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[思った時が人生、遅いことはない] ジャズピアニストへの転身留学、大江千里 52歳

2012-11-15 | Weblog
第2章としてジャズをやっていこうと

「格好悪いふられ方」「十人十色」などのヒット曲で知られる大江千里が、海を渡り4年半の修行を経てジャズピアニストに転身。7月末にアルバム「Boys Mature Slow」で全米デビュー、日本でも9月6日の52歳の誕生日に日本盤を発売。一線で活躍したシンガー・ソングライターのキャリアに区切りを打ったのか。時事通信の独占インタビューで胸中を語った。

 ―なぜジャズピアニストに?
 10代の頃に何度か勉強しようとトライしたが途中でつまずいた。ジャズの謎を解く力がなかった。その分、作詞、作曲も好きでずっとやってきたところ、デビューする幸運に恵まれた。もともと目の前のことに全力投球するタイプ。その幸運が来てから26~27年やり続けていた。
 シンガー・ソングライターとしてマイペースでやれる時期を迎えたが、くすぶっていたジャズに対する好奇心、その謎を解いていないというの気持ちがずっとあった。50歳までやってそれから第2章として、ジャズをやっていこうとも思っていた。ある時、東京でショーウインドーに映る自分の姿を見た時、どうも目に覇気がない。何の文句もない、とても自分らしく音楽ができる状況になっているにもかかわらず、本当にやりたいことを後回しにしているのではないだろうかと思った。

 ―ジャズとの出会いは?
 ポップスの作詞、作曲を始めた14~15歳頃。ウィントン・ケリーのアルバムを古レコード屋で見つけてきたり、サラ・ボーンらスタンダードを歌っている歌手のレコードや、アントニオ・カルロス・ジョビンを聞き始めた。どうしたらこういう響きになるのか、その謎がなかなか解けなかった。参考書を買ってみたが、難しかった。


憧れのジャズピアノ科へ

 ―ニューヨーク行きを決断した理由は?
 ニューヨークに以前住んでいた時、いつかここで学べたらいいという憧れの学校があった。音楽大学のジャズピアノ科。日本で調べて、ブルース、3拍子、バラード、リズムチェンジのテーマの中から選んで録音し、TOEFLの得点を送ったところ、入学許可の返事が届いた。マネージャーや周囲に話した時、僕の決意をよく理解してくれた。そこで引き留められていたら、迷っていたかもしれないし、葛藤があったかもしれない。天の声を聞いて、周りの人に告白したら、絶対やった方がいいと、誰も止めなかった。道が割れて、そっちに行くタイミングが僕の人生にあった。それに自分が気付いて、素直に従った。

 ―学校生活は?
 当時はジャズをポップな曲に取り入れ、自分はセンスがあるんじゃないかと高をくくっていた。しかし、オリエンテーションの初日に全く弾けないことが分かった。ラッキーが重なって入り込めたと思うが、いざ学校に入ると、全くできていないことにがくぜんとした。そこからのスタートだった。集団生活は基本的に得意ではなかった。先生と一対一ならいいけど、自分のスピード、興味に従って授業が進んでいくわけではない。こんなことやりたくないと思うことがあった。自尊心がうちひしがれ、心も折れた。合ってないんじゃないかと混乱した時期もあった。落第はしていないが、同期生は45人くらいのうち45番目だったと思っている。少しずつカメのように進み、やっとのことで卒業できたと自分では思っている。

 今は本当に来て良かったと思う。あのタイミングじゃないと、今ならもっと逡巡(しゅんじゅん)してしまうだろう。現在は51歳だけれども、この4年半くらいで体力面や精神面も年齢的に変化している。真剣に練習したことで、肩を壊し、手足がしびれ、弾けなくなり、苦い経験をした。20歳のクラスメートのように日々うまくなっていく速度は、自分にはないと自覚できた。


大江ジャズという形を模索

 ―卒業してどう思いますか?
 高い高い山のふもとで、この山は思ったよりも高いことに気が付いた。ただ、自分がやってきたポップスを消さなくてもいい。それはフォルテ(強み)であって、自分が作る大江千里の音楽に役立てない手はない。きっと僕が作ろうとしているファーストアルバムは、4年半の間に学んだことをベースに作っているが、僕が一番得意としたものをジャズとミックスさせ、大江千里ジャズという形の模索の中から生まれたものだ。

 ―得意とするものとは?
 僕はシンガーソングライターで、詞と曲を一緒に作る。言葉がメロディーに乗っている。心が震えた時にそれがメロディーになる。つまり、メロディーが心を表す言葉を持っている。これが僕の強い部分だと思う。技術的にこういう理論で、ここでこうだから、こういうメロディーが来るということにプラスして、音楽として一番大事にしてきた部分、それは音楽の中にある心の部分。一番響いている音を言葉として発する。インストルメンタルの中にはそういう言葉があると思う。声は最大の楽器だとは思う。それをインストにできれば。実際に先達のビル・エバンスとかレッド・ガーランドとか、オスカー・ピーターソンとか、それを成し得ている巨匠がたくさんいる。


ジャズ初心者にも楽しんでもらいたい

 ―アルバムのセールスポイントは?
 これまでのポップスのアルバム作りでは、切り口はいくつかある。一つの側面だけでなくバラエティーに富んでいる。今回は、ヒッチコックの映画の音楽をやっていたバーナード・ハーマンが好きで、その影響を受けた旋律をあえてラテンのリズムに乗せた曲を入れた。10代の頃に影響を受けていたアントニオのインスピレーションを受けた曲やラテンボサノバのもある。5拍子とか8分の6拍子が入れ代わり立ち代わり、くるくる変わる万華鏡のような曲もある。音楽が好きな人が入ってきやすい。願わくば、ジャズが好きな人も、あまり聞いたことがない初心者にも楽しんでもらいたい。

