大学時代の後輩が訪ねて来てくれて、サラッと観光することになりました。 嵯峨野観光線のトロッコ列車乗って、保津峡下りして、鴨川の床の予定です。 嵯峨野観光線の路線は山陰本線の嵯峨嵐山駅・馬堀駅間の旧線を利用していて、保津峡の渓谷沿いを走っているため優れた景観が楽しめます。 国鉄は山陰本線の輸送力改善の一環として、嵯峨駅・馬堀駅間の保津川沿い屈曲部をトンネルで直線状に短絡する線路付け替え工事を着工し、JR西日本発足後の1989年に開通、 このため旧線は廃線となって放置されていたが、保津峡の優れた景観を活用するためにJR西日本の完全子会社の手により1991年から観光専用鉄道として営業、以来、多くの観光客を集めています。 車両は塗装などを変更したDE10形ディーゼル機関車1104号機を動力車とし、トキ25000形貨車を改造した客車5両が使用されています。 客車には平安ロマンをモチーフとした塗装を採用、平安の王朝色である緋色、山吹色でまとめられています。 ランキングに参加して居ます。 ポチッとよろしくお願いします。 にほんブログ村 |
近江八幡の水郷です。 天正13年(西暦1585年)、四国征伐で軍功を挙げた豊臣秀次は43万石を与えられ、近江国八幡山に城を築き、城下町を開町しました。 その際、琵琶湖畔を埋め立て、八幡山周囲に八幡堀を開削しました。自由商業都市を目指し安土城下などの商人・職人を呼び寄せ、碁盤上に区切った城下町に居住区を設けました。 堀の北側を武士、南側を町人の居住区域とし、さらに、町人の居住区の西を商人、北東を職人の居住区としました。 堀は、八幡山城の防衛と湖上交通による物流の役割を兼ね備え、城下町の発展・繁栄に大きく寄与しました。 秀次の自害を受けて八幡山城は廃城となりましたが、城下町は商家町として存続し、近江商人により繁栄を極めました。 近江商人は八幡堀の地の利を活かし、地場産物(畳表、蚊帳、米、酒など)を陸路や水路を利用して各地へ搬出し、各地の産物を持ち帰り、再び各地へ送り出すといった「諸国産物回し」と呼ばれる商法によって、各地の産業振興に貢献しました。 ランキングに参加して居ます。 ポチッとよろしくお願いします。 にほんブログ村 |
しばらく中国上海近郊の水郷が多かったので、日本の水郷も。 近江八幡の水郷です。 安土桃山時代に豊臣秀次が八幡山城を築城した際、市街地と琵琶湖を連結するために造られました。 城下町の都市計画として整備され、城を防御する軍事的な役割と、当時の物流の要であった琵琶湖の水運を利用する商業的役割を兼ね備えました。 八幡堀により船や人の往来が増えたことで商業が発達し、八幡山城廃城後の江戸時代には、近江商人(八幡商人)による町の発展に大きな役割を果たしたとの事です。 町は大阪と江戸を結ぶ重要な交易地として発展し、堀沿いには裕福な豪商たちの白壁の土蔵や旧家が建ち並びます。 八幡堀を含む旧市街地約13.1ヘクタールは、「近江八幡市八幡」の名称で重要伝統的建造物群保存地区として選定されています。 ランキングに参加して居ます。 ポチッとよろしくお願いします。 にほんブログ村 |
藤森神社は、京都市伏見区深草に鎮座する神社で、5月5日に行われる駈馬神事や、菖蒲の節句の発祥地として名高い神社です。 6月から7月にかけて紫陽花苑が公開され、3,500株にもおよぶ紫陽花が見ものです。 本殿(中座)に主祭神である素盞嗚命と、別雷命、日本武命、応神天皇、神功皇后、武内宿禰、仁徳天皇を祀り、東殿(東座)に天武天皇と崇道尽敬皇帝(舎人親王)を、西殿(西座)に崇道天皇(早良親王)と伊予親王、井上内親王を祀っています。 本殿の祭神は神功皇后による三韓征伐にまつわる神、東殿に周辺地域一帯の「地主神」と考えられる神、西殿に怨霊や厄神を宥めるための御霊神が祀られています。 こうやって改めて祭神を見てみると、怨霊となって祟った神が多く、怖い神社でもあります。 紫陽花はそんなこと関係なく綺麗に咲いていました。 ランキングに参加して居ます。 ポチッとよろしくお願いします。 にほんブログ村 |
海からバスに乗って2時間、浙江省北部にある烏鎮(Wuzhen)という町があります。 ここは水郷の町として有名な観光地です。 上海も含めたこのあたりは、長江によってできた三角州上に位置しています。 そのため起伏はなく、縦横に水が巡り水郷集落が多く残っています。 1300年の歴史がある烏鎮は、十字に走る川によって東西南北に分かれています。 その中で「景区」と呼ばれる東西の区域は、政府による管理がなされ、多くの人で賑わっています。 白酒でしょうか、お酒を作っているところもありました。 「桐郷花鼓劇」です。 京劇の原型は江南地方だそうですが、地味です。 水路から離れてもすごい人です。 一軒の家にあった不思議な置物。 縁起物なんでしょうか。 こちらは立派な寝台です。 ランキングに参加して居ます。 ポチッとよろしくお願いします。 にほんブログ村 |
上海虹橋国際空港近くの小さな水郷の街「七宝老街」は、上海中心部から15kmの郊外にある宋時代に作られた水郷古鎮です。 1000年以上の歴史があり、中央に流れる運河「蒲匯塘(プーホイトン)」を挟み、軒先が尖った2階建ての江南建築のお店が並ぶ光景が特徴的です。 上海近郊どころか、住んでいたマンションから市バス一本で30円くらいで行けます。 バスを降りて少し歩くと鐘楼があります。 そこからすぐに老街が始まります。 200mほどの路地で、土産物店やB級グルメ店がメインに両側に並んでいます。 町の中心にあるのが運河「蒲匯塘」 正面には七宝教寺が見えます。 ランキングに参加して居ます。 ポチッとよろしくお願いします。 にほんブログ村 |
周庄の続きとおまけです。 中国の江南地域とは、上海や蘇州、杭州一帯を指しますが、この地域はかつては中国の中の僻地で、当時の中国の政治・経済の中心である北と江南地域を結んだのが京杭運河でした。 したがって、中国江南地域の街は、京杭運河沿いの地域、もしくは京杭運河と水路でつながっている地域に形成されていったという歴史があります。 その代表ともいえるのが、この周荘(周庄)で「江南第一の水郷」との評判がある人気の水郷古鎮です。 周庄古鎮での名物料理といえば、写真の万三蹄です。 古鎮のあちこちで売られています。 豚肉の脚の醤油煮込みです。 この下はお遊びです。 ちょっと提灯が寂しくて・・・ と言ううちに夕闇が迫ってきました。 ランキングに参加して居ます。 ポチッとよろしくお願いします。 にほんブログ村 |
周庄の続きです。 周庄は約9百年の歴史を持っていて、豊富な文化の含みもあり、西晋の文学者の張翰、唐代の詩人の劉禹錫、陸亀蒙などの歴代名人がここに住んだことがあるそうです。 また中国有名な画家の呉冠中は周庄の美しさを「中国水郷の綺麗さを納める」と賛美しました。 ランキングに参加して居ます。 ポチッとよろしくお願いします。 にほんブログ村 |