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生と死の実

2007-11-06 04:19:44 | Greenベランダジャングル記
ベランダに茂ったオリーブの木が今年も結実。
朝晩も秋冷と共に、その実が緑から黒へとめきめき色づいてきた。
オリーブは異種の木々が近くにいないと決して結実しないので
うちも大きな鉢に2本植えてある。
(初夏に白い小花を咲かせたとき、綿棒で互いの花粉と花粉を
こまめに授粉させあうという裏技も忘れない)

向かいの大きな柿の木にたわわになった実も
日に日に濃い橙に色づいて、烏が時々器用にかぶりついている。
この秋ならではの借景が、私は毎年とても気に入っている。


ふと、“不思議な木の実”について夢想した。

はたちぐらいまで成長した後は、老いることなく
何十年もその体力とその風貌のまま生き続け
或る日、不意に元気なままぱたりと死を迎える。
長患いも惚けもなく、ただつやつや美しいまま、突然こと切れる。

そしてそのひとが亡くなった後、その亡骸は、ちいさなひとつの実になる。
ひとつのちいさなかわいらしい実が、ころん、とそこに遺る。

そのひとを愛していた人々がその実を食べ
その実の中にあった種を大地に植える。
そのひとを葬る儀式はそれで終わる。
お経も洗礼も焼香も祭壇も棺桶も戒名も骨壷もなにもない。
実を食べ、その種を植える、ただそれだけだ。

やがて、その種が芽吹き、草花や樹木に成長する。
大地は、そんな草花や樹木で常に生い茂っている。
かつてその実を食べた人たちも
だからちっとも悲しくなんてない。
追い茂った草花や樹木の生命力にただ心打たれ、
「生きている」と感じるだけだ。
―そんな生死のサイクルがあったら、いいな。そう思った。

(さらなる絵空事…もしここにブルーノ・ムナーリの挿画を入れられたらね)

超高齢化社会の深刻な問題も
アンチエイジングのオブセッションも
それらに群がりたかる、ありとあらゆる小賢しいビジネスも
すべてちゃらになる。
ともすればひとの弱さにつけいるような
老いや病や葬祭に関わるさまざまな慣習も成立しなくなる。
そんな世界があったらいいな。そう思った。
*****

とまれ、2007年メイドのオリーブの実、嘴太烏にさらわれる前に
ポモドーロのパスタにでもトッピングして食べちゃおう。
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