口内炎ができてしまった。
犬歯で上唇を噛んでしまい、そのまま口内炎へ突入。
痛みはたいしたことはないのだけれど、フルートの音が出ない~
おかげ先日のオケの練習では終始半べそ。これにはホントまいった。
気持ちが滅入ってくると、思考も後ろ向きに。
仕方がないので、合奏中は指揮者の悪口でも考えて気を紛らわすことにした(笑)
とはいうものの、今回来てもらっている指揮者。都合で毎回は来られないこと、常任にはなれないこと、メールに返事が全然返ってこないこと(!)、以外は前向きな(?)悪口が見つからない。
なんでそうやって演奏しちゃうのかな~○○パートさん、みたいな、いろいろ今まで感じていて、喉まで出かかっていることを、この指揮者は短期間の集中絨毯爆撃で一掃しつつある。
私の口から言いたくないが、私的には、見事だなあ、と感心してしまう。
短期間しか振ってもらえないのは、つくづく残念である。
それならば、私の許せる指揮者とはどんなのだろう。
目の前で繰り広げられる、我がオケの雨後のタケノコのごとき戦後復興の様子を眺めながら、定まらないアンブシャーをだましだまし考えてみた。(いったい何をやってるんだか)
<拍の取り方>
やっぱり、吹奏楽指導的な積み重ね法的な振り方はイヤ。
例えば4拍子なら、4拍目のウラから1拍目へはしっかりしていないと。1拍目への予測が効くように。全部の拍を同等に振られてしまう(打点の位置だけは変化する)と、今は次の音楽的ピークまでのどの位置にいるのか迷子になってしまう。
良い指揮者は、奏者を無意識のうちにその位置へ誘導してくる。
打点が見にくい人も多いが、これは私にはほとんど問題ではない。
奏者への予測を示唆してさえくれれば良い。
今の指揮者は、はっきりと予測型の指揮・指示をする。彼が先日使った言葉では、「演繹ではなく帰納で」という、高級(?)な言葉を一度使っていた。
今確認のために「演繹」をウィキペディアで見てみた。面白かったので、一部を引用する。
>演繹(えんえき、ラテン語 deducere)は、一般的・普遍的な前提からより個別的・特殊的な結論を得る推論方法である。対義語は帰納。帰納の導出関係は蓋然的に正しいのみだが、演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しい。ただし、実際的には前提が間違っていたり、適切でない前提が用いられたりして、誤った結論が導き出されるケースが多い。
なーんと。吹奏楽コンクール的音楽が、聞いても演奏しても面白くも何ともない理由がばっちりとここに解明されているではないかっ!!
スタッカートは音価の半分、とか、スラーは音を切ってはいけない、とか、pは音量を小さく、とか、スイングは三連、とか。学校で教育される音楽は >適切でない前提 がオンパレードではないか。
教育上の方便に過ぎないにもかかわらず、これらを盲信して音楽をつくると、ああいうことになるのだろう。
なので、こういうウソ(間違ってもいないが適切ではない前提)を平気で言う指揮者はダメである。
・・・・だいぶ話がそれた。
拍の取り方 の続き。
予測型=帰納的、な拍の取り方の話だったっけ(笑)
今回のオケで演奏する曲は、どうも予測型で数えなければならない、ウラ拍から始まるリズムが多い。
で、指揮者は言う。(2拍子)
「いち、に。 いち、に。」と数えてはダメ。
「にぃ~いち。にぃ~いち。」と数えて下さい。
よっ、よく言った!そーだそーだ。(心の中で拍手)
というか、前回の練習ではほとんどこの拍の取り方の指導に終始した。
今まで気になって仕方がなかった、ティンパニのかなり怪しいリズムにもきちんとしたメスがはいったので、だいぶ練習時の胃の痛みも緩和された。
拍の取り方といえば。
振り分けはダメ。
2/2拍子を4/4で振ったり、テンポが遅いからと4/4を8/8で振ったり、6/8を6拍で振ったり。(楽譜指示上4/4を2/2で振ることはよくある)
算数じゃないんだから、2/2=4/4じゃないのよ。音楽の流れは全然ちがうじゃん。頼みますよ、ホントに。
譜面台は叩きすぎない。
合わないと、譜面台や机をメトロノームの代わりに叩く。
ある程度は必要。
但し、合うまでずっとたたき続けるのはダメ。
リズムを掴むため、音楽のきっかけをつかむため、に必要最小限の叩きはよろしい。そこのところ、今の指揮者はとてもバランス良く使っている。
そうそう、歌うのもだめかな。
みんなが合わないと、合わさせるためにそこを歌う人もいた。
歌がなくなると、またみんなバラバラ。結局、本番当日のステリハでも歌い出していて、私は青くなったよ。やっぱ、歌わないと合わないのは、指揮者の力量かなぁ、と思う。
反面、指導で効率的に歌っている人もいた。
旋律と対旋律のからみが合わなかった時。
各パート毎に弾かせる時、旋律に対しては対旋律を、対旋律には旋律を歌っていた。自分だったら、こうやる。ほら、こう演奏すると楽しいでしょ、と。指揮者と奏者が面と向かってこれをやるので、見ていて楽しかった。
こういうのならば、許す。
曲の冒頭や、変わり目でのテンポ指示。
振り上げただけでテンポのわかる指揮者
次の拍が来てからでないと、テンポをどうしたいかわからない指揮者
何が違うのかよくわからないが、確実に違う。
ここらへんはセンスというより技術でなんとかなりそうな気がするので、頼みますよ。
・・・・続く(予定)
犬歯で上唇を噛んでしまい、そのまま口内炎へ突入。

