徒然なるままに

人は一人で生きているのではない、みんなの愛の支えで生きていけるのです。
だから生ある限り、周りの人を愛していきたい。

長崎市の石橋探訪  (その2)

2011年11月12日 | 石橋探訪

  前回に引き続き、長崎市の石橋探訪の続きです。中島川沿いに進みます。

③東新橋

  過去に二回、洪水により、流失して、これが三代目の橋です。

  寛政12年(1800)長崎奉行所によって架設されたそうです。

 

  なかなか、スマートな石橋ですね。技術の高さが、伺われます。

 

 

  階段が付いていますので、人のみ通れますね。立派な親柱です。

 
  この東新橋の上部です、かなり広いですね。


 この辺りだったと思いますが、普通の市内の方だったようですが、私に話しかけられて、石橋を見に

来たというと、いろんな話をしてくれました。

 初め、橋のボランティアの方と思うぐらい、いろんな知識を持ち合わせておられたようでした。

 橋の向こう側は、町民の町で、こちら側は武士の町だったそうで、橋の階段が、町民側は三段で、

武家の町側は、六段あって、高さが違っていたそうです。

 また、川の石垣では、町民側は、石が小さく、組まれていましたが、武家側は大きな石で、少し高い

石垣が組まれていたそうです。

 他にも、聞いたようですが、忘れました。いろんな見に来た人たちに、話されているのかなあと、

思いました。


④すすき原橋

  次は、アーチが違いますね。これは石橋ではないんですかね。この橋も、三代目で、過去に二回

 水害により、流出していました。文化元年(1804)長崎奉行所によって架けられたものです。

 

 
    これが、上部です。

 

    やはり、この場所が、似合いますね。違和感がありません。

 
    河原に降りる階段も付いています。この日は降りて見ませんでした。

 
    親柱です。橋の上から、撮影しながら、談笑していました。

 
    反対側の外観です。かなりスマートですね。


⑤一覧橋

  この橋は、中国人の高一覧という方が、明暦3年(1657)に架設されたが、その後洪水で流失して、

 この位置では3度目の石造アーチ橋で、享和元年(1801)長崎奉行所によって架設されたもの。


 
    この橋も緩やかなアーチになっていますね。

 
    素晴らしい石橋で、スマートに出来ていますね。いつまでも、残って欲しいものです。

 
    親柱も立派な作りです。貫禄がありますね。

 
    反対側の外観です。

 
    なかなか、風情があって、この川に馴染んでいるようですね。


 この橋は桶屋町橋などと呼ばれたが、最初の架設者高一覧にちなんで、明治15年に一覧橋と命名された、そうです。


 以上、3件の石橋を紹介しました。データはにえもんさまのHPからでした。

まだ、たくさんの石橋がありますので、また続きを紹介したいと思っています。


 ずっと書いてきました、ディスクトップは、いよいよ不具合が、酷くなりまして、使えなくなって

しまいました。ノートでやるか、また新しい最新のPCを手に入れるかと、嬉しい悩みです。

 元来が、新しい物好きですから、この年になっても、最新のパソコンには、魅力があります。

実は、昨日お店に見に行きまして、益々ほしくなっています。贅沢なことですよね。


 いつもたくさんのご訪問、嬉しいです。いつも、元気をありがとうございます。