◎2011年9月24日(土)
<西ノ湖入口バス停(6:03)……西ノ湖(6:15)……カクレ滝(6:55~7:15)……尾根取り付き(7:20)……1644mピーク(8:15)……前宿堂坊山(9:00~9:10)……宿堂坊山(9:50~10:00)……ネギト沢コル(10:15~10:25)……宿堂坊山(10:55~11:00)……柳沢川(12:00)……西ノ湖バス停(12:30)>
ヤジノ沢の右岸尾根を登ろうとしたのには大した意味はない。元々、昨年、雷雨とバス時刻切迫の狭間で、ネギト沢コルにある男嶽の宿跡にある石祠を見つけられなかった。気になってどうしようもない。だが、それだけで行くにしては何ともつまらない山。そこで、ヤジノ沢右岸尾根コースなるものを見つけた。時間もあまりかからず、腰にも負担はかかるまい。このヤジノ沢右岸尾根のネット記録を探すと、数人の記事があった。その中に、ぶなじろうさんのもあった。この記事は、記憶はあるが、カクレ滝とオーバーハングの岩宿探し、そして、前宿堂坊山に行かれたといった程度の記憶しかない。その尾根の名称が、いわゆるヤジノ沢右岸尾根と言われている尾根とはつゆぞ知らなかった。
ここのところ、前夜に車泊するのはほとんどまどろみ程度の睡眠しか期待できないのを十分に知ったから、早朝に家を出ることにした。小田代原止まりの早朝バスに乗り、その先歩くのもいいが、今回のコース、ヘッデンで歩くほどの時間惜しみを要求されるわけではなく、手頃な赤沼発5時30分、千手ヶ浜行きがいいだろう。2時半に起き、3時に家を出た。赤沼に着いたのは5時。気温は4℃。息も白い。薄手の長袖だけで来ていたから、駐車場で見かける厚手の方々とはかなり奇異な存在になった。合羽の上を着て、寒さとスタイルを何とかカバーする。トイレに2回も行ったりと適当に時間をつぶし、バスに乗る。20人ほど乗ったが、ほとんどが小田代原で下車。薄明かりの中、車窓から覗く霧に煙る小田代原湖は何とも幻想的で、自転車とカメラマンがわんさといた。ぶなじろうさんの先週の記事で見かけた写真よりも、水量はかなり多いのではなかろうか。帰りがけに寄ってみてもいいなと思った。弓張峠では頑強そうな地下タビを履いたジイサンが2人降りる。身軽な格好だ。背筋もスラッとしている。あんな年寄りになりたいと思った。どこに行くのだろう。西ノ湖入口まで乗っていたのは自分を入れて4人+ファミリー。
(先ずは西ノ湖へ。オッサンが先行している)
本来の西ノ湖入口を素通りし、運転手が「通行止めで、先に止まります」と、しばらく走らせてしまい、そのうちのお一人は「ここで降ろしてください」と言って、道をあわてて戻って行った。県界尾根か大岳経由だろうか。実は迷っていた。大岳経由で白錫尾根に向かうことも考えていた。地図も多方面を用意していた。たかが5分程度の歩きだが、バスが先まで行ってしまったので、迷いも吹っ切れた。その他の乗客もすべてここで降りた。ファミリーは子連れの4人。キャンピングカーから出て来たのは覚えている。自分以外はオッサンとジイサン。ジイサンは橋の前で屈伸なんかしている。枝を加工した長い杖を持っている。オッサンの後に続く。ところで、後で知ったことだが、大岳方面に向かわれた方は、図らずもぶなじろうさんだったことをブログで知った。何とも奇遇としか言いようがない。まさか2週続きでこちらにいらしていたとは想像もしなかった。まして大岳経由ねらいだったとは。車内の通りすがりに、お声の主でもあったので、横顔をチラッと拝見した。理工系の方がどんな山歩きをされるのかなといった第一印象。発車前に控えの展示室でも見かけたような。だとすれば、触れられる距離にもあったわけだ。
(西ノ湖。鏡のようだがとてもとても)
(カクレ滝への案内板)
