Addicted To Who Or What?

引っ越しました~
by lotusruby

東京FILMEX 『シークレット・サンシャイン』

2007-11-28 23:48:14 | K-Movie Notes


今年の東京 FILMEX で参加できたのはオープニングとクロージングだけでした。間がないっ(笑)。

オープニングは、カンヌ映画祭が60回を記念して著名監督に委嘱した短編オムニバス『それぞれのシネマ』。3分間という制限付きで、それぞれの視点で「映画」を描いた作品。居眠りする観客、続出でしたが(笑)。巨匠が並べばいいというものでもないようです。

オチのあるもの、笑えるもの、お国柄がよくわかるもの、ブラックなもの、シュールなものと… 世界中の映画館や不特定の映画観客の実態を見て回ったような楽しさはあるのですが、全巨匠の作品を知っているわけではないので、それらをすべて把握するともっと面白いのでしょうかね。


さてクロージング作・・・

『シークレット・サンシャイン <밀양>』 (2007年)
監督:イ・チャンドン
出演:チョン・ドヨン、ソン・ガンホ

この作品の主演チョン・ドヨンがカンヌで主演女優賞を受賞し、韓国メディアでは、彼女には必ず「カンヌの女王」という枕詞をつけるようになりました

同行者は mxxxxxさん。待ち合わせ場所で見つけた彼女の周囲には、何やらピンクなハート がふわふわ飛んでいるではありませんか。昼間、ファンミでダンシングする某イ氏に骨抜きにされてきたようで、見かけはクールだけど、バレバレ。うーん、まずい。こんなピンキーな彼女を、この重い作品で撃沈しちゃったら…と不安なワタクシ。

とりあえず、このピンクを薄めなくては思い、開口一番「この作品の監督、苦手なの」と言ってみました。彼女は「ええっ?それってもしかして…」と、ちょっとブルーがよぎった感じ。過去に某○ン・サンス作品で2人とも撃沈された日のことをどうやら思い出したみたい。よしよし、ピンクにブルーがまじって、ムラサキ?(笑)。

さて、個人的にイ・チャンドン作品が苦手というのは本当で、なんというか、頭で受け入れることができても、心で受け入れられないというのでしょうか。『オアシス』も『ペパーミント・キャンディ』も『グリーン・フィッシュ』も、キャストは好きな人ばかりだし、演技に問題のある人なんていないし、決して「何これ?」という作品でないことは分かっているのに、なぜか、体全体での受容バランスが悪い作品なので苦手なのです。どれも評価が高いから、わざと天邪鬼で言っているのでもなく、「ダメな人にとってはダメ」とどこかで書かれているのを読みましたが、それに近いかもしれません。

上映時間が2時間20分と聞き、ひぇーーっと、思いつつ・・・

若くして夫を亡くし、息子のジュンを抱えて夫の故郷、密陽にやってきたシネ(チョン・ドヨン)は、来る途中、車の故障を手伝ってくれたジョンチャン(ソン・ガンホ)に出会う。その街でシネはささやかなピアノ塾を開き、新生活を始める。ジョンチャンはシネが気になるが、自分に関心を持つのはやめてくれと、突き放される。ある日、ジュンが誘拐され、殺されてしまう。犯人は意外にも身近な人間だった。絶望の淵をさまようシネを救ったのは信仰だったが・・・

重い、難解と言われていた作品でしたが、私にとっては過去のイ・チャンドン作品のどれよりも、はるかにシックリくる作品でした。上映後の監督による Q&A がより理解の助けになったことは言うまでもありませんが、見ながらふと疑問に思ったことに対する自分なりの回答が、監督の意図と同じだった事がうれしく、ようやく監督と和解することができたような(笑)気がしました

自分の力ではどうにもならない時、解決できない時。たいていそれは、「生」または「死」に直にふれる時なのですが、何か大きなものに支配されていることを感じたことがあります。そんな時、心理的・精神的に打ちのめされ、感情のスイッチがおかしくなったりするものです。

若くして夫を交通事故で亡くし、幼い息子を抱えて夫の故郷に移り住んでくるシネは、すでに悲しみに馴れてしまった表情をしていました。好意を寄せてくれる隣人に対してもどこか素直になれないのは、他人から根本的な解決を見出せない事を知っていたからだと思いました。

子供を奪われたシネを絶望から一時的に救ったのは信仰。教えに従い、子供を殺した犯人と対面し、自らが赦すことで、自ら救われると信じていたにもかかわらず、犯人がすでに信仰によって赦され、平安な日々を送っていると知り、やり場のない怒りに似た絶望に再び直面します。やはりそこでも、何者かの存在の大きさにひれ伏さなければならず・・・。

すべてが、神によって準備されていたことだと納得するために、果たして信仰は支えになるのか、また隣人たちがさしのべてくれる手は癒しとなるのか・・・と、次から次へと質問を投げかけられているようでした。


印象的だったのは、最後にシネがきりっと空を見上げるシーンでした。監督によると、シネが空をにらみつけたのは、すべてが準備されたことだと言いたいのかと、(神に)問いただしているとも理解できるのだそうです。

空を見上げるという行為は、通常、願いや祈りに通じているわけですが、ここでは、ある意味、神あるいは人間の生を支配する何らかの存在に対する挑戦のようにも思えました。

見る前は、チョン・ドヨンとソン・ガンホによる男女の触れ合い話かと思っていたら、まったく方向性が違っていました。チョン・ドヨンの好演は言うまでもありません。独身のオッサンを演じたソン・ガンホの役どころは、俗物の象徴のようで(笑)、助演に近い役どころですが、自らのキャラをしっかり押さえつつ、チョン・ドヨンを引き立たせるような存在であるところが、スゴイなぁとあらためて思いました。

この作品のエンディングに、希望があるのか、ないのか、それは観客の判断にゆだねられるそうです・・・