自己変容としての「勉強」について書かれた本。
「勉強」とは「自己」を「破壊」することである、と。
哲学者でドゥルージアンでもある著者らしく、一見難解な単語がいくつも出てくるが、これが著者の力量なのか、非常に読みやすく仕上がっている(編集者の苦労のおかげかも知れないが)。
アイロニー(=つっこみ=垂直的にあるテーマに集中して勉強する)、ユーモア(=ボケ=水平的に複数のテーマを横断的に行き来する)、享楽(=非合理でトラウマ的な自らの「こだわり」=引っ掛かりを大切にする)を頂点とするの三角形のスパイラルによって、「勉強」をドライブするというアイデアは秀逸。
タイトルは『勉強の哲学』とあるので、一見抽象的議論に終止するかと思いきや、個別具体的勉強法についても詳しく出てくる。
たとえば、読書についてのいろはとか、現代らしく、アウトラインプロセッサの使い方とかアプリを使ったノート術とか(著者はEvernote派だそう)。
気に入ったフレーズを2つ。
1)「自分なりに考えて比較するというのは、信頼できる情報の比較を、ある程度のところで、享楽的に「中断」することである」(P.140)
2)「信頼に値する他者は、粘り強く比較を続けている人である」(P.148)
ところで、アイロニーとユーモアはツッコミとボケの比喩でわかりやすい。
では、享楽とはなんだろうか?
非合理でトラウマ的な自らの「こだわり」とは?
それを掴むために、著者は、自分の「欲望年表」を作ろうと提案する。
「欲望年表」とは何か?
それには、「メインの欲望年表」と「サブの欲望年表」がある。
「メインの欲望年表」とは、自分の生きてきた年表、「いまの自分が、どういう他者に刺激され、どういう大きな時代状況のなかでこのように構築されたのかを客観視する」(P.156)ための年表。
「サブの欲望年表」とは、「自分の現状につながっているのかどうかよくわからなないが、振り返って思い出される、妙にこだわっていたことや、なにか印象深いことを書き込む年表」(P.157)だ。
そして、最終的に、「メインの欲望年表に出てきたことと、サブの欲望年表に出てきたこととを接続するような抽象的なキーワードを、無理にでもわざと(注:実際は傍点による強調)考え出す」(P.157)。
「その抽象的なキーワードは、自分を無意識的なレベルで衝き動かしてきた、何か大きな「人生のコンセプト」に相当する」(P.157)。
面白いアイデアだ。
早速試してみようと思う。
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