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まきた@VetEpi

酪農学園大学をベースに、発展途上国と日本の獣医疫学に取り組む獣医師のブログです。

クリスティンの涙

2007-03-24 09:50:49 | いろんな人がいるよ。
3月23日(金)。

うちの熱帯獣医学センターに5ヶ月間いた、ウガンダ、マケレレ大学の学生で修士課程をやっているクリスティンが、無事検査と分析を終え、日曜日にウガンダに帰ることになった。

真面目な彼女は、朝早くから仕事を始め、よく終バスが来る7時まで頑張っていた。土日もよく来て仕事をしていた甲斐があって、予定より早く検査も終わったそうだ。先月はポスター発表までこなして、短期間のうちに立派な仕事を成し遂げた。

彼女はもともと分子生物学専攻で、アフリカ眠り病を起こす寄生虫の遺伝子を増幅するPCRという検査をしていた。

ヒトの眠り病には主に2種類あって、これまで東アフリカと西アフリカで分布が分かれていたのだが、これが丁度ウガンダで、内戦後NGOの支援も相まって、里帰りする人と一緒に、寄生虫に感染している牛を大量に東から西へと送り込んでしまった。このせいで、東側の寄生虫は西へ西へと広がっていき、検査も治療法も異なる西の寄生虫とクロスオーバー直前の状態にある。

昨年から今年に掛けて、このクロスオーバーが危ぶまれ、重要な感染源である牛に寄生虫を殺す薬を投与しているのだが、彼女はこの牛をモニターするため検査していたのだ。

PCRに長けている彼女も、全て一人で出来るわけではない。センターで唯一のルガンダ語の話し相手である僕に、よくポスターの作り方やら、統計分析やらを聞いてきたので、その度に一緒に作業してあげた。何しろ、いつも締め切り直前に駆け込んでくるので、とっさの問題解決には悩まされたこともあったが、振り返ってみるとドタバタで面白かった。様々なドタバタのお陰で、データが満足に揃っていない状態での分析はいい経験になった。重要な研究結果だけに、教える自分とクリスティンが一番最初に、現場で何が起きているか知ることになるのだ。

その彼女が、今日涙をにじませて僕の部屋に最終日の報告にやって来た。しばらく皆といたので、別れが惜しいのだという。僕にも会えなくなると言ったが、ウガンダですぐ会うのだし、彼女も指導教官のスーから、修士課程終了後は博士課程でエディンバラに来るように伝えられていたので、悲しむことなど何もないのだが。

しかし、その感情の豊かさと純粋さが、ウガンダの人らしい。冗談をかかさず、誰とも仲良くやって行ける。ウガンダでの日々を思い出した。

彼女が言っていたのは、頑張って努力し続ければ、きっとそれ相応の道が開けるということ。あの涙も、心の底から一生懸命取り組んだからこそ出てきたのだと思う。

帰国日の日曜の朝、彼女の布団と枕、マグカップを預かるため会いに行くのだが、きっとまた最後までドタバタしているんだろう。正直言ってこちらも寂しくなるが、とても良い出会いが出来て良かった。

ジンバブウェの獣医師

2007-03-23 07:37:31 | いろんな人がいるよ。
3月22日(木)。

5月にある、外国人用のイギリス獣医師免許試験の事前講習を受けに、ジンバブウェから獣医師がやって来た。

特にうちで研究するわけでもないのだけれど、僕が仕事している部屋で勉強している。寝泊りは、同期のニール宅に間借りしている。新婚家庭なんだけど、彼もどうやら費用を自己負担しているようなので、ニールが助け舟を出したようだ。

今朝自己紹介をしている時、僕は、発展途上国での疫学をやっているので、いずれハラレ(ジンバブウェの首都)にも行くかも知れない、というと、彼は片手を上げてはにかみながら言った。
「Not now.」

