まちや小(ぐわあー)

その先を曲がったら何があるのだろう、どきどきしながら歩く。そして曲がってみて気がついたこと・感じたことを書く。

後援

2013年03月31日 | Weblog
といっても、それはお金も出さない、名前だけのもの、

それを「名義後援」という。
で、「名義後援」のメリットはというと、せいぜい、自治体のホールなどを借りる時に使用料が減免(50%または全額免除)になる位、
まあ、ほとんどと云うか、すべてここまで。

ところがところが今回は?。
「自治体が協力するのは当たり前!」的なことを云う主催者と称する自己満足大好き&自己顕示欲の塊みたいなおばかと
その言葉に、日曜(休日)だというのに自治体側も職員を送り出し、そのアホたちのサポートをさせる自治体。

これ、W(そろって)「アホ&おバカ」。

何を考えて、それをするのか?
これをしたってことは、これが「前例」となり、同じようなパターンの場合(名義後援)は職員をサポートにまわすってことになるわけだ。

これ、繰り返し書くが、同じような状況で、自治体に協力要請したら「名義後援だから」とか「それは違う!」って、云えるわけ(根拠)はないな!

いやはや、これ、おかしすぎ!

※県や県の出先機関も「名義後援」は名前のみ。「後援」の許可書(認可)を見たい!

故意に

2013年03月31日 | Weblog
やってるくせに、何が「やりたくてやってるわけじゃない!」。


『皮肉…“森友ルール”でアウトに 大阪桐蔭 タックル終戦

                        スポニチアネックス 3月31日(日)7時2分配信

<大阪桐蔭・県岐阜商>9回2死一、二塁、福森の中前打で本塁を突いた大阪桐蔭の二塁走者・峯本(左)だったが県岐阜商の捕手・神山への守備妨害をとられて試合終了

◇第85回センバツ高校野球大会9日目3回戦 大阪桐蔭4―5県岐阜商(2013年3月30日 甲子園)

3回戦3試合が行われ、8強が出そろった。第3試合は昨年の甲子園で春夏連覇を達成した大阪桐蔭が、県岐阜商に4―5で敗れ、史上初の3季連続優勝を逃した。今秋ドラフト候補の森友哉捕手(3年)が右ふくらはぎを痛め欠場。9回には同点を狙った走者が本塁手前で捕手にタックルし、守備妨害で試合は終わった。

タイミングは完全なアウトだった。9回2死一、二塁。4番・福森の中前打で二塁走者・峯本が一気に本塁を狙ったが、中堅からの返球は約2メートル手前で捕手・神山のミットに収まっていた。

激しい衝突音を響かせ、峯本は本能のままにタックル。ボールはミットからこぼれ、両手を広げて「セーフ」をアピールしたが、橘球審のジャッジはアウト。アマチュア内規にある「危険防止」のためのラフプレー禁止に従い、守備妨害との判定となった。

あまりにも皮肉な結末。昨年9月に開催された18U世界野球選手権(韓国)の米国戦で、森友が度重なるタックルを受けたことを発端に改定された内規が初適用された。赤井淳二審判副委員長は「一生懸命に向かったのは分かるが、捕手は明らかに待ち構えていた。極めて衝撃の強い接触だった」と説明。西谷浩一監督は大会本部から厳重注意を受けた。

大阪桐蔭の3連覇が断たれた森友は「走者もやりたくてやったわけではない。(ただ)高校野球では、やったらいけないプレーなのかな」と話した。前日の練習中に打球を右ふくらはぎに当て、この日は欠場。大会前に4番・近田が右手首を骨折。本来の3、4番が不在となる中で、森友は9回に伝令役として峯本に「下級生だからプレッシャーなんか感じるな」とアドバイスを送り、同点まであと一歩のところまで粘った。

本塁で激しい突入を見せた峯本は「同点に追いつきたくて自然とやってしまった。捕手には本当に申し訳ない」と口にした。それでも試合後、森友は夏での雪辱を誓った。「これで高校野球は終わりではない」。3連覇は消えたが「夏連覇」の目標は残っている。

▼大阪桐蔭・西谷監督 接戦に持ち込みながら勝たせてやれなかったのは監督の責任。』

※練習でやっているくせに、そこまでして勝ちたいのか。で、わざとらしい言葉をはくなよ!

