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[社会] iPS臨床報道、詐欺師なりの不運

2012-11-29 | Weblog
いまだ事件から1カ月しか経過していないのに、すでに完全に旧聞に属する感のある「iPS細胞移植詐欺」事件。いまさらこの問題にここで触れるのは、詐欺を働いた森口さんなる人物を袋叩きにしたいがためではありません。

彼のここ数年の栄枯盛衰、そこから透けて見える大学や学術行政の体質的な病に目を向けねば、と思ったのは、こんな報道を目にしたからでした。 

東大「一件やった」に疑問 [産経新聞10月16日]森口氏「証拠出せない」帰国後、聴取
iPS細胞(人工多能性幹細胞)の世界初の臨床応用をしたと虚偽の発表をした日本人研究者、森口尚史(ひさし)氏(48)が15日、米国から帰国した。 

その後、所属先の東大病院から事情聴取を受け、「(当初の説明の6件の治療のうち)1件はやった。証明できる人は出てきてくれない。証拠が出せない以上、やったと言えないことが残念」と述べた。病院側はこの1件について「素直にそうだなとは思っていない」と疑問があるとの見方を示した。 

同病院によると、森口氏は15日午後に成田空港に到着した際、上司の東大助教に電話し、同日付での特任研究員の辞意を伝えた。しかし、聴取では、進退について「調査にきちんと協力した上で身の処し方を考えたい」と後退させ、迷っているのかとの質問にうなずいたという(後略)。 


この記事の中で、もしかすると多くの人にはピンとこないかもしれないある部分、しかし大学に関係した人であればオヤと思う一語が気になるのです。それはどこか? 

上司の東大助教」という何気ない表現に、どうしても引っかからざるを得ないのです。


*制度変更に翻弄される研究者たち

上の記事には「同病院(東大病院)によると、森口氏は15日午後に成田空港に到着した際、上司の東大助教に電話し、同日付での特任研究員の辞意を伝えた」とあります。

まあ、プロジェクトベースの「特任研究員」なのだから、その上に上司として助教、つまり以前の表現でいえば助手さんがいたとしても、それ自体は何も不思議なことではありません。 

しかし、ちょっと考えてみてください。この森口さんなる人物、しばらく前までは、特任だ何だと言っても、曲がりなりにも東京大学で教授やら助教授やらを務めていた人です。まあ大いに曲がりなりだったわけですが。 

それが(今回のように明らかな失態を犯した、というのではなく、それ以前の段階で、平時に起きた人事異動の結果として)「教授」職から、その下位に属する「准教授」(助教授を改称したもの)よりもさらに下位の「講師」よりもこれまたさらに下の「助手」現在は「助教」と呼びますが。この「助教」の下の研究員になっていた。で上司に当たる助教に進退の電話をした、というわけですね。 

森口さんのしたとされることに、何一つ同情の余地はありませんが、それ以前に発生しているこういう人事のもろもろは、詐欺と別の問題を大いにはらんでいます。今回はそれに注目してみましょう。 

極めて乱暴な喩えですが大学の「教授」は企業なら「課長」に当たる、なんて言われます。准教授なら課長補佐、講師が係長で助手は主任といったところでしょうか。

これで考えるなら、ちょっと前まで「特任課長」として一課を率いていた人が、いつのまにやら係長より下の主任を「上司」とするヒラに格下げされていた、ということになるわけですね。

で、こういうことがまま起こるのが、現在の大学法人の1つの現実である、というあたりに焦点を当ててみたいのです。 


*森口氏の典型的な栄枯盛衰

 前々回、自民党政権で国立大学法人が掲げた「産学連携」の看板を、民主党の政権奪取以降、政策が変わって降ろしていった経緯の一部を年表式にご紹介しました。

読者の皆さんからはツイッターなどで「露骨すぎませんか?」などコメントいただいたのですが、実はあまりに露骨な部分はまだ書いておらず、あれでも十分ソフトな部分だけを纏めたのが以下のものでした。 

2009(平成21)年9月 鳩山民主党内閣成立、国立大学「産学連携」の看板を下ろす
2010(平成22)年 森口氏、東京大学先端科学技術研究所特任教授の年限終了。東京大学医学部付属病院客員研究員(非常勤)に
2012(平成24)年10月 森口氏、iPS細胞移植詐欺で東京大学医学部付属病院を懲戒解雇

