たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

一の鳥居からオーソドックスに武甲山周回。目的は温泉だったのだが…。

2018年12月16日 | 奥武蔵の山
◎2018年12月13日(木)

一の鳥居駐車場(9:30)……武甲山(11:10~11:30)……シラジクボ(11:54)……持山寺跡(12:14)……一の鳥居(13:08)

 草津に湯治にでも行きたいが、湯治目的で、低料金、2食付きの宿は3泊以上になっていて、寒いところで4日間も一人で過ごすのはつらい。ましてやることもない。読書とテレビだけでは飽きもくる。せいぜい近くの日帰り温泉で間に合わせることにしよう。
 目についたのが武甲温泉。風呂も広いしゆったりできそうだ。入浴後は広間でモツ定食でも食べて生ビール。読書しながらゴロゴロ。昼寝になってもいい。その後にもう一浴して帰る。だがそれだけではもったいない。温泉前に武甲山でも軽く登ろうか。まぁ、そんなイメージを抱いていた。小市民的なささやかな楽しみといったところだ。
 武甲山に初めて登ったのは34年前。12月末のことで積雪があった。飯能駅から国際興業のバスで名郷。鳥首峠、大持山、小持山を経由して武甲山。その後の行程が不鮮明。予定では長者屋敷ノ頭から山ノ神を経て宇根、横瀬駅のつもりでいたはずだが、すでに通れずに表参道を使って横瀬に出たのか、そのまま行ったのかははっきりしない。ただ、大きな鳥居と狛犬に雪がかぶっていたイメージだけは残っているから、おそらく一の鳥居に出たのだろう。
 話はずれるが、「ロコックス」という、ヒザ・腰サポートのスパッツを買った。これならヒザのサポーターも必要あるまいし、保温効果もあるだろう。早速、出る前にこれを履いて犬の散歩に出た。通気が良すぎて、やたらとスースーし、脚が冷えた。どうも、この製品は夏向きらしい。これに半ズボンでも履けば、そのままでも歩ける。家に帰って、ヒートテック下着に履き替えた。今季初のヒートテックだ。ヒザのサポーターはいつまでも当てておくわけにもいかないので、今回はやめた。

 道を間違えて時間をとられた。石灰工場群の先で一時的に狭くなるところがある。タクシーが下って来た。ハイカーを乗せた帰りだろう。タクシーは動かない。ということは、オレにバックしろということか? カーブ付きの下り20mほどのバック。片側はもろに川に落ち込んでいる。ソロリソロリと冷や汗をかいて川側の路肩に寄せた。軽で来ればよかったと後悔する。

(出発)


 鳥居の先の駐車場には7台ほど。こんな時間だ(9時20分)。もうだれもいない。準備していると軽が到着。若い男女の3人組。自分の後ろにはだれもいない歩きを想定していただけにがっくり。同じコースならいずれあおられ気分になる。仕方ない。こんな単純なコースでも、無理をすれば足に響く。自然体で歩けばいい。武甲山山頂までのコースタイムは2時間20分か。2時間半で12時到着を目標にしよう。ちなみにハイキングコース入口の案内看板には2時間10分とある。

(二丁目の丁石)


 歩きながら、ふと<二丁目>の丁石が目に入った。嫌なものを見た。この丁石をすべて撮って、後で必ずチェックすることになる。先日の吾国山でもそうだった。気にしまいと思っても、撮っては後でやはりチェックしてしまった。ところで一丁目はどこにあったのか。帰ってから探すことにする。この丁石だが、結局、今回も例外なく山頂まで見たものはすべて撮ったが、撮るほどのものでもなかったなと後悔してしまった。どうしても、自分の頭の中には、丁石=古道の証、遺物といった固定観念があるが、そうじゃないのもかなりあった。

(嫌らしいコンクリ道。これでも結構きつい)


(十丁目だが、書体が不自然に感じる)


 今は車が通うこともないような道にはコンクリートが敷かれている。たまに途切れても復活する。丁石の間隔は50mほどだったり100mを超えのようだったりで、統一されていない。十丁目あたりになって、何となく共通性に気づいた。明瞭な丁石の隣に、欠けたり苔むした丁石が置かれている。これがないものもある。明瞭な丁石の多くは後で設置されたものだろう。新しくとも、せめて大正、昭和のものとこの時は思い、写真を撮り続けている。今の時代感覚として、こんなものを新設するわけがない。まして、明瞭な丁石の中にも、芦ヶ久保村何某、秩父町何某と寄進者名が刻されているものもあり、そういうのは単体で置かれている。新しそうな丁石に何某はない。

