まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

自分を守るということ

2006-06-04 02:00:45 | 家族
6月3日(土)。

1日木曜日、息子が久しぶりに肺炎で入院した。それほど深刻な病状ではなく、夜も今回は酸素吸入の必要がなく、回復が早かった。金曜日には、指導教官との非常に重要なミーティングがあったが、慎重過ぎる医師の指示で息子の入院が延びたため、息子に付きっ切りだった僕は参加できず、次のウガンダでの仕事の準備が、とても危うい状況になってきた。8月には国際学会でポスター発表をするので、それまでにイギリスに戻ってその準備をしなければならない。指導教官はとても忙しいので、次の金曜にならないと僕と会う時間を作ってもらえるかどうか分からない。2週間後にはウガンダに行きたいのだ。

しかし今回の入院騒動で、息子にはわずかながら、「自分を守る」ということを教えることが出来たと思う。

息子天馬は、一ヶ月ほど前、公園で遊ぶとき、滑り台の順番待ちをしようとして前にいるスコットランド人の年上の子に何か言われ、笑いながら滑り台から離れ、僕のところへ駆け寄ろうとしたことがあった。その時僕は、少年野球の監督のように、手で「行け行け」というサインを送り、彼を勇気付け、もう一度順番に並ばせたことがあった。滑った後の顔は満足そうで、もう何度か並んで滑っていた。
その日家に帰ると、天馬は、「あのね、it's mineってどういうこと?」と聞いてきた。その年上の子に言われたのは、その言葉だったのだ。英語が分からない天馬は、怖気づいて滑り台を離れようとしたらしい。
僕は、所有格について教え、公園の遊具はみんなのものなのだから、「It's not yours. It's everyone's.と言ってやれ。へらへらしてなめられるんじゃないぞ。」と教えた。人間である以上、国籍、国は問わず、特に気位の低いものが、自分より立場や力の弱い者をいじめたくなるのは法則のようなものだ。しかし逆に、人間である以上は、当然の権利を侵害されたなら、堂々と主張すべきだというのが、外国で常に少数派として生きている僕の信条だ。

今回の病院での話に戻るが、肺炎で酸素濃度の下がった息子に、看護士が先が細くて長い、酸素チューブを天馬の鼻に挿入した。天馬は「いや、いや、痛い!」と日本語で訴えながら、ぶるぶる体を震わせながら、涙を流して抵抗している。
強制しようとする看護士に、「ちょっと待ってください。こんなに痛いといって嫌がっている。これは長すぎるようだから、先を少しカットするとか、他の器具を使うとか出来ませんか?」とお願いした。
しかし、その看護士は、「みんな慣れます。信用して。私には20年以上の経験があります。」と言い張ります。理論的に話そうとしても、その一点張り。「申し訳ないが、あなたでは埒が明かないから、担当医に代わって。」と代わってもらった。
医師は、それならば、と鼻の入り口にチューブをとどめ、問題を解決してくれた。

その後、レントゲンで肺の炎症が認められ、肺にも雑音があるので、抗生物質を投与することになった。他の看護士が来て、両手の甲に血管を見えやすくするクリームを塗り、テープでパックする。これは、手の甲に留置針を刺して、点滴することを意味する。どういうこと?今まで多くの血液検査をしてきたし、今回はウイルス感染後細菌の2次感染が起こっているので抗生物質を使うのだから、検査は必要ない。食欲もあるし意識があるのだから、経口投与でいいはず。風邪にかかる頻度も劇的に減ったし、それ以外で喘息も見られなかった。体力がついて、体質も改善してきている。なぜ?

また違う医師が部屋に来て、「それでは、血液検査と、静脈からの抗生物質投与、気管支鏡の検査を行いたいのですが。」と言った。確かに静脈に直接抗生物質を投与するほうが肺に直接届くので効果的だけれど、何故弱ってる子供に、さらに体の動きを制限し、痛いことをするのか。
「No, we do not want them. Because,...」
と上に書いたことを説明すると、分かりました、呼吸器の専門医と話してみます、と出て行った。
しばらくして戻ってくると彼は、それらの必要はないそうです。飲み薬で入院して様子を見ましょう、と方針を変えてくれた。一連のやりとりを、天馬も見ていたようで、お父さん、となつきだした。
入院した夜は、体温も下がり、酸素濃度は上がり、すっかり良くなって過ごした。妻が付き添って病院に残り、僕は家で寝た。

金曜の朝9時、医師団が訪れ、「それでは気管支鏡をやりましょうか。」と言った。僕には彼の考えが全く理解できない。自分の家族ではなくとも、必要のないデータのために、もしくは若い医師の練習台に、患者に苦痛を伴うことをするのには絶対に賛成できない。天馬はもう回復しているのだ。僕は一言、「No, we don't want it.」と返答した。

結局退院の許可が出るまで午後4時まで息子の相手をしながら病院で過ごし、ようやく家に帰った。外は晴れ渡り、さわやかな陽気で、美しいヨーロッパの夏だった。

近くの魚屋でサーモンの刺身を買って帰り、中国人の店で日本酒を買ってきて、「お清め」、と夜は酒を飲んだが、妻が疲れて早く寝てしまったので、僕が昼寝から起きた天馬に絵本を読んでやったり相手をした。天馬は今回の騒動ですっかり僕になついた。もう遅いから寝るように言うと、息子は何回か寝室を出たり入ったり繰り返し、最後に僕を指差し、

「It's not yours!」
と言って笑顔で寝室に入っていった。
3歳の子がこんなことをするとは驚いた。映画の中の1シーンのようだが、これは本当の話だ。彼は、一ヶ月前に教えた言葉と、その精神をしっかり僕から学んでいたのだった。