全くだ。日本でも報道されているとは思うが、ジンバブウェでは、独裁者ムガベの反政府運動や大統領選挙対立候補への弾圧が大きな問題となっている。

初対面でいろいろ聞くのもなんなので黙っていたが、現地の様子が気になるのは事実。もう少し仲良くなったら聞いてみよう。

Hawkさん、地上波制覇

2007-03-22 10:31:10 | いろんな人がいるよ。
3月21日(水)。

ちょっと宣伝させてください。
こちらによくコメントを下さるあのhawkさんのブログが、とうとうテレビで紹介されます。

最近、忙しさと仕事柄、言葉にも文章にも色気がなくなってしまって僕には上手く伝えることが出来ません。しかし、我が家はhawkさんのブログに抱腹絶倒状態によく陥っております。

このブログのブックマークにおゆきさんやTAKAMIさんのリンク、そしてまさにhawkさんのリンクも貼ってありますが、おゆきさんやTAKAMIさんのブログで、上手に的を得た説明が書かれています。

そんな回りくどいことを書かなくても、素直にStoriesをクリックしていただければ、hawkさんのブログに行くことが出来るので、是非覗いてみてください。僕は5分ほどの昼休みの休憩に、よくお邪魔しております。

ちなみに、本日空手で5級に進級しました。明日から紫色の帯です。

何に使うんや、一体?

2007-01-06 08:00:20 | いろんな人がいるよ。
1月5日(金)。

今日のBBCで、奇妙な事件が報道されている。
イギリスのハンプシャーで、パブの小用便器が盗まれた。

犯人は、半パイントのビールを注文し、何度かトイレに行った後、便器と共に去ったらしい。警察は監視カメラに映った男を捜査中。

http://news.bbc.co.uk/1/hi/england/hampshire/6234445.stm

パブの御主人の奥さんのコメント:
「とてもプロフェッショナルな仕事よ、停止弁を閉めて、パイプを抜き取ってるんだもの。」

どうでもいいけど、何で新品のを盗まないんだろう?一体何に使うんや?

分からん・・・

困ったちゃん、挨拶する。

2006-11-25 09:31:26 | いろんな人がいるよ。
11月24日(金)。

とうとう、例の困ったちゃんが、笑顔で挨拶を返した。
水曜の稽古では、とうとう初心者グループに自ら戻り、真面目に取り組んでいる。
良かった、良かった。

僕はといえば、かねてから特訓中であった、日本の古武道と沖縄空手に共通したある技を、とうとう少し使えるようになってきた。それは、重力を上手く使う動き。ノーモーションから、トップスピードで突きを出すことが出来る。
しかし、意外にも、最後にいいアドバイスをくれたのは、うちの師範だった。

空手は中国から琉球に伝えられた拳法をもとに、沖縄で作られた。
それが日本に伝わったときに、形を変えたので、長年をかけてせっかく研究、洗練された中国、沖縄の東洋武術の極意が伝わらなかった、とよく言われる。

しかし、稽古を続け、型を多く研究していると、松涛館流にもきちんと元来の重要な要素が伝わっていることを確認できる。要はきちんとそれを理解しているかどうかなのだ。師範は、考え方も身のこなしも日本の武道家のようだ。西洋を通じて東洋の理論を学ぶ。なんだか最近、空手がさらに面白くなってきた。

武道の初心者

2006-11-22 08:01:35 | いろんな人がいるよ。
11月21日(火)。

今年度、空手部には2人の困ったちゃんが入ってきた。
一人は最初は愛想よく、もう一人は最初からふてぶてしい。

二人とも、自分には空手の経験があって、腕にも自信があるから、白帯からなんてやっていられるか、というのだ。しかし、以前の級は?と聞かれると、昇級審査を受けたこともないらしい。

実は、僕も昨年空手を始めた時は、その前の一年間はテッコンドーをやっていたので、途中の級から始められないものかと思い、師範に相談した。
しかし、師範にはきっぱり、空手は空手。白帯から始めなさい、と言われた。その言葉に、逆に外国にあっても、さすが日本の武道だ、と感心した。

自分も初心者の頃は、他の人の稽古を見て、俺はあいつより強い、だから自分はせめてあの色の帯を許されるはずだ、と密かにむらむらとした感情を抱いていたので、彼らの気持ちもよく分かる。まあ、まだ初めて一年なので、初心者のようなものだが。

