『硫黄島からの手紙』を観た印象が強く心に残り、ふと母親にその話をした。
TVでもこの硫黄島に関わるエピソードをドラマ化した番組があり、
たまたま母はそれを観ていた。
母は昭和17に生まれ。
もちろん知っていたがそれが戦時中だった事にはあまり結びついていなかった。
会話は自然当時のことにつながっていった。
私には全く無縁だった戦争が、母には現実の思い出として残っていた。
母の父(私の祖父)が戦地の沖縄から送られた絵はがきの事を覚えていた。
と言ってもその年で葉書が読める訳ではなく、
いくらか大きくなってからその葉書を見たのだと言う。
裏には何か沖縄人形のような絵がある葉書の表下半分に
びっしり文章が書かれていたらしい。
それは青いインクで書かれていたそう。
映画の中でも手紙の「検閲」があったけれど、
同じようにその葉書に書かれていた日付は墨で消されていたと言う。
映画やドラマでは、出征地もわからないよう消されていたと言うので、
沖縄からと言う事がわかっているのは奇跡かも。
わずか3歳足らずで父親は戦争に行ってしまったため、
ほとんど父親の顔を知らない。
そのせいで当時兵隊さんの姿を見ると、だれでも父親だと思い
「お父さん」と言って駆け寄ったらしい。
そして悲しいかな、沖縄で戦死。
母はわずか3歳だった。
母の父(私の祖父)の弟は満州に出征しており、無事帰国する事が出来た。
みんなで迎えに行き、母は真っ先に叔父であるその人に
「お父さ~ん!」と言って駆け寄ったらしい。
しかし、叔父にとっては初めて見る姪に戸惑い、
「お父さんじゃない」と言って冷たくあしらってしまったらしい。
実はその後、この叔父さんが母の母(私の祖母)と再婚した。
初めてそれを聞いた時は驚いたけれど、あの当時はいくらでもあった事だと言う。
今の時代には考えられないけれど・・・
母にとってはあの叔父さんが父親になった訳だ。
母には妹(私の叔母)がいる。
この叔母は父親の戦死後生まれたので、実の父親の顔を見たことが無い。
その代わり、叔父が帰国してから生まれたので、
初めから叔父の事を実の父と思う事が出来たらしい。
ところが私の母は、幼いながらにも一度「お父さんじゃない」
と拒絶されてしまったトラウマが残り、
いつまでたっても「お父さん」と呼べなかった。
周りからは、どうして「お父さん」と呼ばないのか随分叱られたらしい。
たった一度のしかもわずか3歳の時の出来事が頭から離れなかったと言う。
ようやくそう呼べるようになったのは、
高校生になろうかと言う頃だったらしい。
私は初めて、母の幼い頃の寂しさを知った。
妹は何の疑いも無くすんなりと父子の関係が作れ、
そしてその後に弟も生まれた中、母の孤独感は大きかったんだろうと思う。
私の母にそんな過去があったとは・・・
私もショックだった。
映画やTVで取り上げられると、とても特別な事のように思えるが
実は同じように悲しい想いをした人達が、こんな身近にいた。
悲しくて思い出したくない事かもしれないが、
こう言った体験を後世に伝えていく事が
二度と戦争を起こさない道につながるのかも。
私もまさか母親とこんな話をするとは思わなかったけれど、
聞かせてもらってよかったと思う。
日常に戻ればすぐに元に戻ってしまうだろうけれど、
ほんの少しだけ母に優しくなろうと思った。
そして来年のお正月のお墓参りには真剣にお参りしたいと思う。