たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

檜原村の浅間嶺。さして苦もなく気持ちの良いハイキングができたのは久しぶりか。松生山からの富士山には期待していただけにがっかりだったが。

2023年03月13日 | 奥多摩の山
◎2023年3月8日(水)

払沢の滝駐車場(8:46)……林道から離れる(9:38)……伐採地(10:14)……展望台分岐(10:29)……松生山分岐(10:38)……大沢山(10:47)……松生山(11:02~11:16)……浅間嶺展望台(11:45)……浅間神社(11:51)……浅間嶺(11:55)……休憩所(12:01~12:14)……林道(12:46)……時坂峠(13:01)……駐車場(13:30~13:43)……払沢の滝(13:54~14:02)……駐車場(14:11)

 前日まで、さほどに気は進まないながらも、10年ぶりに秩父浦山の福寿草を見に行くつもりでいた。秘密の花園も俗っぽくなっている。平日だし、人もいないだろうという思いもあった。他に福寿草自生地はないものかとネットで検索をしていたら、浅間嶺に行く途中に自生地があることを知った。大した規模でもないだろうが、福寿草しか楽しみがなく、前後は気が滅入る歩きの大ドッケより、富士山も見られるこちらの方に魅力を感じた。まして、浅間嶺なんて、奥多摩とはいってもこれまで縁もなかった山だ。山行の変更をしたのは翌日の準備も終えて寝る直前だった。
 平日だからか、駐車場はガラガラ。準備をしていると、一台分空けた隣に品川ナンバーのBMWがとまった。中から出てきたのは、さすがに品の良いオジさんで、社会的にもそれなりに地位のある方なのだろう。一人だった。どこに行くの? と聞かれたから、浅間嶺ですと答える。山ですか? と問うと、釣りとのこと。悠々自適な生活をされているのだろう。お気をつけてと言って別れた。

(では)


(標識には、ここを直進とあったが)


 勝手は知らない。山域としては山梨と秩父の間にある奥多摩。一人者の時には足繁く通っていた時期もあったが、今は気まぐれだ。群馬に引っ込めば奥多摩は遠い。今日は標識が頼り。東西南北だけでも間違わなけりゃいい。幸いにも今日は陽が出ていて、方角を間違えることはあるまい。駐車場には、しっかりと駐車場延長の林道を直進との標識があった。すぐに<浅間嶺>と記された標識を見かけるのは幸先が良い。

(ここから山道かと思ったが、林道をショートカットするだけだった)


(古道っぽい風景)


(出てきた。自生地はここだったのか)


(気持ちが和む)


(道沿いの斜面にも。野放図に咲いている感じだ)


 まさか、ずっと舗装林道歩きというわけではあるまいなと思ったところで、左の石段を上がる。標識には<時坂峠1.3KM 浅間嶺4.6KM>とある。また杉林かいなとがっかりしたのも束の間。石碑や石仏が並び、こんな高い所にも現役の民家がポツンポツンとある。そして道沿いの斜面には何やら黄色の花。福寿草だった。場所は特定もしていなかったが、なるほど、これが福寿草の自生地か。そんなに派手な密ぶりではないが意外に長く、斜面では上まで続いている。上に登りたいところだが、斜面はグズグズしていて急で、花を踏んづけてしまいかねないし、民家の敷地に出てしまいそうだ。陽があたった福寿草は金色を帯びたのもあり、秩父紅らしき株もちらほらとある。おそらく盛りはもう間もないだろう。写真撮りで時間がつぶれた。まだ歩き出しだ。帰りにゆっくり楽しもうと先に行くと、まだチラホラとしつこく咲いていた。

(結局、林道に再び)


(ここにも)


(密生している)


(この半鐘を打つことはあるのだろうか)


(伐採地。ここは眺めるだけ。通過はしない)


(のどかだ)


(まだ続いている)


 林道を横切ると高台に半鐘があって、左に狭い伐採地。ゆるい道を登ると、まだ民家はあり、またしても福寿草。今度はこれに梅が加わる。のどかな風景だ。これに鳥のさずりでもあれば春爛漫といった感じだが、それはまだ時期的には早い。静寂の中に、たまに林道を通る車の音が聞こえる。それにしても暑くなってきた。フリースを脱げばいいだけのことだが、先の様子がわからない。林道は接近していて、やがては離れる。先で林の中に入り込んだりでもしたら寒くなる。汗はすでにかいている。しばらく我慢しよう。

(見るからにトイレだが、正解は便所)