あおぞら広場

2013年03月30日 | Weblog
この1年、どこかに「モヤモヤ」があった。

で、今日、声が聞こえた。
で、そのモヤモヤの原因が分かった。

ここに「野外ステージ(ステージ&観客席)」というスペースがある。
だが、ここは年間を通じてほとんど利用されていない。
で、それをいつも見て「もったいないな、これ!」と、「ここで何かできないか?」といつも思って
&考えていた。

で、繰り返し書くが、今日、「声」が聞こえた。
『そこを使いなさい!』そういう声だった。
で、その声が聞こえてから一気にいろんなことが頭の中にあふれるように出てきた。

それがこれ。

【「施設の休館日(月曜、年末年始等」&「荒天(風雨等)」を除いた10時~16時を、例えば「フラダンス」だったり、「ヨーガ」だったり、「パフォーマンス(ジャグリング等)」だったり、「弾き語り」等で使ってもらうのはどうか?

まあ、季節的な問題や天候の問題もあるが、9月+α程度の期間を使うことが出来そう。
でも、自由ということにするのもなんで、1年間を試験的に「申請」し、使ってもらおうかと。】

これ、面白いと思うな。

なにかをしたいけれど、場所がない。
なら、ここを使えば!
それでいいと思う。

ここは道路からは離れている。

建物と建物に挟まれているが、ロケーションは最高。

さあ、それを出来るよう準備をすすめよう!

※使わない=もったいない→使わなきゃ!

地震

2013年03月30日 | Weblog
26日の地震を予知してブログに書いた。

で、こういった記事が

『東京を震度5が襲うのか 地震雲第一人者が警告-

                         ゲンダイネット(2013年3月30日07時00分)
  
26日午後8時48分ごろ、茨城県沖で震源の深さが約10キロ、M4.8の地震が発生した。土浦市や千葉県銚子市で震度3の揺れを観測。55分ごろにも、同沖でM4.6の地震が起き、水戸市などは震度3と発表された。

相変わらず、房総沖あたりは不安定だ。最近は東京23区や箱根山周辺の地震活動が活発化し、東京直下の前兆かと注目を浴びているだけに不気味な動きである。

異変は“陸”だけではない。空も警告を発している。地震雲の第一人者で北陸地震雲予知研究観測所の上出孝之所長がこう言う。

「26日の午前9時から正午ごろ、千葉や茨城方面の空で黒とグレーが混じった地震積雲が発生しています。24日には、東京方面に黒色の断層型の地震雲が出ていました。これらを総合すると、27日から7日以内、最大で9日以内に東北から関東(福島、茨城、栃木、千葉、東京、神奈川)でM5~6の地震が起きる可能性がある。震度4~5程度と推測されます」

上出氏によれば、地震雲は「地震が起こる前に岩板に強い力が加わることで発生した電磁気が、プラスイオンとともに上昇し、水蒸気に影響を及ぼしてできる」という。

観測を続けて30年以上。上出氏は地震の前兆を見つけると、マスコミや関係する自治体などに発信している。12年の1年間では、48回予知したうち42回の高い的中率を出した。それだけに侮れない。

東京で震度5が起これば、3・11大震災時の混乱が予想される。注意が必要だ。

(日刊ゲンダイ2013年3月27日掲載)』


※驚くことはない。同じことを予知しただけ。

やはり

2013年03月30日 | Weblog
出店は1軒、駐車場の車、会場には人は「パラパラ」。

目立つのは駐車場で車を誘導するガードマンの姿。

寒さと風。

だが、土曜日というのにこの光景。

なぜ、「桜祭り」を1週間前前倒しすることが出来なかったのか。

たった2日早くした(準備は変わらない)だけ、

で、「明日で桜も?「って

まあ、間違いなく、4月の声を聴いたときには「葉桜」に…

しかし、なんというか、桜祭りの会場へのアーチ(エアー)だけが立派で、でも、そこは通路じゃな

くて土手(写真)っていうのも、なんにも考えていないというか。

「なぜ、こにのアーチが?」って、
「これ、通路でもなんでもないじゃない!」

そんな声が、ここに来る人たちの何人かの口から出る。

おかしいよ、これ!

