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[平和憲法]護憲か改憲か

2012-11-03 | Weblog
「日本国憲法9条と韓国徴兵制」、

◆「正しい戦争」はあるのか
 「伊藤塾」では毎年、中国や韓国、沖縄へのスタディツアーを実施しています。特に韓国にはもう10年以上通って、現地の法律家や学生などと、憲法や法律の状況について話をするということを続けてきました。

 つい先日も、その韓国ツアーに行ってきたばかりです。今回は、大法院(最高裁判所)、天安の独立記念館、そしてちょうど30年前に「光州事件」が起こった光州市にも行きました。

 1980年5月18日、韓国南西部の光州市で、民主化を訴えていた学生や市民に対し、政府から送り込まれてきた軍隊が突然発砲を始めました。銃撃は10分くらい続き、逃げた市民も警棒でめった打ちにされた。そして、発表されただけでも百数十人、行方不明者も入れれば数百人の一般市民が虐殺されたんですね。これが「光州民衆闘争」ともいわれる事件です。

 このときは、軍が「市民を守る」側ではなく「虐殺する」側に回ったわけですが、当時大学生だったというガイドさんに、今の韓国の軍隊についてどう思うかを聞いてみました。そうすると「今の軍隊は素晴らしいですよ。国のため、民衆のため、市民のために闘ってくれる軍隊で、尊敬しています」という。当時の軍事政権のもとでの軍隊は民衆に銃を向けるという過ちを犯したけれど、今の軍隊は正しい軍隊であってそんなことはあり得ない、というんですね。

 それは、至極当然の意見なのかもしれません。しかし、私自身の軍隊についての考え方とはだいぶ違うな、とも思いました。

 私は、人間は戦争をしてはいけないと思っています。こう言うと、「何を言うんだ、正しい戦争もある」とおっしゃる方がいらっしゃいますし、多分それが世界の圧倒的多数意見でしょう。しかし、私はどんな正しい目的を掲げても、戦争という手段は許されないと考えています。

 理由はいろいろありますが、何より戦争は常に加害者、被害者が入れ替わるものであるということです。例えば、朝鮮半島の人々は日本軍にさんざんな目に遭わされ、朝鮮戦争でもひどい目に遭った。しかし韓国の軍は、ベトナム戦争では罪のない市民を虐殺した。イスラエルもそうですね。ホロコーストの被害を受けたユダヤ人が今、パレスチナで同じようなことをやっています。

 こうした連鎖を、誰かがどこかで断ち切らなくてはならない。だから私は、どんな正しい目的や名目を掲げても戦争はいけないと思う。綺麗事かもしれませんが、その綺麗事を掲げることができる、理想を主張し続けることができるのが人間だと思うのです。

◆平和憲法の根本は「人間尊重」
 そして、「軍隊を持たない」という、世界的に見ればかなり非常識なことを定めているのが私たちの国の憲法です。私は、その根底にあるのは徹底した「人間尊重」だと考えています。

 日本国憲法13条は「すべて国民は個人として尊重される」と定めています。これは、言葉を代えれば、人間は誰もがかけがえのない命を持っている。それはほかのものとは代えることができないということ。さらに言えば、だから人の命を道具や手段として使うことはあってはならない、そういうことだと私は理解しています。

 ですから、いくら民主化や人道などの正しい目的を掲げていても、人の命を手段として使う戦争は、日本国憲法のもとでは許されないはずです。だからこそ日本国憲法は、侵略戦争のみならず自衛のための戦争さえ許していない。侵略戦争だけを禁止しても、「自衛」の名のもとで大きな被害がもたらされることがあるからです。まさにそれは、徹底した人間尊重の考えなわけですね。

 同時にそこには、軍隊と市民社会は相容れないものだという考え方があると思います。沖縄戦の例を挙げるまでもなく、そもそも軍隊というのは、国を守るものであって国民の命や財産を守るものではない。ときには光州事件のように市民に向けて発砲することもある。これは世界の軍事の常識です。そもそも、個ではなく組織を重視し、「人を殺す」ことを最大の目的としている軍隊と、組織よりも個を尊重し、人の命を守ることに根本的な価値を置いている市民社会とでは、根本的に価値観が違う。共存できないものだとも言えるんですね。