ファミリーは別にして、後ろのジイサンが気になる。追い越されるのが嫌で、無理に西ノ湖鑑賞に寄り道をした。時間は有り余る。西ノ湖は色が薄汚れ、土色になっている。分岐に戻ると、後ろにファミリーがいた。ところで、先行の2人、その後、どこでも会うことはなかった。どこに行ったのか、後で地図を広げると、候補としては中山しかない。まさかシゲト山?中山には行ったことはないがヤブ山なんだろうな。次回は中山だな。湖を離れると標示板がなくなる。果たして、このままでいいのかと思うが、踏み跡はしっかりしていて、やがてブリキマークが出てくる。新たな不安があった。コンパスを取り出し、方向をセットしようとしたら、指示盤の接着がとれて外れていた。固定できないので、合わせようにもなかなかうまくいかない。これでは、今日はこのコンパスとは付き合えない。GPSも持って来てはいない。GPS頼りではますます方向音痴が定着してしまう。あらぬ方向に行かねばいいが。やがて、カクレ滝方面を示す標識。ほっとした。件の尾根だけではつまらないので、カクレ滝に寄り道することにしよう。
(カクレ滝。これが限界だった。見ようによっては、何やら秘め滝になってしまった)
地形図では、ヤジノ沢の分岐からかなり先に位置づけられているが、滝は分岐からすぐだった。このカクレ滝はなかなかの曲者滝。右にカーブしていて、沢を徒渉して、高みに行かないと見えない。このことは、ぶなじろうさんの記事で、事前知識だけは心得ていたが、徒渉の対象となる沢の水量があんなに多いとは思わなかった。飛び石用にいくつか放り投げたが、水没するだけ。ここまで来て、残念というわけにもいかず、だからといって、まだまだ序盤戦のうちに靴にガボガボと水を入れているわけにもいかない。したがって、裸足になり、裾をたくし上げて、沢を渡る。ところが、一向に滝は見えない。見えるのは滝壺だけ。音はゴーゴーと間近。裸足のまま、高みに登る。ズルズル滑る。これ以上は無理といったところで引き返す。かなり危ない思いをした。命がけの滝だね。滝壺に入るつもりで来たのなら堪能できよう。付録で来る滝ではあるまい。ぶなじろうさんのブログで拝見した写真はどうすれば撮影可能なの?せめてあと1m欲しかった。さらに上に行くには、裸足では無理だった。結局、滝全体を見ることは出来ず、足裏にキズを付け、出血してしまった。かなりの出血だったが、幅広の絆創膏を貼ったら、何とか止血はできた。とはいえ、最後の最後まで、このキズのことが気になり、出血したままだったらどうしようと、靴に枝葉が入っても、脱いで確認することだけはしなかった。出血で靴の中が血だらけだったら、即、帰るしかないからだ。早々に止まっていたと知ったのは、最後の柳沢川の徒渉で水浸しになって、靴下をしぼった時点のことだった。
(ヤジノ沢右岸尾根の末端。ここから取り付く)
(テープを発見)
(大きな岩がゴロゴロしている。沢沿いもおそらくこれだろう)
靴脱ぎやらキズの手当やらでカクレ滝見物には手間取った。さて、ヤジノ沢右岸尾根の取り付きだが、ほとんどの方が、沢伝いに歩き、急で危ういところから尾根に這い上がっている。地形図にも、尾根の末端が出ているのに何でだろうと思っていた。ぶなじろうさんのように、岩宿探しといった名目があるのなら別だが。岩宿にもかなりの興味はあったが、ぶなじろうさんが見つけられないのに、自分が見つけられるとは思えない。ここは、末端から上がってみよう。カクレ滝から戻り、すぐに左に張り出した末端から取り付いた。やや急。ずるずる滑る。昨年行った鳴蟲山への取り付きを思い出す。しばらくはこれが続き、登り切ってほっとしたと思ったら、シャクナゲが出て来た。これは獰猛さがなく、おとなしいから問題はない。しかし、尾根幅は狭く、左右ともに切れ落ちている。岩場の切れ落ちではないから、まだ始末はいい。大岩がゴロゴロしている。急登続きで、痛みはないが足裏のキズが気になる。ここで赤テープを発見。この尾根を下から歩いている人もいるようだ。いや、ここで沢沿いから尾根に合流したということか。
(ようやく視界が開け、振り向く)
(あの右奥ピークが前宿堂坊山か?)
