倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

若者支援の必要性

2019-07-17 | 日記

7/16 Tue.

 

移動中のラジオCMで、県内のゴルフ場が「若者支援」していることをPRしているのが耳に入り、当を得たセールスと感じました。

 

聞けば このゴルフ場(塩嶺CC)は、40才「以下」の来場者に対し、貸しクラブを無料にするなどのサービスを実施しており、CMの最後には「若いプレーヤーのご来場を 心よりお待ちしていま~す!」と明るく結んでいました。

 

 

 

華やか(に、見える)ゴルフ業界ですが、その「若者離れ」は深刻な状態にあるそうです。

現下の「ゴルフ景気」は、60歳以上のシニアが支えているのが実状で、このまま「プレーヤーの高齢化」が進めば、ゴルフ場の経営そのものに黄色信号が点(とも)る、とも言われています。

 

そして、一部報道では、今の若者の「ゴルフ離れの理由」が、ただ単にゴルフが嫌いなどという単純なものでないことも伝えられていました。

・金銭的余裕が無い。クルマも買えないのに、ゴルフなど とても行けない。

・ゴルフをする時間的余裕がない。平日は会社、休日は家庭サービスで忙しい。

・会社の人(上司)と行きたくない。休日くらいは自由にさせて。

・4人一組で一日過ごすのが煩(わずら)わしい。無用な気を遣いたくない。                         

                                等々

何だか、この「やらない理由」は、そのまま「現代の若者事情」を投影していると思わされたところです。

世間様が思う以上に、若者は大変な状況にあり、日々の生活に汲々とさせれれているのかもしれません。そこに「上司との付き合いが苦手」などの個別事情も加わり「ゴルフはやらない」傾向に走るに至ったのではないでしょうか。

 

 

現在の社会では、さまざまな社会サービスの支援の対象は あくまで「高齢者」であり、若者を初めとする現役世代は あくまで「支援する側」となっています。

しかし これからは、高齢者だけを支援し その原資を現役世代に頼りきりにするのではなく、日々を必死で働く若者にも光を当て、何らかの支援を行なうようにしなければ、社会全体が保(も)たなくなってしまうのでは、と、かかる「ゴルフ事情」を見て思うに至ったものでした。

※私の言う「若者支援」は、単なる「甘やかし」ではなく「社会活動のための いわば最低限支援」を指します。

 

 

去る日、とあるゴルフ愛好家(60才)との会話の中で、氏が「ゴルフは人間関係を構築するのに最良のスポーツ。オレも、当時苦手だった上司と一日プレーしたら一気に打ち解けて、それから勤めが楽しくなった。」と述懐していたのを思い出しました。

 

このゴルフ場の「若者支援」のように、社会全体が「これから」を担う若者を温かく見守り、ひいては将来社会が あらゆる意味で「元気」を維持したまま発展してくれることを願って止まない者の一人です。

 


「熱意」の裏がえし

2019-07-16 | 日記

7/15 Mon

 

ここのところ、役員さんをはじめ「周辺」の「行き違い」が多くあり、ときに「騒ぎ」にまで発展してしまっています。

会議や打合せ、また普段のちょっとした会話の中での「言った・言わない」とか、それら話しの中でのちょっとした表現を巡って誤解や勘違いが生じ、誤った情報が独り歩きを始めて 後になって「誰がそんなことを言った?」などと「騒動」になるなど、間(あいだ)に入った私は どっちの話しを信じればイイの?どの話しがホントウなの?と「交通整理」に困ってしまうことも間々あります。

イチバン困るのが、それら「行き違い確認」が〝感情的なやり取り〟つまりは「痴話げんか」に発展しまうこと・・・行き違いが及ぶと、ときに「口角泡を飛ばして」の言い合いになることもあり「まあまあ」となだめるのに苦労することもあります。

 

 

