地上を旅する教会

私たちのすることは大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。
でもその一滴の水があつまって大海となるのです。

【婚礼の客】ミラノ…須賀敦子 文才育んだ「霧の街」

2015-02-25 22:15:04 | 今日の御言葉
▼「梅の香に 福島ほっこり」
(福島県伊達市 2015.2.24)




イエスは言われた。

「花婿が一緒にいる間、

婚礼の客は悲しむことが
できるだろうか。

しかし、花婿が奪い取られる時が来る。
そのとき、彼らは断食することになる。


マタイによる福音書/ 09章 15節
新約聖書 口語訳




他人の過ちや、
罪深いすべてのものに目を閉じ、
神の美徳をさがす
(目の沈黙)


ゴシップや告げ口、
無慈悲な言葉等の声に耳をふさぎ、
神の声や貧しい人の叫びに耳を傾ける
(耳の沈黙)


暗さや動揺、
苦しみを引き起こす
すべての言葉をつつしみ、
私たちを啓発し、鼓舞し、
平安や希望や
喜びをもたらす神の真理の言葉、
イエスの言葉を口にする
(舌の沈黙)


うそや混乱、破壊的な考え、
軽率な評価、他人への誤った疑い、
復讐心、さまざまな欲望などに
精神を閉ざし、祈りと黙想において
神の真理と知識に精神を開く
(精神の沈黙)


すべての自分本位の考え、
憎しみ、うらみ、ねたみ、
欲ばりを避け、私たちの心、魂、
精神、力において神を愛し、
神が愛するように人を愛する
(心の沈黙)


マザーテレサ 

(『愛のこころ最後の祈り』より)




★ミラノ…須賀敦子 文才育んだ「霧の街」 :

新おとな総研 : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)

◆読売新聞 2015年2月24日




▲ミラノ旧市街にそびえるドゥオーモ(大聖堂)。広場から続く目抜き通りに、サン・カルロ書店はある(伊北部ミラノで)=青木佐知子撮影



▲1961年、コルシア書店で本に囲まれている須賀敦子
(河出書房新社提供)


イタリアを題材にしたエッセーや翻訳で知られる作家、須賀敦子は、30歳代を伊北部ミラノで過ごした。

カトリック信者だった須賀は、日本文学のイタリア語訳を手がける傍ら、教会の刷新運動にも加わった。

ローマから列車で北に向かうと、乳白色の霧に包まれた平野が現れ、ミラノに近づいたことを教えてくれる。買い物客でにぎわうミラノの目抜き通りにたたずむ教会の軒先に、その小さな書店はあった。

コルシア・デイ・セルヴィ書店。1960年、須賀はこの書店を切り盛りしていたジュゼッペ・リッカと出会い、翌61年に結婚した。

「本の陳列棚は当時のままだ。月に2、3人は日本人が来るよ」

店員のジローラモ・カッラーロさん(67)が、隣接する教会の物置を改装して作られたという、細長い店内を見せてくれた。60年代当時、書店は教会の近代化を求める「カトリック左派」の拠点だった。カトリック系の女学校などで学んだ後、神学を学ぶためにローマに渡った須賀も、こうした書店の活動に興味を持ち、ミラノに移り住んだ。

須賀は著作「コルシア書店の仲間たち」で、教会の変革に燃える聖職者や編集者らが議論を交わしたコルシア・デイ・セルヴィ書店を、「ごったまぜの交流の場」と記した。サン・カルロ書店に看板が変わった今も、多くの須賀ファンが訪れる。

大学生の頃に書店に通い、その後、書店を手伝ったジャンアンドレア・ピッチョリさん(73)は、「アツコは洞察力に優れていた」と振り返る。「議論を取り仕切るタイプではないが、口を開けば魅力的な発言をした」