数字は

2013年03月30日 | Weblog
後からついてくる。

初めから数字をとりにいこうとしない。


『「アメトーーク! 」、ロングヒットの秘訣

テレビ局の2012年度(12年4月~13年3月)平均視聴率は、テレビ朝日が1959年の開局以来初の快挙を達成することが確実となった。ゴールデンタイム(19~22時)、プライムタイム(19~23時)で首位と2冠を獲得。次に狙うのは、13年1月にスタートしている年間平均視聴率で、全日(6~24時)トップも含めた3冠奪取だ。この躍進を牽引している、高視聴率番組を手掛けるプロデューサー2人に話を聞いた。第1回は加地倫三氏。

■10年を過ぎても視聴率は平均12%台を維持

――「アメトーーク! 」は、放送開始から10年を過ぎた今でも、平均視聴率が12%後半と23時台の番組としては高視聴率を維持しています。

視聴率をまったく気にせず番組を作っていると言えばウソになる。だが、「視聴率を取ろう! 」と思って制作すると「視聴率はよくない」「番組としても面白くない」という二重苦に陥ることが多い。やりたいことをやって、とんがった番組を作り、結果、数字に結び付かないなら納得がいく。

たとえば、「アメトーーク! 」で2月に放送した「ガヤ王フジモン」という回では、お笑い芸人、FUJIWARAの藤本敏史さんが場をにぎやかにするために使っている掛け声やリアクションを取り上げた。「これは、すっごく面白い! 」と感じた自信作だったが、平均視聴率は9.1%だった。同16.2%という記録をマークした「男子校芸人」の回とは、ケタが違うほど視聴率が低かった。

ターゲットを絞りすぎたからだと思うが、絞った分だけ刺さる人には奥までぐっと刺さる。接触面積を広く取ると、多くの人に面白さを届けることはできるが、針で深く刺すように奥にまでは響かない。だから、「男子校芸人」のように数多くの人が面白いと言ってくれる企画があって、特定の人に深く突き刺さる「ガヤ王フジモン」のような企画もあり、平均すれば視聴率は12%台後半を維持できればいい、と考えている。「好調を継続する」というのが、僕のいちばんの目標だ。

ーどうやれば、長続きできる? 

飽きられないようにつねに新しいものを生み出す必要がある。僕の場合は、番組が高視聴率をマークしているときにあえて、失敗のリスクを取って新しいことにチャレンジしている。調子がいいときは、気持ちに余裕があるからだ。余裕があるときに新しい演者を投入してみる、新しい企画を仕掛ける。失敗しても余裕があるから、失敗を教訓として生かすことができる。

「ロンドンハーツ」の例を挙げると、お笑い芸人、ロンドンブーツ1号2号の田村淳さんとチュートリアルの徳井義実さんを中心に「恋愛観を語る」企画をやったことがあった。火曜9時台に放送する

「ロンドンハーツ」は通常、視聴率15%前後だが、恋愛観を語る企画は7%と急激に落ち込んだ。

この大失敗から学んだのは、ロンドンハーツという番組に視聴者が求めるのはドキュメンタリー性だということ。新鮮さを求めて、トークを中心にしたところ、視聴者が離れてしまった。「この後どうなるんだろう? 」というドキドキ感や、芸人たちが言い争う姿にハラハラする企画が、ロンドンハーツという番組のフォーマットには適しているということがわかった。この企画以降は、高視聴率をキープすることができている。

■演者とスタッフ、何でも言い合えたほうがいい

―今、番組制作で力を入れていることは何でしょう? 

