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池やん!まいど!おおきに!ごきげんどぅ!

仕事・今までの人生
このごろ悩みが多くて困ります。
周りの多くの人に救われているのを
実感する今日この頃。

ハイブリッド(Hibrid)に思うこと

2011年08月07日 | 好きな日常
昨日、仕事の件で少しお願い事があり先日記述したCafeで
そのオーナーさんとミーテイングをした。
そこでそのオーナーさんが所有するニッサン・プリメーラワゴンが
10年目を迎えたので乗換えを検討しなければいけないとの発言があり、
そこに居合わせた知人の客が、オーナーが軽自動車への乗り換えでよいとの
考えを持っている事に関して安全性や走り性能の観点からハイブリッドの
トヨタ車の購入を進言していた。
私も賛成の意見である。(が、プリウスは薦めていない。SAI!)
理由、やはり燃費(驚愕)!20km/ℓを割る事は無い。
今レギュラーガソリンは150円/ℓ。
私の仕事に使うE24キャラバンはディーゼルでよく伸びて10km/ℓ。
軽油が高くなったので、120円/ℓ。
計算するまでも無く、ハイブリッド車の経済性が際立つ。
即ち、走行距離が伸びれば伸びるほど単純に考えて
燃料経費は半分ですむという事。
で、私も試乗したときに実感したのだが、出足が良い。
モーター独特の走り出しからが力強い。
何よりも静か。振動が無い。

根本、ハイブリッド(Hibrid)という言葉は異質のものが
二種合わさって別のものが生み出された機構をさす言葉であるらしい。
生物学的に昔、阪神パークに居たレオポンもそうだし、
笑ってはいけないがイノブタもそう、
天下無敵のハイブリッド様である。

その談笑中に別の大阪で事業を営む友人からの呼び出しの連絡があり、
今度は、紫野泉堂町のサイゼリアでミーティング。
ここでもくだらない話に終止し、
今更,キャベツ入ったぺぺロンチーノスパゲッティ、
ミネストローネ、ガーリックトースト、ドリンクバーで3時間の談笑。

私のように勝手気ままに生きているのではなく、
彼は先祖から受け継いだ大阪でも数少ない金属加工事業は
その業界全体がおかれている環境が壮絶で、
仲間の突然の廃業や倒産に麻痺してしまっている感があるらしい。
主要取引先の
「三菱重工の防衛部門が明るくなればな~~~。」
と言っていた。

本人は事業の廃業を考えているのだが
私のように身軽に事業転換をする事が出来ないでいる。
なぜなら、廃業に伴う膨大な量の環境汚染につながる
産業廃棄物の処理の費用が経費として重くのしかかるからだ。
金属の高度加工で優位に立ってきた時代は過去のものとなり、
多くの技術が海外に流出し、日本国内での環境基準よりも緩く、
海外の生産品が日本の指導により高度な技術を付加して
輸入されているとのことである。

談笑の終盤に先ほど話したハイブリッドに付いて色々思考しつつ、
彼と馬鹿笑いをした。
[こんな女子がいてたらええな~~~~!と意見が合う。

①コンビニ女子=それなりに不便を感じたときに助けてくれる。
②ハイブリッド女子=静かで経済的。
と、文面にできるのはここまで。
あとは言えない。

彼の奥さんも同席であったが、勝手気ままな、我侭男たちの見解に
怒りの表情である。
で、
家路を急ぐのであるが、困った事に腹が減る。
到着間近の場所から細い峠道を越えて亀岡市内へ!
いつものファミレス・ガストへ到着。
いつもの妙齢女子が笑顔でお出迎え。
マニュアル通りとは言えどもあの笑顔に触れると勘違いをしそうになる。
自身が淋しい者であることを気づいてはいるのであるが、
彼女はハイブリッドになる可能性が有るであろうかと考えていると、
その彼女がいつものとおりのアナウンス、
お冷の場所ドリンクバーの場所を伝えに来る。

にやけている自分がばかばかしくて口元が緩みぱなし。

馬鹿です。

相変わらずノー天気な一日の終了間近の行動である。

ハイブリッド車は走行距離が一定を超えると電池の交換が必要である。
高額らしい。
その時は私は乗り換える。
私はその時、割り切れなくて心痛めないであろうか?



私は仕事以外と灼熱の季節以外はイタリア車を使用している。
ハイブリッドとは無縁と言うかそのような性能を持ち合わせていないし、
設計にそのような発想は微塵も無い。当然マニュアルギアボックス。
最良の燃費は平均140km/hで達成するとオーナーズガイドにあるが・・・・。
先ず日本では無理。
この頃、ハイブリッドとは違う形で省エネルギーを実践している車種も
イタリア車には見受けられるようになってきたが?・・・・・・。
信頼できない。

華やかな衣装に隠されている信用できない危なっかしさや、
情熱的な会話をする一面はいつまでも魅力的だ。
遊び話せば楽しいイタリア女子は素敵だが、
しかし、致命的欠陥を知ったとたんに嫌になり、
その修理は高くつく。