 もちろん、最初に軍隊がつくられたときは、市民社会を守ろうという目的もあったのかもしれません。しかし、特に日本では軍部の暴走もあって全体主義に走ってしまい、その目的が実現されることは結局なかった。そこで、市民社会とは両立し得ない「軍
隊」という組織を持つことそのものをやめようという考えをとったわけです。

◆徴兵制のある国・韓国
 一方、韓国には軍隊があり、徴兵制があります。現地で知り合った人たちの話を聞く範囲では、徴兵制はある程度必要なんじゃないかという人が多い。というか、反対する声をおおっぴらにあげること自体が難しいんだろうなと感じました。

 やはり、古くから日本を含むさまざまな国に侵略されてきた国だけに、強い軍隊によって自分たちを守れるという考え方を持っている人が多いのではないでしょうか。さらには、朝鮮戦争で家族を殺された体験を持っている人、その体験を両親や祖父母から聞いたという人もたくさんいるわけで、「分断国家」という位置づけから来るさまざまな理由もあるのかなと思います。

 徴兵拒否は、兵役法によって刑事罰の対象になります。ときどき、権力やお金を使って兵役逃れをしようとする有名人がいますが、かなり強いバッシングを受けるようです。今年のサッカーW杯の際には、ベスト16入りした代表チームの選手に対して「兵役免除を検討している」とサッカー協会が発表したところ、いきなりバッシングが始まりました。「徴兵制は必要だ、仕方ない」と言いつつも、うまくそれを逃れようとする人に対しては相当不平等感がある。その感情も、徴兵制を支えているというところがあるようです。

 今回のツアーで、病気で兵役免除になって、かわりに福祉施設で2年間働いているという男子学生と知り合いました。彼は「自分はもう、韓国人の友達と話をするのはつらい。外国人といるほうが楽だ」というんですね。軍隊へ行かないと、一人前の男として認めてもらえない。家族からも「何だ、おまえ」と責められるし、男友達といても、「軍隊ではどこで何をしてた」みたいな話に必ずなる。そのときに「いや、実は行ってなくて」と言うと対応が全然違ってきてしまう、それが辛い、というんですね。

 以前、金大中〜盧武鉉政権のときには、良心的兵役拒否制度の導入が検討されていたんですが、イ・ミョンバク政権になってひっくり返されてしまったそうです。憲法裁判所にも「徴兵制は違憲だ」として3度提訴がされましたが、その1件目については2004年に合憲判決が出ました。あと2件は審議中です。

◆「信頼関係」の後に目指すもの
 さて、こうした「軍隊があり徴兵制がある」のが当たり前である韓国。私が「軍隊のない世界というのはどうですか」と尋ねると、ほとんどの人が「考えられない。侵略に立ち向かうためにも、やはり強い力がないと」と言います。かつて民主化運動に立ち上がった人たちでもそうした反応でした。

 たしかに、私の心の底にもそういう思いがあります。例えば、光州事件を扱った映画には、抵抗もしない人たちを、兵士が警棒で殴り殺したり、銃で撃ちまくったりする場面が出てきます。そうした光景を見ていると、やはり、こっちに正義があるんだから、弱腰でなく抵抗して、相手をたたきのめせ、と思ってしまいます。

 でも、実はその兵士だって、徴兵された普通の学生だったりするわけです。それに、一時の憎しみで殺してしまえ、やっつけろというのは簡単ですが、それをやり続けていてはやっぱり人類は滅亡の方向へ行ってしまう。だからそこであえて「ぐっとこらえる」ことを期待したのが日本の憲法9条なんだと思うのです。

 もちろん、「ぐっとこらえる」のは大変なことです。やられたらやり返すほうが楽だし、気持ちもすっとする。しかも、その理念を韓国や中国にも広げていくとなると、それは相当遠い道のりです。しかし、それでもそこへ向けて進んでいこうという理想を持っているのが、私たちの憲法なのではないでしょうか。