(右手に大きく宿堂坊山)
(前宿堂坊山直下のササ)
(あれは皇海山か?)
(そして、前宿堂坊山)
標高1500mを過ぎたところで、ふいに開けたところに出た。薄暗い景色から解放された。一気に暑くなり、合羽を脱いだ。草木は濡れていず、スパッツも不要。快適なヤブ歩きになった。右手に宿堂坊山が大きく鎮座し、正面右寄りに前宿堂坊山だろうか。左手には、位置的にはシゲト山の方向だが、近すぎる。その右手奥に聳えているのは三俣山か?まさか皇海山?距離感がまったくとれない。後ろを見ると、日光連山。下には西ノ湖。ところどころヤブが繁茂しているが、さしてわずらわしさは感じない。軽いヤブ好みにはちょうどいい歩き。尾根は1644mで左にカーブする。地形図では右寄りになっている。何とも分からない。気分のいい尾根歩きもほんの束の間。やがてササやら倒木が出てきて、前宿堂坊山まで続く。ササをかき分けて山頂。「前宿堂坊山」という山名表示板はなかった。「三俣山・宿堂坊山」と併記したプレートが2枚あるだけ。ササに覆われ、生活空間がほとんどない。以前、三俣山から宿堂坊山に向かった際、ここを通過したのだろうが、とんと記憶がない。県界尾根を歩く限り、ここのピークはただの通過点にしか過ぎないわけだ。それにしてもササが密状態になっている。
(シゲト山方面だろうか)
(宿堂坊山手前からの景色も捨てがたい。西ノ湖は汚れてグレーっぽい色になっている)
宿堂坊山に向かう。ブリキが随所にあり、コースを間違えることはないが、随分とササが多い。ここを歩く人もかなり少なくなっているのではないか。ここで単独のオッサンに出会う。宿堂坊山に登り、三俣山、シゲト山を経由して、黒檜岳に行くそうだ。千手ヶ浜に下りれば、かなり時間も遅いだろうから自転車で来たとおっしゃっていた。どこから入ったのかと聞いたら、「何とか沢」と言うので、「ネギト沢ですか?」と聞くと、どうもそうではないらしい。よく分からなかった。ネギト沢なら、いろいろと聞きたいことがあったのだが残念。おそらく、柳沢川のことを「何とか沢」と表現されたのであろう。初めてこの県界尾根を歩いたようで、ブリキマークが多くて「道がしっかりとあるんだね」と感心されていたが、その基準も分かりかねた。イントネーションからして下野の方だろう。ちなみに、ぶなじろうさんが、出発時にこのオッサンで出会っているらしい。しばらく、ここから右手の展望が良くなる。
(宿堂坊山)
ピークを一つ超えて宿堂坊山。何度訪れても相変わらずの風景。少々、見飽きた感もある。さて、本題はここからの石祠探しだが、問題は、ネギト沢のコルに下ってからの帰り道ルートの選択だ。一昨日までは、ネギト沢を下り、林道に出るつもりでいた。ところが、たまたま、昨日、8月に林道を歩かれた「烏ケ森の住人」氏の記事を拝見してしまい、悩むこととなった。林道は崩壊し、何とか迂回して下られたようだが、記事を読む限り、自分の実力では崩壊地突破は無理だろう。迂回のスキルすらないだろう。林道まで下りて、また元に戻るでは、笑い話にもならない。いまだにずっと迷っている。おとなしく山頂に戻り、東尾根を下った方がいいのか。
(ネギト沢のコル)
(ようやく見つけた石祠)
120mばかり下ってネギト沢のコル。この登り返しはつらいだろうな。さて、石祠はどこだ、どこだ。ササが密状態になっている。ヒントは木の下、錫ヶ岳方面から来ると分かりづらい。これだけ。木の下を丹念に探していたら、その先の尾根の上りかけまで来てしまった。時間もあるから、戻って、また探しまくりかと思ったが、そこでようやく見つけた。屋根部分がササの色と同化していたため識別しづらかった。正直のところ、これまで見た日光修験道ルートの石祠の中では一番みすぼらしいかも。扉はレプリカだ。これが、戦国期に奉納された石祠か。その当時に思いを馳せるが、ちっとも感慨が沸かない。しかし、ようやく見つけられて満足。この山に来る用事はもうなくなった。