以下に理想の電池交換の光景をミラノ駅に見る。
ハイブリッドイタリア女子の動画を添付した。

I Girasoli (Sunflower:1970) Ending Scene


たぶん、次の間を埋める使い捨てカイロ的イタリア女子が
マストロヤンニの後ろの指定席の向こうの窓際のAかDに居て、
西明石駅弁・ひっぱりタコ釜飯を食べているに違いない!
いや?
「あんた!ハヨ食べ!伸びるがな~~~」と怒っていそうだ。
姫路駅名物の駅ソバをすする派手な女子が居るに違いない。

最近、美的センスを持つフランス女子だと思っていた女子が
その夫の私的ブログでの大胆な行動の暴露により
典型的中国農村女子だった事が分かった。
そう言えば初対面での私への業務依頼の強引さは今思うと
まるで、中国共産党首脳部だ。

本当に女子の考えている事や行動は理解に苦しむし、何よりも恐ろしい。

私の周りの女子がいすゞ・三菱ふそう・日野自動車・UD、
下手するとコマツ・キャタピラー・コベルコ等まで居る事が、
問題だ!(悲)




1ヶ月過ぎた。少し痩せたかも?

2011年07月24日 | 好きな日常
山里に住みだして一ヶ月が過ぎようとしている。

涼しい山間なので寝苦しい夜もなく実に快適であるが、
騒音一つなく、日が昇り日が暮れていく。
一人で広い屋敷に住んでいると、さまざまな作業が朝から続いていく。
先ずは掃除。
掃除機の大活躍であるがこれがなかなか大変である。
この作業で眠っていた脳と体を呼び起こす。

昼間はあれやこれやと新しい取り組みの方向に向かって
活動をしている。

来店客や電話の対応や取引先からせかされる事もなく
一人こつこつ淡々と作業を進めているのであるが、
ゆったりとした中での新しい事への進捗の状況は、
街中で暮らす時となんら変わりは無いように感じる。
即ち、
いかに街中での作業が時間に追われ、
その場での急ごしらえの対応であったということであろうか?
じっくりと良い思考を巡らすにはやはり今の場所が最適なのかもしれない。

自然の部屋を通り抜ける山からの風についつい眠気が邪魔をする。
その風は少し肌寒さを覚える事さえある。

転居と同時にヘビーな身の回り品や物品の整理作業が続くのを契機に
摂取カロリーを考えて食事すること意識してみた。
勘違いかもしれないし、秤の誤差かもしれないが少し痩せた気がする。
日吉ダムの下の温泉の秤の測定値は毎回同じ数値だが、
美山の河鹿荘の秤は測定値の減少を確認している。
京都市中で活動した時に帰りに入浴する竹殿湯での測定も同様に減少している。

なんとなくその理由が分かるのであるがカロリーの摂取過多というよりも
私の場合、夜遅くまで起きていて食べる事が多かった事が
その原因ではなかったかと思う。

今住む周りには買い食いができるような場所は何も無い。
コンビニなんて遙かかなた。京都市中か南丹市中まで山を下る。
冷蔵庫の中もほとんどの食材を市中でその日か翌日分のものを
活動途中に買い、少しのストックしか入れていないし、
それを消費すると再びそれだけに買出しに出かけなければならない
手間を考えるとおのずからその食生活は計画的にならざるを得ない。

健康を考え実際に回復する為には、スポーツジムなど行かなくても
体を動かさなくては生活自体が成り立たないので、
不便が楽しい場所に住めば良いのかも?と考えている。

この1年間でかっこいいオッサンに変身する事を目標にしてみたい。
DIYの腕も上達したし、購入目標とするバイクもほぼ定まった。
後することは一つ一つの定めた事をこなしていく事。

でもストレスを感じることだけは避けたい。

今日の山里は居宅裏の山で草刈機の刃が地面と接触し
シンバルを摺らすようなの音がする。
人工の音はただそれだけ。

薄くもりの空からの日差しは格好のサンシェード越しである。
優しい透明感のある白々と水色の涼しい光である。
外の空気も乾いていて適度の流れがあり心地良い。

"Love is a many splendored thing"(慕情)


で、少し暑苦しいがかっこいいオッサン役のウイリアム・ホールデンと
アンディ・ウイリアムの粘っこい歌声を添付します。
しかし、ジェニファージョーンズは綺麗です。

こんな雰囲気の女子どこぞに居ませんか?
生息していましたら観察に行きます。

今、正午のサイレンが遠くから聞こえました。

週末大工とバイク選び

2011年07月15日 | 好きな日常
転居したので日々が住み家と格闘というべきであろうか、
補修・営繕・掃除に明け暮れる毎日になりつつある。

その生活の中で今までの仕事の事よりも将来についての計画が
ふつふつと沸いてくるものであるから楽しくて仕方が無い。
案が浮かぶたびにA4レポート用紙にその内容を書きとめているのであるが
その発案の初期メモの走り書きについては、
何を発案したのかも意味不明の走り書きになっているので
私はいったい何をそのとき考えメモしていたのであろうか
その記憶の忘却の早さが不思議でなぜかおかしくて仕方が無い。