先週の金曜日、困ったちゃんの一人が、4人組になって回し蹴りの稽古をしていた際、こともあろうか僕に教え始めた。最初は話を合わせていたが、そのうち師範が言ってもいないのに、見栄えのいい違う技をやり始めた。他の白帯君もそれに呼応する。
そこで僕は一言、
"Just do it!"
と言って、戒めた。うちの師範が、基本を大切にしていることを知っていたので、尚更止めなければ、と思った。それからは、こちらから挨拶をしても困ったちゃんは機嫌を損ねて返さない。

日本の武道は、礼に始まり礼に終わる。
毎日の稽古は、稽古相手との勝ち負けを競うものではない。相手は自分自身である。どのレベルの人であってもお互い尊重し、仲良くする。
基本は繰り返し繰り返し、アホになってやるべし。

ま、彼らもしばらくやらないと、分からないだろうねえ・・・。

人の運命

2006-11-03 07:32:12 | いろんな人がいるよ。
11月2日(木)。

先ほど、ネットサーフをしていて、昔知り合ったある方が去年亡くなったことを知りました。

あれは1996年の夏のこと。獣医師として世界の発展途上国のために何が出来るだろう、と漠然に考えていた頃、ふとしたきっかけで知り合ったNGO代表の方と、ボリビアの先住民支援で家畜を導入した村を訪れました。自費旅行でしたが、こちらは現場が見てみたかったし、その方は、獣医の専門の目が欲しかったのです。

初めての発展途上国でしたが、いきなり先住民の村で一晩過ごしました。開放的な学校の建物の中に木のつるを使って蚊帳をはり、寝ました。すごく暑くて寝られなかったけど、辺りを飛ぶ蛍の多さにビックリしました。

住民が食べさせてくれた野生の鹿肉。子供たちが「コメ、コメ(スペイン語で食べて)!」と差し出すマンゴーの美味しさと子供たちの笑顔。アマゾンの森とパンパの草原。忘れることが出来ない大切な思い出です。

そのNGOの代表の方は、原後雄太さんといいました。ボリビアやブラジルの住民のことを考え出したら頭に血が上ってしまう熱血漢で、貧しい住民のことを話していると興奮して、両手をバチバチ叩いていたのを、つい最近のことのように覚えています。その方は、限られた狭い地域のことを考えているだけではなくて、国家の細かな政策についても熟知しており、心底一生懸命に活動していました。

彼のNGOの、当時のニュースレター↓
http://homepage2.nifty.com/fukuyo/jbn/jbn-news/vol_1_3.html

日本に帰ってきて一度彼を訪れた際に、彼が言った言葉です。
「いいですか。これからは、マージナル(外側にいた)だった人が求められる時代ですよ。」

アメリカで経済分析をする一流企業を退職した彼が置かれていた状況は、ゆうちょのボランティア事業で予算を取る、弱小NGOの代表でした。そんな状況にいても、爆発的なパワーで進んで行こうとする彼はどうなってしまうのだろうか?

そのまま連絡が途絶えていましたが、今日、彼は昨年の夏まで明治学院大学の助教授をされていたことを知りました。

すごい人でした。
行く先を不安に思っている時間は、彼にはなかったでしょう。僕も、思うことがあるなら、もっと積極的にやらねば、と心底思いました。

ライフ・ライン

2006-07-25 23:48:53 | いろんな人がいるよ。
7月23日(日)。

リラックスしに、以前住んでいたゲストハウスのパブを訪れると、ワールド・フード・プログラム(WFP)という国連組織で働いている二人の友人がいました。

うち一人は、去年からよく一緒に遊んでいるブラック・アメリカンのK氏。
最近どう、と聞くと、どうやらレバノンのベイルートに派遣されるらしいとのこと。
冗談を混ぜながらも彼が言った言葉。
「TSUNAMIでだって、鳥インフルエンザでだって、大変なところには助けに行かなくちゃいけないだろ?レバノンも一緒だよ。」

もう一人は、去年ウガンダに来たての頃に知り合った、シエラ・レオネ人。最近見かけないと思ったら、テロ・グループが支配していて飢餓状態が続いているパデールというウガンダ北部の郡で食料配布を行っているという。
「もうひどい状態だよ。食料が一週間も遅れるとね、ああ、それはとてもひどいことになるんだ。」