(東尾根末端)
ネギト沢を下ってみたいが、その先は不透明。東尾根を下れば確実。まだ迷ったが、宿堂坊山に戻る。やはり、登りはかなりきつかった。山頂には、青年が休んでいた。一瞬、タバコを無性に吸いたかったのに、これでおじゃんだなという思いが先に出た。彼は皇海山からの縦走で、錫ヶ岳を経由して白根山まで行くそうだ。昨夜の国境平は寒くてどうしようもなかったそうだ。今夜は錫の水場でテント泊らしい。この時間なら、一気に湯元まで行けるよとあおったが、話には乗ってこなかった。皇海山からの縦走は、松木川か庚申山経由が定番だが、彼は不動沢経由で来たとのこと。林道を歩いたのか乗り物なのかは確認しなかった。東尾根を下る。地形図通り、尾根末端まで行った。最後は急斜面で危うかった。だれとも会わなかった。
(あの堰堤の上を渡った)
問題の柳沢川徒渉。予想通りに水が多く、吊り橋までは歩けない。またズブ濡れか。最初のうちは、飛び石伝いに渡れたし、大きめの石を投げて渡ったりもしたが、ツメの部分はいかんともし難い。幾分水量の少ない部分は、堰堤の上しかない。いさぎよく渡る。膝までの水だった。土手に上がり、靴を脱ぎ、靴下をしぼった。キズの部分はふやけていた。前にも、ここで同じようなことをした。何度もここを渡り、濡れずに済んだのは無事に吊り橋まで行けた1回だけだ。林道に出る。ちょうど昼休み時間になるためか、伐採の作業をしている方が3人、弁当を広げていた。この林道を含め、西ノ湖に向かうコースは通行止めになっている。何か言われるかなと危惧したが、挨拶を交わしても、咎められることもブーイングもなかった。不可思議な顔をされていることだけは確かだった。
(バス停へ)
バス停12時30分着。バスは48分発。手持ち無沙汰。時間つぶしで、今朝降ろされた場所まで歩いた。さして時間つぶしにはならなかった。バスは意外にも混んでいた。小田代原で降りるつもりでいたが、随分と人出が多いのでやめにした。人の気配のない山を歩き、いきなり賑やかなところに出るのには抵抗もある。小田代原で、バスはぎゅうぎゅう詰めになった。自分なら、赤沼までなら歩道を歩くのになぁ。ここのところ、湖上山なる山が気になっている。車窓から眺める湖上山はかなり威圧的で、取り付きからしばらくは急峻に見える。ここから外山まで歩く方もいるようだ。かなりのヤブ尾根らしく、しごく強烈な歩きになるだろうな。赤沼に到着。渋滞にはまる前にさっさと帰ることにしよう。中禅寺湖にさしかかると、雲がかかり、みるみるうちに空が暗くなってしまった。
<西ノ湖入口バス停(6:03)……西ノ湖(6:15)……カクレ滝(6:55~7:15)……尾根取り付き(7:20)……1644mピーク(8:15)……前宿堂坊山(9:00~9:10)……宿堂坊山(9:50~10:00)……ネギト沢コル(10:15~10:25)……宿堂坊山(10:55~11:00)……柳沢川(12:00)……西ノ湖バス停(12:30)>
ヤジノ沢の右岸尾根を登ろうとしたのには大した意味はない。元々、昨年、雷雨とバス時刻切迫の狭間で、ネギト沢コルにある男嶽の宿跡にある石祠を見つけられなかった。気になってどうしようもない。だが、それだけで行くにしては何ともつまらない山。そこで、ヤジノ沢右岸尾根コースなるものを見つけた。時間もあまりかからず、腰にも負担はかかるまい。このヤジノ沢右岸尾根のネット記録を探すと、数人の記事があった。その中に、ぶなじろうさんのもあった。この記事は、記憶はあるが、カクレ滝とオーバーハングの岩宿探し、そして、前宿堂坊山に行かれたといった程度の記憶しかない。その尾根の名称が、いわゆるヤジノ沢右岸尾根と言われている尾根とはつゆぞ知らなかった。