(持山寺分岐。後ろの橋を渡って、ここに戻るつもりでいたが)


 左に「持山入口」と記された石碑があった。「安政」以外の文字は、自分には読めない。そちらには川に鉄枠の渡しがかかっている。標識には<持山寺跡 シラジクボ>とある。帰路ではここに出て来るはずだと、一応、対岸の様子を確認しておく。だが、結果として、何を間違えたのか、ここに出ることはなかった。持山寺跡には行ったのだが。
 何も苦痛なく歩いているようだが、この道、自分には半端なくきつい。十三丁目を過ぎたところで我慢できずにストックを出し、ついでにウインドブレーカーを脱いだ。汗もかなりかいている。ヒートテックはまだ早かったろうか。シャツの上にフリースも着込んでいる。つい後ろが気になる。だれの姿も見えない。

(ここからしばらくは植林の中の歩きになる)


 道が分岐する。コンクリ道は左に曲がり、武甲山は直進で、木の階段がある。ここからようやく山道になるようだ。標識では、「大杉の広場」なるところが1km先50分にあり、山頂は1時間40分となっている。今、9時50分。実は、帰路はこの分岐の延長コンクリ道から入ることになった。
 山道とはいっても、ずっと山頂直下まで植林の中の歩きが続く。展望もまったくない。せいぜい開けたところがいくつかある程度で、周囲の植林風景に変化はない。信仰の道として歩かれた頃もまた、周囲は植林だったのだろうか。そんなことはないだろう。紛らわしいところはまったくなく、踏み跡が外れる怪しげなところにはロープでガードされている。ただ、黙々と登るだけ。だからか、つい丁石に気をとられてしまう。山頂が五十丁目のような気がする。そういえば、登山口に、今年の7月に20丁目付近で熊の目撃情報があったと張り紙があった。ケガの復帰後にスズ付け歩きは一度もしたことがない。登山道のある歩きばかりだし、その必要もないと思っているが、今さらと思い、敢えて付けもしなかった。

(不動様。正面から撮りたかったが、3人組が腰をおろしていて撮れなかった)


(不動滝)


 下りハイカーが2人。10時を過ぎているし、時間的には不自然でもないだろう。山頂までの間に下りグループ4組ほどと行き交う。細い滝が見えた。これが「不動滝」。道の傍らには不動様らしき石像が祀られている。道はそこでカーブしている。5人ほど休んでいたが、2人はすぐに下って行った。残りの3人はそのまま。どうもこれからの上りらしい。ということは、あのタクシーに乗っていた人たちだろう。
 滝を見れば、もう見るものはないといったハイキングコースだ。引き続き黙々歩き。二十丁目で道が二股になるが、左は進入禁止になっている。警告の熊の気配はない。冬眠していないにせよ、熊の動きはかなり鈍くなっているだろうし、食料になりそうな物もない植林の中をうろうろするとは思えない。

(こんな道が続く)


(石祠)


 うっすらと雪が付いているのを見ると、最近の降雪だ。霜柱でザクザクと音を立てるところもある。下りがちょっと不安になった。山頂からシラジクボまでの区間は急だ。滑り止めは用意してきていない。凍結していなければいいが。奥武蔵の山も、これからは軽アイゼンやチェーンスパイクが必携だろう。
 左上に苔むした石祠。奉納は大正14年の8月。中村草田男だったかの句に「降る雪や明治は遠くなりにけり」というのがあった。詠んだのは昭和でも戦前のはず。来年になれば、大正どころか昭和も遠くなりにけりということになるのだろう。
 次第に丁石の字面が気になってきた。新しそうな丁石の文字が隷書風で、どうもパソコン文字のように感じてしまう。表情がみな同じように見えるようになった。まさかなぁ。大げさな表現だが、石工の個性を感じないのだ。

(青岸渡寺のお札)