折れていると診断された左腕はこの頃その機能を復活しつつあるし、
手首も柔らかく曲がるようになってきた。
胸部強打による肋軟骨の痛みは日々少しづつ改善してきている。

昨日は2部屋の床の張替えが完了したし、
明日からの連休はみっちりと家と格闘をするつもりでいる。

照明器具の取り付け、庭へ張り出す日除けテントの取り付け、
部屋壁の塗り替え、ウッドデッキの設計(と、いっても見取り図)
そして大好きな全部屋の掃除で連休を過ごそうと考えている。

秋にはこの家全体を付近の森と不釣合いな色合いに
塗り替えてやろうとも考えているのであるが・・・・・。

DIYは楽しい。

少し興味深い話を聞いたので記す事にするが、
シロアリは木材の好き嫌いがあると聞いた。
ヒノキ、クス、マツなどの脂分の多いものは良く好むのであるが
スギはおいしくないので好まないという。

山里ならではの近所の方との夕方立ち話の話題であった。

先日、バイクを買おうと思いたち古くから付き合いのあるショップへ赴いた。
で、
ドカッティ。

高価な割りにそのクオリティーに少し??????。
しかしデザインセンスはすばらしい。
で、
落ち着きそうなのがトライアンフの3気筒あたりか???。
走り込みができそうに感じる。
BMWはどうもお金持ちのバイク感が払拭できないし好きになれない。
HDはどうも乗る気にはならないし私には似合わない。
モトグッチも考えたが、昔のイメージが払拭できないし、
国産のビックバイクはどれを買っても一緒の気がして
「・・・・・・。(無言)」
本来、ヤマハしか乗らない主義なのだが・・・・・。
今のヤマハには?????。

こんなことばかりの毎日である。

《女は乗せない戦闘機》という言葉があるが、
今の私にはすでに死語になって久しい。
宜しければどうぞ!
死ねばもろとも体当たり特攻精神をお持ちの女子諸君!
タンデムシート乗せてあげます。






転居した。

2011年07月03日 | 好きな日常
転居した。

今までの考え方や生き方をリセットしようと思い
いきなりの発心で暴挙ともいえる活動を起こしてみた。

場所は桂川の上流域。京都市右京区内であるがすごい田舎である。
京都市内からは1時間弱の距離である。
居宅の前の府道は1時間に数えるわずかの交通量である。
バスも通らず慌しい商用車の先を急ぐ汗のまみれた流れもない。
当然客待ちのタクシーもなければ、
思わず振り替えらずをえない件のおねーちゃんらしき姿も見受けられない。

この暑さの中でもエアコンを必要としない場所である。
夜は窓を閉めて寝ている。
古民家なので広い屋敷と敷地に私一人で生活し寝ている。
住みだして一週間になるが時間の流れは想像していたとおりである。
あっという間に日が昇り日が落ちていく。一日の充実。

住む集落には7世帯だけ。

人の声も聞こえず、季節はずれの鶯が鳴く。
夜は先日まで蛍が舞い、晴れた夜は星が降っている。
驚いたことに家を開けっ放しで留守している家がほとんど。
私もそれを倣うことにした。
盗る物がないことを泥棒もわかっているのであろう。
夜は鹿の群れ。
夜間の運転はこれら獣に注意が必要だ。

蚊がいないのに驚きである。
久々に夕立の雨が地面をたたく音を聞いた。
タイヤがアスファルト路面を飛沫を上げながら水膜を切る音で
雨を感じるのではなく、ポツポツ・・・・・・・という
あの音で感じることができた。

雨のにおいも懐かしい。

四条西洞院 京町屋で折り紙展

2011年05月05日 | 好きな日常
友人の折り紙作家とその門下の作品展へ行った。

四条西洞院の京町屋をそのまま利用した《四条京町屋(市伝統産業振興館)》で
開催されていて久々に仕事を忘れての午後からの外出である。
こどもの日にちなみその折り紙作品テーマは、【折り紙の兜展】である。



なぜか知らんがずっと年上の折り紙の師範であり、仏教大学の講師をも務める
A・Y氏であるが、私との感性というか、会えば話す話題が良く合うので楽しい時間を
いつも過ごさせていただける尊敬する折り紙師匠である。
そのお話は多岐にわたり豊富であるが特に折り紙に関する根本の製作についてのポリシーや
超広大な全宇宙の中で生かされている自分自身に付いての自身なりの解釈の説明にあっては
関心をするほど壮大な話をいつも聞く事ができる。

本日も、いつものことながら作務衣と足袋と草履とその温和な丸メガネで
にこやかに迎えてくれた事に感謝した。

で、作品は多くの折り紙で作ったミニチュアかぶとの展示である。



で、私の為にお土産のかぶとを製作していてくれていた。



折り紙という、芸術に触れた文化的子供に日を過ごす事ができて
本日は満足である。

折り紙師匠のA・Y氏の話にそれぞれ折り紙にはその作家の専門的な分野があり
彼自身は飛行機が専門的であるらしい。
即ち、紙飛行機。
又、彼自身をはじめ折り紙のその作品は脳内にその作品の意匠が湧き出せば
何なりと工夫と経験により具体化が可能でその作品種は彼自身でも分からないが
約2000種は有るのではないかと言っていた事が印象に深い。
そして、全国に散らばる作家が各々意匠を持っていてその作品を折り展示するときには
事前にその意匠使用の許可が必要とも聞いた。