須賀は63年、伊出版社の依頼で、川端康成や谷崎潤一郎の作品の翻訳を始めた。友人で、ローマ・サピエンツァ大学のマリアテレーサ・オルシ教授は「私が日本文学に熱中して研究者になったのは、彼女の翻訳作品のおかげ。言葉の微妙な意味の違いに敏感だった」と語り、須賀の「ミラノなまり」のイタリア語をしのんだ。

リッカが41歳の若さで病死した後、須賀は東京に戻り、教会の慈善活動として廃品回収を始める。だが帰国前の須賀は、信仰に生きる道と、文学への憧れのはざまで揺れていた。「日本へ帰って教会の手助けなどするより創作の道を歩きたい思いに駆られる」

当時の日記に、こうつづった須賀だが、やがて文学研究の道に進み、大学の教壇に立った。90年、イタリア生活を追懐した初の著作「ミラノ 霧の風景」を出版。61歳の新人のエッセーは、柔らかで精緻な文体が賛嘆された。帰国から19年後のことだ。

コルシア書店を手伝ったピッチョリさんは、須賀の生き方を「彼女は常に、より困難な道を選んだようだね」とたたえた。時の熟成を経て、研ぎ澄まされた文章。だからこそ、読者の心にしみるのだろう。(文と写真 青木佐知子)


須賀敦子(1929~98)

兵庫県芦屋生まれ。カトリックの聖心女子学院で学ぶ。1953年、24歳でパリ留学。58年、ローマ留学。13年のイタリア滞在を経て、71年に帰国。西洋文学の講師や伊文学の翻訳を手がけ、89年、上智大学教授に。初の著作「ミラノ 霧の風景」が、講談社エッセイ賞と女流文学賞をダブル受賞。98年、心不全で死去。生前に出版された著作は5冊ながら、今も人気が高い。東京のイタリア文化会館は昨年、功績を顕彰し、「須賀敦子翻訳賞」を設立した。

2015年02月24日 08時30分 Copyright © The Yomiuri Shimbun



【似姿】神話や建国記述「間違ってない」 「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励

2015-02-24 08:40:26 | Weblog
▼「誰も幸せにならないいじめ」山崎 柊さん /喜多紗月さん 画
( 産経 2015.2.23 )





神は言われた。

「我々にかたどり、我々に似せて、
人を造ろう。そして海の魚、空の鳥、
家畜、地の獣、地を這うものすべてを
支配させよう。」


創世記/ 01章 26節
旧約聖書 新共同訳




人は一切れのパンではなく
愛に、小さなほほえみに
飢えているのです。

だれからも受け入れられず
だれからも愛されず
必要とされないという悲しみ

これこそほんとうの飢えなのです。

愛を与え
愛を受けることを知らない人は
貧しい人のなかでも もっとも貧しい人です。


(マザーテレサ『愛のことば』より)





▼誰も知らない「建国記念の日」2015.2.11



◆神話や建国記述「間違ってない」
「感動した」 一宮市教委の注意で削除の中学校長ブログに激励

★産経新聞 2015年2月22日


愛知県一宮市の市立中学の男性校長(56)が、学校のホームページ上のブログに、神話に基づく日本建国の由来などに触れながら、自国に誇りを持つよう訴える記事を掲載したところ、市教育委員会から「神話を史実のように断定的に書いている」との注意を受け、記事を削除していたことが21日、分かった。学校側には教職員組合から抗議文も出されたが、「校長は間違っていない」「感動した」などと記事内容を評価する声も多数寄せられているという。ブログ記事は削除しなければならない内容だったのか。(河合龍一)

市教委や校長によると、校長は建国記念の日を前にした9日、朝礼で「日本の起源」について話し、同日午後に、その基になった原稿をブログに掲載した。

記事では冒頭、日本の建国について「初代神武天皇が即位した日が始まり」と記し、16代仁徳天皇が家々から炊事の煙が上がらないのを見て民の窮乏を知り、税を免除して自らもつつましく暮らしたという「民のかまど」の話を紹介。「この話は神話」と断った上で「こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言える」と書いた。

その上で「皆さんは世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んでほしいと思います」と締めくくっていた。

