前回のエントリでポール・オースターの『孤独の発明』を読み始めて、なかなかいいというのを書いた。
今日は前半の『見えない人間の肖像』を読了した。
(この本、実際には中編2編からなるのだが、二つ目は『記憶の書』という題で、結局書名の『孤独の発明』というタイトルの話はない。ま、いいんだが)
『自分の体のなかにひどく居心地悪く収まっている父。じっとしていられない。雑談というものができない。『くつろぐ』ということを知らない人。(P.93)
なんかまた、自分のことを言われたような気がする。
話は狂気の家系を描き出す(刺激的すぎるかな、この表現は)というか、著者が自らの家系を洗い出していくなかでそういう話になる。
著者はいわゆる天才と狂気を生み出す家系で、幸運にも天才の側に生まれついたのだろう。いや、あまり幸運でもないのかもしれないが。
余談だが、R.D.レインへの言及もある(『狂気と家族』早く読まなくっちゃ)。
しかし、他にもいろいろ私によく当てはまることが書かれているのだが、私の家系には狂気のひとはいないんだがなぁ・・・
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マイケル・カニンガム『この世の果ての家』
もし、未読で興味があればよいかと・・・・