人材の発掘だ。10年ほど前、テレビ朝日が番組制作にかける費用は他局より少なく、人気の大物芸能人を数多く出演させることができなかった。当時、まだ中堅クラスのお笑い芸人だった、さま~ず、雨上がり決死隊、くりぃーむしちゅー、ネプチューン、土田晃之、劇団ひとり、タカアンドトシ、ロンドンブーツ1号2号などは、番組制作の現場で、演者としてスタッフとともに成長してきた経緯がある。

演者とスタッフが対等に何でも言い合える環境が、バラエティ番組の制作に好影響を与えていると思っている。そのため、10年後のテレビ朝日を牽引する高視聴率番組を作るには、若い人材を発掘して育てることが必要だと感じている。

具体的にいうとロンドンハーツでは、ドッキリを仕掛ける番組の企画で人気のお笑い芸人、狩野英孝さんやフルーツポンチ村上健志さんに続く「未来のドッキリ芸人を発掘」する企画をやった。アメトーーク! では、特定のお笑い芸人の面白さを「この芸人さんの面白いところはここですよ」と、視聴者にわかりやすく伝える、いわば「笑いの通訳」をするような企画を今後もやっていきたい。

■ テレ朝はテレビ界の阪神タイガース

―「ロンドンハーツ」「アメトーーク! 」など加地さんが手掛ける番組は若い世代にも人気があります。放送業界では、若い世代を中心とした「テレビ離れ」が問題視されていますが、番組を制作するうえで意識していますか? 

「若い人がテレビを見たくなるような番組を作らなければならない」という、一種の使命感のようなものはある。現状は、人口の多い30代後半以上の人に見てもらえる番組作りをすれば必然的に高視聴率を獲得することができる。でも未来を考えると、テレビで面白いと感じられる番組を見てこなかった人に、面白いものを作れるはずはない。

そもそも、テレビで番組を制作したいと思う人がいなくなる可能性もある。テレビという文化を存続させるためにも、若い人に僕が面白いと感じて作っている番組を見てほしい。番組を見て、10年後、面白い番組を作ってくれるといい。

僕自身は、80年代のフジテレビ黄金期の「オレたちひょうきん族」などのバラエティ番組に大きな影響を受けている。今でも僕の中では、フジテレビのバラエティは野球界で言うところの「読売巨人軍」。巨人軍が強くなければ野球界は盛り上がらないように、フジテレビの調子がよくないと、テレビ業界全体に光が差し込まない気がしている。

一方で、テレビ朝日は阪神タイガース。僕は、強い阪神として巨人軍と優勝争いをしたい。強い巨人軍、強い阪神でなければ、野球界全体は盛り上がらない。だから、フジテレビはいつまでも目標の位置にいてほしい。 』

※「努力」と「研鑽」。で、いいものはいい、で、長く続く。その見本がこれ。でも誰もマネが出来ないし、マネしても中身がないから続かない!

おかしいことを

2013年03月29日 | Weblog
おかしいという。

ところがこの国はそれを許さない。

無実を罪に仕立て上げるのは朝飯前らしい!


『「検察は許せん」丸源ビル 81歳 川本源司郎が上げた怪気炎

                         豊富な資金をバックに検察批判本も出版へ

検察はまた手ごわい相手を敵に回したのではないか。5億円を払って保釈された「丸源ビル」の川本源司郎オーナー(81)が28日、会見を開き、2時間にわたり怪気炎を上げた。そのほとんどが東京地検特捜部と東京国税局の批判。拘置所暮らしの詳細をブチまけた。

真っ白なジャケットをはおり、ダイヤがちりばめられた腕時計をはめてホテルニューオータニに現れた川本被告。10億円余を脱税したとする起訴内容(法人税法違反)について、「脱税なんてしてません。これだけお金を持っているのにする必要がないでしょう」と真っ向から否定した。

かと思えば、人生初の拘置所暮らしをこう振り返った。「部屋はほこりもなく、空気もさわやか。風呂も良かった。趣味に合うジャズが流れていて快適だった」。その一方で、「食事はまずくて食べたことがないようなものだった」「どうしたら金持ちになれますか、と私にアドバイスを求めてくる刑務官がいた」と暴露した。

残りのほとんどは検察批判。所得隠しを指摘された約35億4300万円には売却損など“所得”ではないマイナスも少なからず含まれていたといい、「金額が違うからあなた電卓を叩いてみなさいと担当検事に言ったんです。そうしたらいつまでたっても応じない。調書がズレると困るからでしょう。結論ありきの検察の強引な捜査がひどいと聞いていたが、ここまでとは思わなかった」とボルテージを上げた。