記事を批判する電話が12日に1件寄せられたことを受け、市教委が校長を注意。校長は「生徒や職員に迷惑をかけたくない」として自ら記事を削除した。

中学社会科の学習指導要領では「神話・伝承などの学習を通して、当時の人々の信仰やものの見方などに気付かせるよう留意すること」と明記されている。

校長は「神話を通じ、子供たちに『自分より人のため』という古代からの日本人の精神性を伝え、自国に誇りを持ってもらいたかった」と話した。市教委学校教育課は「部分的に読むと史実と受け止められかねず誤解を招く」としている。

市教委にはこれまで「偏向教育だ」という匿名の手紙が1通寄せられたほか、一部報道を受け、賛否の電話が十数件あった。学校側にも海外在住の日本人を含め、電話やファクスが多数寄せられ、大半が記事を評価したり、「削除する必要はない」などと校長を激励したりするものだという。


元公立小学校長で狭山ケ丘高校(埼玉県)校長の小川義男氏は「神話と断っている上、学習指導要領にも即しており、何の問題もない」と指摘している。



≪愛知・一宮市立中学校長のブログ全文≫

2月11日は建国記念日です。そこで、今日は日本のルーツ、日本の起源について、お話をしたいと思います。日本の建国は、今から2675年前の紀元前660年2月11日、初代、神武天皇が即位した日が始まりです。世界一広いお墓、大仙古墳で有名な、16代仁徳天皇が、ある日高台に登って遠くをご覧になられました。すると人々の家からは、食事の準備のために煮炊きする煙が少しも上がっていないことに気付いたのです。


仁徳天皇は「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」と仰せられ、三年間、税を免除されました。

税を免除したために朝廷の収入はなくなり、宮殿は大いに荒れました。天皇は衣を新調されず、茅葦屋根が破れ、雨漏りがして、星の光が屋根の隙間から見えるという有様でした。


三年がたって、仁徳天皇が同じ高台に出られて、遠くをご覧になると今度は、人々の家々から煮炊きする煙が盛んに立つのをご覧になり、その時、仁徳天皇がこのように言われたということです。

「高き屋に のぼりて見れば煙立つ 民のかまどは賑わいにけり」

そして、一緒におられた皇后に「私は豊かになった。喜ばしいことだ」とおっしゃったということです。

皇后はそれを聞いて「陛下は変なことをおっしゃいますね。衣服には穴があき、屋根が破れているのに、どうして豊かになったといえるのですか」

すると「国とは民が根本である。その民が豊かでいるのだから、私も豊かということだ」と言われ、天皇は引き続き、さらに三年間、税をとることをお許しにならず、六年が経過して、やっと税を課して、宮殿の修理をお許しになりました。すると人々は命令もされていないのに、進んで宮殿の修理をはじめ、またたくまに立派な宮殿ができあがったといいます。


この話は神話であり、作り話であるという説もあります。しかし、こうした神話こそが、その国の国柄を示しているとも言えるのです。

こうした天皇と国民の関係性は、何も仁徳天皇に限ったことではありません。敗戦直後の1945年9月27日、124代昭和天皇はマッカーサーと会見をしました。そして、その会見で昭和天皇はこのようにマッカーサーに話したのです。

「今回の戦争の責任はすべて自分にあるのであるから、東郷や重光らを罰せず、私を罰してほしい。ただし、このままでは罪のない国民に多数の餓死者が出る恐れがあるから、是非食糧援助をお願いしたい。ここに皇室財産の有価証券類をまとめて持参したので、その費用の一部に充ててほしい」と述べたのでした。

それまで、天皇陛下が、多くの国王のように、命乞いに来たのだろうと考えていたマッカーサー元帥は、この言葉を聞いて、やおら立ち上がり、陛下の前に進み、抱きつかんばかりにして陛下の手を握り、「私は初めて神のごとき帝王を見た」と述べて、陛下のお帰りの際は、マッカーサー自らが出口まで見送りの礼を取ったのです。

