渋滞を避けようと月曜日にハイキングに出かける人も多くなり、やはり渋滞が見られるとのことでした.



 標高差がある日光は一ヶ月にわたって紅葉を楽しめます。
 湯元温泉の標高が1,480m、中禅寺湖は1,270m、華厳の滝直下で1,170m、イロハ坂馬返しで870m、日光駅前で530mと標高差が大きく、10月初旬に湯元温泉付近で始まる紅葉は、徐々に山を降り、一ヶ月近くにわたって紅葉を楽しめるのが日光の紅葉狩の特徴です。
 紅葉の見所は、湯ノ湖と湯滝、戦場ヶ原と小田代原、竜頭の滝、中禅寺湖、イロハ坂です。イロハ坂は下り路線からの紅葉が見事です。

 現地の紅葉の様子で自由にルートを選べるのも日光の特徴です
 テレビニュースで竜頭の滝付近の紅葉が盛りとなったと聞き出かけました。竜頭ノ滝から歩き始め、1,668m高山の北側に広がるカラマツ林の黄葉の中を歩き、中禅寺湖畔に出て、湖畔沿いを彩る紅葉を楽しみながら、菖蒲ケ浜に戻る予定でした。
 しかし、中禅寺湖周辺の紅葉は始まったばかり・・・竜頭ノ滝から戦場ヶ原、小田代原を回り、湯滝を経て湯元温泉までのハイキングに変更しました。
 ルート地図は次のサイトをご覧ください。
http://www.yutaki.com/hikingmap.html

竜頭の滝は激しく流れ落ち、黄色、赤色、緑色と変化に富んだ紅葉が見事です





 竜頭の滝下から滝上まで滝に沿って歩道が整備されています。階段状の歩道ですが傾斜がゆるやかで年配者でも滝と紅葉を眺めながら登れます。滝沿いのいたるところが撮影ポイント・・・カメラがずらりと並ぶ脇を、修学旅行の小学生たちが歓声をあげながら元気に登っていきます。

戦場ヶ原と小田代原へはカラマツ林の中を進みます



 森林を行くハイキングルートは一転して静かなウオーキングとなります。カラマツは色づいていましたが、落葉にはあと一週間はかかりそうです。落葉するとカラマツの細く黄色い葉が歩道をじゅうたんのように覆うのが見られます。
 陽だまりのミズナラなどの落葉樹が赤や黄色の紅葉を見せてくれていました。

小田代原には幻の湖が出現していました



冒頭の写真は、小田代原の湖水越しに男体山を撮りました。次の写真は日光白根山方向を幻の湖越しに取りました。



 車道を横切るときに出会ったハイブリッドバスは、テレビで放映された小田代原の幻の湖を見ようと出かける観光客で超満員でした。台風などの大雨で小田代原に湖水が現れたのは4年ぶりです。
 湿原の赤い草紅葉、シラカバの白い林、黄葉した針葉樹の林が重なる小田代原の紅葉に、新たに湖水という見所が加わりました。男体山をはじめとする2,000メートル級の山々を背景に、神秘的な雰囲気を醸し出していました。
 木道の一部は浸水して浮き上がり、傾き揺れるなかを歩いていきます。この湖水はやがて凍結し、雪の中に埋まり、初夏には消えてしまい、湿原に戻っていくでしょう。

 ブナ・ミズナラなどの落葉広葉樹林の明るい林を過ぎ、針葉常緑樹のウラジロモミが多くなり、日があまり差さなくなります。
 ウラジロモミの幹の表皮は、鹿の冬場の格好の食料となります。食害を防止するため、ほぼ全てのウラジロモミには地上2メートルほどの高さまで食害防止ネットが巻かれています。
 湯川に沿ってうす暗い歩道を行くとやがて湯滝の滝音が聞こえてきます。

 湯ノ湖から高さ70メートル、幅25メートルを一気に流れ落ちる湯滝は、滝つぼの観瀑台から仰ぎ見ると、その雄大さが迫ってきます。今年は台風12号の大雨で湯ノ湖は満水状態で、湯滝の迫力も格別です。
 ウラジロモミの林の中の急坂をジグザクに登ると湯滝の上部と国道に出ますが、硫黄泉の独特の匂いが漂ってきます。道路沿いに湯元温泉から中禅寺湖畔までの引湯の菅が埋め込まれ、そこからもれる温泉の匂いです。



湯ノ湖の周辺は最後の紅葉の映えを見せていました

 例年、竜頭の滝の紅葉が盛りになる頃には湯元温泉の紅葉は終わりとなりますが、今年はまだまだ美しさを保っていました。
 10時半に竜頭の滝を出発、湯元温泉に着いたのが午後2時半・・・写真を撮りながらゆっくりとした2万歩4時間の紅葉狩りウォーキングでした。日帰り温泉の旗に導かれ旅館に入りましたが、修学旅行の小学生で満室、入浴を断られてしまいました。



 北千住駅を7時21分の東武日光快速で出発、東武日光駅から9時30分のバスに乗車、竜頭の滝に10時30分に到着・・・帰りは湯元温泉15時16分のバスに乗り、東武日光駅から16時59分の快速電車に、北千住駅に19時22分に着きました。
 特急を利用せずに、往復とも普通料金の快速電車でしたので、「まるごと日光フリーパス」4,400円で全ての行程をカバーできました。
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安曇野でサイクリングを楽しみました

2011-09-06 08:19:58 | Weblog


夏休み最後の土曜日に穂高へ出かけました。
西には常念岳や有明山など北アルプスの山々が屏風のように聳え、
その山麓から広がるのどかな田園地帯が安曇野です。
アルプスからの伏流水が豊富な湧き水となって、穂高川や犀川の周辺のワサビ田を育んでいます。

この地に移住してきた安曇族に由来する穂高神社、坂上田村麻呂との戦い敗れた八面大王の伝説が伝わるなど、安曇野には古代からの人々の歴史があり、信州と日本海を結ぶ塩の道が通っていたこともあり、旅人が行き来した安曇野には、五穀豊穣・無病息災・子孫繁栄を願う道祖神が多く見られます。

美しい自然と穏やかな人々の風俗が残るこの町は、たびたび映画やテレビドラマの舞台にもなってきました。海抜500メートルの安曇野の涼風を感じながらの、安曇野の歴史と自然を思う存分味わう、ぜいたくな2時間のサイクリングとなりました。

スタート松本駅からJR大糸線で30分、土曜日ということで3両編成の大町行の電車は満員でしたが、乗客の半数は穂高駅で降りました。駅前にはテントが張られ、観光客の受付をしていました。碌山美術館や道祖神を巡るグループのようでした。



1.駅前のレンタサイクル店に直行です。サイクリングのための地図で推奨サイクリングルートを教えてもらいます。



2.いよいよ出発です。駅前通りを大王わさび農場を目指して東に進みます。走り出してすぐ、右手にある穂高神社に立ち寄ります。



3.穂高神社の境内にある道祖神です。松本から穂高、大町、白馬を経て、糸魚川にいたる塩の道が通じていましたが、路傍に祭られていた道祖神は、近年の道路改修のため、ここに移転安置されました。穂高には130体以上の道祖神があり、道祖神の里でもあります。



4.日本アルプスの総鎮守として親しまれている穂高神社です。古代に北九州から移住してきたと伝わる安曇族ゆかりの歴史ある神社です。交通安全祈願で正月には大変な賑わいをみせます。



5.国道147号線を右折、最初の信号を左折・・・歩道がない町道を走ります。わさび問屋を通り過ぎますが、穂高には20軒近いわさび店があります。明治の初めにアルプスの山葵を植えたのが始まりで、水温が年間通して12℃という地下水が豊富な穂高では、大正時代に入り、本格的なわさび栽培が広がります。



6.吉祥山東光寺です。信州七福神の一つで、門前には「吉祥仁王様の下駄」と呼ばれる大きな下駄があります。大下駄を履いてお参りすると、願い事がかなうといわれています。東光寺は道路の向かいにある等々力家が開基した寺です。



7.等々力家の遠景です。室町時代から続く旧家で、屋敷構えは長屋門に書院、庭園で、江戸中期の造作です。江戸時代はこの一帯は松本藩主の狩猟場で、鮭や鴨狩りの際に本陣、殿様の休憩所として等々力家が使われました。



