先週、無事五七日の法要を終え一段落しました。
みなさん、色々気にかけて下さって
ありがとうございました
少し落ち着いたところで
父の事を忘れないように残しておこうと思います。
がんの告知を受けたのが2月14日。
その時既にステージ4と知らされ
今は手術は出来ないがまずは抗がん剤治療をして
うまく行けばその後手術が出来れば良くなる可能性がある。
そう聞いて、まだ治療の可能性はあると期待を持っていたので
まさかこんなに早く逝ってしまうとは思いもしませんでした。
2クール抗がん剤治療をしたけれど
残念ながら効果無し。
逆に大きくなっているがんの為
胃そのものが機能出来なくなっていたようで
緊急入院となりました。
それからは胃の中の物が消化するまで絶食絶飲
24時間点滴の日々。
がん治療は一先ずストップし
まずは治療が出来る状態を作る事に専念。
結局最期までその状態となってしました。
人間の体というのはいくら点滴で栄養を与えても
だめなんですね。
食べ物から栄養を採らない事が
いかに人間にとって不自然な事であり
体に負担を与えるのかがよくわかりました。
結局食べられない事でみるみる体力が落ち
私達の予想を超えて状態が進んで行ったのです。
私は父のことがずっと嫌いでした。
仕事人間で外面だけ良く
家族を大切にしない身勝手な人。
そんな風に思い込んでいったのです。
死を目前にし始めて父を見て
初めて自分が間違っていた事に気付きました。
人が死に直面した時に
その人の本当の姿が見えるものですね。
もっと早くに気付いていれば思ってもとき既に遅し。
けれど、遅くてもそれに気付けただけ幸せです。
父は本当に立派でした。
一番苦しいのは自分なのに
最期まで回りに気を遣い我慢をし
様々な苦しみを耐えていました。
先生はや看護士さんは
「我慢はかえって体によくないから
我慢せずに言って下さい」
そう言われても先生達の前ではずっと我慢し続けました。
お見舞いに来て下さった方達には
「わしもがんばるで、あんたもがんばってよ~」
と逆に励ましていました。
私達が痛む背中やお腹をさすってあげる時も
すぐに疲れたろうから休めと。
私達の事など心配しなくてもいいのに・・・
そして何度も何度も「ありがとう」と言ってくれました。
仕事人間らしく最期の最期まで仕事の事を想い
幻覚まで出るようになっていました。
そして遺言となったのが
父が作ったお菓子をお葬式の会葬御礼に出して欲しい
そう伯父に頼んでいたと後から知らされました。
そんな遺言がなくてもそうしようと思っていたのですが。
父が生きた証です。
その一方で私と母の事を伯父に頼んでいたそうです。
父の中には仕事だけでなく
しっかり私達家族の事もあったのだと
初めて父の大きな愛に気付いた瞬間でした。
ばかですね・・・
気付くのが本当に遅かった。
告知を受けてほぼ3ヶ月。
早過ぎる死でしたが
私達家族に面倒をかけないように逝ってしまったのだと思うと
いかにも父らしい気遣いだと母と話しています。
悔やまれる事は多々ありますが
私の中で尊敬出来
好きになれたのが何より嬉しいのです。
不器用だけど誠実に生きた父を心から尊敬します。
頑固で生真面目すぎる所や
外面が良くて内面が悪いところなど
嫌な所がそっくりになってしまったけれど
あなたの娘で良かったです。
ありがとう
みなさん、色々気にかけて下さって
ありがとうございました
少し落ち着いたところで
父の事を忘れないように残しておこうと思います。
がんの告知を受けたのが2月14日。
その時既にステージ4と知らされ
今は手術は出来ないがまずは抗がん剤治療をして
うまく行けばその後手術が出来れば良くなる可能性がある。
そう聞いて、まだ治療の可能性はあると期待を持っていたので
まさかこんなに早く逝ってしまうとは思いもしませんでした。
2クール抗がん剤治療をしたけれど
残念ながら効果無し。
逆に大きくなっているがんの為
胃そのものが機能出来なくなっていたようで
緊急入院となりました。
それからは胃の中の物が消化するまで絶食絶飲
24時間点滴の日々。
がん治療は一先ずストップし
まずは治療が出来る状態を作る事に専念。
結局最期までその状態となってしました。
人間の体というのはいくら点滴で栄養を与えても
だめなんですね。
食べ物から栄養を採らない事が
いかに人間にとって不自然な事であり
体に負担を与えるのかがよくわかりました。
結局食べられない事でみるみる体力が落ち
私達の予想を超えて状態が進んで行ったのです。
私は父のことがずっと嫌いでした。
仕事人間で外面だけ良く
家族を大切にしない身勝手な人。
そんな風に思い込んでいったのです。
死を目前にし始めて父を見て
初めて自分が間違っていた事に気付きました。
人が死に直面した時に
その人の本当の姿が見えるものですね。
もっと早くに気付いていれば思ってもとき既に遅し。
けれど、遅くてもそれに気付けただけ幸せです。
父は本当に立派でした。
一番苦しいのは自分なのに
最期まで回りに気を遣い我慢をし
様々な苦しみを耐えていました。
先生はや看護士さんは
「我慢はかえって体によくないから
我慢せずに言って下さい」
そう言われても先生達の前ではずっと我慢し続けました。
お見舞いに来て下さった方達には
「わしもがんばるで、あんたもがんばってよ~」
と逆に励ましていました。
私達が痛む背中やお腹をさすってあげる時も
すぐに疲れたろうから休めと。
私達の事など心配しなくてもいいのに・・・
そして何度も何度も「ありがとう」と言ってくれました。
仕事人間らしく最期の最期まで仕事の事を想い
幻覚まで出るようになっていました。
そして遺言となったのが
父が作ったお菓子をお葬式の会葬御礼に出して欲しい
そう伯父に頼んでいたと後から知らされました。
そんな遺言がなくてもそうしようと思っていたのですが。
父が生きた証です。
その一方で私と母の事を伯父に頼んでいたそうです。
父の中には仕事だけでなく
しっかり私達家族の事もあったのだと
初めて父の大きな愛に気付いた瞬間でした。
ばかですね・・・
気付くのが本当に遅かった。
告知を受けてほぼ3ヶ月。
早過ぎる死でしたが
私達家族に面倒をかけないように逝ってしまったのだと思うと
いかにも父らしい気遣いだと母と話しています。
悔やまれる事は多々ありますが
私の中で尊敬出来
好きになれたのが何より嬉しいのです。
不器用だけど誠実に生きた父を心から尊敬します。
頑固で生真面目すぎる所や
外面が良くて内面が悪いところなど
嫌な所がそっくりになってしまったけれど
あなたの娘で良かったです。
ありがとう