即ちそこに著作権が存在する。当たり前といえば当たり前であるが、
折り紙ごときにあってながら、折り紙だからこそである。

作品を作る為の紙を折る工夫と創意が作品に反映され
又、黙々と静かに一つの作業を進める作法は
ある意味、折り紙道(おりがみどう)ではないかと感じる。

彼曰く、
「折り紙は全宇宙の矛盾の発見でもある。」ようなことを聞いた事もある。

この世界もマニアックで奥が深そうである。

天国の話・地獄の話

2011年04月24日 | 好きな日常

12年ぶりにタバコを嗜んでみた。吸ってみた。
よくもまあこんなもんを毎日一箱以上吸っていたな~と思う。
目が回るし、気分も落ち着こうとはしない。
410円 ラークマイルドである。

昨夜は、いつものK・O氏に加えて中小企業診断士で社会保険労務士である
Y・H氏を交えての初めての三者討論会をいつものサイゼリアで
行う事にした。
今回初参加のY・H氏は84歳。
お元気ではつらつとした頭脳鮮明な発言には驚きであった。
その氏の発言の中で特に感銘したお話がありましたのでそのことを
少し述べる。

《天国の話と地獄の話》
対人関係において人と接する時に相手の短所や悪い事を他人に話す事→地獄の話
対人関係において人と接する時に相手の長所や良い事を他人に話す事→天国の話
又、それぞれに対人的関係において短所や悪い事しか見えない事→地獄・・・・。
又、その反対の感じ方が→天国・・・・。
即ち、
人それぞれに接する時に対する人の判断の基準が自己の中にあるのであるが
その解釈いかんによって嫌な事でも嫌でないように感じる事ができるはずで
あると言う。また、地獄の話をする人は地獄の人だらけに周りがなってしまうし、
天国の話をする人は天国の話をする人ばかりになるはずだと言う事。
どちらが人との接し方や生き方としてすばらしいかは、言うまでも無い。

天国の見方、地獄の見方も有れば天国の聞き方、地獄の聞き方、
天国の味覚、地獄の味覚も
存在するように私は少し進展して考えてみた。

すごく感心するお話であった。

Y・H氏と別れた後、K・O氏と二次討論会を場所を変えて、
これまたいつものガストで行った。
K・O氏も感心した話は同じだったようで、そのことについて討論を行い
整理を行った。
その中でK・O氏は持論を述べた。その彼の持論とは・・・・・・

《人生のもったいない。》一度の人生を思いっきり大切にする。
という事に集約できる話であるが後日少し詳細に述べようと思う。
彼がその説明として、このブログで説明しやすいようにチャートを使用して
説明できるようにするというのでその作成を待つ状態である。

これは今後の乞うご期待!

私は生きていくうえでの優先順位を間違えていた事にこの頃気づいている。
彼らとの付き合いもそうであるが、周りにすばらしい発想と苦難を乗り越えた
経験持つ方々と知り合うのが遅すぎたのかもしれない。
がむしゃらだけで不道徳に自己判断だけで突き進んできたので
盲目的仕事を行ってきたようだ。何にもまして師匠と呼べる方がいなかった不幸がある。
自分から排除してきた一面もある。
今までの稚拙な生き方を悔やむが後の祭りだ。

童神(Warabi-Gami)-古謝美佐子


天国の話から天国を求めようと考えると全世界で訪れてみる事は
なかなか実現はし難いが、実現しうる天国や癒しの時間を近辺で探してみようとすると
やはり琉球か?
流れる風は磯風が爽やかそうであるし、
聞こえるサンシンは単調な音律が私には心地が良い。
私の感覚の中では琉球は一番近い文化独立国であると思うので、
趣をこのままずっと残されていく事を期待をしたい。
即ち、
日本本土の資本が投入されても彼らによって作られた偽琉球文化の発信や流行は
お断りであって欲しいということだ。
又、
唯一、先の大戦で一番の苦難を知った琉球こそ日本の中で一番の平和実現に対しての
意思連帯が可能な地域ではないかとも考える。

大阪在住時代、大正区の小林地区に足を踏み入れるとそこは琉球があった。
彼らの町には独特の時間の流れがあり独特の香りがあった。
多感な時代にその地域は怖くもあり感覚の違いに排他的感情が強くて
避けてはいたのであるが、今となっては懐かしく、
たぶん訪れると難なく受け入れることができよう。
親や祖父母が琉球出身の中学の同窓・仲間はどうしているであろうか?
みんな貧乏だったな~。しかし、元気で活き活きしていた。
今の西郵便局の裏側に建設会社の飯場があり、
その一部屋で家族全員が生活している仲間もいた。
その飯場が大晦日に火事で全焼して焼け出されてしまった。
学校中で年越しの品や衣類を持ち寄って年越しの応援をしたなと記憶する。

