―― 貴族がどうのこうのと言っていたが、(貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解)或る新聞の座談会で、宮さまが、「斜陽を愛読している、身につまされるから」とおっしゃっていた。それで、いいじゃないか。おまえたち成金の奴の知るところでない。ヤキモチ。いいとしをして、恥かしいね。太宰などお殺せなさいますの? 売り言葉に買い言葉、いくらでも書くつもり。(太宰治『如是我聞』より)
『如是我聞』は太宰の死の直前の作品。小説ではなくエッセイ、というか、わめき散らした抗議文という趣の文章です。凄まじい悪口雑言のオンパレードですが、さすがの切れ味を持っています。抗議の相手方は、主に志賀直哉。もっとも、「既存の文学界」や「国土を焼き尽くした敗戦によっても毫も変わらない日本社会」が真の相手方なのであって、志賀はそのチンケな代表選手に過ぎないのかも知れません。
さて本日、私が指摘したいのは、「貴族というと、いやにみなイキリ立つのが不可解」という一節。この不可解さは太宰の死から70年以上を経た今日においても、依然として解消されていません。
小室圭氏と秋篠宮眞子内親王の結婚が年内にも執り行われるとの報道がなされました。今の日本において新型コロナウイルスを除き、この小室圭氏ほど悪し様に罵られている対象はありません。ほとんど常軌を逸しているとしか思えないバッシングに晒されています。
「日本国民として大切な皇族の結婚について関心を持つのは当然のこと。小室氏はこれほど問題のある人物なのだから、批判されるのも無理はない」。マスコミの代弁する「国民の声」は、こんなところでしょうか。しかし冷静に考えてください。「これほど問題のある」という「これほど」とは、どれほどなのでしょうか?
はっきり「トラブル」として認識されているのは、小室氏の母が元婚約者なる人物から400万円を借り、それが未返済であると言われる問題。バッシングはこの問題を契機に炎上しました。
しかしながら、
①小室氏の母は、「借りたのではなく贈与を受けた」と主張しています。一方は「貸した」と言い、一方は「もらった」と言う。どちらが真実なのかは、無論、当事者の主張だけでは確定できません。ところが「国民の声」においては、根拠のひとつもなく「貸した」で確定、逆に小室氏の母の主張は何の根拠もなく「嘘」であると確定しています。
②当事者の主張で確定できないものなら、他の事情・状況も斟酌して見るのが妥当な態度でしょう。借用書等の契約書は最初から作っていないとのこと。消費貸借契約の成立の要件である「返還の約定」も、元婚約者による「返してもらうつもりだった」という一方的な主張しかありません。「国民の声」の中には、「400万円もの大金をただ差し上げるなんて、常識的にあり得ない」という意見もあるようです。しかし、小室氏の母は婚約者だったのでしょう?婚約者の優秀な一人息子の学費に充てるお金だったのでしょう?お金に余裕さえあれば、そのような贈与も普通にあり得ることではないでしょうか。むしろ、「400万円もの大金を、単純に『あげる』のではなく『貸す』という意思を明確に持っていたのにも関わらず、契約書すら取り交わさない」ことの方が、常識的にはあり得ないことのように感じます。
③元婚約者は、小室氏側に対し、これまで返還の請求もせず、裁判等の債権回収手続きも取ったことがないようです。小室圭氏が眞子内親王と婚約した後になって、にわかに「実は大金を貸したことがある」との主張が浮上してきました。
以上の状況をごく普通に考えるならば、やはり小室氏の母は「もらった」のであり、「借りた」とは言えないのではないでしょうか。つまり、元婚約者の主張にこそ無理があり、小室氏側は一種の「言いがかり」を付けられている状況ではないですか?私は一応法律家の端くれですから、上記①~③には法律的な観点も含まれています。しかし繰り返しますが、法律は別問題として一般常識に基づき「ごく普通に」考えても、同じような結論にたどり着くのではないでしょうか。