 ポップスの大江千里のファンには、ジャズ過ぎて結構モーダルな曲もある。どうだろうかと思っていたが、人に聴いてもらうと、すごくポップに聴こえると言われたりする。自覚しているのと誤差があり、きっと僕自身の持ち味なんだろう。自分が一番美しい。これが僕の美学なんだと、売れようが売れまいが関係ない。無心で作ってみた。いろんな人がいろんなリアクションをしてくれる。「インパクトとキャッチ・アンド・リリース、ギュッとつかんで放す」という飽きさせない作りにした。


日本人の謙虚さや配慮、それがフォルテ

 ―アルバムに込めた気持ちは?
 普段の生活の中で喜怒哀楽、何かが増幅して自分がアンバランスになった時、自分がばらばらになった時、音楽によって助けられることがある。自分も助けられ、音楽の力は無限に感じる。音楽が好きだという気持ちで無心で作った。

 ―米国で変わった部分は?
 日本と米国の良いところと悪いところの両方見えてきた。両方の良いところを知ることができたのはラッキーだ。日本人である僕がジャズの言語、発音などをマスターし、その言語を通じて日本人としての美しさをアメリカ人に伝えていければいい。
 日本人の謙虚さや配慮、人の気持ちを考える。食文化にもあるように微妙な味付け、引き出しの多さ。それが僕らのフォルテだと思う。一方、ジャズはアメリカ人の音楽。僕らがたどり着けない細かい部分の引き出し、すごい文化がある。謎を解くのは一生掛かる。4年半かかってこんなに高い山だと分かったくらいだ。それと同時に、自分が持っている日本という文化で培っていた、良いものは捨てる必要は全くない。

 ―レコーディングは?
 米国で何回かレコーディングをやっていた。それはマネージャーやコーディネーターがやり、アルバムを完成させ、日本に持って帰った。今回は自分でネットを調べて、友達の友達にギャラ交渉、スタジオの値段を聞き、候補を絞り込んで、関わる人やスタッフを固めていく。初めての経験だったが、最終的に一緒にできたミュージシャンやエンジニア、プロデューサー、みんな良かった。慎重にやりつつ、早めに曲を上げてアレンジし、コンピューターの中で音を作って仕上げた。


自分の美学の追究に人生使い切る

 ―来年はデビュー30年ですね?
 誕生日を祝ってもらうのが恥ずかしい。いつもと同じように謙虚にいたいのが本当の願い。だから、デビュー30年で祭り上げられて、みこしに上げられるのが恥ずかしい。今の時点では30周年で全国を回るなど一切考えていない。それだったら、良いものを作り、こつこつと売っていく、伝えていく。それが何よりも自分の30周年になる。イベント的なことよりも、クオリティーで勝負。ポップスの大江千里が好きな人を説き伏せていくのは至難の業。だけど、「なかなか今いい感じだよね」というところに向かって矢印を持っていけるように日々頑張る。体を大切に生きていることと、しゃにむに時間に費やすことが僕の30周年だと思う。それを見過ごさず、丁寧にこぼさずに地道にやっていきたい。

 ―音楽の謎はどうなりましたか?
 ドアを開くと10のドアがあり、その先にはさらに100のドアがある。日々謙虚にならざるを得ない。片や、ほんの少しずつ心地の良い部分もあり、それがある限りはやめてはいけない。いったん開いたドアを戻ってはいけない。いつも足りないパズルが「合わない合わない」、それがモチベーションでしょうね。

 ポップスや大掛かりなツアーやっている時、「今回のツアーで血尿出るまで走りますから。最高のツアーをやりますから」と言っていた。今はちょっと飲み過ぎると血尿が出る。本当に元気で、高い跳び箱は飛べないことは分かった。低くてもきれいに跳んで、自分なりの着地ができれば、そういう音楽もある。限られた時間の中で自分ができることを組み合わせて「美しい一つの玉を作らないと」。そう考えると、本当に腕を大事に、時間を大事に、具体的な謎を一個一個解き、トレーニングをして、身に付けて、そこから広がる具体的な次の課題を少しずつ増やしていくことになる。それと同時に、気持ちをオープンにして、ジャズに向かっているものの、どんな音楽も、映画音楽のような音楽も書くし、ポップスだって書く。すべてが、ある意味でジャズであり、ある意味でポップス。自分の好きな美学を追究するために残りの人生を使い切りたい。

(JIJIインタビュー:2012年7月、ジャズバー「Tomi Jazz」in NY)
http://www.jiji.com/jc/v4?id=senri12070001

ref:

大江千里、52歳。関西学院大学経済学部卒業。1960年に東京都板橋区成増生まれの大阪府藤井寺市育ち。3歳からクラシックピアノを習い、中学生のころには作詞・作曲も始める。1983年にシンガーソングライターとしてデビュー。2007年末までに45枚のシングルと18枚のオリジナルアルバムを発表。「十人十色」「あいたい」「格好悪いふられ方」「ありがとう」など。作詞・作曲・編曲家としても、松田聖子・光GENJI・渡辺美里、優木まおみらのアーティストに数多くの楽曲を提供又はプロデュース。2008年以降、音楽活動を休業しジャズの勉強に渡米しニューヨークにある音楽大学に入学し、20代の学生に混じって4年半の留学生活。




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