池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

童どもが夢の跡か!?

2010年03月14日 | 好きな日常
営業先である優良なお取引様が私の小・中学校の頃の活動地域にあり、
少し時間が有れば昔を懐かしんではウロウロと訪れている。
先日は、待ち合わせまでの少しの時間が有ったので、
地下鉄阿波座駅界隈のなつかしの場所である薩摩堀公園を見に行った。

この公園の東には、石碑があっていろいろな遊びの中心であったように思う。
集合場所やこの石碑の周りが遊びの中心であり、かくれんぼの鬼の居場所であつたし
馬鹿話のベンチだったし、駄菓子のテーブルでもあったかもしれない。
今も子供の姿は有るのであろうか?



子供のときは気づかなかったが、碑文を読んでみたら
皇紀二千六百年の文字と、八紘一宇の碑文がある。
裏面には、廣教地区が建立したことが書いてあるし
んん・・・・・・戦時教育とその当時の日本の精神思想というものが
見えてくるもんである。
子供の時にはぜんぜん気づいていなかった。



http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/70/c2af8f2a05291af66def24118cede073.jpg
↑その碑文の拡大を表示することができます。少しこの物について調べてみると
 当時の国威高揚政策として国家プロジェクトとして取り組まれた皇紀二千六百年記念
 事業の一環として建立されたようである。これは、国旗掲揚台の基部であるようだが?
 となると、一辺が1M程の基部をもつ掲揚台の高さはかなりのものであったと
 推測できるが実際どうであったろうか?
 町内地域をあげて、この前に集まり諸々の戦時行事が行われたに違いないし、
 ここから町内の顔々合わせて送り出された兵士も多かったのではないか?
 生死分岐でもあった地点であろうと悲しいながら推測できる。

朽ちた低い木製ベンチで、パンパンに膨らんだ営業資料入りリュックを
傍らにして、少しおなかが邪魔だがいつもの登山靴を脱いで胡坐をかき
初春の冷たい風と長閑な陽光の元で阪急大宮駅で購入した
特売のおにぎり2個を背中を丸めて頬張りながら見上げる空は明るくて、
《ここはあまり昔と変わらんナ~、お菓子屋の松島君や木村君や小川君や
文房具屋の田中さん、米屋の谷口さんはどないしてるんやろ~?
石田君が亡くなっていたのは最近知ったし、酒屋の左利きの能勢君はどうやろか?》
と、
佇む淋しい【おっさん】の姿は、ビルに囲まれた都会の公園には妙にマッチして
道行く人の《ホームレスが一人どこからか流れてきた?》的な視線に
残念ながらさらされているのを気づく私であった。