ここのところ、前夜に車泊するのはほとんどまどろみ程度の睡眠しか期待できないのを十分に知ったから、早朝に家を出ることにした。小田代原止まりの早朝バスに乗り、その先歩くのもいいが、今回のコース、ヘッデンで歩くほどの時間惜しみを要求されるわけではなく、手頃な赤沼発5時30分、千手ヶ浜行きがいいだろう。2時半に起き、3時に家を出た。赤沼に着いたのは5時。気温は4℃。息も白い。薄手の長袖だけで来ていたから、駐車場で見かける厚手の方々とはかなり奇異な存在になった。合羽の上を着て、寒さとスタイルを何とかカバーする。トイレに2回も行ったりと適当に時間をつぶし、バスに乗る。20人ほど乗ったが、ほとんどが小田代原で下車。薄明かりの中、車窓から覗く霧に煙る小田代原湖は何とも幻想的で、自転車とカメラマンがわんさといた。ぶなじろうさんの先週の記事で見かけた写真よりも、水量はかなり多いのではなかろうか。帰りがけに寄ってみてもいいなと思った。弓張峠では頑強そうな地下タビを履いたジイサンが2人降りる。身軽な格好だ。背筋もスラッとしている。あんな年寄りになりたいと思った。どこに行くのだろう。西ノ湖入口まで乗っていたのは自分を入れて4人+ファミリー。
(先ずは西ノ湖へ。オッサンが先行している)
本来の西ノ湖入口を素通りし、運転手が「通行止めで、先に止まります」と、しばらく走らせてしまい、そのうちのお一人は「ここで降ろしてください」と言って、道をあわてて戻って行った。県界尾根か大岳経由だろうか。実は迷っていた。大岳経由で白錫尾根に向かうことも考えていた。地図も多方面を用意していた。たかが5分程度の歩きだが、バスが先まで行ってしまったので、迷いも吹っ切れた。その他の乗客もすべてここで降りた。ファミリーは子連れの4人。キャンピングカーから出て来たのは覚えている。自分以外はオッサンとジイサン。ジイサンは橋の前で屈伸なんかしている。枝を加工した長い杖を持っている。オッサンの後に続く。ところで、後で知ったことだが、大岳方面に向かわれた方は、図らずもぶなじろうさんだったことをブログで知った。何とも奇遇としか言いようがない。まさか2週続きでこちらにいらしていたとは想像もしなかった。まして大岳経由ねらいだったとは。車内の通りすがりに、お声の主でもあったので、横顔をチラッと拝見した。理工系の方がどんな山歩きをされるのかなといった第一印象。発車前に控えの展示室でも見かけたような。だとすれば、触れられる距離にもあったわけだ。
(西ノ湖。鏡のようだがとてもとても)
(カクレ滝への案内板)
ファミリーは別にして、後ろのジイサンが気になる。追い越されるのが嫌で、無理に西ノ湖鑑賞に寄り道をした。時間は有り余る。西ノ湖は色が薄汚れ、土色になっている。分岐に戻ると、後ろにファミリーがいた。ところで、先行の2人、その後、どこでも会うことはなかった。どこに行ったのか、後で地図を広げると、候補としては中山しかない。まさかシゲト山?中山には行ったことはないがヤブ山なんだろうな。次回は中山だな。湖を離れると標示板がなくなる。果たして、このままでいいのかと思うが、踏み跡はしっかりしていて、やがてブリキマークが出てくる。新たな不安があった。コンパスを取り出し、方向をセットしようとしたら、指示盤の接着がとれて外れていた。固定できないので、合わせようにもなかなかうまくいかない。これでは、今日はこのコンパスとは付き合えない。GPSも持って来てはいない。GPS頼りではますます方向音痴が定着してしまう。あらぬ方向に行かねばいいが。やがて、カクレ滝方面を示す標識。ほっとした。件の尾根だけではつまらないので、カクレ滝に寄り道することにしよう。
(カクレ滝。これが限界だった。見ようによっては、何やら秘め滝になってしまった)