あれは悲惨やった。

西区川口町に琉球汽船の琉球の島々に向けての定期便の荷受場所もあった。
中学時代に自転車で通りかかったら色んな物が集積されていた記憶がある。
昭和40年代後半の話だ。

この文章作成中の喫煙は何なんだというほどタバコがまずい。
買うんじゃなかった。
ラークマイルド 410円無駄使い。

12年間の禁煙中断を猛反省。
明日から又禁煙する。



高野山 その①

2010年11月14日 | 好きな日常
高野山へ行くことにした。

大阪で過ごした小学生の頃、
夏休みに入ってすぐに林間学校なる自由参加の学校行事が有り
南海高野線で極楽橋駅からケーブルに乗り高野山駅まで
そこから女人堂近くの宿坊での二泊三日の共同生活である。
そのときそこで何をしていたかは忘れたのであるが、

記憶をたどると・・・・・・・・

ABCゲームなる麻雀に良く似た《ロン》で終了の文字あわせゲームを
担任の夏秋先生がムキになって勝とうとしていたのが懐かしい。
《なつあきせんせい=素行の悪い児童にチョークを投げつける現在なら問題ありの先生》

昼食後昼寝の時間が有り昼寝をしろと指示が出る。
その後におやつが出るのであるが毎回、カンピーのみつ豆の缶詰!
缶切りを持ってくるように出発前に指導を受ける。

みんなが眠たくないのに寝床で静まった頃にでかい屁をコク! 
    ↑一日最強の笑い!!これで締めくくる

朝、散歩で宿坊から金剛峰寺をとおり大門まで行き体操をする。

とりわけ、その様な高野山の林間学校の思い出の中でも忘れられないものを
検証してみようと思い今回、行く事にした。
何より悪くした足膝に霊力の効用でもあれば良いかもしれないとも
考えてもいた。



桂 都丸さん

2010年08月06日 | 好きな日常
米朝一門で、桂ざこばさんのお弟子さんである桂都丸さんが
桂都丸さんとして最後の独演会を落語独演会に招待されたので
仲のよい某大学教授さんを誘って行く事にした。

先日より加療中の膝と足の病状がすこぶる悪くて立っているのも辛いし
座っているのはもっと辛いのであるが、
米朝事務所さんとKBS京都放送さんとはご好意の有るお付き合いを
させていただいているので、欠席するわけにはいかないと
決心を固め出かける事にした。

本当に決死の覚悟で出かけた。

結論、行って良かった。

又、人脈が増えたし、なるほど!人つながりの大切さを発見することができた。


南森町で・・・公園の桜・鳩・OL

2010年04月06日 | 好きな日常
毎年であるが、桜。
日本に住む人ならば一番うきうきする時期である。

昨日は、大阪南森町界隈を営業と打ち合わせでウロウロして、
ふと先方とのアポイントの時間調整に初めての名も知らぬ都会の児童公園の
ベンチに腰を下ろし、持参の水筒からぬるい番茶を飲む。

この頃、このパターンが営業活動時の一時(ひととき)の楽しみになっている。



新しく営業方法を模索していて方々に散る取引先様を訪問してるこの頃、
物を販売する為の貴重な意見を先方から聞くことができる。
特に本日の訪問先様は京都での事業を生かす方法の真髄と、
京都での物づくりの姿勢について原点回帰の精神を教えていただいた。
さすがに訪問先様の事業の性質から《芯》のブレがない企業様であって、
訪問先様の面談していただいた会長のお話しに、
私自身の物事に対する《ブレ》を自戒しなければいけない事の確信を得た。

前出の公園で、背負っているリュックから物を取り出そうと覗き込み、
手を差し入れると急に鳩が寄ってくる。
食べ物をもらえるという予測が立つのであろうか?

鳩の目線と、鳩の目論見を考えると急に嫌になる。
で、自分の姿がそこに投影し始めだし、気持ちが落ち込み気分が悪くなる。
信じられずに疑いつつ近づく臆病者である。

《わっ!》と言う声で鳩を脅かし追い払うと、
その向こうのベンチのかわいいOLさんと目が合うが、
OLさんの目線は《変なおっさん!肝!》である。

気まずい休憩だ。顔を上げず振り向かずに足早で去る事にした。


健やか、純朴である事

2010年03月29日 | 好きな日常
先日、最初はお客様であったが最近では色々な胸のうちを話す事のできる
親しくお付き合いさせていただいている企業オーナーさんと、
夢と言うか、今後のやりたい事というか、色々と長くお話しする機会があり
私はタイヘン満足しました。
どの業界も世間から当たる風はお互い厳しい現状は変わりは無いのであるが、
彼の会社の風当たりは、金属加工部門の業種の中でも斜陽の業種で、
想像を絶するものであろうと推測ができる。

私の業種も食品製造でありながら、食べていただける購買中心層は
高齢化が進み、年々、需要は低下している現状は単に経済状況の影響だけでは
済まされないというところまで来ていると言える。
今までは、京都のブランド力に力を借りていて助かる業態でも合ったのであるが、
食べていただける顧客が減っているという現状は今後も加速が付きそうで
淋しい限りである。