(便所の上から里を眺める)


(道間違いに気づかずに歩いている)


(こんなのがあったから、てっきりこれでいいのかと思ったりして)


(間違いではないが、時坂峠はすでに過ぎていた。どこで標識を見落としたのだろう)


 また林道に出た。その傍らには、東京都が設置したらしい「時坂道傍施設便所」。林道から麓を見下ろす。すでにかなり上まで登っていて、駐車場はここからでは山陰になって見えない。ここでミスをする。林道を振り返れば、山道が続いて、<時坂峠>の標識があったのだが、この時点では林道の前方しか見ていず気がつかなく、しばらく林道歩きをしてしまうことになる。この時坂峠。読みは「とっさか峠」というらしい。今日は、『山と高原地図』ではなく、吉備人出版の『奥多摩登山詳細図(東編)』の部分コピーを持って歩いている。地図をしっかり見ていれば、「WC」の林道すぐ下に「道標」とあり、時坂峠方面には気づいたはずだ。ちなみに、自分が歩こうとしているコースは「時坂古道コース」というらしい。
 <時坂峠1.3KM>はやけに長いなと思いながら舗装林道を歩いている。標識も見かけなくなった。工事用のトラックが一台、反対側から通り過ぎて下って行った。道を間違えたかなと思ったが、道端に置かれた悲しげな二体の石仏を見かければさも古道らしく、これでいいんだと思うことにした。
 いい加減に飽きたところで、ようやく標識が見えた。そこには、右手に進入禁止の林道方面に向かって<時坂峠・払沢の滝入口>とあり、自分が歩いて来た方向には<林道をへて払沢の滝入口>となっている。今さら時坂峠に行くのも何だし、帰りに峠経由で下ることにしよう。

 話は前後する。最初からピストン歩きのつもりでいたわけではない。浅間嶺から東に尾根伝いに松生山(まつばえ山)を経由して、適当なところから時坂古道コースに下るつもりでいた。だがそれは無理のようだった。下る尾根は複雑で等高線が狭まっている。ここならと思った尾根は払沢の滝のある瀬戸沢を渉らなければならないが、沢周辺の等高線が狭いし、急峻な岩場になっているかもしれない。松生山を東に下る尾根、吉備人地図には「笹平コース」とも記されている。これをそのままに行けば、笹平バス停の近くに難なく出られそうだが、バス時刻に期待はできない。へたをすれば檜原街道を延々と歩くことになる。これだけは避けたい。ということで、ピストン歩きにせざるを得なかった。数馬から登れば、工夫次第で周回もできようが、それでは払沢の滝を観られない。長たらしく記したが、つまりはそういうことだ。『日本の滝100選』に入っている滝を見逃すわけにもいかなかった。さらに余計なことを記せば、松生山を含めたことにも訳がある。浅間嶺から見る富士山は頭だけ。松生山からだと胴体の一部も見えるはず。それが楽しみでもあった。

(新設林道を行くと茶屋らしきものが見えた)


(峠の茶屋とある。テレビにも出たことがあるらしい)


(茶屋の前から。北の展望。正面のでかい山は湯久保山とのこと)


(頭がちょこんの大岳山。あれを先で正面に見ることになるから、結構な距離を歩いたことになるか)


(山神様)


(お決まりの道といった感じ。奥にかすかに茶屋らしき建屋が見える)


(ピンボケながらもお地蔵さん)


 ほどなく林道から解放された。とはいっても、実際は舗装道は続いていて、地図には「新設林道」と記されている。道路沿いに、うどんが売り物らしい茶屋があった。「峠の茶屋」。ひっそりとして営業はしていない。休業なのか、閉店なのか、あるいは季節オープンなのかといった勝手な詮索はよそう。店の前には展望地。ベンチがある。眼前にはどーんと大岳山とその時は思っていたが、方角的に釈然としないものの、正解は湯久保山という山らしい。右奥は御岳山と思ったが、こちらが大岳山で、稜線に隠れて頭だけが見えている。左の三角峰が鋸山とのこと。視界の山々は帰宅してから調べた。すぐに神社があったので寄る。鳥居には大山祇神社とある。小さな小屋に囲われた山神様が祀られていた。
 下って行くと、また茶屋。ここも営業はしていない。この先で新設林道から離れる。ようやく未舗装の山道になった。杉並木の道とはいっても疎ら。どこにでもある風景の植林だ。寺かなと思ったら茶屋がまだあった。「お代官様休息処跡」とあって、ここはうどんではなくソバが売りのようだ。ここも店は閉まっている。以降、茶屋を目にすることはなかった。