(後で写真を見れば、大杉はこれだったのかもしれない。見上げてもいない。これは標識を撮っただけの写真)


(大杉の広場)


 三十一丁目の木のうろの中に那智山青岸渡寺の護摩札を見る。去年のものだ。相変わらず、あちこちで修業が続いているようだ。
 「ここまできたらあと60分」の欠けた看板があって「大杉の広場」。10時30分。ちょっとした広場になっていて、とはいっても、周囲は植林だ。樹の隙間から光が入り込みいくらか明るい。広場の標識には<武甲山 約50分>となっている。そろそろ一服しないとなと思っていたが、二人連れがベンチで休んでいて、吸える環境にはない。そのまま通過。実はここの大杉の広場、そうとは知らずにいた。標識に<大杉の広場 1000m>とあり、まだ1kmもあるのかと思い込んだが、これは標高のことらしい。気づかなかったから、その該当する大杉がどれなのかも探しもしなかった。

(まだまだ続く)


(ここが「大杉の広場」かと思ったりしていた)


 植林の中のクネクネ歩きが続く。尾根に上がりそうで上がらない。地図上では尾根歩きになってはいても顕著な尾根型にはなっていない。こういうところは、ハイキングコースが消えでもしたら、上りはともかく下りは相当に試練の歩きになるだろう。
 3人組が下って行ったら、もう前後に人の気配はなくなってしまった。ちょっとした雪の吹き溜まりも増えてきた。歩行に支障はない。いつの間にか、杉の植林はヒノキの植林になっていた。
 四十二丁目を過ぎると二股。左は進入禁止。標識は右手の<一般コース>となっている。左手向けにもあったのだろうが外されている。地図を見ると、ここから、山頂とシラジクボを結ぶラインに破線がある。おそらくそれだろう。『山と高原地図』には10年前版にも記されていない。後になって知ったことだが、鳥居の駐車場の<武甲山登山道>マップではこの分岐道も生きていて、<階段コース(急斜面)>となっている。

(次第に上が開けてくる)


(五十丁目)


 そろそろ終点も近い。植林の密度も薄くなり、周囲も明るく、右手には雑木林も見えている。その分、雪のマダラも広がり、積雪1cmにも満たないだろうが、足型が残って凍りついていたりする。
 上から単独氏が下って来て四十八丁目。完全な丁石が2つ。一つには「近江國 矢尾某」、一方は例の隷書風で記入なし。もう、自分の思いは当たっているようだ。そして、四十九丁目と続く。これは昔風が2基。隷書風はなし。おやっと思って五十丁目。さすがに一回り大きい。山頂まではまだ距離がある。終点が五十ではなかった。この丁石には「東京」の文字が読めるから、少なくとも総じて明治以降に置かれた丁石のようだ。ダメ押しの五十一丁目は隷書風。裏側には「平成二十二年十月」とあった。想像通りのようだ。欠けたり、なくなった丁石は最近に再建して置かれている。それもパソコン文字で彫って。こだわって、一基ずつ撮っても意味もないことだったが、植林の黙々歩きでは、見つける楽しみもこんなもので、ついこだわってしまった。そして、この自分なりの結論だ。なけりゃないでそのままにしておけば、自然のままでよいのにと思う。横瀬町でやったことなのか、氏子の方々が設置したのか知らないが、ムダなことをしているなぁと思ってしまう。

(御嶽神社)


(右に五十二丁目)


(展望台へ)


(第二かと思う)


 植林は消えて山頂直下。ここの風景は見慣れている。御嶽神社には五十二丁目があった。この石はかつてのままだ。神社にご挨拶をして裏手に回って第一展望所。ネエチャン2人が食事中。ここが第一なら第二はどこ? ということになるものだが、第二の標識を見かけることはなかった。おそらく、第一の東側の階段下の広場かなとは思うが、そちらには石灰会社の柵があって行けなかった。

(山頂)


(山頂から。白いのは浅間山だろう)


(山頂から。こちらは日光方面。男体山がはっきり見える)


(山頂から。秩父市内は意外に密集している)