8.前方にアカシアとポプラ並木に囲まれた大王わさび農場が見えてきます。「大王」の名の由来ですが、農場内に「八面大王」を祭る神社があるからでしょう。
 大王わさび農場までは田んぼの中の一本道・・・快適ですがわずかながら下っているのでスピードに注意します。清流の万水川(よろずいがわ)を渡り、御法田信号を直進すると駐車場です。

(見出し画像)

9.駐車場は観光バスや自家用車でぎっしりです。駐輪場に自転車を置いて、名物わさびソフトアイスクリーム売り場へ・・・ご覧の通り行列ができています。
 この時期のわさび田は、遮光して水温が上がるのを防ぐため、一面に黒い寒冷紗で覆われているため、わさびの緑色の葉もわさび田を潤す清流も見ることができません。散策よりもアイスクリームといったところでしょうか。



10.大王わさび農場の一番の人気スポット、黒澤明監督「夢」の撮影地である
水車小屋です。暑い日であったこともあり、湧水を集めて流れる川でラフティングを楽しもうと順番待ちの観光客の列ができていました。
 この川の流れは万水川に流れ込み・・・すぐに穂高川と合流、犀川、千曲川、信濃川となって日本海に注ぎます。



11.御法田信号に戻り右折します。大王わさび農場に入る車の通行が多いのですが歩道があり安全は確保されています。万水川を渡り、最初の道を左折して、アルプス方向に向かいます。5分位で水色の詩」道祖神に到着です。1975年放映のNHK連続テレビ小説の撮影地で、舞台は松本、ヒロインは大竹しのぶでした。



12.道なりに先へ進むと穂高川の堤の上を走る道になります。右に穂高川、左はわさび田が続きます。堤を走るとすぐに早春賦の歌碑があります。
 「日本の歌百選」にも選ばれ、「春は名のみの 風の寒さや・・・」で始まる歌は、吉丸一昌が大正2年の早春にここでの風景を詠い、中田章が曲を付けました。



13.今回のルートではここが一番安曇野らいしい風景を楽しめるサイクリングでした。正面に有明富士と地元でよばれる有明山(2,268m)が聳え、その裾野から流れ出る中房川が、乳川を合わせて、穂高川となって下ってきます。
NHK「おひさま」に数多く登場したシーンであるのも納得がいきます。



ゴール常盤橋手前で左折、碌山美術館方面へ・・・大糸線に沿って進めば、穂高駅です。




平成28年4月4日にバスタ新宿が完成しました!

新宿から穂高まで高速バスで4時間、日帰りで安曇野サイクリングが楽しめます。料金も往復割引で6,700円と負担がかかりません。
特に5月がおすすめです。雪をいただいたアルプスの山々、里は杏の花が盛りに、春の日差しをあびてワサビ田がもっとも美しい時です。

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東京から白神山地を巡る3泊4日の個人旅行

2011-08-08 20:26:34 | Weblog
友人と白神山地へ出かけました。
夜行バス車中2泊、現地1泊の旅です。
ブナの原生林 がそのままの姿を留める岳岱・だけだい(秋田県)と白神山地を代表する湧水・十二湖( 青森県)を歩きました。
郷土の自然を心から愛する白神山地案内人が秋田県側を同行してくれました。
青池から崩山へのトレッキングはブナ林を分け入る難行でしたが忘れられない体験になりました。

一日目の行程です:

秋田駅から藤里町へ

 6時30分に秋田駅に・・・東京駅から8時間強の夜行バスの旅、早朝の秋田市内を散策後、ホテルメトロポリタンで朝食

 8時に第一観光タクシーのドライバー兼白神案内人・檜森さんが出迎え



 高速道路を北へ、能代市、二ツ井町を経て、藤里町へ・・・前方に白神山地が・・・右端が駒ケ岳1158m。その裾野に向かう。



 檜森さんが予約してくれた昼食の'だまっこ’を買う・・・デザートの笹団子、山菜のミズが入った郷土色豊かな絶品のおにぎり

  

峨瓏の滝・・・いよいよ白神山地の入り口に

 旧金沢小学校跡・・・かつての校庭に、老人憩いの家がポツンと・・・校庭の一角にある「開校百周年記念碑」、太良(たいら)鉱山の長屋が軒を連ね、子供たちで賑わっていた往時の様子が思い浮ぶ



 太良峡に・・・江戸時代には坑口が千余りもある太良鉱山があり、銅や鉛を産出、秋田藩の財政を支えた。「平(太良)名代の花咲松は もとは本荘 葉は能代、花の久保田(秋田)の城と咲く」という戯れ歌を1802年当地を訪れた菅江真澄が記録している。江戸時代は川舟で、昭和になってから森林鉄道で鉱石を米代川まで運んだ。昭和33年出水により廃鉱



 橋を渡り、舗装林道を進む。途中、天然秋田杉の美林がある。赤みを帯びた表皮の天然杉は枝が少なく、まっすぐ伸びる性質があり、良質の杉材となり1本数百万円で取引される



 山道は曲がりくねりながら高度を上げる。檜森さんの緊張した運転に声をかけるのを控える。、藤里町が管理する岳岱自然観察教育林教育自然林入り口の広場を通り過ぎ、10分ほどで駒ケ岳登山口駐車場に・・・登山靴に履き替え山に分け入る。




 檜森さんから草木の説明を聞きながら進む。雪の重みに耐えるブナの反発力を実証したり、たらの木よりも美味という山菜や、薬草を教えてもらう。高度計で標高をチェックするなどを白神山地案内人としての面目躍如の説明に惹きこまれる。

  

 標高766mの田苗代湿原に・・・ここは青森県との県境が近い。湿原の乾燥化でツゲの侵食が目立つ



 湿原の水芭蕉が大きく倒れ、熊が食い荒らした跡があちらこちらにあり、緊張がはしる。熊は整腸剤として水芭蕉を食べているらしいと後日知る

 駐車場に戻り、岳岱自然観察教育林教育自然林へ。林野庁から風景林の指定を受けた、人の手の加わらない原始的な森の中をトレッキングができる。車椅子でも散策できるよう一部整備されている

 寿命300年から400年というブナの一生を説明する檜森さん



 奇形の「窓明けブナ」



 戦時中に切り出す予定で順番が彫られたブナ



 ブナ林の豊富な湧き水・・・夏でも7度という冷たい清冽な水



 モリアオガエルが生息する水溜り



 まるで庭園のようなブナ林



藤里町から日本海に面する八峰町へ移動

 菅江真澄も訪れた八森の白瀑。「みこしの滝浴び」祭りで知られる。その場で作った葉っぱの風車を手にした檜森さんとの最後の記念撮影



 岩館の港・・・1801年の冬、菅江真澄はここでハタハタ漁を見、漁の様子をスケッチと紀行文で残している。



 岩館を越える小入川橋梁。五能線で最も人気のある撮影ポイント



 檜森さんとは岩館駅でお別れ。8時間の濃密な時間を共に過ごすことができ、思い出に残る白神山地の旅となりました。ありがとうございました。



 岩館駅発15時46分の「リゾートしらかみくまげら」に乗車



 広い窓と快適な車内・・・撮影ポイントではアナウンスとスピードを落とすサービスも





 深浦駅16時31分に下車・・・ちょうど上り線に停まっていた最新型の「リゾートしらかみ青池」



二日目の行程です:

深浦町から秋田駅へ

 早朝の深浦の港・・・男鹿半島と北海道の中間点にあたり、入り江に常夜灯がある本格的な北前船の寄港地として賑わった。白神山地の伏流水が神明宮に湧き出る湧水は「しんめいさまのとよのみつこ」と呼ばれ、北前船の船頭や水夫たちの貴重な飲料水であった



 深浦駅7時44分出発、十二湖駅8時15分着。連絡する路線バスがなくタクシーで、十二湖を代表する青池まで行く。1704年に起きたM7の岩館地震で山が大崩落、裾野の川を堰きとめ、名所となっている青池をはじめ、湖沼群ができた。実際には33の湖沼があるが、崩山から見ると12湖が見えるのでそれが地名となった。日本キャニオンと呼ばれる地形もこの時にできる。



 青池近くの崩山登山口から登る。十二湖が眺められるポイントまで1時間半と聞いていたが、2時間を要した。樹木が茂る中をジグザクに登る急な道は狭く、熊よけの鈴を鳴らしながらの、見晴らしの利かないしんどいトレッキングとなった。往復3時間半のトレッキング中に出会った登山客は4名だけ