このように、初代、神武天皇以来2675年に渡り、我が国は日本型の民主主義が穏やかに定着した世界で類を見ない国家です。

日本は先の太平洋戦争で、建国以来初めて負けました。しかし、だからといってアメリカから初めて民主主義を与えられたわけではありません。また、革命で日本人同士が殺しあって民主主義をつくったわけでもありません。


古代の昔から、日本という国は、天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた穏やかな民主主義精神に富んだ国家であったのです。

私たちは日本や日本人のことを決して卑下する必要はありません。皆さんは、世界一長い歴史とすばらしい伝統を持つこの国に誇りを持ち、世界や世界の人々に貢献できるよう、一生懸命勉強に励んで欲しいと思います。(原文のまま)






★【産経抄】

神話は国柄を示す 2月23日 - 産経ニュース

◆産経新聞 2015年2月23日



16代仁徳天皇は『古事記』では、恋多き男として描かれる。恋の相手は、吉備の国の豪族の娘、クロヒメ、八田のワカイラツメ、メトリの王(おおきみ)…。その度に天皇の后(きさき)、イワノヒメが嫉妬の炎を燃やす。もっとも、これは神話の「上級編」である。

▼仁徳天皇が高台から見渡すと、かまどを焚(た)く煙が見えない。民の貧しさを知った天皇は、民の税を免除し、自らも質素倹約に努めた。愛知県一宮市の市立中学の校長(56)は、「聖帝」の有名な事跡を紹介して、生徒たちに語りかける。「神話こそが、その国の国柄を示しているとも言える」

▼さらに「天皇陛下と民が心を一つにして暮らしてきた」例として、マッカーサーとの会談に臨まれた昭和天皇のエピソードを挙げている。小紙はきのう、校長が建国記念の日を前に、学校のホームページのブログに書いた記事の全文を掲載した。東日本大震災の被災地で、人々に膝をついて声をかけられる、今の天皇、皇后両陛下の姿を思い浮かべた読者も少なくないだろう。

▼いずれにしても、一体この記事のどこに、問題があるというのか。記事掲載から3日後、市教委に批判の電話が1件寄せられた。これを受けて市教委が校長に注意し、記事は、ホームページから削除されたという。

▼今年の日教組の教研集会でも、唖然(あぜん)とするような授業が報告されていた。ある教員は建国記念の日について、「神武天皇という実在しなかった天皇が、空から高天原に降りてきて日本を治め始めたという、嘘だらけの日」と説明していた。

神話を敵視する偏向教育はなかなか改まらない。なにより教育界の一部に残る、混乱回避を何より優先する「事なかれ主義」と「隠蔽(いんぺい)体質」には、暗澹(あんたん)たる気分にさせられる。




2015.2.23 皇太子さま55歳 (平成27年2月23日)




▲ 今日も元気

(越智友美さん 愛媛県西条市 産経2015.2.23 )

【定め】東京マラソン名物・ キリストランナーことララバイ、 今年は出場せず

2015-02-23 05:14:13 | 今日の御言葉
▼手書きにこだわり。こいのぼり
(埼玉県草加市 2015.2.19 )






こういうわけで、わたしたちもまた、
このようにおびただしい証人の群れに
囲まれている以上、すべての重荷や
絡みつく罪をかなぐり捨てて、

自分に定められている競走を忍耐強く
走り抜こうではありませんか。


ヘブライ人への手紙/ 12章 01節
新約聖書 新共同訳



すべての宗教は、永遠なるもの、
つまりもうひとつの命を信じています。


この地上の人生は
終わりではありません。

終わりだと信じている人たちは、
死を恐れます。

もしも、死は神の家に帰ることだと、
正しく説明されれば、

死を恐れることなどなくなるのです。



マザーテレサ 

(『日々のことば』より)






