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森村泰昌 なにものかへのレクイエム

2010-04-24 00:10:18 | Art

数日前、朝一取材に向う電車でうつらうつらしていると、
突如、ビー玉が勢いよく飛び込んでくるみたいに、
小学生の一群がキラキラ乗り込んできた。
「えんそく?」「うん、多摩動物園に行くの!」
あー 私も一緒に行きたいーー。ライオンバスに乗りたいー・・・



ぱたぱたしていてちょっと間が空いてしまったけど、まずは先日行った
「森村泰昌・なにものかへのレクイエム」@写美(東京都写真美術館)の感想をさくっと。
(余談ながら、バッグをロッカーに預ける際、指に挟んでいたチケットが天井の換気口にひらんと
巻き上げられ、あわや吸い込まれそうに。これを取り戻そうと「えいっ」と垂直ジャンプした瞬間、
折悪しくロッカールームにおじさま数名が入ってきて、何かのパフォーマンスかと勘違いされる・・)


20世紀を振り返るセルフポートレートをテーマにした今回の展覧会、
ポスターやチケットに使われたアイコンは、1945年に「TIME」誌に掲載された“決定的瞬間”の
換骨奪胎(あるいは擬態、引用、再現、寄生、侵入、陵辱、憑依、追体験、リミックス e.t.c…)。
戦争終結を祝して熱烈に接吻する水兵&ナースはもちろん、背景の群衆たちもすべて森村その人。
今回の森村展は、この作品のように報道写真を題材にしたものが私には図抜けて面白かった。


<なにものかへのレクイエム(ASANUMA 1 1960.10.12-2006.4.2)>2006年
1960年に浅沼社会党委員長を17歳の刺客 山口二矢が襲った決定的瞬間も
登場人物はすべて森村。わーお。同様の作品としては、ケネディを狙撃したオズワルドが
護送中に暗殺される瞬間のショットなどもあり。
「ぼくがやりたかったのは、あのテロの瞬間に手を触れる感覚です」by森村:美術手帖vol.62


「そこまでやるかっ!」と呆気にとられ、それが失笑、苦笑、脱力等々を経て、
やがて「快哉!」と化すのが森村ワールドの醍醐味(私にとっては)なのだが、
20世紀を象徴する決定的瞬間のただ中に入り込んだ今回の作品たちは、
今までの名画の登場人物や女優になりきった作品群とは決定的に異なる印象を受けた。
(今回は今までのように女ではなく、20世紀の男をテーマにしているということもあるが)




アインシュタイン、ガンジー、ゲバラ、毛沢東、ヒトラー(またはチャップリンの独裁者)…。
国籍も思想も超越し、いかなる20世紀のイコンにも森村は化ける。昭和天皇だって例外じゃない。
ヒトラーに至っては、大阪弁まじりのタモリ的いんちきドイツ語でアジる動画作品もあった。
鍵十字マークは「笑」という字をもじったロゴにするなど相変わらず芸も細かい。
自身の身体をメディアとした歴史への侵入。あらゆるイデオロギーの完膚なきまでの粉砕。




ダリ、イブ・クライン、ピカソ、ウォーホール、ジャクソン・ポロック、手塚治虫…。
20世紀のなみいるマエストロたちも、気がつけば森村ワールドの住人に。
ポロックのアクションペインティングショットの前では、たまらず噴き出してしまった。
ウォーホールはちょっとハズしたかな(笑)。映画「バスキア」でウォーホールを演じたD.ボウイより
似てない。まあ、この微妙に似ていないブレ感こそが、森村作品の真骨頂でもあるのだが。 


<創造の劇場/ヨーゼフ・ボイスとしての私>2010年
ヨーゼフ・ボイスに扮した森村の背景の黒板にびっしりしたためられているのは、
森村自身が5時間かけて書いた宮沢賢治のドイツ語訳詩らしい。
よく見ると随所に悪戯がしてあった。ぜひ探してみて。ちなみに美術手帖によると
森村は「言うたらなんやけど、ボイスより男前やねん(笑)」と発言していた模様。


展示会場前のCaféに掲げられた大スクリーンからは、三島由紀夫に扮した森村の檄が飛んでいた。
まさに「そこまでやるか!」の極致。唖然としたまま10分近い映像に見入り、
やがて脱力しながらも微笑している自分に気付く。ロケ地は今はなき市ヶ谷駐屯地にあらず@大阪。
森村がアジったのは、三島のような日本再建の決起にあらず、芸術上の決起。
ただし、衣装は実際の「盾の会」の制服を借りたらしい。