しかし、その「渦中」にありながらも、私は感謝の念を強めるところです。

だって 私のことを巡って、それほど激論?してくれるのは「熱意」の裏がえしに他ならないところであり、そこまでアツくなってくれることに対しては、ただただありがたく思うところであります。

 

私のこれまでや、現在の成り立ちについては、みなさんの「熱意」に支えられているところです。何というか 冷めかけていた鍋に再び火を入れ、それをグツグツと温め直してくれているといったところでしょうか。

 

活動の中で散見される「行き違い」については、今まで来(らい)いわゆる「阿吽の呼吸」でやり取りしていたことから、それを見直し「議事録」を取るなどして齟齬(そご)が生じないように務めてゆきたいと思うところですが、いずれにしても、みなさんの「熱意」には改めて感謝しつつ、その思いに応えることができるよう、がんばってゆきたいと存ずるところです。

 

 

 

 

とある日、伺ったお宅の玄関に立とうとすると、そこに一匹のニャンが現れました。

 

 

見るともなしに見ると、くだんのニャン、私を背中に見ながら 壁にスリスリを始めます。

 

 

そうかと思っていたら、私の足元にやってきて、ゴロン。

 

 

「あら、こんにちは。」と声をかけると、また ゴロン。

 

 

家人の方に訊けば「コイツは ただの通いネコだ。」と笑って応えてくれました。

飼い猫と見紛(みまご)うほどの「歓迎」ぶりに、このコの人柄?を見た感しきりでした。

 

 


同じ意識を

2019-07-15 | 日記

7/14 Sun

 

4日に公示された参院選は二度目の週末を迎え、各地で舌戦が繰り広げられています。

しかしながら、各陣営の盛り上がり?の一方で「投票に行かない人」の存在の多さ=投票率の低迷 が、選挙の都度に課題とされています。

ある調査によると、若年層の投票率は低迷を続けており、例えば2016年の前回参院選では 20代が35・6%で最低を数えたとのこと。若年層になじみ深いインターネットによる選挙運動が13年に解禁されてからも、目立った上昇は見られていません。

また さきの信毎記事には、幼子を抱えて働く女性について「正直、選挙どころじゃない」との特集も組まれていました。そこには 日々の生活に追われて投票に行く「余裕」が無い、旨の内容が綴られていました。

 

選挙における投票は「国民の義務(と権利)」であるのは周知のところですが、かと言って、選挙に行かない方々を単純に責めるべきなのか?私は違うと思うし、その原因(低投票率の原因)は、かかる有権者のみなさんに「当事者意識が無い」こと、さらには「投票したところで 何も変わらない」との諦(あきら)めの境地、そして そんな「マイナー意識」が蔓延するに至った責任の多くは「発信する側=政治」にあるのではないかと考えざるを得ないところです。

超高齢化・人口減少が伸張するこれからの社会は、社会保障をはじめ様々な行政サービスが縮小傾向を余儀なくされており、今後の政治課題は、まさに今の若者や いわゆる現役世代の課題として、その身に降りかかってくることは必定です。政治はまさに、彼らの今後の命運を占う深刻な課題となりつつあると言っても過言ではありません。

しかしながら、若き有権者やその日を必死で働く有権者の方々は、半ば「諦め」の境地で政治を見つめ、投票行為を「スルー」してしまっているのです。

 

そんな中「特徴的」な事例に触れたことを思い出しました。

普段は無関心を決め込んでいた子供を抱えるお母さん方が、通学路に関する子供に関する問題が起こったときには一斉に関心を示し、会議には多くの保護者が参集したものでした。

やはり「関心事には人心が動く」ことを象徴した出来事でした。

 

 

当事者(政治家・候補者)たちは、若年層をはじめとする現役世代の方々などを「無関心層」と決め付け、投票に行かないことを嘆くのではなく、かかる方々が 一体なにを求めているのか、どんな気持ちで政治を見ているのかを当事者目線で考え、分析し、その「思い」に真摯に向き合うことで「選挙に行きたくなる気持ち」になってもらう努力を重ねることが肝要と思うところです。これは参院選はもとより、私が臨む地方選挙でも然(しか)り、イヤもっと為(な)すべきことは「細分化」されるでしょう。