 大崩壊地の上部からは断崖絶壁・・・素晴らしい景色が広がるが、こわごわと写真に収め、早々に下山する。湖沼は樹木で視界を遮られ、十二湖すべては確認できなかった



 下山して鶏頭場ノ池から仰ぎ見る崩山・・・2時間ほど前までいた大崩壊地の頂上が目を引く



 十二湖駅まで路線バスで戻り、14時6分の普通列車に乗る。十二湖駅から八森駅までの五能線の旅を楽しむツアー客で混雑、「リゾートしらかみ」の乗車券購入は難しいとのツアーコンダクターの言。
東能代駅で奥羽本線特急に乗換、16時20分に竿灯祭りの囃子が流れる秋田駅に到着


 スーパー健康ランド華のゆ秋田で汗を流し、秋田市内の繁華街川又で夕食、竿灯祭りを楽しんだ後、21時20分発の夜行バスで東京へ



費用です:

事前に支払った代金は(一人当たり) 27,235円
高速バス(往復割、ネット割) 29,460円
第一観光タクシー        25,010円 (*今年の料金は第一観光タクシーに問い合わせを

現地で支払った代金は(一人当たり)29,530円
深浦観光ホテル     12,000円
JR料金          5,650円
タクシー高速道路代          400円
朝食・昼食2回・夕食      5、365円
十二湖での交通費        1,300円
入浴代               750円  

リンク先です: 

◎白神なび:第一観光タクシーhttp://www.daiichikanko.jp/  
◎深浦観光ホテルhttp://www2.ocn.ne.jp/~fukaura/
◎ドリーム秋田・横浜号http://www.kousokubus.net/PC/index.aspx



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東京散策・・・神楽坂です

2011-07-30 12:52:03 | Weblog
東京メトロ東西線神楽坂駅で降り、神楽坂を下り、JR飯田橋駅を通り、九段下駅まで歩きました。


 
 日曜日の午後の歩行者天国で、坂の両側に連なる店のウインドーショッピングを楽しんだり、左右に入り込む小路を散策する人で賑わっていました。
 
 神楽坂はミッシュランの星に輝く店が9店もある食の町としても知られています。ランチタイムと重なり、食事を楽しむ方も多かったようです。フランス料理店が多いのも神楽坂の特徴です。この街に在住する外国人ではフランス人が最も多く、近くの富士見町にはフランスのインターナショナルスクールであるリセ・フランコ・ジャポネがあります。
 
 明治時代、夏目漱石が少年時代に行き来した道でもあり、また「高野聖」の作者泉鏡花が神楽坂芸者であった愛妻と住んだ街でもあることから、文学散歩をかねて散策する人も多いのです。

 新しき街と古き街の両方の顔を持つ神楽坂散策でした。

                                   

}神楽坂駅出口すぐにある赤城神社、近くに泉鏡花の旧宅があった



ここの交差点から神楽坂が始まる



神楽坂を下れば外堀(現飯田橋駅)を経て江戸城田安門(現武道館)へ・・・左右の小路には武家屋敷が多くあった



神楽坂の周辺には行き止まりの小道や坂や階段が多い。明治の初めまで神楽坂は階段がところどころにある坂であった



「ぼっちゃん」に出てくる毘沙門天(善国寺)・・・「それから神楽坂の毘沙門天の縁日で八寸ばかりの鯉を針で引っかけて、しめたと思ったら、ぽちゃりと落としてしまったがこれは今考えても惜しいと云ったら、赤シャツは顋を前の方へ突き出してホホホホと笑った



ミッシュラン二つ星の会席料理と50年の歴史をもつうどん会席の店
   

古きよき時代が残る一角



神楽坂の人気撮影ポイント、「熱海湯階段」。昔、芸者さんがお座敷に出る際に通った階段で「芸者小道」とも呼ばれる



着物姿の女性が似合う神楽坂





「ぼっちゃん」に登場する旧物理学校(東京理科大学)の入り口・・・「どうせ嫌いなものなら何をやっても同じ事だと思ったが、幸い物理学校の前を通り掛ったら生徒募集の広告が出ていたから、何も縁だと思って規則書をもらってすぐ入学の手続きをしてしまった。今考えるとこれも親譲りの無鉄砲から起った失策だ。」




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フェリーで行く思い出の北海道旅行

2011-07-03 09:03:46 | Weblog


7月になりました。
この時期になるのと思い出すのが、4年前に出かけた北海道旅行です。
茨城県大洗ー北海道苫小牧間を往復フェリーで、フェリーでの2泊、北海道に4泊、六泊七日の旅でした。

その旅行記です。


インターネットで予約する 
日高に牧場を持つ親戚からの誘いで旅を決めたのは出発10日前、いつかは暑寒別天売焼尻(しょかんべつてうりやぎしり)国定公園や大雪山国立公園も訪れたいと思っていたので渡りに船とばかり出かけました。飛行機利用も考えましたが、急な出発である上、夏休みに入り、割引航空券の購入も難しいだろうと、登山用具など全ての荷物を車に放り込むだけの手軽さと久しぶりの船旅への期待感からフェリーを選択しました。

 早速、商船三井フェリー(http://www.sunflower.co.jp/ferry/index.shtml)にアクセス、車検証を手元に置き、出発7月23日午後6時30分大洗発:24日午後1時30分苫小牧着、帰路7月29日苫小牧発6時45分発:30日午後1時45分大洗着の夕方便で入力開始です。インターネット予約は自動的に割引料金となりますが、60歳以上のプラチナ割引(乗客料金2割引、自動車1割引)で入力しました。準ピークB料金適用、乗用車は運転者エコノミールーム利用料金込み55,800円、客室はデラックスルームで一人45,900円、運転者追加料金27,000円、総計127,700円・・・直ぐにメールで予約確認書が送られ、二枚ずつプリントアウト、これで乗船準備は完了です。



乗船から出航まで
出発2時間前までに港へということでしたが、渋滞に巻き込まれ1時間前の到着となり、ほとんどの車は乗船を終わっていました。岸壁に接岸している12,000トンの大型フェリーの、七層のデッキを持つ巨大な船体に、まず圧倒されます。車検証と予約確認書を持って窓口で手続き、乗り込んだ船倉はEデッキ、インフォメーションがあるロビー・Cデッキまでエレベーターで上がります。船室のキーを受け取り、Bデッキにあるデラックス室が並ぶ独立した区画に入ります。まず入浴ということで、部屋のバスではなく、展望風呂に行きました。6,7人入浴可能な浴槽が三つ連なる浴室は出航前ということでガラガラです。港を眺めながら夕日が差し込む浴槽でゆったりとドライブの疲れを取りました。 

 出航の港の風景はいいものです。夕方6時半、日没が迫る港や背景の大洗の町並みを最上階のデッキから眺めながら、ゆっくりと岸壁を離れ、太平洋に出てきます。ややうねりがあるとの船長からのアナウンスがありましたが、船のスタビライザーが揺れをコントロールしています。10キロぐらい沖に出たでしょうか、向きを変え、沿岸に沿った航路を一路北上していきます。太平洋沿岸の家々の明かりが徐々に広がる闇の中に点燈していく様子をデッキから眺めていくのはまさに船旅の醍醐味です。


船上レストランのひととき
最上階にあるレストランは窓を大きく取った明るいレイアウトです。出発当日は、小学生の団体が乗り込んでおり、彼らの早めの弁当夕食が終わったあとで、一般乗客のレストランでの食事時間となりました。バイキング方式、種類も豊富です。グループごとにテーブルが確保でき、ゆったりと食事ができる十分なスペースがありました。生ビールや酒も購入でき、会話を楽しみながらの食事は時の経つのを忘れます。レストランで食事を取らず、展望室で持参した弁当を広げている家族や、カップラーメンを手に給湯室で順番を待つ若者のグループもありました。それぞれのスタイルで食事を楽しむことができるのも船旅の良さといえるでしょう。

塩屋崎灯台の灯り
 夕食が終わると、部屋に戻ってテレビを見て時間を過すことになりますが、地上波放送の受信状態は良くありません。デジタル放送は鮮明ですが、普段見ている番組を見ることができないのは不便です。本や新聞を読みながら時を過すことになりますが、次の楽しみは若い頃見た映画「喜びも悲しみも幾年月」の舞台となった塩屋崎の灯台です(原作・塩屋岬灯台、撮影・石狩灯台)。二度ほど塩屋崎灯台を訪れましたが、螺旋階段を登り、一番上から海の景観を楽しむ観光体験しかありません。本来の船舶の航行の安全を守るという灯台の役割を、船上から体験できることを楽しみにしていました。