その担当検事に「これは拉致ではないか?」と聞くと「拉致ではなく拘束です」と言われたとか。激怒した川本被告は「担当検事は“私の名前がどこかに出たりするんでしょうか”と気にしていました。だから言います。お名前はセキネさん。これから反論のために本も出版します」と検察に宣戦布告した。

「川本被告は拘置所暮らしを快適だったかのように会見で語りましたが、“銀座の不動産王”の異名を持つプライドの塊みたいな男です。内心ははらわたが煮えくり返っているはずです。畳の上に裸足で座らされたことも許せないようです。何せハワイの高級コンドミニアムの芝生の上でも靴を履くくらい超のつく潔癖性ですからね。また、彼は食事を365日すべてホテルで取る。文字通り“臭いメシ”を食べさせられたことも恨み骨髄でしょう。ヤメ検の辣腕弁護士を雇い、検察と戦う準備を進めています」(検察事情通)

家賃を滞納する店子を容赦なく追い出すほど金にシビアな男だ。修正申告で払った18億2300万円について、「裁判に勝って利子をつけて取り戻す!」と吼(ほ)えた。面白い展開になりそうだ。』

※まともなことがまともじゃなくなる、無罪が有罪、善人が悪人に、そうなる(してしまう)のがこの国の司法!。

これが事実

2013年03月29日 | Weblog
あの時代、程度の差こそあれ、野球の有名校・伝統校といわれていた学校でのいじめ・しごき。体罰は日常茶飯事。


『桑田真澄実父が暴露“PL学園野球部員いじめ水死”隠蔽

3月3日、春夏合わせて7度の全国制覇を達成している高校野球の名門・PL学園が、「部内暴力」があったことを理由に春季大阪大会の出場を辞退した。運動部の体罰問題が注視されている時期だけに波紋は広がるばかりだが、なんと桑田真澄氏(44)の実父は生前、同校がひた隠してきた“衝撃事件”の実態を暴露していたのである。

PL学園がセンバツへの出場辞退を決めたのは、2月下旬に寮内で、複数の2年生部員が1年生部員1人に対して激しい暴力を振るって救急車が出動する騒動になっていたからだった。

その発表がなされた翌日、PL学園出身の中でも屈指のスター選手だった清原和博氏(45)が、前出の記事で触れた「S☆1」に野村氏とともに出演し、こんな発言をしたのだ。

「PLといえば伝統ですから、暴力は」

さらには、

「僕も1年生で甲子園出てる時は、体中アザだらけでした」と、上級生から下級生に対するシゴキが激しかったことを振り返った。

さすがに番組司会者の爆笑問題・田中裕二が、体罰容認とも取られかねない発言に慌てて、「でも、体罰はダメですよね?」と助け舟を出したが、清原氏は平然とこう言ってのけたのである。

「あれ(体罰)で強かったんですよ」

この放送の1カ月ほど前にも、「フライデー」の取材に清原氏が明かしたところによれば、PL時代には1年生が球拾いで捕り損ねると2年生が監督から“尻バット”を受け、その晩、2年生が「お前、何してくれてんねん!」と1年生を殴るシゴキがあったという。

もちろん、清原氏に理不尽な暴力を肯定しようという意図はないが、「暴力はPLの伝統」との発言ははからずも過去の事案と符合してしまう。

PL学園の暴力問題が表ざたになったのは、今回が初めてではないのだ。

「近いところでは01年、日常的に上級生が下級生をバットで殴るなどの暴力があったとして、半年間の対外試合禁止処分となった。事態は訴訟ざたにも発展しました。訴えられた生徒とは違いますが、下級生に暴力を振るっていた首謀者がプロ入りした、との噂も出て波紋を広げたんです。97年にも、上級生が下級生を暴行し、重傷を負わせた一件も明るみに出ています」(スポーツ紙デスク)