これをもっと詳細に記してみましょう。 

2009(平成21)年9月 鳩山民主党内閣成立
2010(平成22)年、森口氏、東大先端研特任教授の年限終了。東京大学医学部付属病院客員研究員(非常勤)、同先端研には無給の「研究交流員」として出入り
2012(平成24)年3月、東京大学医学部付属病院形成外科・美容外科 技術補佐員(非常勤)
2012(平成24)年9月、形成外科・美容外科の有期契約特任研究員となる(常勤) 
2012(平成24)年10月8日、山中伸哉博士にノーベル医学生理学賞授賞決定
2012(平成24)年10月11日、読売新聞がiPS細胞移植手術成功と朝刊夕刊で報道。深夜のマサチューセッツ総合病院を皮切りに、関係機関が次々と「論文」内容に疑義を示す発表
2012(平成24)年10月13日、読売新聞が「お詫び」記事を掲載、内容を撤回。 
ニューヨークで森口氏記者会見「勢いでウソをついてしまった」
2012(平成24)年10月19日、東京大学医学部付属病院を懲戒解雇 

こんなふうに時系列で見てみると、はっきり分かることがいくつかありますね。


*特任人事残酷物語

2002年、博士号も持たず、つまりまともな研究をオリジナルにまとめ大学から学位を得るという、理系一般ではスタート段階の免許取得にも等しいステップをクリアすることなく「修士号を持つ看護師」森口さんは東京大学の特任助教授として常勤の待遇で研究職に就いてしまいました。 

この背景には、当時の第1次小泉純一郎政権下、とりわけ経済財政担当相であった竹中平蔵氏(現慶応大学教授)の旗振りで進められた大学の産学連携、とりわけ知財に関する雑務があったと思われます。 

実際この当時、私自身東大内で全学広報委員という立場で産学連携のプロモートに少し携わっていましたので、内情が透けて見える気がします。 

教授職に相当する決裁が必要な諸事を、研究で忙しい多くのスタッフの手を煩わせず、関連雑務を器用にこなしてくれる人がいれば、大学人は大いに助かったはずで、博士の学位を持たない森口さんの常勤助教授採用というセッカチな人事には、間違いなく何か、関連の背景があったと思われます。 

そうでなければ、いかに特任とはいえドクターも持っていない人にポストが来るわけがありません。関係者の事務省力化など、何かしらのメリットがあったはずです。 

で、医師でもなければ博士研究者でもない「ミスター・アソシエイトプロフェッサー」森口さんが誕生します。38歳、関係財団の調査部長という安定したポストを投げ打って、1つの賭けに出たと言えるかもしれません。 

4年後の2006年には、男森口氏42歳の厄年にして「特任教授」に昇進します。 

が相変わらず博士は取得していない「ミスター・プロフェッサー」というのは、いま日本社会に多数存在する、博士号を取得しながら研究職を得られないポスト・ドクトリアルの人々から見れば、なんとも不条理と映るに違いありません。 

果たして2007年、厄明けの43歳でようやく博士号を取得した森口さんでしたが、ラッキーだったのはあと3年だけ、2010年に年季が明け、男46歳、契約が切れました、の一言で裸一貫、常勤の職を解かれます。 

このあたりが、米国っぽいアカデミックシステムを拙速に導入しやすいネオ・リベラリズム学術行政のお粗末なところで、海外なら腕のある人が職場をどんどん渡り歩いてキャリアアップしていくライフプランがデザインできますが、日本は決してそのようにはなっていないわけです。 

で、どういう経緯か分かりませんが、さすがに困るだろうという経過措置でもあるのでしょうか、間が開くことなく2年間、東大病院の客員研究員として口に糊することになった森口さん。 

46歳から48歳という専門人としては脂の乗った年配ですから、仕事ができる人ならいくらでも業績が上がったと思うのですが、どうやらそうではなかったらしい。2年のモラトリアムの後は形成外科・美容外科の技術補佐員という名目で非常勤のペイを手にすることになります。 

看護師資格を持つ森口さんだから、こういう救済策となった可能性が考えられます。とはいえ美容外科の技術補佐員といっても、美容整形で手術助手のナースを森口さんがしていたとは考えられない。

これで命脈をつないでもらった半年の間に、移植手術で使うのでしょうか、臓器の冷凍保存技術開発の名目で、期限付きとはいえ形成外科・美容外科の常勤研究員に昇格し、助教(助手)の下のポストでひとまずの安定を見ることになりました。 
これが、この9月のことにほかなりません。 

特任とはいえ、博士も取らずに38で助教授、42で教授と46まで過ごしてきた1人の男性が、契約期限が切れた、としてポストから放り出されてしまった。 

元来研究能力に著しく乏しいのだからアウトプットなど出せるわけもなく、とはいえ微妙に温情もあるのかと察せられる、病院関連の研究廊下での棲息を許される2年ほどの間に、今回演じて見せたようなトンでもない詐欺狂言を思いついたということなのだと思います。 


*森口氏の災難?