出航して三時間ほどが経過し、左前方に規則正しく点灯する灯りが見え始めます。航行につれて徐々に位置が変化する輝きを闇夜の海上で見つめながら、訪れた塩屋岬灯台の風景を思い出していました。

航路を行き交う船を追う
 朝食を終わり、デッキに・・・快晴の夏空だというのに暑さは感じません。青森県の沿岸沖を航行しています。右前方から近づく大型貨物船の船影がどんどん大きくなってきます。果てしなく広がる海上でも航路は定められて、左側通行であることを知りました。沿岸からは10キロぐらい離れているのでしょうか、数隻の小型の漁船が上下に大きく揺れながら漁をしています。子どもの頃、夏休みに沼津港から故郷の土肥へ帰郷する時、汽船の上から、海面をすれすれに飛ぶトビウオを眺めていたことを思い出し、海面を覗きましたが、最上階のテッキからストレートに落ち込む海面までの高さに恐怖を感じて諦めました。陸地を眺めたり、読書をしたり、写真を取ったり、中には上半身裸になり日光浴を楽しんでいる外国人など様ざまに皆デッキでの時間を楽しんでいます。やがて、すれ違った貨物船は航跡を残しながら、遠ざかっていきます。

船上から美しい山々を再発見 



 苫小牧到着二時間前からの船上から見る風景は、このフェリーの旅のハイライトと言ってよいでしょう。支笏洞爺国立公園を飾るオロフレ山、徳舜瞥山、ホロホロ山、風不死岳、樽前山など1000メートルを越す山々が屏風のように西の空を飾り、東には日高山脈の山々が襟裳岬まで連なっている遠景に思わず時が経つのを忘れてしまします。海岸沿いを走る室蘭本線や日高本線の列車からも、国道36号線や235号線を走る車からも決して見ることができない景色です。まさに船上にある人々のためだけに自然が描いてくれた絵画といっていいでしょう。これほどまでに山が高く、長く、美しいとは思いませんでした。景色に見せられているうちに苫小牧港への入港です。上空には千歳空港に着陸のため高度を下げる旅客機が次々と連なっていきます。

下船準備に取り組む人々
着岸しても直ぐに下船はできません。乗客は客室で待機することになりますが、港での関係者の動きを観察していると飽きることはありません。接岸するとまず船から太いロープが降ろされ、7、8人の作業員が重そうに引っ張り係船柱に結びます。次に車を下ろすフェリーの開口部が開き、乗客乗降のためのタラップを取り付ける作業が始まります。その間、交代の乗務員でしょうか、大きなバッグを持って、作業員に人に手を上げて挨拶しながらが乗り込んできます。続いて待機していた20名くらいの女性を中心とした一団が乗り込んできます。船内の清掃活動を担当するのでしょう。野菜、食料品、交換シーツを積んだそれぞれの業者の貨物車も次々とフェリーの側面に到着します。

下船は大型車両からです。牽引専用のドラックが船に乗り込み、次々とトレーラーを引っ張り出します。トラックが下船し始めると、やがて下船開始の放送が入り、船室を出て車を格納したデッキに降りていきます。下船時は車の同乗者も車で下船です。接岸して下船するまで30分て掛かりますが、これだけの作業をするのですから、大変手際がよいと言えます。


来年の夏もフェリーの旅を
 帰路は雨天となってしまいました。霧雨で遠見がきかず、風も出てきて、波頭が砕け始めます。揺れはそれほどでもありせんが、デッキに出ることは禁止となりました。
 北海道を1000キロもドライブをした後でしたので、ちょうど良い骨休みとなりましたが、船旅は天気次第であることがよく分かりました。
今回の旅で、すっかりフェリーの旅のファンになりました。来年は友人4人を誘って5人グループでもう一度北海道へのドライブ旅行を楽しもうと船中でプラニングです。ロビーにあるインフォメーションカウンターにいる係員に色々とアドバイスを受けながら作った“格安フェリーの旅”を紹介します。


* C料金(7月19日以前に乗船)を利用 
* 畳敷きスペースがある4人定員のスタンダードルームで個室を確保。グループの一人は就寝時カジュアルルームへ。
* 60歳以上でプラチナ割引利用

これなら一人32,200円でフェリーの旅を楽しめます。

来年の旅も、今年と同じく行きの船旅が天気に恵まれますように・・・Bon Voyage!






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リュベロンの村々を訪ね、山岳道路を走る・・・南フランス・ドライブ旅行(6)

2011-05-21 09:44:43 | Weblog



フランスで最も美しいといわれ、プラムの白い花が咲き、オリーブが茂り、ラベンダーが薫る美しい村が点在するリュベロン地方をドライブします。蜂蜜色の城壁が連なる“天空の城”ゴルドGordes・・・朱色の岩肌とその上に密集する家々が幻想的な景観を呈するルシヨンRoussillon・・・ミュールMurs越えの山岳ドライブ・・・ここも、フランス政府観光局の案内書には「公共交通機関はない」と書かれています。
 リュベロン山脈とヴォクリューズ山地の山間の村々を訪れるドライブとなります。ドライブに出かける前にぜひ読んでほしいのが、英国作家ピーター・メイルの「プロバンスの12ヶ月 A year in Provence」です。プロバンスに住む人々の生活と風物がイギリス人のユーモアで愛情深く包んでいる名作で、もちろんメイル氏が住んでいたMenerbesメネルブ村も訪れます。

ではミッシュランのサイトを開きます。出発地はカルパントラCarpentras、到着地はリュベロンの中心の町Aptアプトです。
 国道900号南北に点在する村々をを訪ね歩く今回のドライブは、ミッシュランの文字情報の行程表よりも、サイトの地図を見ながら確認したほうが分かりやすいでしょう。
(「2011フランス道路地図を読み解く」を参照に・・・)

緑旗 カルパントラCarpentras 
  カルパントラを出て、D31を南へ
  リル・シュル・ラ・ソルグL'lsle-sur-la-Sorgue通過
  D900を東にアプトAptへ向かう
  ボメットBeaumettes付近で南へ・・・メネルブMenerbes
  D900に戻り北へ・・・ゴルドGordes・ボリー村 Bories
  山道を北へ2キロ・・・セナンク修道院Abbaye de Senanque
  ゴルドへ戻り、東へ・・・ルシヨンRoussillon
  D900を東へ・・・アプトApt
  D900を戻り、山岳道路D4を北西へ・・・ミュールMurs
10  峠から山岳道路D23に・・・ヴナスクVenasuque・サン・デイデイエSt.Didierへ
赤旗  カルパントラCarpentras 

今回の周遊ドライブは100キロ足らずですが、見所(赤字)がたくさんあり、それぞれの村でゆっくり過ごすことにします。そのために、ルート途中にあるリル・シュル・ラ・ソルグとヴァオルキューズの泉は日を改めて訪ねることにします。(フランスとマルシェ

 小さい村々を訪れるこのルートは、訪れる町や村の名前を覚え、道路に表示される標識を頼りにドライブするのがコツです。また、南側のリュベロン山脈、北側のヴォクリューズ山地に点在する村を渡り歩くルートを取りますから、谷間を走る幹線道路D900の位置を常に意識してドライブしましょう。


メネルブ
細長い岩山の上に建てられた村。リュベロンの山並みと周りの谷の風景は素晴らしい。見所は13世紀に建てられ宗教戦争の戦場となった城塞、長い歴史を感じさせてくれる村の教会、瀟洒な邸宅が建ち並ぶ観光地されていない町並み、すこし離れるが、300年に亘る栓抜きのコレクションを集めた栓抜き博物館Musee du Tire-Bouchonは珍しい。地元ワインの購入もできる。

ゴルドGordes



城壁が山頂にある急峻な斜面に階段状に家々が建てられ、政治家、文化人の別荘も多く、オリーブ、アーモンドの木々に囲まれた美しい村。城を取り巻くように小さな広場があり、レストランやみやげ物店がある。また、市(いち)marcheはこの広場で開かれる。ここからの景観は素晴らしく、南側に連なるリュベロン山脈を一望できる。カーブの多い登り坂の道路を山頂まで走る。途中、展望台があるが、駐車できるスペースは少ない。村に入る直前のカーブに駐車場が設けられている。http://www.provenceweb.fr/f/vaucluse/gordes/gordes.htm#

ボリーの村Village des Bories 


  
ゴルドGordesに入る直前にある。道路わきの大きな駐車場から村に至る未舗装の歩道を10分ほど歩く。車も村の入り口まで入ることができるが、歩行者に注意。村は公園として管理されている。中世のからこの地域に建てられた平たい石を円錐形に積み重ねただけの作りは、石器時代から続いてきた建築法。150年ほど前に住民が放棄して、現代に伝わる貴重な村。台所やパン焼きかまどを備えた住宅、穀倉、酒の貯蔵庫、蚕の養育室、豚小屋、育羊地が残されている。
    テクノ・サイエンスがその建築法を紹介。www.techno-science.net/?onglet=glossaire&definition=6875
 ルション Roussillon

黄色顔料の原料となるオーク採掘で栄えた村。家々がオークで作られ、黄色や鮮やかな赤色で村全体が絵の具で描かれたよう。村の中心にはカフェテラスが立ち並ぶ。インフォメーションに駐車場がある。小さな村なので一軒一軒色合いが異なる家々を歩いて見学したい。採掘場跡地に遊歩道があるが、服装が汚れる覚悟を!

