カシミール紛争の境界線に位置するカタ・チュグリ村では、
ほんの2003年まで頻繁にインド側からの砲撃や銃撃に晒されてきた。
ニュースに乗るような衝突ではなく、まるで定例のような攻撃である。
地震以降、停戦ラインは文字通り停戦が実行されることとなった。
停戦ラインの飛行禁止も解かれ、救援物資を運ぶヘリコプターが連日何往復も飛行している。
インド側へ救援物資を運ぶ橋も再建された。
ジェーラム川をへだてた対岸はインド。
川向こうの、すぐ目の前に多くの家屋が見える。
「ほら、インド人が歩いてるよ」
と、同行のサディク氏が冗談を言う。
歩いているのは、彼らの同胞であり、あるいは親戚でさえあったりする。
背後の山はインド支配地域。そこから村に向けて砲撃や銃撃が行われてきた。
シェル・プルーフ(避難壕)。
砲撃がはじまるとこうした壕に避難していた。
幹線道路からは、川の対岸にインド支配地域の家屋が見える。
本来、同じカシミール人の隣村にすぎない。いまは、近くて遠い村だ。
画面右下に見える橋は、インド側に救援物資を運ぶために再建された。
雪山の向こうはスリナガルにつながる。
※3月3日帰国いたしました。
しばらく雑事に追われそうです。
ほんの2003年まで頻繁にインド側からの砲撃や銃撃に晒されてきた。
ニュースに乗るような衝突ではなく、まるで定例のような攻撃である。
地震以降、停戦ラインは文字通り停戦が実行されることとなった。
停戦ラインの飛行禁止も解かれ、救援物資を運ぶヘリコプターが連日何往復も飛行している。
インド側へ救援物資を運ぶ橋も再建された。
ジェーラム川をへだてた対岸はインド。
川向こうの、すぐ目の前に多くの家屋が見える。
「ほら、インド人が歩いてるよ」
と、同行のサディク氏が冗談を言う。
歩いているのは、彼らの同胞であり、あるいは親戚でさえあったりする。
シェル・プルーフ(避難壕)。
砲撃がはじまるとこうした壕に避難していた。
本来、同じカシミール人の隣村にすぎない。いまは、近くて遠い村だ。
画面右下に見える橋は、インド側に救援物資を運ぶために再建された。
※3月3日帰国いたしました。
しばらく雑事に追われそうです。
3/2のブログも含めて、やはりleonloboさんの写真はすばらしいとつくづく感じました。
そして、leonloboさんの言うように、パキスタンの援助の状況は、スマトラに比べとても遅れているのですね。
それから、スマトラといいパキスタンといい、紛争地を狙って天災が訪れたかのように感じてしまいます。
そうした海外の団体が今後カシミールで勢力を拡大し、社会的な影響力、発言力が増すことなどに危機感を抱いています。