年下研究

『けいおん!!』トンデモコジツケ連鎖中!涼宮ハルヒの憂鬱の謎解きコジツケの履歴保管庫。

小説の中の話でなければ世界の危機ですね!?…『OZ』ネタの元ネタは平田篤胤『久延毘古祭式』?

2011-10-10 03:43:11 | 涼宮ハルヒ
前に、

『ハルヒ』世界の『閉鎖空間』という設定、

『憂鬱』『消失』『雪山症候群』『ハルヒ劇場』

という『脱出』『帰還』ネタの反復から、


『SOS団』は、気付かぬ内に『本来の居場所』から退けられていて、今後は、


『元の居場所に帰還する』


という展開になるのかも?という今後の展開予想から、

『ハルヒ』と『OZの魔法使い』の当て嵌めネタのコジツケをして、



『エメラルドシティ』=『喜緑江美里』の支配する西宮?

『ハルヒ』=『ドロシー』

『キョン』-『トト』

『古泉』=『臆病なライオン』

『長門』=『頭の悪い案山子』?『心の無いブリキの樵』?

『みくる』=『心の無いブリキの樵』?『頭の悪い案山子』?


などと当て嵌めて、


『消失』以降の事件、『分裂』『驚愕』の『黒幕』は『喜緑さん』?


などと勝手な妄想をしておりましたが…
(案山子と樵はどちらにも当てはまるので、好い加減な当て嵌めでしたが)




古事記に登場する『久延毘古』=『山田の案山子』について、

学研『ムー』で、加柴信英さんが書いておられた記事に、


『平田篤胤』が『久延毘古』を重視していた


ということが書かれていたので、

『OZ』ネタと、『平田篤胤』ネタが、『案山子』でコジツケ可能になりました。


『ムー』の記事ですから、



『久延毘古祭式』=『現世』と『幽冥界』を結合して『幽冥界の神=大国主』のパワーを現世に噴出させる秘儀

『久延毘古祭式』で、『幽冥界』と『現世』の交流する『超古代文明』が復活する

『超古代文明』の復活で、『日本を中心とする超世界文明』が成立する



とかいうトンデモネタなんですが、面白けりゃ良いので、この解釈を採用しております。

しかし、1980年代は、日本がアメリカを追い越すとか言われていて、トンデモネタも元気が良いですね。




蛇足1。

清風道人先生の紹介している平田篤胤の『久延毘古』の儀式は、



本に書いてない知識を得るために、久延毘古を呼んで、聞きたいことを聞く



というもので、



霊界『WebQ&A』に質問して、カリスマ回答者『久延毘古』に答えを教えてもらう



という、最近問題化した『京大受験生カンニング』方法のオカルト分野での江戸時代版だと思われます。
(勝手な決めつけすみません…)


清風先生の解釈によれば、平田篤胤の久延毘古の呼び方は、祭壇に据えた『幣』に憑依させるという方法だったそうで、

加柴さんの記事だと、篤胤は



『自分自身を久延毘古にする』



と言っていたそうで、自分自身を神の憑依する『物実(モノザネ)』とする儀式だったような書き方ですね。

『チャネラー』ですか?



蛇足2。

ナンシー・ストーカーは、『出口王仁三郎』(原書房2009)で、幕末の国学が、

1872年の『神祇省』廃止、

1875年の『大教院』廃止

による『祭政一致の理想』『神道国教化』の失敗といった流れを通じて沈滞化したというのは一面的見方で、

『大本教』のような神道系新宗教にその伝統は生きていた、と書いております。


前に紹介した戦前の『矢野祐太郎』(1881~1938)の『大宇宙史』や、

『荒深道斉』(1871~1949)の『神代』の研究(「忍日伝天孫記」)が、

チャネリングで古代史を知るという方法論だったということは書きましたが、

矢野は大本教に入信していましたし、

荒深は大本教を脱退した友清歓真から鎮魂帰神法を学んだようです。
(本田親徳の弟子、長沢雄楯の弟子、若林耕七から学んだという説もあり)