まあもちろん、この森口さんの場合は業績を出す能力に問題があったと思われ、そもそもの人事が疑われますけれど、そういうこと以前に、ごくごくまじめに研究し、優れた成果を出していた大学・研究所のリサーチャーが、有期の期限が尽きて仕事ができなくなる、というのは、実はいくらでもあることなのです。 

例えば、素粒子実験でバリバリ仕事していたけれど、年季が明けてポストが切れ、仕方なく銀行系のシンクタンクでコンピューターの管理をしている、というような人、私自身の理学部物理学科時代の知己だけでも瞬時で数人思い浮かびます。 

ちなみに、ここで森口氏と並べて出すのも変な話ですが、ノーベル賞をもらった直後の山中氏の、やたら考え尽くされた作為的な発言の数々(と思います)は、ほとんどすべて「いま期限付きで雇ってる人たちが、もうすぐ年季が切れると食えなくなるので、何とかしてくれ」という、200人からの所帯を食わせる中小企業スケールのグループトップとしての悲痛な叫び、と理解するとよいと思います。 

さらに山中氏の受賞直後の発言に対する大学内の反応には、大変に冷たいものもあり「iPSであれだけ集めたのに、ノーベル賞貰ったのをいいことに、あんなところで延長アピールしている。少しはこっちの分野に予算を回せってんだ」と吐き捨てるように言ったバイオ関係者の声も聞きました。 

きれいごとでは済まない、研究者の生活を支えるリアルさがここにあります。 

ともあれ、森口氏と山中氏、ニセものと本物という違いはありますが、学術行政や予算措置で振り回されざるを得ないという一点については、共通していることもしっかり見ておく必要があると思います。 

森口さんに同情するところはほぼ一切ありません。が、詐欺師なりに1つ、彼が不運だったかなと思うのは、山中教授のノーベル医学生理学賞受賞ではないかと思います。 

森口氏はもう少し前から、今回の詐欺狂言を準備していた様子です。ひょっとすると、広い研究世界の端っこの方で「iPS細胞移植に成功した・・・かも?」とか、ナンチャッテ発表でお茶を濁しつつあたりを見回して、小さな安定ポストの1つでも手にできれば十分だったのかもしれません。 

それが変に(?)新聞の1面などにも出てしまい、騒ぎが大きくなって引くに引けない数日を過ごし、哀れに沈没して終わった、といった観もあろうと思います。 

個人のお粗末な仕業は、まあそれとしましょう。ただ、そういう行動に出てしまうような背景となる学術行政の右往左往があることは、もっと社会に知って頂いていいことなのではないかと思うのです。 

(文)伊東 乾 Ken ITO作曲家、指揮者 ベルリン・ラオムムジーク・コレギウム芸術監督、1965年東京生まれ。東京大学理学部物理学科卒業、同総合文化研究科博士課程修了。2000年より東京大学大学院情報学環助教授、07年より同准教授、慶應義塾大学、東京藝術大学などでも後進の指導に当たる。若くして音楽家として高い評価を受けるが、並行して演奏中の脳血流測定などを駆使する音楽の科学的基礎研究を創始、それらに基づくオリジナルな演奏・創作活動を国際的に推進している。


参考記事(1):iPS臨床報道、修正相次ぐ メディア各社、2012/10/12asahi

iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った日本人研究者らによる「世界初の成果」に疑義が生じた。一部メディア(読売)が報じたものの、日本人研究者の所属先とされた米国の大学は事実関係を全面的に否定。この研究者が肩書を偽っていた疑いまで浮上した。

 「事実関係を調査します」。読売新聞(いずれも東京本社最終版)は12日付夕刊の1面に、森口尚史氏(48)の研究をめぐる報道について、「内容に間違いがあれば、正さなければなりません」という同紙の見解を掲載し、取材過程を検証する方針を示
した。

 同紙が、森口氏の肩書を「米ハーバード大客員講師」と紹介し、「iPS細胞を使った世界初の臨床応用を行った」と1面トップで報じたのは11日付朝刊。iPS細胞から作った心筋細胞を患者に移植したという内容で、「夢の治療として世界がしのぎを削る臨床応用への動きが予想以上に早く進んでいる実態が浮き彫りになった」と位置づけている。同日付夕刊1面では森口氏のインタビューも掲載した。