で、

聞いた彼の夢なのであるが、大学生のころ音楽の業界に生きがいを求めてさすらって
いたようで、一時期大手楽器メーカーの普及担当としての肩書きを契約社員として持ち
関西の大学のアマチュアバンドの取りまとめ的立場にあったようである。
ヤンタン(MBS・ヤングタウン)でミスキャンパス等の企画をヒントに
当時のサークルに属さないバンドを中心に集めて紹介していこうという活動も
行っていたようである。
現に、FM802開局当時にヒロ寺平に1分毎にファックスを送りつけ怒り出した
彼の番組に電話にて出演を果たすという暴挙も行っていたようだ。

その当時の仲間たちはどうなっているのであろうか?
その当時の仲間を集めて、当時同様のバンド祭を企画できないであろうか?
というところが彼の次の考えのようである。
で、仲間の消息を聞いて廻ったところ、
世相をもろにかぶって、足掻いている姿が見えてしまい
淋しくて、ため息しか出ないというのである。

西淀川区で事業を行う彼は
究極の働くおっさん庶民の味方の街、大阪十三で地域活性化と環境健全化に企画を
立ち上げたいというのだが・・・・・・・・。
この私に発想を出せというのだが・・・・・。

十三のイメージであるが、
阪急電車、阪急そば、ホーム下の低いガード下、
ガンコ寿司のあのオヤッさんの顔看板、
立ち食いの串かつ、スタンド形式の立ち飲み屋
藤田まことさんとアルサロ・キャバレーの派手なネオン看板
で、いかがわしさ満点の風俗店の連なりというところか。

しかしながら、彼は純朴なおっさんの典型かもしれないし、
輝いて話す口調はどこか共感できる。
同世代、アラフィーで同感できる感覚でもある。

なぜかしら彼の話を聞いていると、
起承転結が明確でリズムを感じる事もできるのであるから不思議である。

急にオーボエが聞きたい!
昔、日曜日の朝に《皇室アルバム》なる番組があったのを思い出した。
今も、名前を変えてはすれど放送されているのであろうか。
そのバックミュージックで良く流れていたように思うのであるが
最近では、のだめカンタービレ?で聴けたかもしれない。

モーツアルトの流れる弾みのあのテンポとリズムは、健やかなる生活の有り方に
ぴったりであるしオーボエの音色は牧歌的で長閑で純朴である。

いいもんだ。

しかし、今日はブログ話題がバラバラだ。こんな日もあって良い。

Mozart - Oboe Concerto (1) Heinz Holliger



童どもが夢の跡か!?

2010年03月14日 | 好きな日常
営業先である優良なお取引様が私の小・中学校の頃の活動地域にあり、
少し時間が有れば昔を懐かしんではウロウロと訪れている。
先日は、待ち合わせまでの少しの時間が有ったので、
地下鉄阿波座駅界隈のなつかしの場所である薩摩堀公園を見に行った。

この公園の東には、石碑があっていろいろな遊びの中心であったように思う。
集合場所やこの石碑の周りが遊びの中心であり、かくれんぼの鬼の居場所であつたし
馬鹿話のベンチだったし、駄菓子のテーブルでもあったかもしれない。
今も子供の姿は有るのであろうか?



子供のときは気づかなかったが、碑文を読んでみたら
皇紀二千六百年の文字と、八紘一宇の碑文がある。
裏面には、廣教地区が建立したことが書いてあるし
んん・・・・・・戦時教育とその当時の日本の精神思想というものが
見えてくるもんである。
子供の時にはぜんぜん気づいていなかった。



http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4a/70/c2af8f2a05291af66def24118cede073.jpg
↑その碑文の拡大を表示することができます。少しこの物について調べてみると
 当時の国威高揚政策として国家プロジェクトとして取り組まれた皇紀二千六百年記念
 事業の一環として建立されたようである。これは、国旗掲揚台の基部であるようだが?
 となると、一辺が1M程の基部をもつ掲揚台の高さはかなりのものであったと
 推測できるが実際どうであったろうか?
 町内地域をあげて、この前に集まり諸々の戦時行事が行われたに違いないし、
 ここから町内の顔々合わせて送り出された兵士も多かったのではないか?
 生死分岐でもあった地点であろうと悲しいながら推測できる。

朽ちた低い木製ベンチで、パンパンに膨らんだ営業資料入りリュックを
傍らにして、少しおなかが邪魔だがいつもの登山靴を脱いで胡坐をかき
初春の冷たい風と長閑な陽光の元で阪急大宮駅で購入した
特売のおにぎり2個を背中を丸めて頬張りながら見上げる空は明るくて、
《ここはあまり昔と変わらんナ~、お菓子屋の松島君や木村君や小川君や
文房具屋の田中さん、米屋の谷口さんはどないしてるんやろ~?
石田君が亡くなっていたのは最近知ったし、酒屋の左利きの能勢君はどうやろか?》
と、
佇む淋しい【おっさん】の姿は、ビルに囲まれた都会の公園には妙にマッチして
道行く人の《ホームレスが一人どこからか流れてきた?》的な視線に
残念ながらさらされているのを気づく私であった。