平田篤胤の『久延毘古』を呼んで、情報を得る、という方法に通じますね。



松岡正剛先生が、『千夜千冊・遊蕩編1047夜』(2006)で、津城寛文の紹介をしつつ『鎮魂帰神法』の伝統を、


本田・大本系:出口王仁三郎(大本教の理論的指導者)岡田茂吉(世界救世教開祖)谷口雅春(生長の家開祖)

独立系:川面凡児、宮地水位(宮地神仙道開祖)宮地巖夫


に分けていますが、



星野輝興(宮地巖夫の弟子)によれば、このうち、宮地巖夫は、


『平田篤胤の最終目的は古史伝』


という平田鉄胤を批判して、


『平田篤胤の最終目的は久延毘古の伝』


と主張していたそうです。『ムー』の加柴さんは、この系統の説ということになるでしょうか。



松岡先生によれば、川面の『禊行』は『大政翼賛会』(1940~1945)が国民的儀式として採用したため、

日本中の神社神道に影響を与えたそうで、

大本教が弾圧されたのと対照的ですね。


松岡先生、現在の神社の儀式にも、川面の儀式は残っていると指摘しておりまして、

たった5年『大政翼賛会』が後援したっていうのがいまだに大きいんですかね。


竹田恒泰先生の論証によれば、現在の日本にまで縄文文化はしっかり残っているそうですから、

たった5年の『統制主義』の権威付けで、『縄文時代から神道はこうでした』って顔をするようになるってのは『縄文文化』なのかも?



蛇足3。

山本ひろ子先生の『異神』上(ちくま学芸文庫2003)第1章『新羅明神』で、

858年、唐から戻る円珍と共に九州に上陸して、比叡山に到来してから、1052年まで、新羅明神を祭る儀式が判らないので、

儀式が出来ないでいたのが、

宋の商人に教わってようやく儀式が出来た、という記述があり、


ナンシー・ストーカーによれば、

明治維新以後、1876年の世襲社家の廃止で伝統儀礼が途絶え、素人が神主に成りすましていた神社が、

生活の苦難と闘うために具体的な神道儀式を実践したい人々のニーズに対応できず、

大本教の儀式教授が需給ギャップを埋める効果があった、

ということだそうですが、


『儀式』がやりたいけど、やり方がわからない、という需給ギャップは平安以降、変わらずに起きている問題のようで、

川面凡児の『禊』が、明治以降の近代の矛盾に直面した大衆の『儀式のニーズ』に応えるものであったのは確かだと思います。
(北海道の西野神社の田頭宮司によれば、戦前は、祝詞が読めるくらいで誰でも神主になれていたそうです)


松岡先生の文は、


『シャーマニズムが今日の日本の神社のそこかしこでも近代的に継続されているというふうには、ふつう思わない』

『そうした見方をいっさいしないようにしたとたん、むしろ日本は奇怪なオカルティズムに犯されることになるのである』

『じっくり考えなおすべきことだろう』


という感じで締められておりますが、『近代的に継続』というのがここでは、


『川面凡児の禊が大政翼賛会のパワーで全国の神社に』


という事態を指しているのだろうと思います。


そうはいっても、

祈りは祈りたい人にとって切実な問題ですから、大政翼賛会のもたらした儀式であってもかけがえの無いものなのだと思います。



蛇足4。

秋元康先生、『けいおん』の山田尚子監督、『カオスラウンジ』の黒瀬陽平先生に縁が有る『京都造形芸術大学』の

鎌田東ニ先生が、平田篤胤のチャネリングについて書いておられて、



吉田神道の『神=宇宙存在』という『存在論』



に対して、



平田篤胤の『神=自分』という『認識論』



という進歩を見ておられるようですが、これ、



古代ギリシャとかの『存在論』から、近代の『認識論』へ、



という西洋哲学史の当て嵌めかも。


ただ、鎌田先生の引用した道元『正法眼蔵』によれば、神道側は、



『わが身うちにひとつの霊知あり、かの知、すなはち縁にあふところによく(略)是非をわきまう』



と主張していたそうで、

鎌田先生によれば、この『霊知』が『神』だというのが吉田神道の立場らしい。


…これって、


『自分=神』


って立場とほとんど変わらないと思うのですが。

まあ、

BC400~BC100の上座部仏典に、既に、仏陀が、『自分の中で二つのアイディアを戦わせること』を、



仏陀 VS 神・悪魔



として象徴表現しております。

井上堅二先生の『バカとテストと召喚獣』(ファミ通文庫)の


『天使VS悪魔』


の元ネタは2000年以上の伝統があるのですね。
(縄文文化には到底敵いませんけど)


平安末~鎌倉時代の吉田神道の


『わが身うちにひとつの霊知』


の元ネタは1300~1600年前の仏典?



