goo

ニキキと月と金魚まつり

2010-05-31 11:09:00 | Scene いつか見た遠い空
混沌、憔悴、再生、光輝、漸進…もろもろ、変速的な目まぐるしさでわわっと押し寄せ、
ブログ更新がすっかり間延びしてしまった。今週はたまった分を順次アップしていきたいな。


先日、ベランダでこんなハート形に合体したオリーブの葉っぱを発見!
なんてラブリーなの。


先週は折りしも満月ウィーク。思いがけずいとこの旦那様から、
こんなファンタスティックな月の画像が届きました。
先日5月16日のミラクルな金星と月のランデヴーショットと、珠玉の満月ショット。心底じーん。
携帯×双眼鏡でこんなクリアに撮れるんですね。ありがとうございます!!

fly me to the moon♪



金星と月のランデヴー明け、5月18日は、ニキキこと愛猫ニキの二回忌だった。
とてもおだやかなサツキ晴れ。今年もかつてニキの居た所に百合(ソルボンヌ)を活けた。
懐かしい香り。 2年前のはり裂けるような思いが嘘のように、穏やかな時間。

在りし日のニキと百合

かけがえのないものが消えた後に初めて、永遠に失われないものの本質を知る。
その失われないことこそが、原石のような現実であり、永遠にとけない魔法でもあるのだと思う。



ニキキ当日は、ニキの幼年期をよく知るひとと銀座でランデヴー。
ニキが狂喜しそうなお鮨をご馳走に。お刺身を食べると決まって見せたニキのキラッキラした
大満足顔が眼裏に懐かしく浮んだ。 懐かしい時間は、現実の時間と確かに繋がっている。
ふわふわ くすぐったいほどに。

ニキキナイトは蜜蝋キャンドルを灯して追悼。
プロコフィエフとショスタコーヴィチの琴線をゆさぶる弦の旋律に
たぶんニキも耳を澄ませていたと思う。


翌朝、キャンドルから垂れた蝋が三日月形にかたまっていた。
空から月が堕ちてきたのかと思った。





5月23日は小雨降る中、ご近所 代々木八幡宮の「金魚まつり」にふらりと。
正式名称は「五社宮祭」なのだが、金魚を飼うのが流行っていた大正時代には
金魚売の多かったこのお祭りを「金魚まつり」と呼び親しんでいたのだとか。


雨の中で金魚を眺めると、自分も一緒に泳いでいるような気がする。


参道でちょうど金魚みこしをかついできたお子様たちと遭遇した。
フードすっぽりかぶっちゃって、かわいい。
そこへ神主さんがたたっと現れ、お子様たちにお祓いの祝詞。
傍らにいた私も便乗お祓いされた?



65年前のちょうどこの頃、渋谷界隈は空襲で丸焼けになったと聞く。
神社の奥には、その時に焼け出された家々から拾い集められた無数のお稲荷さんが
ひっそりと奉られている。世の酷い不況も、戦火に比べれば、と思う。
金魚をのんびり愛でるような 平和な日曜を過ごせることに 感謝。



神社の裏道に回ると、高い石垣から身を乗り出すようにして薔薇が咲いていた。
真下から見上げると 頭上から、はらりはらり 濡れた花びらが舞いおちてきた。



帰りはわざと路地をうねうね回り道。
5月の雨に濡れた植物の葉や花びらは、生まれたての蝶の翅のように透明で心洗われる。
うちのマンションの植え込みの紫陽花もほんのり色づいてきた。




26日、OXY STUDIOオーリエさんちにトリコのキムリエさん&キムナオさんと寄った後、
浜松町で打ち合わせ→銀座で原野先生たちと会合と慌しかったけど、いい予感に満ちた一日だった。
27日、ほぼ徹夜で原稿をメールするや、池袋のホテルメトロポリタンに駆けつけ、
キムリエさん&キムナオさんと共に、濃密なロングインタビューを終えると、
その足で軽井沢トリコまで一緒にびゅーんと連れていってもらった。
高速に乗った瞬間、ふぅ~。

快適なキャンピングカーのバックシートより↓

このお二人とおシゴトすると、たとえどんなアウェイでも私にはホームになる。




朝日のような夕日を追って 軽井沢へとひた走る車窓に、薔薇色の雲からのびた天使の梯子を視た。
そういえば、その昔「朝日のような夕日をつれて」という演劇があったっけ('80s懐古)。


夕日が沈むころ、振り返ると、巨きな白い満月が追いかけてきていた。

――この続き「サイクルダイアリー@軽井沢 新緑編」も近日アップ、したいです。
goo | コメント ( 2 ) | トラックバック ( 0 )