 第一展望所は景色を眺めてさっさと終わった。ネエチャン2人ではこちらが落ち着かない。さして広くもない展望台だ。落ち着けるところは、下の東屋しかない。備え付けの寒暖計を見ると-2.5℃を指している。
 下る。中にだれもいないことを確認してから中に入り、ここでは煙も停滞するかもなと、外に出て木株に腰かけてようやくの一服。ついでに菓子パンを一個。今日のランチは武甲温泉でモツ定食にビールと決めているから、腹を空かせた状態で温泉に直行したい。来る途中で買ったのも菓子パン2個だけだった。
 山頂まで1時間40分。ダラダラとした文章のわりにはあっけない歩きだった。2時間20分のコースタイムは甘すぎはしないか。しかも着替え以外はほとんど休憩なしで来ている。ただ、植林続きで、気分的にはかなり長く感じた。

(シラジクボに向かって下る)


(下りの前方)


 さてと、下るか。後は温泉だけが楽しみ。せいぜい、途中にある持山寺跡だけでも寄り道しよう。それなりに由緒ある寺だったのだろうし。神社の前で、大杉の広場で休んでいた2人連れに出会い、シラジクボ分岐で駐車場出発時の3人が登って来るのを見かけた。若いのに随分とゆっくり歩きをしている。あおられ気分になる懸念は余計だったようだ。
 往路コースとは違って、こちらはからっとしている。植林も左手で切れている。ここは何回か上り下りしているが、下るには急だ。気になっていた凍結箇所もない。正面には小持山、左手に大持山を見ながらの下り。風もさほどになく、この時間は陽も高くなっていて春先の陽気の中を歩いているようだ。前述の四十二丁目先の進入禁止の分岐。出口もまたロープが張られている。崩壊でもしているのだろうか。

(振り返って武甲山)


(シラジクボ)


(標識には松平長七郎)


 雪の吹き溜まりに注意し、ススキが絵になる光景になり、振り返ると武甲山。すぐにシラジクボ。ここから小持山、大持山を経由して妻坂峠から下るのが理想だが、温泉の誘惑があるだけに、歩き足りない気分ながらも、ここから方向を持山寺方面に切り替える。この標識に<松平長七郎伝説>と付記されている。これまで気づかなかったが、松平長七郎というのは、あの里見浩太朗主演の『長七郎江戸日記』のことか? 確か、家光の弟・駿河大納言卿忠長の忘れ形見という設定だった。水戸黄門のような単純な勧善懲悪のストーリーで、最後には葵の御紋の着物で正体を現し、「長七郎君の名を語る不届き者」と言われつつ、二本差しで悪い家老や幕閣を懲らしめる。気の毒なのは何ら事情を知らない忠義な家来たち。バッタバッタと斬り倒される。その中に必ず、キツネ目の福本清三さんがいた。小気味よく見ていたが、その間に犠牲者が必ず出てしまうのが惜しい。長七郎は架空の人物とばかりに思っていたが実在か。しかも、江戸ではなく、秩父に伝説があるとは驚いた。これは見ておかないことにはなぁ。

(斜めの道で、自分には歩きづらかった)


(下に林道)


 植林歩きに戻ってしまった。斜面に作業道のような道がついている。これがやや斜めになっていて自分の足には歩きづらい。バランスを崩せば左下に落ちてしまう。日陰に入り、凍結にも注意しないといけないので神経を使った。
 下に林道のような道が見える。いずれ、あれに合流だろうと思っていたらやはりそうだった。林道歩きもまた、長距離でない限り、車が通らないことがわかっていればそれなりに苦痛にはならない。この林道はまだ現役だろう。ボコボコしていない。

(持山寺跡に分岐先にあった石碑)


(持山寺跡)


(置かれていた解説板)


 <持山寺跡>の標識を右に入る。すぐ右手に梵字のような丸い字で書き込まれた石碑が置かれている。最後の字だけはわかる。「佛」だ。ということは、6文字だし、「南無阿弥陀仏」とでも書かれているのか。
 ほどなく平らなところに出た。こんなところも植林になっていて、歴史遺産にしてはもったいない状態だ。解説板があった。ヘタな解説よりもこの端的に説明された板をそのまま載せた。おおよそ、江戸とも葵の御紋とも縁のない、テレビドラマとはかけ離れた人生だ。若くして入滅(「入定」とした方がいいのか)したようだ。ただ、長七郎そのものが実在したのかどうかは疑問視されているようだ。