 そのためには、やはり周囲の国々との信頼関係の構築です。過去の戦争責任についての事実を認め、謝罪をし、必要であれば個人賠償も含めてきちっと過去を清算する。日本だけではありません。韓国軍もベトナムで大変な虐殺をした。それを国として認めて、謝罪し、賠償し、教科書できちっと伝えなくてはいけない。中国も、国内における人権弾圧を含め事実ときちっと向き合い、すべて必要なら謝罪賠償もする。そのようにして、北東アジアにおける信頼関係を築いていかなければならないんだと思います。

 よく日本と比較されるドイツは、ナチスの協力者への訴追を徹底するとともに、10兆円を越える個人賠償もしました。過去の事実についての教育も徹底している。それによって周囲の国々からの信頼を得て、EUの中で重要な役割を果たすまでになりました。今、ドイツがフランスやポーランドと戦争をするかもなんて、多分誰も思わないでしょう。それだけの信頼関係があるんですね。

 ただ、同時に考えなくてはならないのは、信頼関係を築いた後の着地点です。ドイツはそこから、ほかの国と同じように軍事力を持って、軍事同盟を築いて、戦争に参加する「普通の国」になりました。NATO軍に参加し、コソボやアフガニスタンの空爆にも加わっています。

 しかし、私たちはそれと同じことを目指すべきなのか。信頼関係を築いて、軍隊を持ちました、朝鮮半島や中国とも軍事同盟を結びました、それで本当にいいのか。自衛軍を持って自分たちの国は自分たちで守る、たしかにそれは「当たり前」の国ですが、そうではない選択をしているのが憲法9条なのではないでしょうか。

 そうであれば、単純に「軍隊を持つ」かわりに、もっと知恵を働かせていかないといけないと思います。周囲の国々と信頼関係を築いて、軍事力を少しずつ小さくしていく。そして同時に、それと反比例する形で、外交力や政治力、文化力、そして何よりも国民の理念の力を蓄え、大きくしていかなくてはならない。私はそう思っています。

(文)伊藤真:1958年生、東京都出身、弁護士(法学館法律事務所)。東大法学部在学中に司法試験に合格し、受験指導を開始。LEC(東京リーガルマインド)の看板講師として活動後、資格試験予備校伊藤塾を設立し塾長に。「憲法を知ってしまった者の責任」として、日本国憲法の理念を一般人に解き明かすことをめざし、講演、各種執筆活動を行う。護憲派の論客。死刑制度に関しては反対の立場。

[生活保護]不正受給対策、警官OB採用の是非 

2012-11-03 | Weblog
東京新聞:「4市が警官OB8人採用 生活保護の不正受給対策」、

生活保護費が膨らんで不正受給が社会問題化する中、県内では対策として高崎、伊勢崎、前橋、富岡の四市が計八人の警察OBを嘱託採用している実態が、県と本紙の調べで分かった。各市が採用の効果を主張する一方で、有識者からは「法的に問題があり、(孤立死につながるような)本当に保護を必要とする市民に威圧感も与える」との指摘が出ている。

 警察OBの採用は関西を中心に増えており、県内では八月現在で高崎市が四人、伊勢崎市が二人、前橋、富岡両市が一人ずつを採用。四市とも本年度やここ一、二年に初採用するか、増員した。定年退職したベテラン刑事が多い。

 警察OBは各市とも市民が生活保護の受給相談をする際、ケースワーカーに同席。暴力団関係者などが強圧的に受給を求める場合、仲裁に入るのを期待している。

 高崎市は「警察OBは受給前の相談に対応し、単独でケースワーカーの仕事をすることはない。不正受給の調査に協力することもある」と話す。各市は相談の際、「警察OBが経歴を自ら受給希望者らに明かすことはない」としている。

 一方、弁護士や司法書士らで組織する「生活保護問題対策全国会議」(大阪市)によると、大阪弁護士会が二〇〇九年、警察OBが受給者に「虫けら」などと暴言を吐いたとして、人権救済の勧告をしたという。