防犯の都合上、出走が認められなかったらしい…。


★東京マラソン名物・
キリストランナーことララバイ、
今年は出場せず

◆ガジェット通信2015年02月22日 07:00


東京マラソンをイエス・キリストを彷彿とさせるコスプレで疾走することで有名な、ロックバンド「ザ・チャンバーズ」のボーカリスト・ララバイが、2月22日(日)に開催される「東京マラソン 2015」に出場しないことがわかった。

ザ・チャンバーズはOTOTOYニュースの取材に対し「ララバイは今年の東京マラソンには出場せず、現時点では4月26日にロンドンで行われるロンドンマラソンに出走を予定。その凱旋ライブとして5月1日(金)に新宿レッドクロスでザ・チャンバーズ企画のイベントをおこなうことを予定している」と答え、ララバイが当初より今年は東京マラソンへの出場を予定していなかったことを明らかにした。

ララバイは例年、東京マラソンに出場して十字架を背負いながら寒空の下をキリストを彷彿とさせるコスプレで疾走することで知られており、沿道の見物客だけでなく出場ランナーからも写メで目撃報告をツイートされることでおなじみとなっている。筆者も2012年の東京マラソンに出場して完走したのだが(自慢)、その際に品川の折り返し地点で実際にララバイとすれ違った。沢山のコスプレランナーがいる中でも、思わず2度見してしまう別格のインパクトがあったことを覚えている。それだけに今年は不出場というのは非常に残念だが、本業のバンドマンとしての活躍に期待しよう。

ザ・チャンバーズは2月21日(土)渋谷aubeでおこなわれるライヴ・イベントに出演するので、東京マラソンファンの方は、バンドマンとしてのララバイの雄姿を確かめにライヴ・ハウスに足を運んでほしい。(岡本貴之)

・ザ・チャンバーズ オフィシャル・ウェブサイト
http://www.thechambers.jp/

◆ザ・チャンバーズ出演ライヴ情報

〈THE SOFT PARADE~JOSY 2nd single”LASER BEAM” release party~〉
2015年2月21日(土)渋谷aube
OPEN/START 16:00/16:30
ADV/DAY 2000円/2500円(+1D)
w/乱舞虎 / ザ・チャンバーズ / 廃人トニック006 / 鼻ホームランの森 / THE STEPHANIES / Riff / The Muddy Dogs


http://getnews.jp/archives/828148
(2015.02.22 07:00 OTOTOY カテゴリー : エンタメ タグ : OTOTOY)





▲平成27年2月22日 (日) 産経新聞号外

ネゲセV 東京マラソン 女性はディババ



★殺害直前に後藤健二さんの脳裏に
おそらくよぎった詩編

佐藤優 直伝「インテリジェンスの教室」


◆現代ビジネス 2015年2月19日



▲〔PHOTO〕gettyimages

「キリスト教徒の死生観」


【コメント】

1.―(1)

過激組織「イスラム国」による後藤健二氏の殺害をめぐって、さまざまな議論が展開されているが、後藤氏がプロテスタントのキリスト教徒であったことを考慮しないと、分析を誤る。

1.―(2)

例えば、2月4日、自民党の高村正彦副総裁は、<後藤健二さんが外務省から昨年9月以降、3回の渡航自粛要請を受けたにもかかわらず、中東の過激派「イスラム国」の支配地域に入り殺害されたことに「真の勇気でなく、蛮勇とも言うべきものであったと言わざるを得ない」と述べた。党本部で記者団に語った。/高村氏は、後藤さんがイスラム国の支配地域に入る前に「自己責任だ」と述べたことに触れ「個人で責任を取りえないようになることもありうる」と指摘した。>(前掲)。高村氏は、後藤氏の内在的論理を理解できないために、「蛮勇」という否定的評価をするのである。

2.―(1)

後藤氏は、日本基督教団に所属するプロテスタントのキリスト教徒だ。筆者も同じ教団に所属するプロテスタントなので、後藤氏の宗教人としての内在的論理を理解することができる。

(略)

