ニッパツ三沢球技場(Bグラウンド)

凶悪系育児ブログ。ほんのりJリーグテイスト。

仙台支援。(DAY-3)

2011-03-20 | きょうのおしごと
夜勤なので、日中は『やるべき業務』はありません。

が。
この宿舎は、今晩の我々の業務終了をもって弊社は撤退します。次部隊からは、避難所支援として直接避難所に赴くからです。
そこで、日中はひたすら片付けと掃除…。
そして避難所支援にあたるスタッフへの備品の支度(ひとりひとりに、毛布と水とビスケットとトイレパックが支給されます)
余った食料を対策本部に届けたり、なんか小忙しい。。。

今日は、けっこう大きめの余震が来ました。
と言っても震度4。今更そんなに驚かない。
…震災前だったら、気分もかなり違ったのでしょうけれど。


本業。
ヤル気満々で「ユニクロ、カモン!」と思っていたのですが、支援物資集積所に到着してから倉庫内を見回っていたら、もう届いていました…。
(結果的に、今晩は支援物資を積んだトラックは来ませんでした)

仙台市役所のトラックとワゴンに支援物資を積み込む機会がありましたが、自衛隊と比べると段取りが…
って、プロフェッショナルと比較したら当然なのです。物流を直接担う機会は、行政には無いですものね。

同様に、支援物資の管理も公務員とボランティアだけでは効率が悪いので、民間の物流屋さんの指揮下で皆が動きます。
避難所の現在のニーズと、今後の展開(仮設住宅の利用など)による将来ニーズ、両者を踏まえながら効率良い出荷と効果的な収納を目指す配置換えには、尊敬の念を抱きます。
これまたプロフェッショナル。

雨対策の緊急性もあり、18時の作業開始から4時間以上ぶっ続けで肉体労働をしましたが、すべてのスタッフから文句も泣き言も一切無し。プロフェッショナルではないですが、このモチベーションの高さも見事だと思います。
…あたりまえ?


一段落ついたところで、昨日とは別の仙台市役所の方々とお話をしました。

あの津波は、やはり予想の範疇を遥かに超えていたそうです。被害地域を聞いたとき「なんで?」と思ったとか。そのくらい、内陸部まで被害が及んでいた、と。あとで地図を見ながら確認したら、海岸から3km以上ありました…
実際、東北南部では地震後に一旦自宅に戻った結果、津波の被害に遭った人も多い、と。
これは津波に油断していたということではなくて、常識で考えられるエリアを遥かに超えていた、ということで。
だって、海辺ならともかく、2キロも3キロも離れたところにある建物が津波で流されるって、想像できますか!?
「あの堤防でダメなら、もう堤防じゃダメだ」とは、とある仙台市職員の言葉。


防災だけでなく、地域の復興も今後大きなテーマです。
三陸地方の海産物を、誰が獲るのか。あの津波被害のあと、漁師さんその他は地元に戻れるのか…

ここでは、河北新報に掲載された石巻市の漁師さんのコメントを、明日への希望として載せておきたいと思います。

 「海の水がしょっぱい限り、魚は必ず獲れる」


深夜1時。
こうして我々の支援活動は終了しました。

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2 コメント

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お疲れさま~ (寺ぱぱ)
2011-03-22 21:52:36
貴重なレポートありがとう!

我が家も海岸から3kmの距離です。
まさかここまで来ないだろう?と当然思ってます。

しかしもし来たら、平地なので逃げ場所は
ほとんどありません。。。
学校か病院の上の階に行くだけですよ。
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今更ですが・・・ (まりの)
2011-04-17 13:51:06
3kmが安全圏内とは限らないと、今回知りました。
まあ、地震の規模が常識外れだったというのもありますけれど・・・。
ウチの職場ももちろん海岸から3km圏内(しかも平地)なので、対応の検討が必要な予感。
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