 事務局長の小久保哲郎弁護士は「社会福祉法では、受給前の相談でケースワーカーが同席していても、(資格のない)警察OBが相談業務をするのは問題がある」と指摘。

 その上で「警察OBは経歴を言わなくても、長年刑事などとして染み付いた言動が表れるのではないか。本当に助けを必要とする市民は敏感に反応している。暴力団関係者に困ったら、個別に警察を呼べばいいではないか」と強調する。

 こうした意見に配慮し、横浜、川崎両市は警察OBを相談窓口などに常駐しないようにしたという。

 県内では一一年度、受給世帯は平成になって初めて一万世帯を突破。高崎市では、不適切な受給が前年度の約二倍に近い県内最多で過去最高の二百二十五件、計約一億円に達している。(東京新聞 2012/11/3)




マガジン9記事:「もし警察官OBが生活保護の窓口にいたとしたら」、

 次長課長の河本準一さんのケースをきっかけに激しいバッシングの対象になっている生活保護ではあるが、現場でこの春以降、議論の続いている問題がある。生活保護の窓口(福祉事務所)に警察官OBを配置する、というのがそれだ。

 行政側の狙いは「不正受給の防止」にあり、今回のバッシングと通底している。しかし、関係者の間では「生活保護を必要とする人の排除につながる」との批判も強い。河本さんが記者会見をした2日後、この問題をテーマにした集会が横浜市で開かれたので、現場の声を聞いてきた。

 ケースワーカーらでつくる全国公的扶助研究会の渡辺潤・事務局長によると、警察官OB配置の問題が顕在化したのは、3月1日に厚生労働省が都道府県・政令指定市の担当課長を集めて開いた会議だった。同省が「退職した警察官OB等を福祉事務所内に配置すること」を「積極的に検討し、不正受給者対策の徹底を図っていただきたい」と求めたのだ。

 必要な予算は、国から全額補助される。調べたところ、10年ほど前から警察官OBを配置している自治体があり、2010年度は全国74自治体で116人にのぼっていたそうだ。

 集会で取り上げられた横浜市の例では、「生活保護特別相談員」として4月に4人を採用している。応募資格は、警察官としての勤務経験がある45~64歳。平日の午前9時から午後4時まで勤務する嘱託職員で、年収は324万円である。

 業務の柱の1つは不正受給対策で、悪質な不正受給者を警察に告訴するのを手伝ったり、告訴基準の見直しや告訴マニュアル作りに助言をしたりする。2つ目は、暴力団関係者や窓口で暴れる人への対応を支援すること。そして、もう1つには「県警との組織的な連携体制の構築」が掲げられている。制度導入の目的自体が警察官の再就職先の確保なんて勘繰る向きもあるけれど、なかなか意味深長な表現ではある。

 同市の生活保護行政の現場は、今年度の当初予算が発表された段階で初めて説明を受けたという。当初は18区すべての窓口に配置し、生活保護の申請者の案内や受付にも当たる計画だったが、労働組合などの反対で中止になったそうだ。採用された4人も窓口にはおらず、必要な時に担当の事務所に出向く形になっている。しかし、同じ事務所の職員でも「どんな仕事をしているのかはおろか、名前さえ分からない」なんて発言もあった。

 厚労省は警察官OB配置の目的として、「不正受給に対する告訴等の手続きの円滑化」や「申請者等のうち暴力団員と疑われる者の早期発見」を挙げている。横浜市の業務内容も、基本的にはこれに沿った形だ。しかし、集会では弊害を訴える声が相次いでいた。

 たとえば、路上生活者は警察官に寝床を追い出されるなど、少なからずひどい目に遭わされた体験がある。警察官は「敵」であり、生活保護の窓口に配置されていると知れば、本当に必要な状況になっても行けなくなるという。その結果、孤独死や餓死の増加につながることが懸念されるそうだ。

 「ごく一部の不正受給を理由に、まじめに生活しているほとんどの受給者まで犯罪者として扱うようだ」との批判も聞かれた。関西の自治体では、警察官OBの職員が生活保護受給者に対して「虫けら」などの暴言を吐き、弁護士会から人権救済の勧告を受けたケースもあるという。