イエス・キリストは、99匹の羊を野原に残してでも、迷った1匹の羊を探すべきだと言った。「イスラム国」に湯川遥菜さんが捕らえられたとき、誰も本気で彼を助け出そうとしなかった。後藤氏には、「誰もやらないのならば、君がやらなくてはならない」という神の声が聞こえたのだと思う。

2.―(2)

突然、心の中に聞こえてくる神の声をキリスト教徒は重視する。後藤氏の場合、湯川氏を捜すことが召命と思えたのである。だから、外務省の渡航自粛要請を無視したのだ。キリスト教徒にとって、神からの召命の方が国家の要請よりも上位に立つからだ。

3.―(1)

2014年5月30日付の日本のキリスト教系メールマガジン「クリスチャントゥデイ」に、後藤氏のインタビューが掲載されている(インタビュー「国際ジャーナリスト・後藤健二~それでも神は私を助けてくださる~」)。これを読むと後藤氏の信仰がよくわかる。

後藤氏は洗礼を受けたときの事情についてこう述べる。<「もし、取材先で命を落とすようなことがあったとき、誰にも看取られないで死ぬのは寂しいかなとも思いました。天国で父なる主イエス様が迎えてくださるのであれば、寂しくないかな…なんて、少々後ろ向きな考えで受洗を決意したのは事実です」と後藤さん。しかし、当時の牧師に「われわれの信じる神様は、われわれが死ぬときのためにいらっしゃるのではないのですよ」と咎められ、はっとした。>

後藤氏は、取材先での死を意識してキリスト教徒になった。ジャーナリストとの職業的良心とキリスト教徒としての信仰的良心をできるだけ重ね合わせるようにして生きてきたのだと思う。

3.―(4)

後藤氏は、黒装束のテロリストによって首にナイフを当てられたときも、うろたえず、まっすぐ前を向いていた。そのとき、心に刻み込んでいる詩編が脳裏をよぎったであろう。

<見よ、神はわたしを助けてくださる。
主はわたしの魂を支えてくださる。
わたしを陥れようとする者に災いを報い
あなたのまことに従って
彼らを絶やしてください。
主よ、わたしは自ら進んでいけにえをささげ
恵み深いあなたの御名に感謝します。
主は苦難から常に救い出してくださいます。
わたしの目が敵を支配しますように。>(「詩編」54編6~9節)


キリスト教徒にとって、死がすべての終わりではない。イエス・キリストを信じる者は、死から復活し、永遠の命を得ると信じている。・・・(以下略)


佐藤優直伝「インテリジェンスの教室」Vol.054
(2015年2月13日配信)より
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/42134#
(現代ビジネス [講談社] 2015年2月19日)





▲平成27年2月1日 産経号外



【賛美】日本発のゴスペル 1000人集め全米デビューへ:社会

2015-02-21 23:30:13 | Weblog
▼「かつうらビッグひな祭り」(遠見岬神社)



こう言った。

「アーメン。賛美、栄光、知恵、感謝、/誉れ、力、威力が、/
世々限りなくわたしたちの神にありますように、/アーメン。」


ヨハネの黙示録/ 07章 12節
新約聖書 新共同訳




もし、経験がないならば、尋ねなさい

尋ねることは
恥ずかしいことではありません

けれど、知らないことを、

知っているような
ふりをするのはやめなさい


マザーテレサ 

(『日々のことば』より)




◆東京新聞:日本発のゴスペル 1000人集め全米デビューへ:社会(TOKYO Web)


★東京新聞2015年2月21日


▲日本人1000人の声でCDを製作し全米デビューを目指すジェンナさん(右)とプロデューサーのジェット・エドワーズさん=東京都三鷹市で(梅津忠之撮影)



東京都渋谷区を拠点とする合唱グループが米国人プロデューサーと協力し、千人の参加者を集めてアメリカでCDデビューする企画を進めている。メンバーには「ゴスペルは東日本大震災の被災者を力づけてきた。被災地のために歌いたい」と大震災から四年を迎える被災地への思いを胸に参加する人もおり、日本のゴスペル界の力を結集させた歌声が海を渡る。 (横井武昭)