(ようやく、本格的な山道に入った)


(石畳の名残だろう)


(左に苔むした枯沢を見ながらの登り)


 やはりと、予想通りに林の中の歩きになった。石畳らしき跡形を登って行く。沢沿いだが、沢は伏流なのか、茶屋に飲用水を引くためのパイプやタンクが目につくも、いずれもそのうちに消え、道沿いの沢はコケ蒸した川原石が続いている。やはり陽のあたりは悪くなって寒くなった。フリースを脱がないでよかった。クネクネした道は続く。傾斜は緩く、歩いていて楽だ。立ち休みをすることもなく先に行けそうだ。嫌らしいのは周囲が杉の植林が続いていること。自分の勝手な思いだが、檜原村というからにはヒノキ林かと思いきや杉だった。洒落にもならない。植林斜面は概して急だ。ここも枯沢の向かい側斜面も例外ではない。尾根とて同じだろう。地形図だけ眺めて、適当な尾根を下ろうと思ったのはかなり浅はかな思慮だった。

(先が明るくなっているから、そろそろ植林の中の歩きからは解放されそうだ)


(「モミの大木」と吉備人地図には記されている)


(伐採地。左上にこの先の歩き道が見えている)


(伐採地の終点から。大岳山かと思うが)


 ようやく植林が途切れた先は明るく、大きな樹の根元には「モミ」の札。地図には「モミ大木」と書かれている。大木ほどのものでもなかった。それを過ぎると、一面が広大な伐採地になっていた。その伐採地の上をずっと道らしいものが続いている。視界が良いから先まで見える。あそこまで歩くのかと思ったらうんざりした。水平になっているだけまだましか。

(景色がころっと変わった)


(この標識を上に登る。帰路ではここに戻って下ることになる)


(この雰囲気は何ともたまらない)


 標識を見かけた。なぜか裏表になっている。正面は伐採地方面に向いている。何か記されている。危うげにのけぞってそっと見てみた。タバコ火注意だった。意図的に裏表にしているわけではあるまい。標識の柱は太く埋め込まれている。おそらく、伐採地になったがために道もずらしたのだろうと解釈するしかない。<カタクリ群生地>の標識も見かけた。ここのところの陽気で気の早いのは芽でも出しているかなと思ったが、それらしきものは目に入らなかった。
 伐採地が終了し、葉を落とした広葉樹の台地に出た。いい雰囲気だ。山頂もそろそろだろう。落葉道を進んでいくと標識。直進が<浅間嶺0.4KM・上川乗バス停3.3KM>、左上に向けて<展望台0.7KM・浅間嶺0.8KM>とある。地図を出す。なるほど。展望台方面に登れば、また分岐があって、松生山は左で、展望台は右ということらしい。ここに至ったら、松生山を先行して、早いとこ富士山を見た方がいいに決まっている。浅間嶺はその後でいい。そして、帰路はここに戻る。プチ周回とはいえ、ストレートなピストン歩きよりはましだろう。それにしても、この辺の風景はどこかに似ている。しばらくしてから思い出した。ウノタワの風景だ。杉の木はもう消え、疎らな広葉樹が続いている。ここまでストック一本で来たが、ここからきつくなりそうで二本にした。

(松生山向けの板は後付けしたような)


(松生山へ)


(いつもならヒーヒーだが、今日は至って健康)


(入沢山)


 次の標識には、とってつけたような松生山の標識が加えられていた。見た目は急な感じはしたが、いざ登り出すとさほどにきつくはない。休みもせずにあっさりと最初のピークに出た。山名板には「入沢山930m」とある。地形図で確認する。この先の小ピークを二つほど越えて松生山となるようだ。二つ目が936m標高点で、この界隈では、浅間嶺903m、三角点のある松生山933.7mよりも高い。起伏がさほどにありそうには思えないのでたかが知れてはいるが。

(稜線歩き。南側。白っぽい)


(それに比べて北側は遠望できる)


(まだ先がある)


(ここで富士山。見えづらいので敢えて記した)


(アップすれば何とかわかるか。胴体が見えているのに残念だ)