地形図では、ヤジノ沢の分岐からかなり先に位置づけられているが、滝は分岐からすぐだった。このカクレ滝はなかなかの曲者滝。右にカーブしていて、沢を徒渉して、高みに行かないと見えない。このことは、ぶなじろうさんの記事で、事前知識だけは心得ていたが、徒渉の対象となる沢の水量があんなに多いとは思わなかった。飛び石用にいくつか放り投げたが、水没するだけ。ここまで来て、残念というわけにもいかず、だからといって、まだまだ序盤戦のうちに靴にガボガボと水を入れているわけにもいかない。したがって、裸足になり、裾をたくし上げて、沢を渡る。ところが、一向に滝は見えない。見えるのは滝壺だけ。音はゴーゴーと間近。裸足のまま、高みに登る。ズルズル滑る。これ以上は無理といったところで引き返す。かなり危ない思いをした。命がけの滝だね。滝壺に入るつもりで来たのなら堪能できよう。付録で来る滝ではあるまい。ぶなじろうさんのブログで拝見した写真はどうすれば撮影可能なの?せめてあと1m欲しかった。さらに上に行くには、裸足では無理だった。結局、滝全体を見ることは出来ず、足裏にキズを付け、出血してしまった。かなりの出血だったが、幅広の絆創膏を貼ったら、何とか止血はできた。とはいえ、最後の最後まで、このキズのことが気になり、出血したままだったらどうしようと、靴に枝葉が入っても、脱いで確認することだけはしなかった。出血で靴の中が血だらけだったら、即、帰るしかないからだ。早々に止まっていたと知ったのは、最後の柳沢川の徒渉で水浸しになって、靴下をしぼった時点のことだった。
(ヤジノ沢右岸尾根の末端。ここから取り付く)
(テープを発見)
(大きな岩がゴロゴロしている。沢沿いもおそらくこれだろう)
靴脱ぎやらキズの手当やらでカクレ滝見物には手間取った。さて、ヤジノ沢右岸尾根の取り付きだが、ほとんどの方が、沢伝いに歩き、急で危ういところから尾根に這い上がっている。地形図にも、尾根の末端が出ているのに何でだろうと思っていた。ぶなじろうさんのように、岩宿探しといった名目があるのなら別だが。岩宿にもかなりの興味はあったが、ぶなじろうさんが見つけられないのに、自分が見つけられるとは思えない。ここは、末端から上がってみよう。カクレ滝から戻り、すぐに左に張り出した末端から取り付いた。やや急。ずるずる滑る。昨年行った鳴蟲山への取り付きを思い出す。しばらくはこれが続き、登り切ってほっとしたと思ったら、シャクナゲが出て来た。これは獰猛さがなく、おとなしいから問題はない。しかし、尾根幅は狭く、左右ともに切れ落ちている。岩場の切れ落ちではないから、まだ始末はいい。大岩がゴロゴロしている。急登続きで、痛みはないが足裏のキズが気になる。ここで赤テープを発見。この尾根を下から歩いている人もいるようだ。いや、ここで沢沿いから尾根に合流したということか。
(ようやく視界が開け、振り向く)
(あの右奥ピークが前宿堂坊山か?)
(右手に大きく宿堂坊山)
(前宿堂坊山直下のササ)
(あれは皇海山か?)
(そして、前宿堂坊山)
標高1500mを過ぎたところで、ふいに開けたところに出た。薄暗い景色から解放された。一気に暑くなり、合羽を脱いだ。草木は濡れていず、スパッツも不要。快適なヤブ歩きになった。右手に宿堂坊山が大きく鎮座し、正面右寄りに前宿堂坊山だろうか。左手には、位置的にはシゲト山の方向だが、近すぎる。その右手奥に聳えているのは三俣山か?まさか皇海山?距離感がまったくとれない。後ろを見ると、日光連山。下には西ノ湖。ところどころヤブが繁茂しているが、さしてわずらわしさは感じない。軽いヤブ好みにはちょうどいい歩き。尾根は1644mで左にカーブする。地形図では右寄りになっている。何とも分からない。気分のいい尾根歩きもほんの束の間。やがてササやら倒木が出てきて、前宿堂坊山まで続く。ササをかき分けて山頂。「前宿堂坊山」という山名表示板はなかった。「三俣山・宿堂坊山」と併記したプレートが2枚あるだけ。ササに覆われ、生活空間がほとんどない。以前、三俣山から宿堂坊山に向かった際、ここを通過したのだろうが、とんと記憶がない。県界尾根を歩く限り、ここのピークはただの通過点にしか過ぎないわけだ。それにしてもササが密状態になっている。
(シゲト山方面だろうか)