(寺跡のシンボル)


 由緒ある寺の跡にしてはござっばりしている。塔はあるが、これが宝篋印塔なのか、ただの供養塔なのかは、わからない。裏を見れば草書体で嘉永七年とある。幕末に近い。もっと遺物はないのかと探す。先に行ってみると、道型はあるが進入禁止になっていて、行けない。結局、明瞭な寺跡を感じずのままに林道に戻った。

(下って行くと)


(林道に戻る)


(秩父の山の風景1)


(秩父の山の風景2)


(小滝を眺めたりしていたら)


(ここに出てしまった)


 戻るはいいが、途中から巻き道のような道が出ていて、林道に出ずにそれを歩いた。これはいいと思ったのも束の間で、間もなく林道に合流した。
 このまま林道歩きだろうなと思い、ぼんやりと下っていた。あちこちに秩父らしい風景を見つけては寒々とした風景を写真に撮っていた。途中に標識があったようだが気づかないでいる。林道を下らずともに山道に入り込んで下る道が分岐し、やがては、それが、往路で見た鉄の渡しに至ることになっていたようだ。気づかないからそのまま林道を歩いては秩父らしい風景に見入っている。やたらに林道を歩かせるものだなと思ってはいたが、特に不審にもなってはいない。後で軌跡を見ると、確かに大迂回している。

(一応、渡ってはみた)


 林道はやがてコンクリ道になり、往路ルートに合流した。何か変だなと気づいたのは右に鉄の渡しを見てからの後の祭り。戻って歩き直しをしたい気分にすらなったが、そこまで熱心にはなれない。早いとこ温泉に行きたい。つまりは面倒くさいだけのことだし、そこまで完璧主義、律義者ではない。改めて持山入口の石碑を見ると、ここに記された文字もまた「南無阿弥陀仏」のような気がする。

(迂回してここに出て)


(鳥居に到着)


 ここですんなりと元来た道を下ればよかったのだが、バラック風の建物の前に、地元ナンバーの乗用車が横付けされている。その先は私有地の中に入り込むような感じがしてしまい、そのまま林道を歩くことになる。いずれ先で合流だろうと思ったが、間に川があり、橋もなく、結局、そのまま鳥居の前に出てしまった。ここでも迂回歩きをしてしまったわけだ。

(一丁目)


 鳥居の手前に<壱丁目>の丁石があった。ここに併設のパソコン丁石はない。
 駐車場には、新たに加わった車を含めて6台ほど。山頂にいたネエチャン2人が自分と同じ方向から下り、さらに単独のネエチャンも下って来た。この単独ネエチャンは妻坂峠の方からだ。余裕があれば自分もそうしたかったが、武甲山そのものが温泉の付け足しだったから、当初から考えも及ばない。

 期待していた武甲温泉。駐車場に入るや、中から歌謡ショーをやっているようなスピーカー音が聞こえてきた。平日でもそんなのありなのかと思って入ったら、たまたま「感謝祭」の期間とかで700円が300円で入館できた。ラッキーだ。その時は生ビールをもう一杯いけるかと思ったりしている。もちろんノンアルでごまかすつもりはない。歌謡ショーも延々とやっているわけでもないはず。
 大広間の脇を通って浴場に向かう。舞台の脇から時代劇のカツラをかぶった芸人が2人出てきた。何とか一座のショーだったみたいだ。
 風呂はぬるめの弱アルカリで、露天も含めてゆっくりと浸かった。ジェットバスもあった。露天は外に出てからの敷石が長く、その冷たさが足裏に強烈に感じた。
 風呂にゆっくりと入ってはいても、身体が赤くなるほどのポッカポッカ感はないままに大広間に向かう。一応の予定通りのことはしよう。
 大広間はカラオケの会場になっていた。これは事前に知ってはいたが、平日は静かだろうと思い込んでいた。考えれば、年寄りは毎日が日曜日だ。宴会の延長でビッグエコーに行くのとはまた違う。赤の他人の演歌を聞いているほど辛いことはない。
 モツ定食で生ビール。横になって読書なんて雰囲気ではなかった。それほどに食べたくもなかったラーメンだけ食べておさらば。もう一浴もなし。300円を考慮すれば不満足ではない。温泉に入ってそれなりの満足。ラーメンもまずくはなかったし。
 外に出るとブルブルと寒気がした。エンジンをかけてしばらく待機。暖かくなったところで発進。ようやく人心地がついての帰路となった。

