報道写真家から

我々が信じてきた世界の姿は、本当の世界の実像なのか

東ティモール報道: 写真が伝えるメッセージ その2

2006年07月03日 17時41分49秒 | ■東ティモール暴動
報道写真というのはひとつの素材である。
撮影者は素材を提供するが、たいていの場合、自分で料理はしない。
料理をするのはデスクと呼ばれる人物だ。

次ぎの写真は、前回の一連の写真例とまったく同じような素材だ。
前回の写真例と入れ替えても、すべての記事が成立つ。

写真例:ロイター配信/ABC Net掲載
しかしこの写真のキャプションは、
大敵 : オーストラリアは、石油資源を得るために、この危機を引き起こした、と将軍は告発している。(写真:ロイター)

記事のタイトルは、
オーストラリアは東ティモールの敵、と将軍
http://www.abc.net.au/news/newsitems/200606/s1670775.htm

この記事は、前回の写真例を掲載した記事とは、まったく異質な内容なのだ。
オーストラリアは救世主ではなく、石油を略奪しようとしている敵なのだと、オーストラリアのメディアにしては大胆な記事だ。
しかし、ここで使われている「侵略軍」の写真は、他の記事とテレコになっても何の問題もない。
テレコになった瞬間、写真の持つメッセージは変わってしまう。
「侵略軍」から「救世主」に、早変わりしてしまう。

報道写真というのは、絶対的なメッセージを放っているわけではない。
タイトルとキャプション次第で、まったく逆のメッセージを持つこともある。
また、撮影者の意図とはまったく逆の意味に使われることもよくある。

写真は、そこに存在するものを撮影する。
存在しないものは絶対に撮影できない。
ある意味では、これほど確かなものはない。
しかし、その写真が放つメッセージというのは、容易に変化させることができる。

侵略者を救世主に見せることも可能なのだ。