セナンク修道院Abbaye de Senanque

ゴルドからD177を2キロ走る。1148年創建、17世紀末に活動停止。1989年から活動を再開。祈りと労働だけという中世からの修道生活が行われている。ロマネスク様式の創建当時の姿を今に伝える。禁欲を旨とするシトー派会の装飾を一切排した簡素な美しさが見所。一部の内部を公開している。
http://www.senanque.fr/

アプトApt

フランス人好物の果物の砂糖漬けのお菓子「フリュイ・コンフィ」の産地。甘すぎて日本人の口には合わない。リュベロン自然公園の中心にある市場町。大聖堂へ通じる路地にアプト焼きの陶器を販売するみやげ物店が軒を連ねる。土曜日に行われる朝市はプロバンスでも有数の規模を誇る
http://www.provenceweb.fr/f/vaucluse/apt/apt.htm

帰路は山岳ドライブを!
 


アプトから2キロほど戻り、D201へ右折、2キロ先のラウンドアバウト2番目の出口からD4に入れば、カルパントラまで一直線です。ヴォクリューズ山地越えで、カルパントラへ戻ります。このコースはサイクリストやドライバーにとっては垂涎のコース、峠の小さな村ミュールMursまではリュベロンの眺望を楽しみながらのドライブ、ミュールからは緑豊かな森林の急坂のヘアーピンカーブが連続するスリリングなドライブとなります。坂を降りきるとヴァントー山を望む美しい二つの村、ヴナスクVenasque、続いてサン・デイデイエSt. Didierがあります。カルパントラまでは30分足らずで到着です。休日は山岳ドライブを楽しむ車が多くなります。後ろにピッタリとつかれ、フランス人ドライバーの悪癖、ホーンを鳴らされても、パニックにならず道を譲りましょう。
サイクリスト優先のフランスドライブ慣習を忘れないことも大切、サイクリストの合図があってから追い抜きます。また、坂の途中で車を発進させることがあります。レンタカーはマニュアル車が多いですから、坂道発進のテクニックが必要、久しぶりの坂上発進の感覚を取り戻しておいてください。







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十字軍ゆかりの城塞都市と美しい漁村・・・南フランス・ドライブ旅行(5)

2011-05-18 09:58:33 | Weblog
 

ドライブでなければ決して行くことができない二つのコースを紹介します。
AvignonアヴィニヨンやArlesアルルからわずか40~50キロしか離れていない町や村を訪れるルートですが、フランス政府観光局の案内書には「公共交通機関はない」と書かれています。ツアー旅行はもちろんのこと、個人旅行者も行きにくい地で、訪れた日本人はそんなに多くはないでしょう。両コースとも、雨天では魅力が半減します。滞在型の旅行スタイルのメリットを生かし、晴れた日に出かけましょう。出発地はプロヴァンスのどの町や村でもよいのですが、本ブログではカルパントラCarpentras近郊からの出発する行程を考えます。
 冒頭の写真はサント・マリー・ド・ラ・メールの地中海です。



 ローヌ川の河口のデルタ地帯には大湿原カマルグCamargueが広がります。ここに二つの魅力的な町と村が存在します。中世の城塞都市として知られるエーグ・モルト Aigue- Mortesと美しい漁村サント・マリー・ド・ラ・メールSaintes-Maries-de-la-Merです。

 カルパントラからアヴィニヨン、アルルと南下して、アルルでローヌ川の西に渡り、再び南下して河口に広がる大湿原カマルグに入ります。どこか日本の田園地帯を思わせる稲作地帯をドライブする楽しさがあります。ところどころに農産物の販売所があり、Riz(米)の看板が目立ちます。平坦な直線道路で快適なドライブですが、単調であること、濃霧が発生しやすいことに注意します。出発地のカルパントラから100キロ、2時間のドライブです。
  
 サント・マリー・ド・ラ・メールに向かってドライブしますが、12キロ手前で西へ、19キロ先にあるエーグ・モルトに立ち寄ります。


 
ミッシュランのサイトを開きます。(操作方法は「フランス道路地図を読み解く」を参考にしてください)。出発地Carpentras,到着地Saintes Maria de la Merを入力、検索を押します。次のページで注意します。Saintes Maria de la Merに似た名前は、フランスの各地にあります。その候補地が示されますので、Bouches du Rhone県のSaintes Maria de la Mer、この場合は先頭の1を選んでクリック、カマルグのSaintes Maria de la Merへのルートが表示されます。

緑旗  出発地点はカルパントラ中心街 
  カルパントラを出ます
  ラウンドアバウトで二番目の道路D942を進む
  D225に入る
  D570Nに入る
  アヴィニヨンを通過
  N570に入る
  Rognonasロニョーナ通過、Arlesアルル通過
  高速道N113・E80 でローヌ川を西に渡り(3.5k)、SORTIE 4でSaintes-Maries-de-la-Merサント・マリー・ド・ラ・メール方面へ降りる
  ラウンドアバウト4番目出口をD570で一路サント・マリー・ド・ラ・メールへ。
10 35キロ走行、サント・マリー・ド・ラ・メールに
赤旗  到着です。

 MICHELIN Provence Camargue 113 ZOOM(紀伊国屋書店新宿本店 TEL03-3354-0131 FAX03-3354-0275)で確認します。D570に入って25キロ進むと、右にAigue- Mortesの標識があるD38/D58があります。ここを右折、19キロ走行すればAigue- Mortesエーグ・モルトに入ります。城塞は町の南です。エーグモルトを見学し、そこからサント・マリー・ド・ラ・メールへと往路を戻ります。


エーグ・モルト Aigue- Mortes



 12世紀に建てられた中世の城塞都市エーグ・モルト Aigue- Mortesは1248年に第7次十字軍として、この港から1500隻の艦船と35,000の兵員が出帆しています。しかし海岸線の後退で港としての機能を失ない、砂地の中に取り残され、それが幸いし、昔のままの姿を現代に伝えています。
 城塞は中世のそのままの姿を留めています。城塞の中に町があり、現在も多くの人が住んでいます。町を囲む城壁は40分くらいで一周でき、町の家々を見下ろしながら、人々の生活を垣間見ることができます。




 エッグ・モルトの城壁には三つの見所があります。北西の角の搭は昔の牢獄で、宗教戦争の際、ここに新教徒が幽閉されましたが、女性マリー・デユランは解放されるまで実に38年間ここに幽閉され、彼女が彫ったと伝えられる「Register抵抗せよ」という文字が今でも残っています。
 
塩Sel」に因んだ二つの場所をぜひ訪れてください。北面中央の塔は、宗教戦争の時に、兵士達の死体を放り込み、大量の塩で保存したところです。また、南の城壁から地中海方面を眺めると、盛り上げられた塩の山が望めます。この塩田で作られた塩は、「フランスの天日塩」として日本でも販売されています。

サント・マリー・ド・ラ・メールSaintes-Maries-de-la-Mer



 カマルグの湿地帯の先端にあり地中海に面する美しい漁村であり、同時に観光の中心地。聖母の妹マリアに由来する伝承の地で、巡礼の祭りの際にはたいへんな賑わいとなります。

 ここの教会はこの小さな町の中心にあり、まるで城のような造りとなっています。中世は海賊等が横行した時代で、ここに村人が避難する城としての役目を兼ねていました。窓のない厚い壁で覆われた教会内は、聖母マリーを祀る蝋燭の火が、わずかな明かりとなっており、厳粛な雰囲気を醸し出しています。細い階段を上がると、教会上部に上がることができ、ここから地中海と村を一望できます。