(本日の軌跡)

「この地図の作成に当たっては、国土地理院長の承認を得て、同院発行の数値地図200000(地図画像)、数値地図25000(地図画像)、数値地図25000(地名・公共施設)、数値地図250mメッシュ(標高)、数値地図50mメッシュ(標高)及び基盤地図情報を使用した。(承認番号 平24情使、 第921号)」

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8 コメント

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Unknown (ふみふみぃ)
2018-12-17 08:48:28
武甲山は西から登るものだと勝手に思いこんでいたのですが東が一般コースなんですね。
ただ植林の急傾斜が続くと思うと行く時は縦走で立ち寄ろうかなあと。ジラジクボの方から行くと緩そうですが迂回するのを地形図で見るともどかしいし。
手短に展望を楽しんでさて温泉とモツ煮と思ったら昭和カラオケ会場に迷い込んでしまいましたか(笑)。安く温泉に入れる日だからたむろしてたのかもしれませんね。
急傾斜の登りもコースタイムを切られたようだし、そろそろ足尾へ帰還でしょうか。
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ふみふみぃさん (たそがれオヤジ)
2018-12-17 13:23:42
ふみふみぃさん、引き続きのコメント、ありがとうございます。
私の歩いた往路コースは「表参道」となっていますから、一般というか、かつては正式な手順コースだったのでしょう。まして、駐車場もありますから、オーソドックスなものでしょうね。
問題は復路をどう取るかになりますが、以前はあった北西に下るコースは削られて今はない。歩き足りないハイカーはどうしても小持山、大持山、妻坂峠となるのではないでしょぅか。
武甲山そのものは山が半分削られていますから、武甲山のみの登頂でバリルートを練るのは難しい山かと思います。
日帰り温泉も、平日は空いているだろうと思っても、GBだらけで、それは良しとしても、手前味噌のカラオケ、まして、進行役のスタッフまでいましたよ。一曲100円とか言っていましたけど。でも、私なんかの感覚では、カラオケは酔った勢いで歌うもので、しらふでよくこぶしをきかせて演歌を歌えるものだと感心してしまいます。GBパワーでしょう。
足尾の山を離れてそろそろ四か月になります。年内にはと思っているのですが…。実は、どうしても足尾の山に行かなきゃならない事情があるものですから、年内には行くことになるでしょう。
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Unknown (みー猫)
2018-12-17 22:06:51
こんばんわ。
歩き足りないハイカーは自分でした(笑)・・山と温泉と本アルの組み合わせとは、もうほとんど行ける感じですね。カラオケとは無縁の静かなところで、かつ運転を気にせず呑みたいです。事情というのは板かなと察しますが、もう登山道でなくてもOKになったのですね。お疲れ様でした。
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みー猫さん (たそがれオヤジ)
2018-12-18 09:22:27
みー猫さん、こんにちは。
何か用事があって付け足しで歩く。そういう時に限って歩き足りなさを感じるものですが、大方は、その用事が満足できた場合に帳消しになるものです。用事そのものが期待から外れた形になれば、どうしても、ついでのことが不満足になるものです。
最初から逆転させて、風呂を付け足しにすれば、また思いも変わったでしょう。
静かなところでゆっくりと酒を飲む。いいですね。ですが、テント泊を前提にすれば、これからの時期はそうもいかないでしょう。寒くて寒くて。震えながら飲むのもねぇ。ビールならなおさらで、飲むのなら熱燗でダラダラと飲んでいたいですよ。
事情はまぁそんなところです。気になっていましてね。登山道にこだわりはありませんが、ヤブであっても明瞭な尾根筋歩きなら問題はないでしょう。さらに岩場なしなら。
そういえば、白毛門に行った際、みー猫さんがハイトスさんに、ストックの件でグリップタイプではなくステッキ型を勧めていましたね。あれが私の頭にあって、松葉杖から開放された時点で、山でもステッキ型を使うようになりましたが、あれいいですね。重宝していますよ。
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武甲温泉 (HIDEJI)