都市部が研究対象である僕は、今のところそういった地域に入ることはまずありません。しかしながら、この地球上で、まさに人々の、一日一日のライフ・ラインをつないでいる人達がいるということを、忘れるわけにはいかない、と思いました。両氏よ、頑張ってくれ。

現地に根付いて生きている日本人たち

2006-06-29 01:57:02 | いろんな人がいるよ。
6月28日(水)。

昨日は、現地に根付いて生きている日本人たちに会うことが出来ました。

ようやく空手道場を見つけたので、稽古に行くと、そこは円形の教会。停電だったのに発電機が使えず、初回の稽古は、なんと20分ほどで日没コールドで中止となりました。いやー、ウガンダっていう感じですね。

その後は、初めてお会いした極真空手のI先生のお宅へご家族への挨拶に伺った後、カバラガラという盛り場へI先生と向かい、ウガンダにもう10年も住んでいらっしゃる日本人のHさんと現地で合流して飲みました。

Hさんは、1996年から5年間NGOの活動をされて、その後はウガンダ人と同じ扱いである現地スタッフとして大使館に採用されました。奥さんもウガンダ人で、まさに現地に根付いて生きています。
I先生も、本業はNGOで、初めてもう3年になるそうです。

話は大体空手や格闘技のことで盛り上がり、あまりウガンダでの生活についてなど話さなかったけど、とにかく二人とも気さく。大変だろうけど、食事も美味しいし、人々も面白いし、楽しんでやっているようです。

Hさんが帰りにバイクタクシーの交渉をしてくれたのですが、そこら中の人達皆に知られているようです。バイクのドライバーを呼びつける様子も、何かしら先生が生徒を愛情を持って呼ぶ、という雰囲気でした。値段は、驚きの安さ。言葉も現地人そのものです。そう言えば、僕もネパールではそうでした。懐かしい気分になりましたね。いろんな人がいるものです。

日本人ならではの心の美しさ

2006-05-06 06:35:44 | いろんな人がいるよ。
5月5日(金)。

は、今日は端午の節句?いけませんね、すっかり忘れてます。

今日は、新しくウガンダに来た隊員と、JICA(ジャイカ)関係者の歓迎会に出席してきました。去年は3ヶ月、そして今回すでに2週間ほどウガンダにいますが、こうした日本人の集まりに参加するのは初めて。
開会の挨拶とか、決まり文句も久しぶりで、長時間日本語を聞くのも久しぶりだったので、妙に集中して聞いてしまいました。

会場は、中華レストラン。屋外でのパーティーで、楽しかった!
いろんな人と話をしたけど、印象に残ったのは、もとブータン青年海外協力隊員でコンピューター技術を指導しておられたSさん。

今回は、3ヶ月間の仕事で、何人かの隊員活動を映像に収め、ウガンダ国内外の、JICAの広報資料を作成するのが目的です。

彼が熱く語ったのは、
「僕は確かに協力隊を経験したけれど、ウガンダ、アフリカは経験していない。今回日本を出るときから心に誓っていたのは、ウガンダ隊員たちはアフリカに関して自分の先輩だし、決して先輩風を吹かせたりしない、ということでした。」
という内容。

なんと美しい心構えだろう。彼は撮影を通して、農業や、自動車整備や、その他関連職種について学んでいきました。そして彼は、自分の心構えは間違っていなかった、自分は隊員たちにはとうてい及ばない、多くのことを学ばせてもらった、と語りました。

このような言葉を聞いたのは、とても久しぶりでした。他の国々の人が持ついたわり、心の美しさもあるのだけど、心の底から、ああ、日本人らしいな、と感じました。そう、ハードワークを当たり前にこなしてしまう日本の底力は、こうした美しい心構えに支えられているのでしょうね。

僕もそうありたい。3年間の博士課程が、学位を取り、知識を得、雄弁になるためのものだけではなく、Sさんの言葉のように、一歩一歩大切に、謙虚に、日本人として培った感覚を深めるものになりますように。