 
 メーンストリートの海岸側にインフォメーション・センターがあり、町やカマルグに関するパンフレットが置かれています。この前からは遊園地で見かけるような観光用の路面電車(バス?)が出ています。メインストリート沿いにはレストランが数多くあり、ムール貝とブイヤベースのスープなどの海鮮料理は日本人の口に合います。





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安全なフランス・ドライブのために・・・南フランス・ドライブ旅行(4)

2011-05-15 06:59:31 | Weblog


今回はフランスでのドライブ事情を紹介します。フランスに観光ドライブに出かける外国人の数はイギリス人が圧倒的に多いでしょう。そのため、イギリスにはフランス旅行関係のサイトが数多くあります。
 では、イギリスのサイトを参考にして、フランス・ドライブで気をつけたいことをお話しましょう。
 
 あるイギリスのサイトでは、次の言葉で始まっています
The rumours you heard about driving in France are all true!(あなたがフランスでのドライブに関して耳にしている噂は、すべて真実です)」

 ではどんなうわさを耳にしているのでしょうか。
フランス人は制限速度を守らない
フランス人は道路をラリーに使っている
フランス人は車間距離を守らない
フランス人はやたらにホーンを鳴らす

 

 映画「プロヴァンスの12ヶ月」を見られた方は、老婦人が猛烈なスピードで田舎道を飛ばすシーンを覚えておられるでしょう。あのシーンは決して映画だけのことではありません。中央線の引かれていないそんなに広くない田舎道で100キロ近いスピードの対向車とすれ違う恐怖をなんども経験しました。右に寄せすぎて側溝に脱輪しないように、運転席から自分の車のボンネットのどの位置の延長線に右側の側溝の位置があるか絶えず意識して走りました。
 

 ルベロンドライブの帰り、ミュールMur越えでカルパントラに戻るとき、カーブというカーブはタイヤのブレーキ痕で真っ黒・・・前日の日曜日、滞在するSt. Didier(サン・デイデイエ村)の小学生が猛スピードで村を通り抜ける何台もの車に声援を送っていましたので、その時のラリーまがいの運転をしていた車が付けた痕跡でした。決して土日や休日には山道を走らないことです。



 フランスの農村地帯のブドウ畑やひまわり畑、牧場の間を走る道路は、快適です。周りの景色を楽しみながら制限速度で走っていると、いつの間にか後ろにビッタと車を付けられてしまいます。また、ラウンドアバウトでモタモタしようものなら、すぐホーンを鳴らされてしまします。まさしく“The rumours you heard about driving in France are all true!”なのです。
  

 もうひとつ注意したいことは、フランスの”priorité a droite゛というルールです。‘右側に優先権あり’というこのルールは、都市の信号機のない十字路では右側から入る車に優先権があるということですが、見通しのよい田舎の道などを走行しているとき、右側の細い道から突然、この優先権を主張して飛び出す車があり、これが多くの事故の原因となっています。前方に右側から近づいてくる車を見ましたら、スピードを緩め、いかなる場合にも対応できるようにすることが大切です。
 

 しかし、感心したこともあります。フランスではサイクリングを楽しむ人が大変多く、ドライブをしているとカラフルな服装で走るサイクリストによく出会いますが、どの車のドライバーも彼らには敬意を払います。山道でゆっくり登るサイクリストがいれば、かれらの合図がなければ、決して追い抜こうとしません。これは、第二次世界大戦でフランスが占領された時、サイクリストが国内中からドイツ軍の情報を集めていたという歴史があるからでしょうか・・・。

 最後にイギリスのサイトのアドバイスを記しておきます
速度制限を守る
地方道を運転するときは、十分ドライブに注意する
判断に迷ったら、スピードを落とすか、停める
ホーンを鳴らされても決してパニックに陥らない
ドライブ前には地図でルートを確認しておく



なお、日本にはないために、通行にまごつくラウンドアバウトの通行方法を、イギリスのWIKIPEDIAにリンクを貼っておきますので、ご覧下さい。ページが開いたら、ラウンドアバウトを通過する車の様子をカラー動画で表示しています。上の動画がフランスなどの右側通行の場合、下がイギリスなどの左側通行の場合です。文字標識の例:

・ Aire – サービスエリア ・Aire de Repos – 休息エリア(トイレ) ・Bouchon – 渋滞・ Cèdez le passage -道を譲れ ・Centre ville – 市内 ・L'essence – ガソリン・  Gazole –軽油 ・Gendarmerie –警察 ・Route barrèe – 通行止め・ Toute Droit – 直進 ・Travaux –工事中・ Vous n’avez pas la priorité – 優先権なし(ラウンドアバウトでー他車に優先権あり)

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プロヴァンス観光のプラニング・・・南フランス・ドライブ旅行(2)

2011-05-11 09:19:45 | Weblog


プロバンス滞在型のドライブ旅行では、どこに滞在するかどこからドライブを開始するかどこを訪れるかを決めなければなりません。
 では、私のプラニングを紹介いたします。写真は滞在したカルパントラCarpentras近郊のブドウ畑です。


滞在地はカルパントラCarpentras近郊に
 一週間のプロヴァンス滞在の拠点として、カルパントラ周辺を考えました。プロバンス地方観光の足場として、どの観光地にも一時間半のドライブで行けること、シャトーヌフ・デユ・パッフ゜Chateauneuf-du-Papeに代表されるコート・デユ・ローヌ・ワインのブドウ畑が周辺に広がる田園地帯にあり、人口が少ない村々が点在し、標高1,909mのヴァントー山Mont Ventouxが北東にそびえているロケーションは、山がドライブの道標となります。
カルパントラ周辺、南にある町ペルネ・レ・フォンテーヌPernes-les-Fontaines周辺のホテルやコッテージをインターネットで調べ、ペルネの隣村、人口500人ほどの小さな村サン・デイデイエSt. Didierのコッテージを借りることにしました。

出発はリオン市内 パル・デユ―(Part Dieu)駅
 エールフランスでシャルル・ドゴール空港に到着、当初は国内線に乗り換えてリオン近郊のサン・テグジュペリ空港からレンタカーで出発することを考えましたが、エールフランスの航空券で高速鉄道TGVが利用できることを知り、風景を楽しみながらの快適な列車の旅を選びました。
リオン到着は夕方なのでその日は1泊し、次の日にレンタカーをパル・デユ―駅で借り出し、プロバンスへ・・・一週間滞在後、リオンへ戻り、2泊し市内観光、パリから帰国という11日間(機中1泊)のプロバンス・ドライブ旅行です。
(ホテル、TGV、レンタカーの借り出し、リオンからのドライブルートなどは次回詳しく報告します)

訪問する観光地は、1日2ヶ所に限定 
ゆっくりとプロバンスを楽しむ・・・これが今回の旅のテーマです。訪問する場所は隣り合った2つの観光地を1日のコースに組み込むだけ、歩きながら、買い物をしたり、見学したり、食事をしたりと、ゆっくりと、時間を十分かけて、思い出が残る旅行にしたい・・・それがプラニングの方針でした。

プロバンス地方は、ローヌ川の河口に広がるカマルグ(Camargue)地方も含めて、見所がたくさん在り、フランス政府観光局で頂いた「FRANCE フランス旅の手引き」「PROVENCEプロヴァンス」、そして東京で購入したミッシュランの道路地図MICHELIN Provence Camargue 113 ZOOMを見ながら、次のAーFの6つの組み合わせを考えました。(この道路地図については次回に触れます) 
ホームページや写真にリンクを貼っておきましたので、ご覧ください

 Aコース



△ オランジュ Orange
ローマ時代の古代劇場Theatre antiqueが有名。ほぼ当時の姿と機能を伝え、音響効果は現代の劇場にも匹敵する。七月にここで開催される音楽祭には世界中から音楽ファンが集まる。
△ ヴェゾン・ラ・ロメーヌVaison-la-Romaine
 フランスのポンペイといわれるローマ時代の町の遺跡が数多く残る小さな町。ローマ橋は現在でも使われている。中世の廃城から町を一望できる。

 Bコース



△ アヴィニオンAvignion
ヴォークリューズ県の県都。アヴィニヨンの演劇祭などが開かれる文化の中心地。14世紀には法王庁が一時置かれていた。ローヌ川に架かる橋は童謡「アヴィニオンの橋の上でSur la Pont de Avignion」で世界中の子どもにも知られている。
     △ ポン・デユ・ガールPont du Gard
 ヨーロッパ各地に現存するローマの水道橋の中で、ガール川を渡るために立てられた橋はほぼ原形を留め、周辺の風景とマッチして美しい。