 富士山はまだ見えないものの、北側の空は青いのに、南側は白っぽい。気にはなったが、まだ10時台だし、見えないはずはなかろう。この笹平コース、吉備人地図には普通に実線で出ているが、2018年版『山と高原地図』では破線になっている。確かに分岐までの道に比べれば細くはなっているが、明瞭な道になっている。松生山の先はどうだろう。
 次のピークの先から富士山が見えた。がっかりした。富士山は霞んでいた。よく注意して見ないとわからない。ため息が出た。残念でしたか。雲でまったく見えませんでしたよりはまだましか。自然相手ではどうにもなるまい。金を払えば見えるわけでもない。おそらく、入沢山を過ぎたあたりからすでに視界には入っていたかもしれず、淡くて気づかなかっただけのことかもしれない。松生山まで行ってもあまり意味もない気はしたが、のどかなハイキングが続いていたからこのまま行く。

(ラストの登りで)


(松生山)


(山名標と三角点)


(まあ残念だ)


(明暗を調整しても変わらず)


(この状況ではアップにするものではないね)


(笹平コースの先。薄暗そうだ。この先には行かない)


(浅間嶺に行くか)


(入沢山の山名板を入れて御前山)


 松生山山頂にはソーラーのついたアンテナがあった。南側の眺望はなかなかのようだが、全体が霞んでいるのではわけがわからない。カメラをいじり回して、明暗を補正したりしてみたが無駄な努力。富士山は依然として白いままで、いずれ見えなくなるだろう。未練で眺めていても仕方なく、タバコを吸ってぼんやりとしていた。風もなく良い陽気だ。
 落ち着いたところで笹平コースの先を見に行く。ここから先は樹林帯で暗くなっている。地形図では広葉樹マークがしばらく続き、750mあたりからは針葉樹マーク。おそらくは杉林だろう。無に時間を過ごしても富士山は不明瞭になる一方だ。休憩は切り上げて浅間嶺に向かう。富士山への期待はすでにないが、ウノタワの雰囲気の中を歩くだけでも気持ちはよかろう。

(新緑の頃はどうなのだろうか)


(展望台に向かう)


(なぜかドラム缶があったりして)


(何とも気持ちの良い歩きだ)


(間もなくだ)


(小ピークかと思ったが、すでに展望台だったらしい)


(改めて御前山)


(こちらは大岳山)


(御前山から御前山)


(そして、大岳山から大岳山)


 分岐に戻って直進。展望台に向かっている。前方に小高いピークが見えている。あれが展望台か、もしくは浅間嶺ピークか。<展望台0.3KM・浅間嶺0.4KM>。距離にして100mの違いだが、実際は300m近くはあった。それは後の話。のんびりと登って行くと小ピーク。手書きで「御前山」とある。右手の視界は開け、これは明らかに御前山と大岳山とわかる。御前山から御前山を眺めるのもおかしな話だが、考えてみれば、この手書きはピーク名ではなく、向こうに見えるのは御前山だよということだろう。現に、気づかずに通り過ぎていた右手の木には手書きの大岳山もあった。大岳山はここのところぶなじろうさんが足繁く歩かれている。失礼ながら、アイドル的な存在を三ツドッケから変えられたわけではないだろうが。

(浅間嶺。正確には展望台)


(真ん中に富士山だが、これでは見えないと同じかも。さっきよりも消えかけている)


 カヤトの間の道を行くと10人くらいの人の姿が見えた。ベンチに腰掛けて食事でもしているのか。正直のところまいったなぁと思った。というのも、出発時からここに至るまで、だれにも会っていず、今日はこのままで終わればハッピーだなと思っていたからだ。もっとも、これにすっきり富士が加わればなおさらのことだったが。
 ベンチの人だかりは展望台だった。10人どころか、あちこちのベンチで食事、おしゃべり中で、空いているベンチはない。それどころか、まだまだ登って来る。大方は数馬の方からだろうか。自分は随分と寂しいコースで歩いて来たものだ。展望台からの富士山は、松生山から以上に霞に覆われて没しつつある。目を凝らしての淡過ぎのシルエット。「今日は富士山も見えないなあ」とおっしゃる方に、「見えるじゃない。あそこに」と連れが指さしで言う。「どこ? あぁ」。

(浅間嶺の山頂はあれだろう)


(神社があったので、これで終わりにしようと下りかけたが)


(気になったので神社の裏に行ってみる)


(ここが山頂だった)


(山頂の山名板。山名にこだわる方はどこにでもいらっしゃる)


