たそがれオヤジのクタクタ山ある記

主に北関東の山を方向音痴で歩いています。山行計画の参考にされても責任は負いかねます。深慮せず軽く読み流してください。

梅雨時の三峰山詣ではかなりしんどかった。

2010年07月04日 | 近所じゃない栃木県の山
◎2010年7月4日(日)

 三峰山という名称の山はどこにでもあるが、今日、訪ねた三峰山は栃木市と粟野町(現・鹿沼市)の境にある山。ここも修験道の山のようで、好きな石祠やら石仏があまたあるらしい。カタクリの開花に合わせて来る山としては人気のようだが、この梅雨時期に訪ねる人はまず物好きともいえよう。現に、この梅雨の晴れ間とはいえ、歩いていたのは自分だけだった。この山、先月にも来ていたが、いきなりの雨で、車からも降りずに早々に退却している。

(里宮拝殿)


 御嶽山神社脇の駐車場から8時5分に歩き出す。先ずは神社の見物。弘法大師が開山したと記されている。真偽の程はともかく、かなり由緒ある神社のようだ。こぢんまりしているが、打たせ滝があったり、雰囲気はなかなかいい。今日の歩く予定のコースが案内図として看板に出ている。4時間コースか。今のところ、天気は曇り。雨にあたらなきゃいいが。昨夜はかなり降ったから、おそらく泥だらけになるだろうと、今日はゴム長歩きにした。スパッツを付けると、洗って、乾かさないといけないから面倒。神社を一通り見て、里宮拝殿の脇から石段を登る。上には祖霊殿。ここから、山道になり杉林に入る。

(石祠だらけ)


 上りが続き、一気に汗が吹き出る。無風。じっとり。暑い。最悪の空気の状態。清滝不動様。滝があって、少しは涼しいかなと思ったが、風はまったく通らない。ここから急になる。普寛霊神。いろいろと見せ場があるね。やがて、石祠通りの上り。石祠が累々と置かれている。年代を見るといずれも昭和。紀元二千六百三年と刻されたものもある。古いものではないね。一気に興味が失せていく。またか、といった感じ。やはり、江戸期以前のものでないと重みがない。ちなみに、ルート上で目にした範囲で、古いのは明治37年だった。よく探せば、江戸時代の物もあったろうが、石祠があれだけあると、関心も薄くなる。多くは講からの寄進であろう。次第に急になり、汗の出も半端ではなくなる。頭から流れてくる。「左阿留摩耶山参道・右御嶽山参道」の道標。左は見上げる感じだったので、寄り道はせずに右に行く。

(奥の院)


 昨夜の雨で、道の状態がかなり悪くなっている。滑るし、ぬかる。やはり、ゴム長で正解だったかも。右手が開け、ほんの少し風があたる。気持ちがいい。すぐに木で閉ざされる。また分岐。右が奥の院。これはネット写真で知っていた。現物が見たかった。やはり、大時代的な立像が三体あった。ここに石屋の看板を置いても、何ら違和感がない。昭和38年物。右から「高皇産霊尊」「天之御中主尊」「神皇産霊尊」。日本書紀の世界か。興味があるのは、この三像が置かれる以前の奥の院はどういう状態だったのだろうか。昭和38年に忽然と奥の院を立ち上げたわけでもあるまい。

 ここまでちょうど1時間か。カタクリ開花の頃に立ち寄る方々のネット記事には、一様に、ここからの展望がいいと記されている。日光連山まで視野に入るとか。ところが、今、緑がうっそうとし、何も見えない。かろうじて切れているところから見えるのは、麓の田畑だけ。風通しも悪い。一服して早々に立ち去る。ここから三峰山に向かう。分岐に戻って、南東へ。やや下り気味の平坦な道。やがて、一気に下って、登る繰り返し。ササが密になり、ズボンを濡らし、もう、びしょびしょになっている。上は汗ダクだから、もう全身が湿気たっぷりになってしまった。本当に不快。右にロープが出てきた。この先は石灰鉱山だから、立入禁止。ちらちらと崩れた山肌が見える。この石灰鉱山会社、駐車場に戻ってから知ったことだが、出がけに見たコース案内板を寄贈したのが、この会社。会社の名前に「講」の字がくっついていた。