 

 

私自身は、このような立場ですので、あまり公約めいた「たられば話」を冗舌に語れるものではありませんが、自分自身の心の通低には 社会で一生懸命に暮らす方々と全く同じ意識があり、それをもって活動に臨むことで いわゆる「声なき声」を感じ取る存在になることを目標に歩んでゆきたいと思っています。

 

参院選のような大きな選挙での有様(ありよう)を見て、自分が臨む「小さな選挙」で為(な)すべきこと を再認識したところです。

 

 


絶滅の危機

2019-07-14 | 日記

7/13 Sat

 

中央アルプスの駒ヶ岳で、およそ半世紀ぶりに孵化(ふか)が確認された「二ホンライチョウ」のヒナ5羽について、環境省が「天敵に食べられるなどして「全滅」したとみられる」との見解を示したことが報じられ、残念極まりなしを実感したものでした。

記事によると、 環境省の職員らが中央アルプスの「駒ヶ岳」に入り、およそ半世紀ぶりにメス1羽の生息が確認された 国の特別天然記念物の「ニホンライチョウ」が産卵し孵化したヒナ(5羽)の状況を調べたところ、当のライチョウは発見したものの、ヒナは見つからなかったとのこと。調査した環境省の担当者は「ヒナは寒さや雨で衰弱したり、キツネやテンなどの天敵に食べられた可能性がある。」とし「全滅したとみられる」との見方を示したとのことです。 今後はメス1羽を見守りながら、天敵の駆除を行うなどして 中央アルプスでのライチョウの生息環境を整えていきたいとしているとのことです。

 

 

別の日の記事では、かかる 絶滅のおそれがある二ホンライチョウの生息に適した環境が、地球温暖化の影響で北アルプスでは今世紀の終わりごろにはほぼ消滅し、この地域のライチョウが絶滅する可能性が高いとの研究結果を長野県の研究所などがまとめたことも報じられています。

 

ニホンライチョウの生息数は、信州大学の調査で1700羽程度と推定され、北アルプスにはこのうち1000羽程度が生息しているとみられているとのこと。

ライチョウの生息を調べる「長野県環境保全研究所」などは、北アルプスの中南部を対象に、地球温暖化がライチョウの餌やすみかとなるハイマツなど3種類の高山植物にどのような影響があるかを予測したところ、2081年から2100年の世界の平均気温が現在よりも2度から4度上昇すると想定した場合、高山植物はいずれも減少し、ライチョウの生息に適した環境の面積は、現在の0.4%まで大きく減る可能性が高いことがわかったということです。

ライチョウの生息地となっている高山帯は、それぞれ孤立していて移動が難しいため、予測どおりになった場合、北アルプスのライチョウは絶滅する可能性が高いとみられるということです。  

県環境保全研究所は「いくらライチョウの保護の取り組みを進めても、温暖化対策を行なわなければ絶滅してしまう可能性が高い。」と話しているとのことです。

 

長野県の「県鳥」でもある「ライチョウ(ニホンライチョウ)」は、その丸っこい容姿と、回りの環境に合わせて羽の色が変わる特徴などで長野県民に親しまれている存在ですが、それだけに、それが絶滅の危機に瀕していることは由々しき事態と受け止めなければならないと思います。

 

そのうえで実感させられるのが、ライチョウのピンチは、昨今の野生鳥獣の生息域の変化や 温暖化に伴う気象状況の変化など「大自然の状況変化」を象徴し、ライチョウたちは その矢面に立たされているのではないかというところです。

今まで 山の裾野あたりに生息していたハズのキツネなどが山頂近くまで徘徊するようになり、寒い高地エリアに遍在したハイマツなどが 温暖化の影響で一本 また一本と姿を消してゆく・・・まさに「佳(よ)き自然環境の瓦解(がかい)」が、私たちの暮らす 自然大国信州の膝元で起こっている現実。