企画を進めているのはNGOゴスペル広場(渋谷区)代表でゴスペル指導者の日本人女性ジェンナさん(33)。普段は全国から二千人が通う教室の会費で途上国支援をしながら普及に努めている。

米国では音楽の主要ジャンルとして確立し、ヒット曲も多い。「日本のゴスペル界が発展するために日本人の力でアーティストや曲をつくり、自分たちの文化として発信したい」と思いが募った。

ダイアナ・ロスなど著名なアーティストを数多く手掛け、今は日本に住む米国人プロデューサー、ジェット・エドワーズさんと昨年出会い、意気投合。千人というかつてない規模でゴスペルを歌い、エドワーズさんが設立したレーベルから全米デビューすることを決めた。

この企画に各地の教室の講師、メンバーらが協力を申し出た。

横浜市内のグループに所属する公務員石原史也さん(55)もその一人。震災後の宮城県石巻市に毎年仲間と通い、浸水した商店街の楽器店や仮設住宅、地域の祭りなどさまざまな場所でゴスペルライブを開いてきた。

最初は「生活が大変な時に歌っていいのか」と戸惑いもあったが、心を込めて歌うと、涙を流して聞く被災者の姿が見えた。「『歌を聞いて元気が出た』『初めて明るい気持ちになれた』と言ってくれ、ゴスペルの力ってすごいと思った」

今回も被災地への思いを込め歌声を響かせる。「ゴスペルには心を一つに平和を祈るというメッセージがこもっていて、一人一人の個性や思いをいかして歌えるのがいいところ。日本発のゴスペルなので、私は被災地のために歌いたい」

CDにはエドワーズさんとジェンナさんが作った英語のオリジナル曲に洋楽のカバーを加え六曲を収録。うち一曲は日本語で歌う。

現在、一般参加者も募っており、十二歳以上であれば誰でも参加可能。定員まで百人ほどある。ジェンナさんは「ゴスペルは大衆音楽。大勢の人と思い切り歌うのは楽しいので初めての人もぜひ参加を」と呼び掛けている。

二十二日と二十七日に東京都武蔵野市内で合同練習を開き、三月十五日に青山学院大学講堂(東京都渋谷区)で収録する。六月下旬~七月上旬にCDを発売する予定。参加費八千円。申し込み方法などは、ホームページで(JAPAN MASS CHOIRで検索)。

<ゴスペル> 米国のキリスト教音楽。米国の黒人の間で、黒人霊歌などを起源に、ブルースやジャズなどの要素も加わって生まれたとされる。ハーモニーに合わせ、時には体をうねらせてステップを踏むなど、感情表現豊かに歌う。




▲2015.2.21 産経 (千葉県勝浦市)

【二人】中国“人民”にも愛された高倉健さん 武士道精神を体現した人

2015-02-20 08:06:38 | Weblog



ふたりまたは三人が、
わたしの名によって
集まっている所には、

わたしもその中にいるのである。


‭マタイによる福音書‬ ‭18‬章20節
‬ 新約聖書 口語訳



最も剛毅なる者は
最も柔和なる者であり、

愛ある者は勇敢なるものである。


(『武士道』新渡戸稲造 )



★【河村直哉の国論】中国“人民”にも愛された高倉健さん
武士道精神を体現した人 - 産経WEST

◆産経新聞 2014年12月5日 07:00更新



▲映画「君よ憤怒の河を渡れ」で
馬乗りロケを行う高倉健。右は女優の中野良子
=昭和50(1975)年11月


俳優、高倉健さんの魅力とは何だったのだろうと、追悼番組などを見るたび考えてきた。それは日本人的な徳に貫かれた生き方の魅力だったのではないかと思う。武士道精神に貫かれた生き方、といってもよい。