痛みはたいしたことはないのだけれど、フルートの音が出ない~

おかげ先日のオケの練習では終始半べそ。これにはホントまいった。

気持ちが滅入ってくると、思考も後ろ向きに。
仕方がないので、合奏中は指揮者の悪口でも考えて気を紛らわすことにした(笑)
とはいうものの、今回来てもらっている指揮者。都合で毎回は来られないこと、常任にはなれないこと、メールに返事が全然返ってこないこと(!)、以外は前向きな(?)悪口が見つからない。
なんでそうやって演奏しちゃうのかな~○○パートさん、みたいな、いろいろ今まで感じていて、喉まで出かかっていることを、この指揮者は短期間の集中絨毯爆撃で一掃しつつある。
私の口から言いたくないが、私的には、見事だなあ、と感心してしまう。
短期間しか振ってもらえないのは、つくづく残念である。
それならば、私の許せる指揮者とはどんなのだろう。
目の前で繰り広げられる、我がオケの雨後のタケノコのごとき戦後復興の様子を眺めながら、定まらないアンブシャーをだましだまし考えてみた。(いったい何をやってるんだか)
<拍の取り方>
やっぱり、吹奏楽指導的な積み重ね法的な振り方はイヤ。
例えば4拍子なら、4拍目のウラから1拍目へはしっかりしていないと。1拍目への予測が効くように。全部の拍を同等に振られてしまう(打点の位置だけは変化する)と、今は次の音楽的ピークまでのどの位置にいるのか迷子になってしまう。
良い指揮者は、奏者を無意識のうちにその位置へ誘導してくる。
打点が見にくい人も多いが、これは私にはほとんど問題ではない。
奏者への予測を示唆してさえくれれば良い。
今の指揮者は、はっきりと予測型の指揮・指示をする。彼が先日使った言葉では、「演繹ではなく帰納で」という、高級(?)な言葉を一度使っていた。
今確認のために「演繹」をウィキペディアで見てみた。面白かったので、一部を引用する。
>演繹(えんえき、ラテン語 deducere)は、一般的・普遍的な前提からより個別的・特殊的な結論を得る推論方法である。対義語は帰納。帰納の導出関係は蓋然的に正しいのみだが、演繹の導出関係は前提を認めるなら絶対的、必然的に正しい。ただし、実際的には前提が間違っていたり、適切でない前提が用いられたりして、誤った結論が導き出されるケースが多い。
なーんと。吹奏楽コンクール的音楽が、聞いても演奏しても面白くも何ともない理由がばっちりとここに解明されているではないかっ!!
スタッカートは音価の半分、とか、スラーは音を切ってはいけない、とか、pは音量を小さく、とか、スイングは三連、とか。学校で教育される音楽は >適切でない前提 がオンパレードではないか。
教育上の方便に過ぎないにもかかわらず、これらを盲信して音楽をつくると、ああいうことになるのだろう。
なので、こういうウソ(間違ってもいないが適切ではない前提)を平気で言う指揮者はダメである。
・・・・だいぶ話がそれた。
拍の取り方 の続き。
予測型=帰納的、な拍の取り方の話だったっけ(笑)
今回のオケで演奏する曲は、どうも予測型で数えなければならない、ウラ拍から始まるリズムが多い。
で、指揮者は言う。(2拍子)
「いち、に。 いち、に。」と数えてはダメ。
「にぃ~いち。にぃ~いち。」と数えて下さい。
よっ、よく言った!そーだそーだ。(心の中で拍手)
というか、前回の練習ではほとんどこの拍の取り方の指導に終始した。
今まで気になって仕方がなかった、ティンパニのかなり怪しいリズムにもきちんとしたメスがはいったので、だいぶ練習時の胃の痛みも緩和された。
拍の取り方といえば。
振り分けはダメ。
2/2拍子を4/4で振ったり、テンポが遅いからと4/4を8/8で振ったり、6/8を6拍で振ったり。(楽譜指示上4/4を2/2で振ることはよくある)
算数じゃないんだから、2/2=4/4じゃないのよ。音楽の流れは全然ちがうじゃん。頼みますよ、ホントに。
譜面台は叩きすぎない。
合わないと、譜面台や机をメトロノームの代わりに叩く。
ある程度は必要。
但し、合うまでずっとたたき続けるのはダメ。
リズムを掴むため、音楽のきっかけをつかむため、に必要最小限の叩きはよろしい。そこのところ、今の指揮者はとてもバランス良く使っている。
そうそう、歌うのもだめかな。
みんなが合わないと、合わさせるためにそこを歌う人もいた。
歌がなくなると、またみんなバラバラ。結局、本番当日のステリハでも歌い出していて、私は青くなったよ。やっぱ、歌わないと合わないのは、指揮者の力量かなぁ、と思う。
反面、指導で効率的に歌っている人もいた。
旋律と対旋律のからみが合わなかった時。
各パート毎に弾かせる時、旋律に対しては対旋律を、対旋律には旋律を歌っていた。自分だったら、こうやる。ほら、こう演奏すると楽しいでしょ、と。指揮者と奏者が面と向かってこれをやるので、見ていて楽しかった。
こういうのならば、許す。
曲の冒頭や、変わり目でのテンポ指示。
振り上げただけでテンポのわかる指揮者
次の拍が来てからでないと、テンポをどうしたいかわからない指揮者
何が違うのかよくわからないが、確実に違う。
ここらへんはセンスというより技術でなんとかなりそうな気がするので、頼みますよ。
・・・・続く(予定)