 だが、ハーバード大は同日、森口氏の「客員講師」という肩書や、大学の研究への関与を否定する声明を出し、報道を打ち消した。

 読売新聞広報部の文書回答によると、同紙の記者は「事前に森口氏から論文草稿や細胞移植手術の動画とされる資料などの提供を受け、数時間に及ぶ直接取材を行った上で記事にした」という。同紙はこうした経緯を調査し、結果を公表するという。

 この「ニュース」をどう扱うか、報道機関によって対応は分かれた。一部のメディアは、読売新聞の報道を追いかけた。

 共同通信社は11日午前、「iPS細胞を使った移植手術を実施」との記事を配信。この記事をブロック紙や地方紙は11日夕刊で大きく扱った。北海道や河北新報、中日、中国、西日本、東京、京都、神戸の各紙は「iPS初の臨床応用」などの見出しで1面トップに採用。新潟日報や信濃毎日、山陽なども1面や社会面に掲載した。

 テレビ朝日は11日夕方のニュースで、森口氏側の主張を速報。同社広報担当は、「世間の注目を集めるニュースだから」とする。同社は12日、森口氏へのインタビューを放映し、「治療を証明するものが示されず、治療そのものがなかった可能性もある」と報道を修正した。

 一方、毎日新聞や日経新聞は掲載しなかった。毎日は、記者が事前に森口氏に取材したものの、「説明があいまいだった」(編集編成局幹部)ため見送った。日経も「慎重に判断した」(広報グループ)という。ただ、両紙は森口氏の過去の研究を記事化しており、経緯を検証するという。

 森口氏の名前は1990年代半ばから全国紙などに度々登場していた。森口氏が東京大先端科学技術センターの特任教授でなく
なった09年以降、「米ハーバード大」の肩書で、iPS細胞に関する研究成果が、読売や日経、毎日などで紹介され始めた。

 今年7月にも、がん患者の卵巣の一部を凍結保存して4年後に解凍して体外受精で妊娠に成功したと、読売新聞が報じた。科学誌ネイチャー・プロトコルズに発表したとしているが、同誌には未掲載で、実際に載ったのは同誌に関連したネットの情報交換欄。第三者による審査(査読)がない欄だった。


参考記事(2):「iPS臨床」森口氏、資格は看護師 肩書き・職場転々、2012/10/13asahi

iPS細胞(人工多能性幹細胞)を使った日本人研究者らによる「世界初の成果」に疑義が生じた。

 日本時間の12日午前。森口尚史氏は滞在先のニューヨークのホテルで、テレビ局など報道各社に囲まれていた。
 「(移植手術に)立ち会いました」「(移植を)証明する書類は、日本に帰ったら家にありますので」

 臨床研究の「成果」を強調する一方、移植手術時に米国にいたことを確認するために旅券を見せてほしいと問われ、言葉を詰まらせる姿がテレビで何度も放映された。

 森口氏は1993年に東京医科歯科大を卒業し、看護師の資格を取得。同大学院で保健学修士を取得した後、医療系の財団法人や、東大先端科学技術研究センター、東大病院を転々とした。医師ではなく、肩書は常勤・非常勤、客員・特任などとめまぐるしく変わった。

 センターにいた99~2010年のうち、常勤だったのは知的財産法が専門の特任助教授の4年間だけ。最後の1年間は雇用関係がない無給の交流研究員だった。当時の同僚は「森口さんは医療統計の専門家。実験している姿は見たことがない」。

 今回、臨床研究の共同研究者として名前を使われていたのも、センターの同僚だった。井原茂男特任教授は「森口氏は一生懸命でいつも新しいことを追求するタイプ。彼の口から何も聞いていないので、早く説明してほしい」と苦笑いを浮かべた。

 東大病院では、形成・美容外科の実験を手伝う非常勤の技術補佐員から、現在は常勤の「特任研究員」。特定の研究のために雇われる研究員で、研究代表者の権限だけで決められる。森口氏の場合は形成・美容外科の助教が決め、同科の上司たちは「森口氏の存在を知らない」としていた。東大病院広報は「現在、特任研究員が何人いるか不明」という。

 千葉県市川市の住宅街にあるアパート。森口氏は家賃6万円あまり、築数十年の1Kに十数年来、1人で暮らしているという。大家の70代女性は「もしウソをついていたなら、なぜすぐ分かるようなことをしたんだろう」といぶかった。

 数年前には「東大教授になりました」と聞いていた。えらい先生でもこんなところに住むんだ、と不思議に思った。そして、今回の騒動。「何かウソをつく必要があったのか。いろいろ考えると心が痛みます」





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