(宿堂坊山手前からの景色も捨てがたい。西ノ湖は汚れてグレーっぽい色になっている)
宿堂坊山に向かう。ブリキが随所にあり、コースを間違えることはないが、随分とササが多い。ここを歩く人もかなり少なくなっているのではないか。ここで単独のオッサンに出会う。宿堂坊山に登り、三俣山、シゲト山を経由して、黒檜岳に行くそうだ。千手ヶ浜に下りれば、かなり時間も遅いだろうから自転車で来たとおっしゃっていた。どこから入ったのかと聞いたら、「何とか沢」と言うので、「ネギト沢ですか?」と聞くと、どうもそうではないらしい。よく分からなかった。ネギト沢なら、いろいろと聞きたいことがあったのだが残念。おそらく、柳沢川のことを「何とか沢」と表現されたのであろう。初めてこの県界尾根を歩いたようで、ブリキマークが多くて「道がしっかりとあるんだね」と感心されていたが、その基準も分かりかねた。イントネーションからして下野の方だろう。ちなみに、ぶなじろうさんが、出発時にこのオッサンで出会っているらしい。しばらく、ここから右手の展望が良くなる。
(宿堂坊山)
ピークを一つ超えて宿堂坊山。何度訪れても相変わらずの風景。少々、見飽きた感もある。さて、本題はここからの石祠探しだが、問題は、ネギト沢のコルに下ってからの帰り道ルートの選択だ。一昨日までは、ネギト沢を下り、林道に出るつもりでいた。ところが、たまたま、昨日、8月に林道を歩かれた「烏ケ森の住人」氏の記事を拝見してしまい、悩むこととなった。林道は崩壊し、何とか迂回して下られたようだが、記事を読む限り、自分の実力では崩壊地突破は無理だろう。迂回のスキルすらないだろう。林道まで下りて、また元に戻るでは、笑い話にもならない。いまだにずっと迷っている。おとなしく山頂に戻り、東尾根を下った方がいいのか。
(ネギト沢のコル)
(ようやく見つけた石祠)
120mばかり下ってネギト沢のコル。この登り返しはつらいだろうな。さて、石祠はどこだ、どこだ。ササが密状態になっている。ヒントは木の下、錫ヶ岳方面から来ると分かりづらい。これだけ。木の下を丹念に探していたら、その先の尾根の上りかけまで来てしまった。時間もあるから、戻って、また探しまくりかと思ったが、そこでようやく見つけた。屋根部分がササの色と同化していたため識別しづらかった。正直のところ、これまで見た日光修験道ルートの石祠の中では一番みすぼらしいかも。扉はレプリカだ。これが、戦国期に奉納された石祠か。その当時に思いを馳せるが、ちっとも感慨が沸かない。しかし、ようやく見つけられて満足。この山に来る用事はもうなくなった。
(東尾根末端)
ネギト沢を下ってみたいが、その先は不透明。東尾根を下れば確実。まだ迷ったが、宿堂坊山に戻る。やはり、登りはかなりきつかった。山頂には、青年が休んでいた。一瞬、タバコを無性に吸いたかったのに、これでおじゃんだなという思いが先に出た。彼は皇海山からの縦走で、錫ヶ岳を経由して白根山まで行くそうだ。昨夜の国境平は寒くてどうしようもなかったそうだ。今夜は錫の水場でテント泊らしい。この時間なら、一気に湯元まで行けるよとあおったが、話には乗ってこなかった。皇海山からの縦走は、松木川か庚申山経由が定番だが、彼は不動沢経由で来たとのこと。林道を歩いたのか乗り物なのかは確認しなかった。東尾根を下る。地形図通り、尾根末端まで行った。最後は急斜面で危うかった。だれとも会わなかった。
(あの堰堤の上を渡った)
問題の柳沢川徒渉。予想通りに水が多く、吊り橋までは歩けない。またズブ濡れか。最初のうちは、飛び石伝いに渡れたし、大きめの石を投げて渡ったりもしたが、ツメの部分はいかんともし難い。幾分水量の少ない部分は、堰堤の上しかない。いさぎよく渡る。膝までの水だった。土手に上がり、靴を脱ぎ、靴下をしぼった。キズの部分はふやけていた。前にも、ここで同じようなことをした。何度もここを渡り、濡れずに済んだのは無事に吊り橋まで行けた1回だけだ。林道に出る。ちょうど昼休み時間になるためか、伐採の作業をしている方が3人、弁当を広げていた。この林道を含め、西ノ湖に向かうコースは通行止めになっている。何か言われるかなと危惧したが、挨拶を交わしても、咎められることもブーイングもなかった。不可思議な顔をされていることだけは確かだった。