そこまで遡らなくても、

『天台宗』の『本覚思想』ですか、13世紀に


『凡夫本仏論』


とか言って、


『私=仏』


みたいな発想は有った訳ですから、神仏習合に影響されてる吉田神道が、



『私=神』



と発想するのは時代の趨勢ですよね。

『正法眼蔵』の成立が1231年~1253年ですので、まさに13世紀。

平田篤胤(1776~1843)の500年前に、すでに、


『私=神』


という発想は登場しております。

平田篤胤は、吉田神道を『俗神道』と批判したそうですが、悲しいかな、

神仏習合を血肉にした日本の伝統を共有する、同じような典型的日本人の神観です。
(竹田先生の説で行けば、縄文文化かも??)


漫画やアニメに、『大本教』や『天理教』の教義に似たところがあると、


『そういう宗教ネタが好きなスタッフが製作者におられるんじゃないか?』


と短絡的に議論を飛躍させるトンデモ好きから見ると、

鎌田先生が、



『吉田神道=存在論的神』→『平田神道=認識論的神』



という推移を看取してしまうのは、西洋思想史の『存在論→認識論』図式を素朴に信じすぎだからじゃないかな…

とか、好い加減なことを考えてしまいます。すみません。



本題、

『幽冥界と現世の結合』『幽冥界の神のエネルギーを現世に噴出させる』

ということから、谷川流先生の『絶望系閉じられた世界』(電撃文庫2005)の、



この世を『地獄』にすることで、『死』はなくなり、全人類が平等に『絶望』した、『永遠の平等社会』が到来する



という展開を思い出しました。

谷川先生、加柴さんの記事を読んでおられたかもしれませんね。
(宇河弘樹先生の『朝霧の巫女』も、加柴さんの記事から着想?)


大槻ケンヂ『新興宗教オモイデ教』にもインスパイアされてるかもしれませんが…



挿絵担当の『Gむにょ』先生がデザインなさった、


『死神・熊野イズモ』


が大好きなので、登場させられて良かったです。喋り方も好みです。
(谷川先生、本当に幼女好きですね…)



出雲大社社誌で、『鬼門がなくなる出雲屋敷』という宣伝を目にして、


赤沢文治(金光大神)の『金光教』、

出口なおの『大本教』


の、『艮の金神』は善神であるという教義との影響関係を想像しました。


蛇足5。

染屋カイコ先生『かみあり』(一迅社)の、『悪魔がいいヤツ』というのもこういう教義の影響かもしれませんね。


松岡先生の、


『シャーマニズムが今日の日本の神社のそこかしこでも近代的に継続されているというふうには、ふつう思わない』

『そうした見方をいっさいしないようにしたとたん、むしろ日本は奇怪なオカルティズムに犯されることになるのである』

『じっくり考えなおすべきことだろう』


という主張は、

桜庭一樹先生『GOSICK』(アニメ制作ボンズ)の、アルベール・ド・ブロワ伯爵の陰謀や、

『モンストルシャルマン』云々を想起させ、桜庭先生や、岡田磨里先生、松岡先生と同意見なのかなあ?とか思いますが、



染屋先生の描く『神になれなれしい・悪魔も恐れない=日本人は宗教的に寛容で良い』というのは、

『そうした見方をいっさいしないようにしたとたん』に相当すると、松岡先生なら思いそうですし、
(桜庭先生や岡田先生なら、モンストルシャルマンの復活に対応すると思うかも?)



