徒然なるままに

人は一人で生きているのではない、みんなの愛の支えで生きていけるのです。
だから生ある限り、周りの人を愛していきたい。

昔、感動したなあ!

2006年07月31日 | 日々の思い

 
 大昔、私が高校生の頃、東大を受験した、いや冗談です、灯台科を受験したことがある。それも友達と3名で、前の日から来て、門司の海上保安庁に出向き、舞鶴海上保安大学校灯台科の、入学試験を受けたことがあった。

 なぜ灯台科なのかというと、同年代の方は、ははぁん、と分かった、言われているだろう。そうです、あの頃、名優の佐田啓二、高峰秀子主演の「喜びも悲しみも幾歳月」という、灯台守夫婦の悲哀を描いた映画が、田舎でも上映された。

   

  

 それを観て、偉く感動して、よし灯台守になろう、と心に決めたのである。友達に話すと2名の同意を得て、受験と相成った次第である。

 でも、親からしたら、大変な事なのだ、第一長男で一人息子であり、母親と妹二人を置いて、遠くに行こうとしているから、内心穏やかではなかったはず。受験については快く同意してくれた。顔は笑って、心では泣いていたかもしれない。

 さて、試験であるが、一次試験、二次試験、身体検査、面接と、途中で落ちた友達を待たせて、何とか合格していくのだ。とうとう最後まで残ってしまった。
 その後の話では、東京に結果を集めて、最終の合格発表は、後日ラジオで放送すると言うことである。私達は喜び勇んで、帰郷した。

 それから一月以上待たされて、いよいよ合格発表の日である。朝何時か忘れたが、NHKラジオで合格者の発表が進んでいく。各県から1名である。さあ、次だ。
 「熊本県 玉○高校 ○○○○」「大分県・・・・」と続いたようだ。
結局最終審査で、自分は落ちて、よその高校の生徒が合格したわけである。でも、やはり悔しかった、影で少し涙が出た。

 お袋の顔は、少し明るく、惜しかったね、と言ってくれた。でも、合格していたら、2年だったか、大学校で勉強したら、全国の僻地の灯台に、配置されるわけである。
 落ちて良かったよ、危なく灯台守になるとこだったなあ、と強がったが、内心安心していた気もする。でも、最後まで残ったことは間違いない、それは少し誇りに思っている。

 最近、その「喜びも悲しみも幾歳月」の映画がテレビで放映された。あれだけ感激して、灯台守になろうとしていたのに、だいぶ筋を忘れていたのには、我ながら、呆れてしまった。でも、感涙しながら、見させて貰った。やはり凄い。

 そんな事情もあり、灯台には引かれるものがある。勤務はごめんだが。ご存じのように、いつもGoogle Earthを使っているので、灯台を上空から見つけてみた。
 
 まず一つだけ、たぶんどこか分からないと思いますが、高知の足摺岬灯台です。

        

 人の運不運は紙一重のような気がする。若い人の将来進む道は、真剣に考えて欲しいと思う。自分がやり甲斐のある仕事・職業を選んで、その目標達成のために、一途に努力して欲しいものですね。

 またまた、纏まりのない、面白くもない話を、最後まで読んでいただき、ありがとうございます。