徒然なるままに

人は一人で生きているのではない、みんなの愛の支えで生きていけるのです。
だから生ある限り、周りの人を愛していきたい。

長崎市の石橋探訪  (その5  終回)

2011年11月26日 | 石橋探訪

  石橋を撮っていましたら、話しかけて頂いた女性が、この先にも、石橋がありましたよ、と

 声を掛けて頂きました、と前回書きました。

  予定には、無かったのですか、まあ、せっかくですから、訪ねることにしました。


  狭い賑わっている商店街を通ります、まだ石橋らしいものはありません。だいぶ歩いていますが、

 まだ先の方なのてしょう。あまり遠いので、途中で止めようかと思いましたが、その女性にまた

 お会いして、行きましたかって、聞かれたら悪いので、頑張りました。


 しばらく、我慢して歩きましたよ。家内もきつそうでした。

  ありましたよ、ホッとしました。

 

  幅は狭いですが、ちゃんとした石場でした。

 ・12 古橋  長崎市・市指定文化財

    橋長:8.7m 橋幅:2.0m 架設:承応3年(1654)


   
 「1654年(承応3)今から338年前に唐通事の林守?氏の肝入りで架けられたもので旧名は中河橋と

 もいい、 江戸時代に桜馬場(現地)から中川‐蛍茶屋‐日見峠‐矢上‐江戸に通ずる]旧長崎街道へ

 の玄関橋であった。

  1634年に架けられた日本最初の眼鏡橋(石橋)は明朝式のアーチ型であるが僅か20年後に出来た

 この橋は布(しき)石が矢の形に改良されているのは、林守?の知恵か石工の技術なのかが想像され、

 他に例を見ない貴重なものである。

  側面から見ると、この橋は約1m近く野石で嵩揚され、欄干の丸親柱が埋もれているが、その年代は

 不明である。橋付近の「いしだたみ」は長崎開港1571年(元亀2)より3年前、清時代の江南風舗装術の

 エキゾチックなもので、歌にも唄われる「坂の長崎いしだたみ」最古の風情である。
 

  この橋で注目すべき点は布石(アーチ型の上の補強用石)が左記の様に加工してある。  
 
 それはアーチに接触する長方形の石は、先端の尖った鋭角の部分が橋上を通る重荷のため欠けやすい

 ので 構造上この様になっています。」

                       旧江戸に通ずる長崎街道石畳保存会




 この橋から、見えるところに、もう一基、石橋が見えていました。少し大きいです。

 ・13 中川橋

    橋長:14.5m 橋幅:7.7m 架設:大正7年

 

 


  少し離れて、もう一枚。

 

  こんな小さな石橋でも、住む人にとっては、生活に密着した大事な橋でしょうね。

 良く、残ってくれていると思いました。保存にも、苦労があるのでしょう。



  さて、地理には不案内ですが、流石の方向音痴でも、大体の帰り道は分かりましたが、次の

 目的地、長崎中華街方面に向かいますが、やはり中島川の石橋群を対岸から見たくなりました。


  また、後戻りまして、対韓からの眺めを、楽しみながら歩きました。


 
     ・6 古町橋   蔦に囲まれていた橋ですね。

  橋の上に立ち、記念撮影をしましたが、割愛です。

 




 
     ・5 一覧橋  数字は、この日に訪れた順となっています。


 

 

 


 
  このgooの投稿画面での更新は、どうも苦手で、パニクッています。途中間違っているかも

 しれませんが、続けます



 
    ・3 東新橋

 



 この並びの圧巻は、やはり眼鏡橋ですね。端正な、貫禄がありますね。

 
    2 眼鏡橋  国指定重要文化財 日本百名橋

 

  ずっと眺めていても、飽きないのですが、そうもいきません。まだ、予定が詰まっていますから、

 眼鏡橋に、お別れしました。


  これまで、5回に分けて、長崎市の石橋を、見て頂きましたが、初めての方は、位置関係が

 分かりにくいと思いますので、ネットから地図をゲットしましたので、挙げておきますね。

  石橋配置図は、こちらです。ご覧ください。


  上に書きました、データについては、いつものように、にえもんさまのHPからでした。

 いつも、ありがとうございます。




  最後までの、お付き合いをありがとうございました。

 またのご訪問を、お待ちしております。まだ、元気にしておりますので、ご安心くださいね。