(バス停へ)
バス停12時30分着。バスは48分発。手持ち無沙汰。時間つぶしで、今朝降ろされた場所まで歩いた。さして時間つぶしにはならなかった。バスは意外にも混んでいた。小田代原で降りるつもりでいたが、随分と人出が多いのでやめにした。人の気配のない山を歩き、いきなり賑やかなところに出るのには抵抗もある。小田代原で、バスはぎゅうぎゅう詰めになった。自分なら、赤沼までなら歩道を歩くのになぁ。ここのところ、湖上山なる山が気になっている。車窓から眺める湖上山はかなり威圧的で、取り付きからしばらくは急峻に見える。ここから外山まで歩く方もいるようだ。かなりのヤブ尾根らしく、しごく強烈な歩きになるだろうな。赤沼に到着。渋滞にはまる前にさっさと帰ることにしよう。中禅寺湖にさしかかると、雲がかかり、みるみるうちに空が暗くなってしまった。
ご質問の就寝時刻は10時半でしたが、夢見がちでしたから、寝たのは数時間でしょうか。でも、現地での車泊に比べたら、効率的な睡眠時間はとれたかと思います。
ハイトスさんは宿堂坊山には行かれたことはないですよね。つまらない山だと思いますが、一度は行ってみるのもいいですよ。それなりの歴史背景のある山ですから。
私も、この山との付き合いは長く、一般車輌が乗り入れできる頃に西ノ湖入口まで入って登ったのが最初です。不思議な名前の山だったからだけの理由ですが、今のように、修験道がどうとかといった知識はまったくありませんでした。こんな山でも、つい行ってしまうといった不思議な魅力はありますね。
しかし趣向が似ていれば遭遇の可能性は高まりますが、それにしてもビックリです。
さて、たそがれさんは相変わらず自分の常識範囲外の行動を採られるので驚きです。
2時半に起きるのは何時に寝るのですか?
たそがれさんの車だと車中泊は結構快適そうに思えますが、そうでも無いのでしょうか。
例の石祠はやはり解り辛いようですが見つかって良かったです。
自分も宿堂坊山に行くときは桐生の先達が関わられたこの石祠を是非みたいと思っております。
いきなり、「快速」の件で失礼します。私は、最近、自ら「鈍足」と称される方の弁をあまり信用しないようにしています。通過時間を見ていると、どこが鈍足なの?といった疑念を抱いてしまう方がほとんどで、自称「鈍足」が本当なら、私なんか牛歩の類になってしまいます。ぶなじろうさんの時間経過を拝見していても、何でこんなに早いの?と思うこともしばしばです。今回のコースにしても、区間時間はたいして変わらないじゃないですか。あまり休憩時間をとらないだけの話ですよ。
さて、石祠の件、左側の石造物ですか。気づきませんでしたね。本体を探せただけではしゃいでおりました。これではダメですね。写真を10枚くらい撮り、改めて拡大して見たりもしましたが、ササに埋もれたのか、影も形も見えませんわ。また行くわけにもいかないですが、どうも気になります。
金田峠の石祠の方は、ちょっとした高台にありますから、同じ運命を辿るとは思えませんが、ヤブの中に埋没した石造物は、日光修験道だけでも数多くあるでしょうね。
帰着時間を見てビックリです。さすが、快速のたそがれオヤジさんです。
おいらがカクレ滝に行った時は、それほどの水量ではなかったと思います。現在の日光山中はどこも山からの水の湧出が多いのでしょう。
ネギト沢のコルの石祠は、随分笹に埋もれていますね。発見当時の状態に戻りつつあるのか?
現在露出している石祠の左側に木の根に覆われつつある石の造形らしきものがありましたが、そんなものは、もう見えないのかもしれませんね。
金田峠の石祠も同様なのでしょうかね。