県環境保全研究所が述懐するように、今回の「ライチョウ絶滅危機」の問題、抜本的には いくらライチョウの保護の取り組みを進めても「地球温暖化対策」を行なわなければ解決にはならないと言えるでしょう。

しかしこれ(温暖化対策)は 一朝一夕に解決できる課題ではないことは承知するところですが、他でもなくライチョウに親しみをもつ長野県民とすれば「ライチョウを守るためにも、環境問題を真剣に考えてゆこう。」との意識をもって諸事に臨むことも肝要ではないかと考えるところです。

 

このままゆけば、私たちの子や孫の時代に「ライチョウ絶滅」のニュースが流されることになってしまいます。そんな悲報が現実のものにならないよう、今のうちから真摯な取り組みを進めるべきと感じているのは、私だけではないでしょう。

 

 


背水の陣で

2019-07-13 | 日記

7/12 Fri

 

この日大阪で、ボクシングのWBA世界ミドル級タイトルマッチが興行され、前王者の村田諒太選手が第2ラウンドTKO勝ちで世界王座奪還に成功したことが報じられました。そしてその闘いぶりに、私自身 大きな勇気をもらった感でした。

 

 

村田選手は アマチュア時代、北京五輪で予選敗退し一旦は引退するも、その後復活を果たして2012年のロンドン五輪で金メダルを獲得した苦労人です。

 

 

 

その後はプロに転向し、一旦はWBA世界ミドル級のタイトルを獲るも、昨年10月に米ラスベガスで行われた世界戦で、この日戦った 当時挑戦者だったブラント選手に大差の判定負けを喫し王座から陥落、二度目の挫折を味わったのでした。

 

 

一試合で、1200発ものパンチを被弾し惨敗した村田選手でしたが、そのどん底から再起を期してトレーニングに励み、9ケ月後のこの日、見事リベンジに成功したのでした。

 

 

試合後の控室で、村田選手は謙虚な姿勢のままに劇的勝利を振り返っていました。

「練習は嘘をつく時も多いけど、練習でやってきたことしか出ないということをアマチュアとプロでやってきて学びました。

試合前には、ここ(控室)を出る時に、(帝拳ジム)会長に「僕みたいなもんにチャンスをくださってありがとうございます。」と言いました。こんな舞台に、こんなヘタレな自分が立てることを感謝して。」

「不安がないわけないでしょ。不安がなかったら、ルーティーンなんてやらないし。でも、不安はあっていいと思う。不安があるから頑張るし、不安があるから成長していると思うし、不安があるから見ていただいて共感していただけると思う。自分はヘタレやし、それでいいと思う。」

「今回は結果が出て良かった。会長が跳ねて喜んでくれて、一番、お世話になっている方に喜んでもらえるシーンを作れて良かった。

僕は、個人っていうものは一つの歯車だと思う。南京都高校(出身高)が居場所をくれたし、東洋大(出身大学)も居場所をくれたし、帝拳(所属ジム)でも一部でいられる。生きていく上で居場所があるって大事なこと。それを歓迎してくれるのは嬉しいですね。」と、かみしめるように語っていたのが印象的でした。

 

 

 

やや不遜ですが、私自身 村田選手の、栄光の陰にある挫折と努力の道程に、何ともいえない共感を覚えたところです。

 

幾度となく挫折するも、それに負けない努力、厳しい環境の中でも 支えてくれる周囲への感謝の気持ち、それらを包含するも、なおも襲ってくる不安を振り払い、背水の陣をもって臨んだ試合で結果を出すこと。

 

この日の村田選手の劇的勝利の感動を多くの方々と共有しつつ、オレもかくありたい、オレも頑張ろう、と思いを抱かせてもらったひとときだったのでした。

 

 


走り出す環境づくりに感謝

2019-07-12 | 日記

7/11 Thu

 