世の中こんなもんでっしゃろ。

2010年02月02日 | 好きな日常
久々に長くブログを書けないでいた。ほぼ二ヶ月ぶりでの記載である。
この頃いつも月日が過ぎるのは早いもので、
先月はお正月で、もう節分である。
時間が早く過ぎるのを感じることができるということは、
自己の身体が生物学的に代謝活動が衰えてきているかららしい。
当然、20代のころのように仕事においてもスムーズではなくなったし、
言葉数もたいそう少なくなったし、一日にこなせる仕事量もすごく減った。
食事量だけが20代とは変わらずに、より趣向性が強くなったと感じている。
それで、年寄りになればなるほど一日が短く感じるということか?
即ち、自己の体内時計よりも実際の地球の自転を基にした世界標準時が
早く動いているということである。

本当に、意識うつつのままに時が過ぎて前へ後に行きかい、
あの事象はいったい何時の事であったろうか?と、
思い出せないでいることも多くなってきた。

確実に老化のスピードは加速をしている。
ここ最近の実感することである。

で、先日友人から何気ない用件をお世話させていただいたお礼にと
プラモデルをいただいた。
最近、オープンしたフィギュアモデルを製造販売する企業の本社落成
での直売ショールームで粗品として配られていたものらしい。

↓旧ソ連の二次大戦中のT34戦車。(精巧である。中国製)




旧ソ連と戦った長老方々や軍属であった方々にはご記憶があるかもしれない。
スターリンの恐怖政治や粛清を思い浮かべる兵器である。
ソ連といえば本当に一昔前は社会主義国で恐ろしい国のイメージが強い。
実際に強制収用所が存在したわけで、ロシアになった少し前でも
原子力潜水艦が沈没しその乗組員の家族が講義中に背後に居た工作員から薬剤注射で
その場で眠らされた画像が公開されて震撼した覚えがある。

樺太が先日某二輪月刊誌で紹介されていた。旧日本統治時代の遺構がある。
中国では旧満州の玄関《大連》も、日本統治時代の建造物が今も健在である。
やはり、大陸は島国人間にとって憧れの地であろう。

午後から美山へ行く

2009年09月27日 | 好きな日常
昨日、26日(土)の事である。美山へ行くことにした。

まったく仕事を休んでいなかったので、
《休んじゃえ!》と勇気を振り絞って、店を閉めた。
で、久々に南丹市の美山を目指す事にした。



昔は、国道163号(周山街道)で、小野郷を越え、笠トンネルを抜けると
北桑田郡京北町だったのであるが、京北町は京都市右京区に先ごろ編入されたし、
その北部に広がる美山町は周辺各町村合併によりその名前は
南丹市の中に属し残すことになっている。

高雄から先は北山特有の風景が続く、まっすぐ延びる北山杉の植林である。

休日であるのに、北上するバイクの数が少ないなぁ~などと、
考えていると一台のバイクが追いついてきた。
先に道を譲るとDUCATI!
私の車(キャラバン)で追いつきそうなぐらい、コーナーリングスピードが遅い!
ライディングホームはハングしているのであるが、
肝心のバイクが傾いていない。切り返しの挙動も不安定である。
本人はかっこ良いの自己陶酔か?
もう少し、転んでも良いバイクで技量を磨いた方が楽しいのにと思いつつ
だらだらと深見峠を越えて、美山の赤橋に到着!



ライダーがたむろしている。
おっさんばかり!驚きである!
何をしているわけでもなく、ただ静かにバイクを前にして語り合っている。
少し、見て見ぬ様にしていたが、高級なパーツをつけたバイクばかりである。
ヤマハのビックバイクが1台スタートしていく、
カタカタカタカタ・・・・・・・・、キャブピストンが踊る音を発しているので、
FCR装着か?本人張り切って、京都方面にスタート!!!!!!
ふおぁーーーーーn、ごごごごごごごごごごggggggg-----。
あちゃ~~~~、メインが濃い。
多分、分からんと乗ってんねんや。
私が楽しくここら辺を走り回っているときは、250ccの2サイクル車で、
やっとレーサーレプリカらしい車種が出始めたころで、
大人数で軽く走りに来ていた。
(軽くといっても相当な危険な速度だったし、私の体重も超軽量であった。)
走りよりも、スタイルや他人の持たないパーツの所有欲の満足が中心の
バイクの楽しみ方に替わった模様である。



で、
しばらく買い物を楽しむ。
この地域で取れたり製造された商品を販売している直売所に自分の作ったものを
持ってきた人の良いおじいさんが話しかけてきたので、お話を聞く事にした。
地域の事であるがその話の中で興味を引いたのが鰊(にしん)の話。
米糀で大根やかぶらと一緒に鰊を漬ける保存食の話であった。
このおじいさんの先祖は、
明治の初めに、若狭からこの里に移り住んで来たらしい。
この地域で林業に従事していた。
食文化は、この地域は先祖が若狭をはじめとする日本海側との交流が盛んだったので、
日本海側の食が各家庭で受け継がれているらしい。