単に任侠(にんきょう)シリーズで健さんが刀を手にしているから、という理由ではない。刀を持とうが持つまいが、健さんの演じる男、さらに健さんの生き方そのものが、武士道的な精神を感じさせるのである。

確かに初期の「日本侠客(きょうかく)伝」シリーズなど、役どころもいかにも「武的」だ。第1作で、渡世人集団でもある東京・木場の材木運送業の小頭(こがしら)を任された主人公は、侠客であり、切り込んで敵を倒す。しかしこれだけなら「武的」ではあっても武士道的ではない。敵対勢力のいやがらせに耐え、正道の仕事をまっとうしようとするが、仲間が殺され、付け火されるに及んで、ついに刀を手にする。優しさと義憤があるから、それは武士道的といってよい味わいを帯びてくる。

刀を手にしない作品でも、健さんはどこか武士道的だ。たとえば追悼番組としても放送された「あなたへ」では、故郷の海に散骨してほしいという先立った妻の願いをかなえる義があり、妻を思う優しさがある。この義と優しさが、高倉作品の大きな魅力ではないかと思う。

そしてこの義と優しさは、20世紀にさしかかろうとするころ、日本人の日本人らしさを求めて新渡戸稲造が著した「武士道」において、重視された特性なのだ。「武士にとりて卑劣なる行動、曲りたる振舞いほど忌むべきものはない」。新渡戸はそういってまず義について説く。


しかし義だけでは足りない。「『最も剛毅なる者は最も柔和なる者であり、愛ある者は勇敢なるものである』とは普遍的に真理である。『武士の情』という言は、直ちに我が国民の高貴なる情感に訴えた」。そういって新渡戸が「仁・惻隠の心」を重視するように、優しさが武士道には同時に求められる。

ほかに新渡戸が挙げる武士道の「勇」や「礼」、「誠」、「克己」なども、高倉健という俳優の印象、さらに高倉作品のイメージと重なってくる。健さんの礼儀正しさや誠実さは訃報に接して多くの人が伝えた通りだし、禁欲的に役作りに打ち込む姿なども「克己」という言葉を思わせる。

その寡黙さにも筆者など、武士道の心得書「葉隠」を重ねてイメージしてしまう。「葉隠」という書名の由来は、「葉がくれに散りとどまれる花のみぞ忍びし人にあふここちする」という西行の歌とする説がある。饒舌(じょうぜつ)な自己主張ではない、木の葉の間にほの見えるひそやかだが美しい花の心といったものが、高倉健という俳優のたたずまいから感じられてくるのだ。

かくして「高倉健」は、日本人的な価値観を体現した存在だったといってよい。そしてこの名優がこれほど多くの人から愛され、その死が悼まれているということは、筆者には、この日本的な価値観、武士道的な価値観がいまでも多くの人に共有されていることを物語っているように思えてくる。

ことは日本だけではない。中国でも健さんの死が大きく報じられ、追悼されているという。いいことだと思う。本物は、どの国においてもいつの時代にあっても評価されるということだ。


評論家の石平さんが書いているが、中国共産党が反日路線をとる前、中国で国民的なスターだったのは山口百恵さんであり、高倉健さんだった。冗談半分で石平さんは言っている。健さんのような、長身で無口な男というのが中国の若い女性の理想の男性像となり、「背が低くて口達者」な石平さんは女性から見向きもされなかった、とか(石平さんの、すてきなことは言うまでもないが)。中国にもそのような時代があったということだ。

死してなお魅力を放ち続ける高倉健という人の偉大さを、改めて感じる。 (大阪正論室長) =随時掲載します

(産経新聞 2014年12月5日 07:00更新)



葉隠れに散りとどまれる花のみぞ

忍びし人に会ふ心地する


( 『山家集』西行 1118-1190 )




緑の葉の中にわずかに散り残った花を

見いだした感動を詠む。




▲『武士道』新渡戸稲造 著




▲平成27年1月23日(金)

産経新聞号外

白鵬最多V 大鵬超え33度目