この日は、私の活動を根っこで支えていただく有志の方々が集まり、今後の活動などについて話し合っていただきました。

折しも、選挙管理委員会から「事前審査」に向けた説明会の開催通知なども郵便で届き、徐々にではありますが「本番」が近づいていることが実感されるところです。

 

かかる有志の方々は、自ら撒いた種で頓挫した私を ときに励ましてくださり、ときにご叱責してくださりながら、息を継いでくださっています

 

(従前にも触れましたが)私は これまでの議員活動の中で抱えるようになったさまざまな課題、また 将来に向けた地域活性化のための諸提案などについて、みなさんと共に考え、ときに力を合わせて向き合うことを活動の原資としながらも、自らの不始末により 全てをご破算にしてしまいました。

そんな自分の愚行を悔い月日を重ねる私に対し、心ある方々が「深く反省し、もう一度地域のために働け」と声をかけてくださり、私という貨車が再び進み出す「レール」を敷いてくださったのでした。

 

「課題」という荷物を積んだ貨車は、レールが無ければ走り出すことはできません。

そのレールについても、私の独りよがりではとても敷設に至るものではありませんが、私と同様に社会への課題意識を抱く方々が、私に対し活動再開のご示唆を与えてくれたうえに、私の「思い」にもご理解を示してくださり、再び走り出すきっけかけのようなものをつくってくださいました。

 

この日の会議も、ときに喧々諤々(けんけんがくがく)の議論ともなりましたが、それも全て、私という貨車を走らせるための「敷設工事」というところであり、そんな「工事」に臨むみなさんの熱意には 感謝の言葉しかありませんでした。

 

 

 

今後も「本番」に向け、さまざまな展開があろうと存じますが、いずれにしても私とすれば、みなさんのご厚意に感謝しながら、それに報いることができるよう、不断の努力を重ねてゆきたいと 改めて思いをいたしたところです。

 

 

 


安全を守るためには

2019-07-11 | 日記

7/10 Wed

 

木曽郡南木曽町読書(よみかき)の梨子(なし)沢で2014年7月に発生した土石流災害から5年となった9日、町が設けた「平成じゃぬけの碑」前で献花式があったことが報じられました。

 

南木曽町読書は、私の亡父の妹夫婦が終の棲家としていたところで、私も子供の頃 幾度となく遊びにいったことのある「第二の故郷」とも言える望郷の町なのです。

木曽谷特有の急傾斜地の山林を背に、何というか 信州木曽谷を象徴するような自然豊かで風光明媚な地です。

夏休みに遊びに行くと、中津川から来ていた従兄弟たちと沢へサワガニを捕りにいったりしたことが懐かしく思い出されるところです。

 

しかし、5年前の7月には、その自然の豊かさを見せてくれていた山の斜面を流れる沢が決壊し、多くの被害を及ぼすことになってしまったのでした。

その山々と 背後に迫るともいえる斜面を知る私は、災害の状況を聞き及ぶと「あそこなら 土石流もアリ得るかも・・・」と 戦慄に近い印象をもったことを覚えています。

 

土石流災害は午後5時40分ごろ発生しました。その頃は町を見下ろす遙か山中でまとまった雨が降っており、そこに滞留した多量の雨水が 臨界点を超えると同時に一気に流れ下り、蛇行しながら整備されていた梨子沢の流れを突き破る形でストレートに決壊させながら木曽川に到達したのです。

 

 

永年に亘る公共事業によって安全に暮らしていたハズの流域住民は 家に濁流が押し寄せるなどの被害に見舞われ、人的被害が発生するまでに至ってしまったのでした。

 

南木曾土石流の被害を大きくした要因のひとつに、上流の山中で行なわれた「切り捨て間伐材」の流下が挙げられています。

これは、山林の保護のために間伐を実施するも、用途もなく運搬にも支障があることから 現場に放置を余儀なくされていたもの(間伐材)が、今回の土石流に多量に混じる形で流れ下り、家屋の損傷などの要因になってしまったものです。