2018-12-18 19:22:52
たそがれさん、こんばんは。
表参道の50以上ある丁目石は、写真撮るのも大変だったのではないでしょうか^^;
山頂付近の降雪は少し驚きですが年の瀬ですから珍しくもないですね。持山寺跡の立入禁止の先は、廃道化しているみたいですが妻坂峠まで道があったようで、少々気になっていました。
記事にするほどの事ではないのですが、先日、横瀬の二子山を歩いた後、武甲温泉に寄ったのですが、日曜日でも午前中は人も少なくて、大広間も4〜5人ほどしかおらず静かなものでした。入場料が300円はお得かと思いますが、カラオケショーは余計ですね。
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Unknown (ぶなじろう)
2018-12-18 21:50:56
今晩は。
本記事を見て、かつての「三十六童子」のお歩きを思い出しましたよ。三十六童子ほどのこだわりとは思われませんが、たそがれさんならではの丁目石捜しだと思いました。ましてこのコース、杉林だらけで、そんな小さなこだわりでも見つけなければヤッテいられないような・・・。
HIDEJIさんのレポートに、喫茶店が生川にあった事とヤギさんの登場が記述されていましたが、そのあたりはどうだったのでしょうか?ヤギさんと持山廃寺を引っ掛けて立ち寄ろうかと思っていたもので。
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HIDEJIさん (たそがれオヤジ)
2018-12-19 20:40:13
HIDEJIさん、こんにちは。
丁石の件。これだけはやるまいと思っていたことだったのですが、HIDEJIさんのコメントで、果たしてすべての丁石を撮ったのかと気になってしまい、チェックしてしまいましたよ。23、33、45丁目の3基が欠けていました。すべて写真に収めたと思っていたのですが。
考えようによっては大したものでもないし、わざわざ3基を改めて撮りに行くようなバカなことはしませんが、長い植林歩きの中で退屈しのぎにはなりましたね。その時点で、欠けに気づいていれば、逆戻りして、さらに退屈しのぎにはなったでしょうけど。
HIDEJIさんの記事は、ぶなじろうさんからのコメントもひっかかったので改めて確認させていただきましたが、持山寺先の立入禁止は妻坂峠まで続いているのですか。丁石はどうでもいいですが、かなり気にはなりますね。今度行く際にはそれを歩いてみるのもおもしろいかもしれませんね。いや、それをいずれは歩いてみることにします。※35年前に発行された『東京付近の山』(実業之日本社)の簡易地図には、持山寺から妻坂峠の西に出る破線路が記されています。これでしょう。
武甲温泉の大広間に4~5人ですか。おそらく休日かと思いますが、そんなものですか。私の時は30人ほどいましたけど。300円の威力ですかね。700-300=400円ですから、カラオケを4曲タダで歌えるという計算になりますね。なるほど、カラオケガンガンもそんな経済観念からですかねぇ。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2018-12-19 20:40:50
ぶなじろうさん、こんにちは。
三十六童子、懐かしいですね。あれをすべて確認したいがために何度足を運んだことか。烏天狗を見て満足しました。それに比べたら、この丁石は嫌がうえでも目に入る。まして、周りは杉の植林。どうしてもこだわってしまいますよ。展望でもきいていれば、?の字面の丁石を見た時点でさっさと放棄しますね。
喫茶店とヤギのこと。何のことやらわけがわからず、HIDEJIさんの記事を見直しました。歩道に入る前に右手上に見えたのが喫茶店だったようですね。私には、バラック風な建物でもあり、そんな前知識もなかった(つまり、ヤギそのものが自分には珍しくもないので、HIDEJIさんの記事にあった喫茶店も含めた話は忘れていました)ので、こんなところにと思いながら素通りしてしまいました。人様の持ち物に近寄るのも何だなぁと思ったこともあります。看板もなかったような気がします。まして、下りでは車がとまっていたので、さらに迂回したりした次第です。
喫茶店の店主のブログがありますね。グーグルで「武甲山 ヤギ」と検索すると出てきます。それによると、年末休暇に入ったようです。
HIDEJIさんのコメントにも返信してありますが、持山寺跡から立入禁止に入り込むと、妻坂峠の西側の稜線上に出られるはずです。ちょっとついでに様子見なんかいかがですか。
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