 喧噪の中に自分の居場所はない。山頂はここではあるまい。標識は見かけなかったが、先に下るとピークが見えた。おそらく、あれが浅間嶺の山頂かと思う。鞍部の右手は休憩所になっていて、ここにも5、6人が休んではいたが、ベンチも空いていたので、山頂から下ったら、ここでランチにすることにしよう。
 林の中を登り上げると、トタン小屋に納まった富士浅間大神の社があった。手を合わせて下りにかかる。途中で、ここが山頂と思っていたが、どうもおかしい感じがした。念のため神社の裏手に出て先に登ってみる。そこが山頂だった。浅間嶺なんてたいそうな名前だが、山頂そのものは冴えない。ここにあるのは山名板と標識だけ。山名板には「小岩浅間」と書かれたものもある。「小岩」はこの辺の地名だろうか。標識を見れば、<人里峠>方面が記されている。地図で確認すれば、人里峠(へんほり峠)は数馬の浅間嶺寄りではあるが、山頂の巻き道コースもある。ここを通らずに展望台に行く方がほとんどなのだろう。現に、ここの山頂にいたのは自分だけで、セルフを撮っている間にオニイさんが登って来ただけだった。

(ここでランチタイム)


(帰路になる)


 話がダラダラと続いた。これからは帰路になる。休憩所のベンチに腰掛けてランチ。いつもの菓子パンとコンビニおにぎりと水。離れたベンチに座っていたグループは東京都の環境保護関係者らしい。2人がヘルメットを持って山頂に向かったら、上司格だけが残ってタバコを吸いだした。こちらもほっとして一服つける。その間、単独のオジさんが、自分の帰路予定の方向に下って行った。

(伐採地が見え出し)


(ここに戻ってちょっとした周回をしたことになる)


(あとは往路と同じところを下る)


(往路でも気になったが、これは何だろう)


 標識には<時坂峠3.3KM・払沢の沢入口バス停5.1KM>となっている。山頂までたいして長い登りは感じずに来ていた。後は下り一方だから、5キロの距離もさほど長くは感じなかった。伐採地手前の最初の分岐標識でオジさんをかわした。今日はどうしたのだろうか。我ながらいたって元気な歩調だ。ここに至っても立ち休みすらしていない。よほどに楽なハイキングコースを歩いているようだ。たまにはこういうのも久しぶりにあってもよいだろう。

(ここでまた寒くなる)


(貯水タンク)


 復路の様子を長々と記すのも何だ。さっきまでの記憶は数時間しか経っていないがしっかり残っている。伐採地上の通過は、登山というよりもハイキングといったイメージになっていたし、その後の杉林歩きもしかりだ。ピストン歩きだから、改めての発見はなかった。ただ、その間に登りの2人と出会ったのは意外だった。

(林道に出て)


(こちらの林道に入る)


(首欠け地蔵)


(峠の神社)


(鳥居もあった)


(薄暗いところを通って)


(東京都便所に出た。往路では、便所の脇から上がり、標識に気づかずにそのまま右に行った)


 改めての特記もなく、いくつかの茶屋前を通過して林道に出た。この先の課題が残っている。往路で見誤って通らずにいた時坂峠。標識を進入林道に入る。結局は林道歩きかとがっかりした。ここもまた舗装の林道。左下は植林の典型で、急斜面になっていて、とてもじゃないが樹を伝っての下りは無理かろう。首欠け地蔵と字が消えかけた供養塔らしき石碑の先が時坂峠。鳥居と、これまたトタン張りの社があった。神社の名前はない。
 細い杉林の道を下って行くと、登って来るオバちゃんがいた。1時は過ぎている。浅間嶺に行くとしても、日が延びたとはいってもきついのではないだろうか。そんなことを思いながら、意外に長い坂道を下ると林道に出た。往路で時坂峠の標識を見損ねた東京都施設便所がある所だ。便所は便所だが、カタカナのトイレくらいに訂正したらどうなのか。その用事もないから覗きもしなかったが、建屋は新しく清潔そうなわりには、案外、ドッボンで、ペーパーすらないのではなかろうか。想像どおりならやはり便所か。ここまで下ると、あとは払沢の滝(ほっさわの滝)だけだが、途中の福寿草もじっくりと観察したい。

(福寿草ゾーンへ)


(春ですねえ)


(今日は風がない。あれば、一面が花粉で黄色になるのだろうな)


(結局は福寿草)


(まだツボミもある)


(林道に出て)


(駐車場)