 Cコース



△ アルルArles
ローマ植民地時代には首府となり、円形闘技場、古代劇場、浴場など多くの遺跡が残る。ゴッホがここに滞在、「跳ね橋」「夜のカフェ・テラス」などの作品を描いた。
レ・ボ・ド・プロヴァンスLes Baux-de Provence
白っぽい石灰岩でできた大地にある人口500人ほどの小さな村。特異な風景と村にある有名レストランに魅せられ、多くの観光客が訪れる。

 Dコース



△ エーグ・モルトAigue Morte
ローヌ川の広大なデルタ地帯カマルグに隣接する12世紀の城塞都市。地中海に面した都市が海岸線の後退で港としての機能を失ない、砂地の中に取り残される。それが幸いし、往事のままの姿を現代に伝える。
△ サント・マリー・ド・ラ・メールSaintes-Maries-de-la-Mer
  カマルグの湿地帯に先端にあり地中海に面する美しい漁村であり、同時に観光の中心地。聖母の妹マリアに由来する伝承の地で、巡礼の祭りの際にはたいへんな賑わいとなる。

 Eコース



△ リール・シュル・ラ・ソルグL’Isle-sur-la-Sorugue 
ソルグ川の中州に発達した町。水車を動力とした製紙、革製品で栄えた。アンテイ―ク市場でも知られる。毎日曜日に開かれる市(いち)の日jour de marcheには近隣からも買い物客が集まる
△ フォンテーヌ・ド・ヴォクリューズFontaine-de-Vaucluse
「ヴォークリューズの泉」。世界第五位の涌水量を誇る。標高230メートルの断崖の下から忽然と湧き出す涌水はエメラルド色で、神秘的。廃城が背後に聳え、みやげ物店、レストランも川沿いに建ち並ぶ。

 Fコース



「プロバンスの十二ヶ月」で描かれたルベロン地方周回山岳ドライブ
ゴルドGordes
 城壁が山頂にある急峻な斜面に階段状に家々が建てられ、政治家、文化人の別荘も多く、オリーブ、アーモンドの木々に囲まれた美しい村。 
△ ルション Roussillon
オーク採掘で栄えた村、家々がオークで作られ、黄色や鮮やかな赤色で村全体が絵の具で描かれたよう。

セナンク修道院Abbaye de Senanque
1148年創立のロマネスク様式の修道院。簡素で厳粛な建物は、夏になるとラベンダーに囲まれる景観は見事。ゴルドの北の渓谷にある。






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プロヴァンスの7日間・・・南フランス・ドライブ旅行(1)

2011-05-10 09:44:06 | Weblog


ずいぶん前のことですが、前英国の作家ピーター・メイルの「 A Year in Provence-プロバンスの12ヶ月」が人気を博し、映画化もされ、日本でも放映され、ご覧になった方もあるでしょう。プロバンスのリュベロン地方の小村に移住したイギリス人が、カルチャーショックを村の人々とのふれあいを通して乗り越えている様子を、ユーモアーたっぷりなタッチで描いていました。
 温暖な気候、美しい自然、おいしい食事とワインがあるプロバンスはイギリス人にとって憧れの地、ここに別荘を購入することがステータスシンボルになっており、南フランスの物件をイギリス人に紹介する不動産季刊誌もあるくらいです。


 フランス・ドライブ旅行は、一回目は各地を渡り歩くワンダーフォーゲル(渡り鳥)型のドライブ旅行、二回目は一箇所に居を構え、その周辺の観光地を訪れるという滞在型の旅行スタイルでした。「A Week in Provence-プロバンスの7日間」を紹介しましょう。
 先頭の写真は7日間滞在したSt. Didier(サン・デイデイエ村)、遠くに見える山がMont Ventoux(ヴァントー山-1909m)です。

滞在型ドライブ旅行のメリットは?



滞在型のドライブ旅行は次の5つのメリットがあります。
☆ 荷物は滞在ホテルに置き、空の車で気軽に旅行できます。観光地での車上荒らしに会う危険性が少なくなります。
☆ 一週間だけですが、それでもその滞在地で生活するのですから、現地の方と交流でき、町や村を深く知ることができます.
☆ 滞在地から同じ道路を何回も通ります。道路の運転にも慣れ、安心安全なドライブとなります。
☆ リュベロンやカマルグを訪れるには晴れた日のドライブが理想です。一週間の中で、天候に応じて、コースを組み替えることができます。
☆ プロバンスの最大の見所、マルシェ(Marche)を堪能できます。マルシェ(マーケット)は町や村によって開かれる曜日が決まっており、色々な町・村のマルシェで買い物を楽しめます。

まず、NHKラジオ講座で初級フランス語の勉強
 最初のフランス旅行では日仏旅行会話の本を手に、カタカナ発音で大丈夫だろうと気軽な気持ちで出かけましたが、まったく通じず、道もまともに尋ねられなかったという失敗を経験しました。殊に困ったのが、地名の発音です。文字を見てもまったく音に出せないのです。パリ市内にレンタカーで乗り入れ、道路地図頼りにホテルに行こうとしましたが、道に迷いお手上げ・・・通りかかった女性に地図とホテルの住所を示して尋ねましたが、私の英語も通じず、業を煮やした女性は私の車に乗り込んで、「A droite! (右へ)A gauche!(左へ) 」と指示を出しながら、一緒にホテルまで行ってくれました。

 毎回フランス人の好意に甘えてばかりはいられません。前回のドライブ旅行では一年前からNHKラジオ初級フランス語講座で学習することにしました。NHK講座は四月から九月までの六ヶ月で終了します。そして十月から翌年の三月までは、新たな内容で、指導陣も代わり、再び初級講座が始まります。出発までにこの初級講座を2度聞ききました。・・・その結果、カタカナ表示の旅行会話をフランス語に近い音で発音できるようになり、地名もほぼ読めるようになりました。

 NHK講座と並行して、出発直前の二ヶ月前からは、日本語⇒英語⇒フランス語という対訳旅行会話読本を覚えました。勿論、全部はとても覚え切れませんので、必要になるであろうと思われる会話表現だけを選び、場面を想像しながら口ずさみ、暗唱しました。学生時代に「Learn a little, and use it a lot.(少なく覚えて、たくさん使え)」というのが外国語習得のコツだと聞いたことがありますが、それを実践したわけです。

フランス地図を眺める

 地図を眺めるのが趣味だという方が旅行好きの方には多いようです。私もそんな一人で目的地が決まると、暇さえあれば地図を眺め、夢を膨らませます。フランス全国地図で南フランスの全体を把握、大まかな訪問地を確定していくというのが私の手順です。

 フランス全国地図でお勧めしたいのは、Logis de France(ロジ・ド・フランス)の Carte routiere(道路地図)です。Logis de Franceは個人経営のホテルが加盟する上部団体で、そこが発行する道路地図を東京港区にあるにフランス政府観光局http:/jp.franceguide.com/)で手に入ります。無料サービスの上、道路だけではなく、加盟ホテルがアイコンで示されていますから、宿泊施設を決める際にも参考になります。広大なフランス全土を一枚の裏表の紙面に収めているので鳥瞰的に位置関係を把握するのには便利ですが、主要道路しか表示されていません。

Logis de Franceのホームページを覗く
 Logis de France は加盟ホテルの案内と予約をインターネット上でできるサイトを持っています。地図も組み込まれているので、フランス地図が手元に入るまでご覧になってはいかがでしょうか。

 ではホームページで今回の目的地南フランス・プロバンス地方を見てみましょう。http://www.logis-de-france.fr/fr/index.htmで開きます⇒フランス語版です。ページ右上の小さな国旗のアイコンをクリック⇒英国国旗(英語版)に。{FIND A LOGIS}下のヨーロッパ地図をクリック⇒フランス国土をクリック→地方名が入った地図に替わります。{P.A.C.A}(Provence Alps Cote d'Azur)をクリック⇒{Vaucluse}をクリック⇒ここでようやくプロヴァンス地図が表示されます。
 この地図の中に今回紹介する「プロバンスの7日間」の旅で訪れる主な場所の全てが入っています。地図を拡大・縮小したり、移動したりして、楽しんでください。また、Vaucluse県内にあるLogis de France加盟ホテルの位置がアイコンで示されていますので、アイコンをクリックして加盟ホテルの紹介を読むのも楽しいものです。宿泊料金、部屋の様子、アクセス、周辺の見所などが分かります。