<烈火の季節/なにものかへのレクイエム(MISHIMA)>2006年

大阪出身の森村は高2の頃に三島文学に開眼、大阪万博に沸く'70年、
三島の自決に万博など吹っ飛ぶほど影響を受けた。
西洋美術史をテーマにした作品を作り続けていた彼は
どうしたら日本に戻れるかを思案した時、真っ先に三島を思った。
ゆえに、20世紀の歴史に触れるシリーズ「なにものかのレクイエム」を
始める際、その出発点として、三島事件を選んだという。


ふと、去年犬島で見た柳幸典のインスタレーションを思い出した。
日本の近代化遺産である犬島精錬所の中に、日本の近代化の矛盾の象徴である
三島由紀夫をモチーフに配された柳のインスタレーションは、十代の頃から三島文学には別格の
領域を認めている私には、鳥肌が立つほど美しかった。犬島についての拙ブログはこちら


80年代半ば、ゴッホの自画像になりきった作品を発表し、'86ヴェネツィアビエンナーレでは
マネの笛吹く少年のセンセーショナルなパロディで現代アートの寵児となった森村泰昌。
当時、私はそれをアートというより、一発アイデア的なお笑いエンタテインメントとして享受していた。
が、たぶん私は誤解していたのだと思う。彼の方法論やコンセプトに拘泥する前にまず
彼自身の存在自体が理屈抜きに“ザ・アート”なのだということに気付いていなかった。
時を駆ける美術 (知恵の森文庫)
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「まあ、ええがな」のこころ
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時間、空間、文化、民族、国籍、ジェンダー、年齢、思想、主客、虚実e.t.c…
あらゆる差異を 自身の身体を通して解釈・超越していく森村アートが向う宇宙はこの先何処へ?
「そこまでやるかっ」と、また性懲りもなく呆気にとられる瞬間を期待してやまない。



今年はなにかと恵比寿にご縁があるような気がする。
一昨日も恵比寿ガーデンプレイス側のスタジオで終日取材だった。
晴れ渡った空に、群れなす鳥たちが見せる無限のアートにしばし見とれる。



今週、文芸季刊詩「Kanon」の取材で松岡正剛氏をインタビューした。
テーマは土門拳のライフワークだった「室生寺」。シブい。実に素敵にシブい。
森村アートに耽溺する間もなく、先週は土門拳&セイゴオをフルチャージ。
実は個人的に土門拳は敬遠ぎみだったので、思いがけず土門と真剣に向き合う絶好の機会となった。

松岡正剛氏が所長を務める編集工学研究所は、以前TVで見た通り、書物の迷宮に覆われた
至福の空間だった。編集の権威にお話を伺うのは恐れ多かったけれど 話の飛躍も流石の幅広さで
非常に興味深かった。(原稿にまとめるのはウルトラ高難度かもですが。。。がんばります!)



先々週、代々木上原で毎春期間限定で開催されているチュニジア雑貨「さらは」さんに
遊びに行ってきた。十数年前にローマから姉とショートトリップで訪れたチュニジアは
いつかきっとまた訪れたい国のひとつ。さらはさんで、クスクスのランチと一緒に
懐かしいチュニジアンティーをいただき、その思いをまた強くした。





先週末、拙宅にて、ライター仲間のちよさん、フォトグラファーのみっちゃん、
映画ライターのたがやさん、デザイナーのふくちゃんと共に、私のお宝DVDでもある
イタリア'60年代のお洒落おばか映画「女性上位時代」を堪能。友人たちと観るとまた違う発見があり、
超年齢的ガールズトークも含めてめちゃめちゃ楽しく、最後はちよさんと朝まで猫談義。

同じ日の夕方、ご学友ひだかが上原で体験取材した際に作ったというフラワーアレンジメントを持って
遊びに来てくれた。しばしほっこりお喋り。この日は折りしもちょうどニキの月命日。
ニキに素敵な花を捧げられてよかった。ひだか ありがとう!



寒暖差も 日々の営みも緩急はなはだしい4月は、空も心も照ったり降ったり。
今週は取材や打ち合わせが瞬間立て込んだせいか眠い。。。
でも昨日、キムリエさんとあれこれじっくり話して、いろんなことが腑に落ちてきた。



ベランダの植物を時々整えながら、土や緑に触れることで、
自分の中でふと蘇るものを感じる瞬間がある。

深呼吸。

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