清原氏の証言も大げさではないようだ。

一方、その清原氏と「KKコンビ」として活躍した桑田真澄氏は、強く「体罰反対」との立場で持論を展開している。

1月に朝日新聞の取材を受けた際も、「私は体罰に愛を感じたことは一度もありません」と断言した。

桑田氏は09年に、当時在籍していた早大大学院で体罰に関する論文も発表している。当時を知る早大関係者はこう話す。

「桑田さんが体罰問題に関して話をする時は、本当に嫌悪しているんだなという悲しげな表情になるんですよ」

桑田氏がそこまで体罰、 桑田氏がそこまで体罰、暴力を嫌う根底には、これから紹介する“ある事件”が、もしかすると関係しているのかもしれない──。

桑田氏は、高校時代には指導者からの体罰がなかったことで野球選手として「いちばん成長した」と述べているが、やはり上級生からの体罰には悩まされていたようだ。

桑田氏が受けた仕打ちに関しては、本人の口からではなく実父の泰次氏(故人)が明かしていた。00年に上梓された著書「野球バカ」(講談社刊)にこう記されている。

〈ある上級生は、真澄に夜中じゅうマッサージをさせていた。(中略)自分も練習で体がクタクタなのに、毎日、午前二時、三時までマッサージをやらされる。(中略)木製のトイレのげたで肩や足をバンバンたたかれたりもしたそうだ。顔を殴ると(中略)バレてしまうため、衣服で隠れるところを集中的にたたいたり、踏みつけたりしていたという〉

もっとも、桑田氏はこうした苦難を乗り越えてプロの世界でも大成したから救われる。

ところがPL学園では、上級生のシゴキによって悲しい結末を迎えた“事件”も起きていたというのだ。

桑田氏には、同じ野球部の2学年下に実弟・泉氏も在籍していた。他にも、立浪和義氏、片岡篤史氏、橋本清氏、野村弘樹氏といった強力なメンバーがそろい、3年時に春夏連覇を成し遂げた黄金世代である。

KKコンビらが卒業した翌年の忌まわしい出来事について、同著にはこう書かれている。

〈夏の地区予選がはじまる直前、泉と同じ二年生だったMくんがPL学園の施設内にある池で溺おぼれ死んでしまった。Mくんが死んだそもそもの原因は三年生のいじめにあった。(中略)この一件は、当時の新聞でも報じられた。ただし、あくまで事故死ということで処理され、いじめがあったことについてはまったく触れられることはなかった。(中略)泉たち二年生は、寮の前に座りこんで三年生に対する抗議の意志を表明した〉

PL学園の隠蔽疑惑までをも暴露する衝撃的な記述である。

3年生がわざとスリッパを池に放り投げて、「池に飛び込んで、スリッパを拾ってこい」と、Mくんに命令したのだという。

そのとおりに実行したMくんは、水中に潜ったきり上がってこなかった。さすがに慌てた3年生は、事件当時にたまたま現場近くにいた泰次氏に助けを求めたそうだ。

泰次氏はレスキュー隊を呼び、無事を祈ったが、池から引き上げられたMくんは、二度と息を吹き返すこともなく、心臓マヒで水死したという。

栄光の歴史を築き上げてきたPL学園野球部にショッキングな暗い事件が存在していたのである。

当時の状況を知るPL学園の関係者は一様に口が重かったが、とあるOBに話を聞くと、言葉を選びながらしぶしぶ述懐してくれた。

「当時の感覚では、上級生にも下級生にもいじめという認識はなかったですね。体罰問題がクローズアップされている時代なので誤解を招くと嫌ですが、上級生の下級生に対する当たりがきついのは、当時では当たり前のものだった。でも無差別に殴ったりというのはなくて、一定のルールはありました。その件に関しても、まさかあんな事件になるとは思わずに起こったんだと‥‥」

そして、Mくんだけが特別にいじめられていたというわけではなかったと言うのだが、再発防止目的を条件として語ってくれた現場の状況はとても生々しいものだった。

「スリッパを拾いに行かされたのは実はMくんだけじゃなくて、複数の下級生が池に飛び込んでいるんです。人口の池で、底に近づくほど極端に冷たくて、夏だというのに温度差が激しかったから、誰もが心臓マヒを起こしてもおかしくない状況だった。Mくんが上がってこなくなって、みんなパニックでした。彼が引き上げられるまで、1時間半か2時間ぐらい経過していたと思います。でも、桑田さんのお父さんが現場にいたとか、そんなことは覚えていないぐらい、とにかく正気を失っていた」(前出・OB)