 そもそも、生活保護の不正受給が大幅に増えているわけではないと、渡辺さんは強調していた。2010年度の不正受給は、全国で2万5355件、128億7425万円。生活保護全体に占める割合は、件数で1.8%、金額で0.38%。3年前(件数で1.44%、金額で0.35%)から、それほど変動していない。「不正」の内容をみても、高校生の子どものアルバイト代の申告を忘れたというような、故意ではない事例が少なくないそうだ。

 もちろん、不正受給を許していいという理屈にはならないが、悪質な不正受給の数は決して多くはないので、「個別に警察署と十分な連携を取ることで対応できる」と指摘していた。

 ところで、生活保護について考える時、私たちは、受給の抑制とか不正受給の防止とか、制度適用の是非という「入口」からしか見ていない傾向が強いのではないか。以前に生活保護の現場を取材した時、関係者が「生活保護は一時的な助け合い」と強調していたのがとても印象に残っている。困窮している人にはある程度緩やかに支給を認め、ただし、少し時間が経った段階で審査を厳しくしていくとか、自立や就労に向けた強力な支援をするとか、生活保護からの「出口」を探る施策にもっと力を入れるべきだと思う。

 その意味で横浜市について言えば、10年ほど前から取り組んできて全国のモデルケースとされる就労支援を、さらに推し進めるべきではないか。

 同市は嘱託職員の「専門員」を採用し、履歴書作成、模擬面接、さらに折り込みチラシで仕事を探してきたり目の前で応募の電話をかけさせたりする、といったきめ細かい支援をしてきた。その結果、09年度には受給者1200人以上が仕事に就き、約5億円分の生活保護費の支給削減につながったという。受給者にとっても行政にとっても、良い結果だ。生活保護の「入口」を狭くするために警察官OBを雇うくらいなら、同じ費用を「出口」を案内する専門員の増員に充てた方がよほど効果的だろう。

 それから、警察官OBの窓口配置をきっかけに生活保護について考える過程で、強く感じ、反省したことがある。私たちは、生活保護を受けている人たちの生活をほとんど知らないまま、極端な例を取り上げる報道や机上の論理を基に、生活保護のあり方にあれこれ言っているのではないか、と。

 生活保護が、憲法25条の保障する当然の権利であることは言うまでもない。しかし、河本さんの件をきっかけに、民主党の厚生労働大臣が自民党と一緒になって支給額のカットを平然と示唆するなど、このままでは受給の抑制や支給条件の切り下げという形で制度の見直しが行われるであろうことが予想される。国全体で年間3兆7千億円が生活保護に投じられる財政の問題を、避けて通れないことも確かだ。

 弱者の生存権を侵すような形で制度の改定が行われようとしていることに対抗するために、また、「出口」に向けた対策を充実させていくためにも、当事者の様子が分からなければ実効のある提案はなし得ない。生活保護の受給者が実際にどんな生活をしているのか、自立に向けてどんな活動をしているのか、そして、生活保護から脱せないとすれば何が原因なのか。受給者本人は無理でも、周囲の関係者にはできる限り現場の情報をたくさん発信してほしい。

 集会で受給者の1人が「多くの人は、まさか自分が生活保護を受けるとは思っていないだろうが、どんな人にも起こり得る問題です」と語っていた。身につまされるものがあった。マスコミ報道に煽られるのではなく、冷静に事実をとらえたうえで、どうすることが当事者にとって、社会にとって良いのか、議論を重ねたい。

(文)どん・わんたろう、マガジン9記者。約20年間、現場一筋で幅広いジャンルを地道に取材し、「B級記者」を自認する。派手なスクープや社内の出世には縁がないが、どんな原稿にも、きっちり気持ちを込めるのを身上にしている。関心のあるテーマは、憲法を中心に、基地問題や地方自治、冤罪など。「犬になること」にあこがれ、ペンネームは仲良しだった犬の名にちなむ。