百歩を譲って、仮に400万円は真に借りたものでその未返済がトラブルなのだとしても、それは小室氏の母と元婚約者の問題であり、小室圭氏本人の問題ではありません。そもそも元婚約者が「貸した」とする当時、小室圭氏は未成年者です。一人では契約もできません。親の因果が子に報い、とでも言うつもりでしょうか。あまりに前時代的な考えではないですか。もし本当に、親の不始末で子が苦しめられているとするのなら、小室圭氏は同情をされこそすれ、批判されるべき対象ではないでしょう。
そして、この400万円の問題以外に、「これほどある」と言われなければならない小室氏の問題って、いったい何なのでしょうか。私の見る限り(マスコミ等の報道の限り)、すべて根拠のない憶測です。出所も明らかでない噂や伝聞ばかりです。誰かきちんとした根拠をもって、まともに「問題なるもの」を指摘できますか?中には小室氏の亡くなった父上について、口に出すのも憚られるような酷い憶測も存在します。「アンタそんなこと言って、虚偽であった場合に責任取れるのか?」と追及したくなるような内容です。
どうしてこうなってしまうのでしょうか?太宰の言うとおり、まさに不可解。結婚相手が眞子内親王というだけのことで、数多くの人々がイキリ立ち、正気を失っているように見えます。
「ヤキモチ。いいとしをして、恥ずかしいね。」
再び太宰の言葉を借りるなら、これに尽きるでしょう。皇室から妻を迎える小室圭氏に気も狂わんばかりの嫉妬をし、イキリ立っている。誠にいい歳をして、恥ずかしいことです。あなたは大丈夫ですか?もともと皇族が誰と結婚しようが、あなたみたいな成金の奴(やっこ)の知るところではありませんよ。いや私が言ってるんじゃないですよ、太宰がそう言うんです(笑)太宰が悪いんですよ、太宰めー。
結局、皇族・皇室は、いまなお日本のコンプレックスの対象なのでしょう。ここでコンプレックスとは本来の意味で使っており、単なる「劣等感」という意味ではありません。愛憎入り交じった複雑な心理というような意味です。例えば有名人や芸能人などにも、われわれはコンプレックスを感じることがあります。一方で羨ましく、他方で反感を覚えるようなアンビバレンツな状態です。それの激しく強烈なものを、皇族・皇室に感じる。だから小室圭氏を無我夢中でバッシングしてしまう(皇室へのバッシングはタブーなので)。それがわが国、わが国民に深く根差したコンプレックスだということです。個人的には、あまり気分の良いものではないと感じます。魂の自立ができてないから、そんなコンプレックスを抱えちまうんだ。そう思います。
前にこのブログでも触れましたが、日本語ネイティブでありながらスカラーシップを受けてJ.D.を卒業し、アメリカの弁護士資格を取った(まだ発表前ですが、まず合格でしょう)小室圭氏。この努力は並大抵のものではなかったはず。また、その才能にも素晴らしいものがあるのでしょう。婚約発表当時、法律事務所職員(パラリーガル)という職業も、ひとつのバッシング対象でした。それを自らの努力と才能で見事にはねのけて見せました。
また、ほとんど全国民を敵に回しながら一人の女への愛を貫き、最後には彼女を連れてアメリカへと飛び去る小室圭氏。ある報道では、皇籍離脱一時金も辞退するのではないかと言われています。下衆な成金国民どもの「財産目当て」という勘繰りを尻目に、です。
いや、カッコいいよね。私は心からカッコいいと思います。男として尊敬します。ずっと年下だけどね(笑)いい歳をして私なんか情けないもんです、まったく。
若い二人の幸福を心から祈ります。二人が幸せになることこそが、狂ったように小室氏を罵った日本国民への最大の報復となることでしょう。
【2022.4.15補記】
どうやら圭さん、2度目の司法試験に落ちたらしいです。ちょっとカッコ悪い(^^;;
その限り(「カッコいい」という論評の限り)において、若干前言撤回します。しかし、お二人の幸せをお祈りしていること、狂ったようなバッシングに勤しむ日本国民を下衆の極みであると思うことは、何ら変わりありません。もう一度、気合い入れて頑張れ!圭さん。