(三峰山山頂)

(採石場の眺め)


 ヘビを見かける。久しぶりに見た。アオダイショウのようだ。早い。同じ方向に向かっている。嫌だなあと思いながら、立ち止まったら、離れて行った。さっきからクモの巣に参っている。見えないから始末が悪い。顔と頭を手拭いで払いっぱなしだ。この動作は、下山まで続いた。ちょっとしたピークがある。これが永野御嶽山というピークだろうか。表示はない。ここから下り、分岐から登る。何だか、いつまで経っても、山頂に着かない感じ。いい加減、うんざりしている。植生は、いつの間にか、杉から桧になっている。ようやく山頂。10時5分。奥の院を経由して、1時間、1時間の配分だった。狭っ苦しい山頂。三等三角点。展望なし。当然、風もなしだ。ちょっと、ヤブから抜けているところがあり、歩いてみると、真下に採石場が広がっていた。足利方面がぼんやりと見える。今日の唯一の眺望だ。そうか、皆さん、ここで食事をするのか。ネットで見る風景だ。

(鍾乳洞の中の三峯大神)


 分岐に戻り下山。急な下り。倶利伽羅不動尊。このまま下ってもいいのだが、ちょっと鍾乳洞を見ておきたい。案内板には記されていなかった。寄り道。しばらくトラバース気味に歩いて行く。踏み跡は細く、崩れかけていて、ズルズルと滑る。10分ほどで、岩場の下に三峯神社と刻された石碑に出会う。上がって見ると、下が洞穴というか、これが鍾乳洞。鉄梯子が下りている。下りてみようと、梯子に手をかけたら、錆びている。下りたら、上がれない危険もあるので、用心のため、ザックを外に置いて、目印代わりにした。だれかが通れば、ザックに気付くだろう。深さは5~6mくらいだろうか。奥行きはない。せいぜい4畳半程度の広さ。ひんやりとしている。ここに社が納まっている。山峯大神。何となく恐くて、ずっといられる雰囲気ではない。

(柵越しに鍾乳洞を覗いてみる)


 分岐に戻って下る。左手に沢が流れている。水をゴクゴク飲み、ついでにゴム長のドロも落とす。右手に浅間様。これも、ご神体は鍾乳洞の中にあるようだ。この鍾乳洞には入れない。ここの鍾乳洞は横穴のようだが、さっきのは竪穴。危険度は竪穴だと思うが、こちらに入れないのは、教育委員会の管轄違いによるものだろうか。ここは粟野町教育委員会になっている。さっきの鍾乳洞は栃木市?

 やがて、幅広の道に出た。山林の作業道のようだ。これを歩く。陽が出て来て、すごく暑い。高熱を出しているのに歩いている感じ。またクモの巣。11時40分、駐車場に到着。3時間半の汗ダクツアーだった。このままでは車にも乗れず、下着も含めて、すべて着替えた。汚れ物は汗でかなり重くなっていた。

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2 コメント

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Unknown (ぶなじろう)
2010-07-05 22:47:51
やはり、古い石祠、石仏好きでしたか!
どうも、そうではないかなと、薄々感じてはいました。それも、江戸期ではイマイチ満足できない・・・。同感です。
私もずらりと並んだ石祠、石仏よりも、草に埋もれかかったヤツに、愛着を感じてしまうのです。
なので、金田峠に行ってみたい。
それは、そうとして、、三峰山。頭に入れておきます。
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ぶなじろうさん (たそがれオヤジ)
2010-07-06 08:44:21
こんにちは。
三峰山は本当に頭に入れるだけにしてください。万一、行かれるとしたら、近くに星野自然村というのがあって、カタクリの名所のようですから、見物のついでに足を延ばす程度にされたらいいでしょう。私のような目的だけで行く山としては無理があるです。
ところで、ぶなじろうさんは、梅雨時の歩きはダメですか。那須の大峠付近には、使うこともなかった砲台跡やら石仏もあるようですね。そして、これからはニッコウキスゲですか。写真が楽しみです。
金田峠、私も、改めて行くつもりでいますよ。今度は、高薙山も於呂倶羅山も経由せず、金田峠だけに行きます。お会いしたりして。
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