『自動車を運転するときにふざけていれば、自動車事故で人を殺す危険を回避できる』



と言ってるに等しいような気もしますが、

まあ、三島由紀夫先生の『フィクションは自由にするべき』という意見に私は賛成ですので、アリだと思います。

編集さん等関係者に宗教オタクがいらっしゃるんじゃないか?なんて妄想できる作品なんて、トンデモ好きにはたまらん宝です。



本題、

ここでは、『絶望系』をコジツケしたので、



『鬼門が無くなる=家自体が鬼門になる』?

『家レベルでの久延毘古祭式』?


と、トンデモ解釈しました。すみません。


『出雲屋敷』の元ネタも平田篤胤の『久延毘古祭式』(加柴さんの解釈するような)なのかもしれませんが。


谷川先生の作品は、



読者が読み取ってるのは表層だけ、裏では全然違う事が起きてるかもしれない、



という不安が付き纏うので、ハルヒが将来的に大団円したとしても、



『本当は、この世が地獄になってました』



という裏がありそうな気がしております。
(なんだか、竜騎士07先生の世界観みたいですね)


大本教の『鋳型の思考』=神のコスプレして芝居すると神を動かせ、未来を思い通りに出来る?


という思考を、古泉が実践してるんじゃないか?というネタは書きましたが、

谷川先生が、『この世を地獄に』という作品を、『鋳型の思考』で書いておられた場合、

結構、今後の我々の人生はスリリングな展開ですよね。


蛇足6。

文化庁の、国際共同製作映画支援事業の第一回目に、

『Blood-C』(Production.I.G)

『グスコーブドリの伝記』(手塚プロダクション)

が選ばれましたが、『グスコーブドリの伝記』は、『グループ・タック』が製作するはずだったそうで…


『Production.I.G』って、『京都アニメーション』が支援して成立したんでですね。

平田篤胤の『勝五郎少年転生』研究の舞台になった『程久保』がなぜか舞台になってる『もしドラ』の製作に参加してますね。


もしドラ原作者『岩崎夏海』先生は、AKB48立ち上げに関与した方だそうですが、秋元康先生は、『けいおん』の山田尚子監督の

母校、京都造形芸術大学の副学長。



『あたしンち』の母のキグルミと、『クレヨンしんちゃん』のキグルミが、静岡で共演、という企画があったそうですが、


『クレヨンしんちゃん』は、『Production.I.G』が制作に参加

『あたしンち』製作には、『グループタック』『アニメーションDo』が参加


『Production.I.G』は、京アニが設立に協力、『アニメーションDo』は京アニの系列企業で、ハルヒの池田晶子監督も幹部に就任。


『グループタック』って、大川隆法総裁の、『太陽の法』『黄金の法』『仏陀再誕』作ってましたね…

で、『グスコーブドリの伝記』作れてたら、京都アニメーションと縁のある会社が2本ともやってたことに…。

てゆーか、京アニって、『虫プロ』の下請けから身を起こした筈だから、今回『手塚プロ』がやってるてことは、結局、

京アニに縁がある企業が、文化庁から税金を引っ張れたって事になりますね。



『静岡』といえば、京都造形芸術大学OBという黒瀬陽平(カオスラウンジの理論的指導者)の支援者、

東浩紀先生が3月の地震のときに避難した土地。


『静岡』には、伊豆の国市立花に、『ワールドメイト』の本部があるそうですが、『タチバナ』といえば、

『あたしンち』の母は『立花』。

『ワールドメイト』の出版社は『たちばな出版』。


タチバナといえば、

夏コミで起きた『偽札』事件で、2日目に『5000』、3日目に『10000』『5000』が発覚したという噂がありますが、

『5000、15000』の頭文字をとると『5、15』、

1932年の『515事件』に参加した民間人に『橘孝三郎』という方がおられますね。


この方の同志に、1961年に『三無事件』というクーデター未遂事件を起こした『三無塾長・川下佳節』『池口恵観』という方が居られますが、

川下先生は千葉県市川市の元市会議員、(市川市って、平野綾さんに縁が有る周防さんのお父上の出身校がある街)

池口先生、弟子が『角川春樹』『劇画村塾塾長・小池一夫』、NASAはUFO情報を隠してる説の『コンノケンイチ』、

という話なんですが…本当なんでしょうか??