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西伊豆・土肥温泉を散策しました

2011-05-01 04:57:20 | Weblog
 3年ぶりに故郷の土肥に出かけました。東京から三島を経て修善寺駅に、ここから路線バスに乗り換え土肥に向かいます。バスは山間を走る国道を海抜570mの船原峠に向かって登っていきます。トンネルを抜けると視界が一気に広がり、周りの山々の尾根は駿河湾に向かって降りていきます。周囲の山肌には満開の山桜が点々と彩を添えていました。
(冒頭の写真は清水港から到着したフェリーです)

 土肥の町は静けさの中に佇んでいます。東日本大震災の影響で観光客が少なく、旅館の中には休んだり、従業員を一時帰休しているところもあり、観光客相手の店は閑古鳥が鳴いています。眠っているような町の中を散策しました。

西が駿河湾に面し、東、南、北の三方を山で囲まれています
 町を流れる大川の狭い扇状地に開けた町です。大川の北側に昔からの町並み、南側に土肥金山がありました。天正年間に金山が発見されて、江戸時代は佐渡金山と並び繁栄、明治以降は気候温暖な温泉地・保養地そして海水浴場として栄えてきました。

・・・大川の上流を撮影、船原峠に連なる山並みが屏風のように立ち、向う側には修善寺、天城、湯ヶ島、浄連の滝をつなぎ下田へ至る天城街道が走っています。


西・・・海水浴場に面した松原海岸からの駿河湾の夕日です。沼津からの定期船ホワイトマリン号から撮った夏の賑わいもご覧ください。

     

・・・街の北側にあるみかん畑からフェリー発着所方面を撮りました。土肥の町がほぼ一望できます。撮影場所の麓が昔からの町並みです。


・・・フェリー発着所付近から松原海岸越しの土肥です。山向うは山また山、10キロ先に戸田の港があるだけです。


山桜、新緑の木々が山々を美しく飾っています
 土肥の友人の話によると、50年前に植林され山頂まで覆っていた杉やヒノキが切り出されるようになり、山桜など他の木々が山肌に目立つようになったということです。
 輸入木材に席巻されていたわが国の木材市場ですが、輸出国の伐採規制や中国の需要の伸びで外国産木材の価格が上昇、相対的に国産木材への需要が出てきたとのことです。
 放置されたままになっていた杉・ヒノキが伐採されるにつれて、本来の山の美しさを取り戻しつつあり、やがて土肥では花粉病がなくなるのでは・・・と笑っていました。

幻の枇杷・土肥の白びわは5月下旬から6月上旬に食べられます

 真冬でも氷が張ることがない土肥の風土が生み出した、甘くて美味しい究極のびわです。小型の実で、白っぽい淡い表皮は触れるだけで変色し、市場に出荷できず、地元だけで消費されてきました。近年、観光客に知られるようになり、土肥びわ目当てで来られる方も多く、かつてのみかん畑にも多くのびわの木が植えられ、生産量が増えてきました。 子供の頃、やぶ蚊に刺されながら採ったのが懐かしい思い出です。

推奨の土肥散歩ルートです
 海辺の散策の他に見所がたくさんあります。小さな街ですから、1時間もあれば一回りできます。早朝や夕方に食事前に散策して温泉で一風呂浴びる・・・これが私の土肥での至福な時の過ごし方です。
 見所を紹介しましょう。カッコ内は地区名です。

多くの文人が訪れた昔の代官屋敷付近の旅館です。(旧御殿・中村)

     

昔と変わらない土肥の街の懐かしい風景です。この小さな神社で昔は子供の相撲大会が行われました(平野)

     

漁民が多く暮らす海岸近くの細い路地です。(大藪)

    

日蓮上人一代記の浮世絵がある清雲寺です。(平野)
           

最初の温泉が湧き出た安楽寺の大クスノキです。(馬場)


共同浴場「楠の湯」です。熱めの湯ですが、観光客に人気があります。(馬場)


旧土肥鉱山の旧職員住宅跡です。道の左右に生垣に囲まれた住宅が軒を連ねていました。現在残るのは右手の数軒だけ、80年前の建物ですが今でも住民の方がお住まいです。(屋形)



津波対策はされていますが・・・
 街を歩くと電柱に貼ってある「津波に注意:海抜○○m」の標識が目に付きます。大正2年生まれの父から安政地震(1854年)の津波で遭難したロシア艦船の代船を隣村の戸田で建造したという話は何回も聞きましたが、土肥でも津波の被害があったようです。

 下の写真は平野地区集会所前の電柱の標識で、ここが海抜5mであることを示しています。写真では見えませんが、右手すぐに人ひとりがやっと登れる山道が上の畑に通じています。街を見下ろす写真はこの山道を5分ほど登ったみかん畑から撮りました。
 もし東日本大震災のように10mを越える巨大津波が来襲したのなら、街全体が飲み込まれてしまいます。幸い、街の南北に山が迫っており、山腹への避難が可能です。山への避難路や誘導標識が整備されることが今後の課題となるでしょう。



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名取市閖上(ゆりあげ)の皆さん、ご無事だったでしょうか?

2011-03-17 13:28:54 | Weblog

2021年3月11日午後2時45分、鳴り響くサイレンの下、黙とうする閖上の人々(名取川河口にて)

地震報道映像に目を疑いました。
名取川河口付近から陸地に入り込む津波の映像です。
仕事で何回か通ったことがある県道10号をまさに飲みこもうとする津波映像だったのです。
名取川河口の町閖上が左隅にわずかに写っていましたが、津波が町を越えてきたようにも見えました。

 3月14日に投稿されたakusawa 108さんのレポートには、津波当日の閖上の様子がリアルに描かれています。 
 今朝(17日)のNHKテレビでは、閖上に入ったNGOの方が写真で現地の様子を伝えていました。
 閖上で出会った皆さんの安否がたいへん心配です。

 3年前宮城県に何回か仕事で出かけました。塩釜市と仙台空港を結ぶ県道10号を走りましたが、通るたびに「閖上」の文字を目にしますが読めません。そこでネットで調べ、閖上小学校の子供たちが閖上を紹介するサイトに出会い,地名の読みとその由来を知りました。
 
 塩釜での最後の仕事の帰途、夕食をとろうと閖上に入りました。閖上は上質な赤貝がとれますが、ブランド化して東京ではなかなか口に入りません。そこで地元の方に紹介された「おさかな亭なぐも」を訪れました。赤貝ですが、ほとんど東京へ出荷され地元でもなかなか口にできないとのこと、その貴重な赤貝のお造りに出会うことができました。真がれい、めひかり、ズワイガニ、つぶがい・・・地元産の魚介類がテーブルに並び、東京へ戻る気力がなくなり、ゆっくりと酒と食事を楽しもうと閖上に泊まることにしました。

 おさかな亭なぐものご主人と女将さんとは閉店まで話が盛り上がりました。店名の「なぐも」は、苗字の南雲であること、新潟の湯沢にも南雲姓が多いがと話すと、ご先祖が新潟から閖上にやってきたとのこと・・・閖上の100年をまとめた町誌を見せていただきました。江戸時代は仙台藩直轄の港であり、浜であがった魚を女性たちが背負って仙台市内まで行商に出かける地として知られていたようです。

 紹介されて泊まった「春日館」も歴史のある旅館であり、明治時代に撮られた宿泊客で賑わう旅館の写真を見せていただきました。名取川の堤防下にあり、幾たびか水害にあったと女将の高橋さんが話してくださいました。


今、閖上小学校のサイトを開きながら原稿を書いています。
校歌のメロデーが流れてきます。

♪♪岸をひたして名取川 遠くうしおをおしひらく ラララ・・・
 あなたもぼくも朝明けの 翼するどいかもめどり 清い希望がよんでいる
♪♪

 南雲さんの店とお宅は海岸近くにあります。高橋さんの旅館は名取川に面しています。ご両家の皆様のご無事をただただ祈るだけです。
 閖上小学校校歌に歌われている「清い希望」を持ち続けられ、一日も早い閖上の復興を心から願っております。


閖上小学校のサイトは廃校に伴い削除されました。
旧閖上小学校校歌はエスポワール・フォレが歌う 『旧閖上小学校・中学校校歌』でお聴きください。
子供たちは新たに開校した名取市立閖上小中学校で学んでします。使われている写真の多くで復興後の閖上の姿を見ることができます。

 



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