仲間を失う大惨事を目の当たりにし、選手たちの間には動揺が広がったという。PL学園関係者が明かす。

「その後、葬式も終えたあとのことなんですが、すでにMくんは亡くなっているというのに、Mくんを探しに行こうとする生徒がいた。心に深い傷を負ってしまったんでしょう」

さらに、事件の余波は翌年まで続いていた。

前述のように、翌年は春夏連覇を果たしているが、地元関係者が言う。

「春の大会において、応援団がPL名物『人文字』で故人のイニシャル『M』をスタンドからやろうとしたんです。ところが、学校と高野連が話し合った結果、ストップがかかりました」

PL学園にとって、思い出したくはないが、決して忘れてはいけない事件だったはずである。

泰次氏が事件内容を証言した目的はわからないが、結果的に息子である桑田氏の心にも深い傷跡を残したに違いない。

そして30年近くが経過して、再び体罰問題が引き起こされてしまったからこそ、悲劇を繰り返さないためにも教訓としなければならないだろう。

桑田氏は先のインタビューでこう話していた。

「『絶対に仕返しをされない』という上下関係の構図で起きるのが体罰です。(中略)スポーツ界で最も恥ずべきひきょうな行為です」

体罰の根絶を願うばかりである。』

※1年は「奴隷」、2年は「人間」、3年は「神様」。で、1年生が情勢に挨拶しない、聞こえない、それだけで殴るける、これ、日常だった。ただ、それをするのは「レギュラー」ではない、控え、またはベンチに入ることの出来ない、そういった「あほ&おバカたち」だった。

桜は

2013年03月29日 | Weblog
ほぼ、満開!

で、今日後午後から「桜祭り」の会場へのゲートの設置が始まった。

桜祭りは4月1日(月)開催を2日早めて明日、3月30日(土)にしたが、「時すでに遅し!」で

まあ、1日の週の前半までがいいとこで、で、「THE END」。

でも、市民はそれが分かっているから露店なんてなくても、なにも寒い夜に「夜桜」なんてしないで

暖かい日中に「桜見物」してて、

で、これが実態。

それに比べ、「2日早く」とか「週末には準備が!」とか、

そういったものはいらない。

そこに、桜が咲いていればいい!

チームワーク

2013年03月29日 | Weblog
ある意味、ここが一番大事。

震災、事件…

で、ここで問題になるのは、そういったことは突発的に起こるもの。

なので、そこでは「マニュアル」なんてなんの訳のも立たない。

また「ありきたりの訓練」も何の役のも立たない。

震災、事件、これらにどれ1つ、同じものはないからだ。

で、そこで重要になるのが「チームワーク」

指示なしでも、それぞれがそれぞれの持ち場(分担)に即時に入り、目の前にあることに対して対応する。

で、これが出来るかできないか、
これ、訓練でいくらやっても意味がない。

その「緊張感」は訓練では絶対出すことは出来ない。

まず、①何がおこったのか、②どう対応すればいいのか、③誰が何をすればいいのか④分析~理解(個人・相互)~判断~対応は⑤後処理(整理、記録に残しておく、また起こるかもしれない、その時のために)

これらを瞬時に判断し、行動、また時間の経過とともに変わっていく状況の中でどう対応していくか、それらを個人で判断して、実際には震災時にはこういったことが求められる。

ということで「マニュアル」なんて「訓練」なんて、実際には何の力も意味もなさないってことを、よく分かったうえで、個人が、グループ(組織)が何をすればいいのか、どう対応すればいいのか、そこを再考し、より、実践に近い、実践対応型の、自分で考え、行動できる、そういった形のものにしていくことが大事。

そして、それは「チームワーク」の上に成り立つ、ということ、
ここを大事にしなければならないが

はてさて、そこが一番「?」になっているんじゃないかと思うのだが?