「規模は小さくても…」
『倉本聰さん移住40年 「良くも悪くも富良野は変わった」
北海道新聞
「ブーム、自分にも責任。尊敬されるまちに」
テレビドラマ「やすらぎの郷(さと)」(HTB)がヒット中の富良野市在住の脚本家、倉本聰さん(82)が富良野に移り住み、今年で40年になる。富良野の名を全国に広めたドラマ「北の国から」シリーズの放送終了から15年。その後も「優しい時間」「風のガーデン」などのドラマ脚本を手がけ、ロケ地の富良野は道内を代表する観光地になった。住み始めたころと比べ、大きく変わった富良野を今、どう見つめているか。倉本さんに聞いた。
倉本さんが富良野と出合ったのは1976年の夏。自然そのままの森や林を気に入り、家を建て、77年に移住した。40年前と比べると、富良野は「良くも悪くも変わった」と語る。
81年に「北の国から」の放映が始まり、年間200万人以上の観光客が訪れるようになった。まちのにぎわいを「良い面での変化だと思う」と語る一方、「ある種のブームをつくってしまい、自分でも責任を感じる。良くない変化もあったのでは」と懸念する。
その一つは、建物を中心とした街並みの変化だという。時とともに利便性が追求され、建材も変わった。富良野も同じで「腰折れの屋根がきれいな景観を生んでいた」という二段勾配の銅ぶき屋根も、以前は農家などに多く見られたが、少なくなったという。
かねて富良野に求めてきたのは「規模は小さくても周囲からリスペクト(尊敬)されるまち」と語る。その思いを抱いたのは、約20年前にドイツを訪れてから。西洋で「文明社会」を定義づける考えとしてエコノミー(経済)、エコロジー(環境)、カルチャー(文化)の三つの柱がバランスよく支え合う状態があるという。
.
「何を守るべきか考える時」
他方、深刻な人口減少や鉄路維持の議論など、富良野も厳しい現実に直面する。行く末が問われる中で「富良野でも何を変え、何を守るべきかを考える時」と語る。「国内全体が経済主義に傾く中で、地方都市としての役割を考えなければならない。そのためには、誰も思いつかないような無鉄砲な発想が必要だと思います」と指摘した。』
※その通り。