 民家が出てくる。福寿草も始まった。登り時は偶然だったが、帰路は確信になっているからか、往路で見た以上に咲いている。陽があたって花を出したのも随分とあるのだろう。しつこく写真を撮り続けた。
 駐車場に到着。出発時車の台数に変化はないが、人の気配が多い。BMWはすでにない。動いている人たちのほとんどが滝見物らしく、軽装で滝の方から戻って来る。車に荷物を入れ、登山靴は脱いでズックにした。カメラだけ持って滝に向かう。

(払沢の滝へ)


(歩きやすかった)


(ここにも福寿草。檜原村も福寿草をもっとPRすればいいのに)


(水神宮の碑)


 滝への歩道はチップを埋めたのか歩きやすい。整備もされている。さすがに東京都唯一の百名瀑だ。地図を見ていてちょっと気になった。「払沢の滝」なのに、流れ込む沢の名は瀬戸沢。滝を越えると沢の名が違うのだろうか。水神宮の石碑を過ぎると、東屋があって、滝に到着。だれもいなかった。

(滝案内板)


(払沢の滝)


(近づいて)


(結構深そうだ)


(帰るとする)


 案内板には「四段落差60m。一段目は26m」とあり、滝の名称のいわれも記されている。どうも、払沢とは沢の名前ではないらしい。そんなことよりも滝を観る。残念ながら全容は見えない。一段目の上にかろうじて二段目が少し見えていて、落差60mの感覚がつかめない。これではありふれた滝と違わず、案内板の滝写真に比べても水量は少なく、その分、勢いもない。ちょっとがっかりで、直瀑ながらも、自分にはじっと眺めていたくなる滝でもないようだ。滝見物が数人やって来たので立ち去った。

(駐車場)


(滝めぐりマップ)


 駐車場に戻ると「檜原村滝めぐりマップ」なる看板があった。檜原村は滝の宝庫らしい。13瀑の写真が出ていて、写真なしが12もある。つまり、名前のある滝は少なくとも25。払沢の滝で満足していれば、他の滝も観に行きたくなるものだが、後日に改めてといった気がどうも起きない。滝見に徹したハイキングとすれば楽しいかもしれない。それはともかく疲れた。では帰るとするか。

 久しぶりに楽なハイキングだった。5時間半歩きながらも富士山以外は楽しめた。滝もまた、欲目を出さねばきれいな滝だった。こんな歩きでも累積標高差は1100m、距離は14キロを超えていた。奥武蔵の鼻曲山で陰鬱な歩きをしただけに、余計に満足できたのだろう。こんな、のんびりしたハイキングもたまにするのもいいものだ。

(今回の歩き。展望を天望にしてしまった。ミス)

この地図は電子地形図25000(国土地理院)を加工して使用しています(令和元年手続改正により申請適用外)

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2 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2023-03-16 19:16:09
こんばんは。
浅間嶺ですか!遠征としてはなかなか渋い選択ですね。しかしながら、前半の福寿草、落葉樹の森やカヤトの尾根など、のんびり気分で気持ちよく歩けそうですね。ただ、富士山は残念でした、としか言いようがないですね。
自分は20代前半に訪れたような気がします。数馬あたりから歩き始めたような気がしますが、ほとんど記憶がありません。当時は、浅間嶺というピークは無かったように思います。風張峠から時坂峠あたりの起伏の少ない連嶺を全体として浅間嶺と呼んでいたように思います。
アイドルは、もちろん三ツドッケですよ。ただ、三ツドッケははるか遠くに去ってしまいました。もうとどきそうもありません。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2023-03-16 22:11:11
ぶなじろうさん、こんにちは。コメントありがとうございます。
浅間嶺は、以前から、奥多摩の山地図を見ながらも、そんな山があるんだなといったレベルで、特に行ってみたいとも思ったことはありませんでした。その理由は、標高でしょうか。1000mありませんから。大菩薩嶺ならともかく、低い浅間嶺は眼中になかったのが正直のところです。
変なところで、近所の軽いハイキングの里山は歓迎ながらも、1000m超えでないと、わざわざ遠出してまで行くのもなあといった気持ちもありました。今回の浅間嶺のきっかけは、やはり福寿草ですかね。結果は山頂付近も含めてナイスでした。
ぶなじろうさんが記されている浅間嶺の解釈ですが、なるほど、そうかもといった気がします。現に、展望台を山頂ととらえているらしい方々がほとんどで、自分には違和感を覚えたものです。
敢えて記しはしませんでしたが、ぶなじろうさんにとってのアイドルは相変わらずに三ツドッケですね。宗旨変えしていないようで、ほっとしましたよ(笑)。
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