私自身、鰊を使用したそれは、福井県の三国Aコープの漬物売り場で見た事があるし、
平和堂の福井県下のお店で見つけたことがある。



そこそこに、赤橋先の交差点を右に佐々里方面へ向かう、これまた懐かしい!
大雪のときに当時所有していたアクティトラック(ホンダ軽トラ)で
雪遊びに来て以来だから、かれこれ15年ぶりだ。
少し行くとそこかしこに、山村ならではの施設、風景が目につきだす。
ずいぶんここら辺の田舎の風情が変わったが第一印象。
観光地に変貌している。
大型バスとも数台連なりすれ違うし、道の右側には大きな観光駐車ベースもある。



正直、なんか人は多いが気分はさびしく複雑な気分になる。
動物園のらくだ、月の輪くまを見る気分だ。
んんんn・・・・・少し複雑やな~~~が感想。



手作りハムを土産に、佐々里峠から広河原を抜け花背峠を越え、
鞍馬経由で帰着した。


↑佐々里峠ピークのお地蔵さんの祠である。
 私のホームページでも述べているのであるが若狭に続く京からの最短の
 旧街道の峠の一つである。ここの祠の上にはその旧街道の踏み跡があり、
 この広場にはその説明文と簡易な案内板があった。
 芦生の深い森へ続く古人の日々の作業道でもあり重要な物資輸送の道であった。
 今は、京大演習林へと続く。

美山の赤橋の特産品直売店の前にたたずむ、
黒色のダイネーゼライディングスーツのライダーがいて、
そのピッカピッカのDUCATIの取り扱い販売店プレートに懐かしさを感じた。
かの、赤ゼッケン【27】の往年の名ライダーのお店のお客さんであろう?
大将!教えてあげてください!かっこいい走り方!

模型飛行機

2009年09月13日 | 好きな日常
小学生高学年のころ、Uコンというエンジン模型飛行機を作ったことがある。
誰の指導も受けないので、どうやって飛ばせばいいのかは分からないでいて、
一度もまともに飛ばすことは出来なかったのであるが、
でも、機体はいくつか作った思い出がある。
バルサ材で作られた機体は、その当時は、作り飛ばそうという意欲が先で
今になって、飛ぶ理論(航空力学)にかなっていて飛んでるんだと
認識出来ていることが、どこか、懐かしく悲しく残念である。

エンヤ09エンジンをお年玉を貯めて、梅田阪急百貨店で買った。
始動用バッテリーは寺岡君ところで、
6ボルトバッテリーの端子を加工してもらって、
グロープラグ加熱用の電源として使っていた。
《当時彼の家はどんな仕事をしているのか分からなかったが、
 自動車用電装部品の修理と販売をしていたのではなかろうか?
 今もバッテリ液の匂いが思い出される。
 作業場の二階は床張りでとても広くばね式でゆれる木馬が有った。
 信太郎と言う名前やったな~。》

肝心の模型機体であるが、本田の西大阪模型で購入。
京町堀のひばり屋、本田の西大阪模型、九条のマックスホビー(プラモ専門店)
が夢膨らませる場所であった。
お金もないのによく覗いたものである。

で、私の所有本の中でも古い本であるが、懐かしいので公開することにした。



ゴム動力の模型飛行機と、グライダーの模型飛行機の総合解説本である。

この本に出会ったときもよく覚えている。
日生病院(現在所ではなくて、旧場所立売堀(立売堀)にあった。)の向かいに
あった福島書店?であったと思う。
当時病院を中心にして日生市場も在った。




当時は、本書の後半に著述されている力学は分からなかったが、
読み返している現在、へ~っと思うことが多い。



多くの知識に触れている機会がありながら、
理解できなかった当時、廻りに夢の具現指導者たる方に出会えていたなら、
人生は変わっていたに違いない。悔しいもんである。
三菱か川崎、石川島、新明和か富士重辺りで技量を発揮していたかも?



良く思い出してみると、中学校のとき初めての進路相談のときに、
建築士になりたくて、府立西野田工業高校と言うと、担任が制止した。
普通科への進路とそこからの大学進学を勧めた理由は、
まったくそのときの思案は実現されえたこともなく、具現などされてはいない。
高校選びの指図だけでしかなかった進路指導である。

先日、大阪の岡崎橋で商談があり、小、中学校をすごした町並みの変貌に
少し戸惑いながらも、どこか吹く風が秋とはいえ埃臭く、
立売堀の機械工具の町並みは相変わらずだったし、
阪神高速信濃橋出口から、近道した瀬戸物町の町並みは変わらず、
明治小学校の校舎からは昔は感じることはない。
サムハラ神社はビルの谷間に隠れてはいるが確認できた。
パトカー基地と呼んでいたが、大阪府警の警ら隊の建物もそのままである。
幼馴染の定食屋のマーちゃん、まゆみちゃんの店が廃業していたのがさびしい。

この本が今私の本棚にあり、
手に取り懐かしさに熱く涙する一人の深夜であった。