土石流の到着点となった木曽川の河原には、多くの間伐材が堆積していたことが伝えられていました。

 

 

私は、災害発生当時、また5年が経過した今、改めて「下流域の安全を守るためには、上流域の整備が不可欠」を再認識するところです。

いかに 現に人が暮らす下流域を整備しようとも、災害の要因が潜む上流域を整備しないことには、ひとたび土砂災害が発生したときには(下流の整備は)無力のものになってしまう。イヤ かえって被害を拡大する要因になる場合すらあると言えるでしょう(これは平成30年豪雨の 広島県呉市の扇状地での土砂災害で顕著となりました)。

 

 

繁栄する都市部(下流域)の整備に力点を置くばかりで 中山間地域を後回しにするううち、イザ災害の発生の影響は 他でもない下流域の住民に及んでしまう・・・そんな「本末転倒」な行政にならぬよう、全体を見渡すことを怠りなくしなければならない。

 

ふるさと南木曽町での献花式典の報に触れ、災害に対する「再認識」を改めて抱いたところです。

 

 

 


ハンセン病訴訟に思う~意識改革を

2019-07-10 | 日記

7/9 Tue.

 

さきにMくんとの再会を果たし、その際に さまざまなアドバイスをいただきました。

その中で、この「クラちゃんブログ」についても、せっかくの 不特定多数のみなさんに私のことを知ってもらえる場なので、例えば時候のニュースに触れたときも、それに対して私がどう思うのか、そこから生じた課題に対し、自分としてどうしてゆきたいのか、などの「思い」を伝え、私に対する理解を深めてもらうべきとの指摘をいただきました。

また、公職を辞してから この間、どのように自分を見つめ直してきたか、地に墜ちて いわゆる「ただの人」になって厳しい生活を送ってきた中で、どのように社会を見つめ直してきたのか、その辺りを伝えてゆかないと、真の理解は得られないのではないか、とも言ってもらいました。

それらを受け止め、本ブログについても「変化」できるよう努めてまいります。

 

一人でも多くの方に、少しずつでも、私のことを見知ってもらえるよう 不断の活動を重ねてまいります。

 

 

 

◆長野市選管が単純ミス「残念」

長野市選管が、執行中の参院選の期日前投票所で、誤った投票用紙を有権者に渡してしまい、貴重な一票が無効になってしまったニュースが流れ、残念至極の思いに至りました。

どうやら原因は、確認不足の単純ミスのようで、それだけに「何でまた・・・」と思わされてしまいました。

 

私も 他人(ひと)のことはとやかく言える立場ではありませんが、自戒を含めて、共に格言(キューバ出典)をかみしめたいと思います。

「人間、誰しも過ちをおかす。 そこから学ばない者のみが過ちを繰り返す。」

 

 

 

◇ハンセン病訴訟、国が控訴断念「官製差別」強い反省と意識改革を

国が続けた「ハンセン病患者の隔離政策」によって 家族も差別を受けたとして、家族らが国に損害賠償を求めた訴訟で、安倍晋三首相は9日、国の責任を認め、計約3億7千万円の賠償を命じた熊本地裁判決を受け入れ 控訴しないと表明したことが報じられました。これで 元患者の家族を巡り、国の「立法不作為」や「対策義務違反」を初めて認めた判決が一審で確定することになります。

ハンセン病は「らい菌」による〝普通の病気〟だそうです。らい菌が体に入っても、多くの場合、体の抵抗力でらい菌は排除されます。らい菌は、発病させる力が弱く、たとえらい菌に感染しても、現在の日本のように、十分な栄養がとれ、衛生的な社会では発病することはほとんど無いのが真実だったのです。

しかし国は、1931年以降「らい予防法」によってハンセン病患者をハンセン病療養所に強制的に入所させたうえで、国民を指導して「無らい県運動」を進めるなどして「ハンセン病は恐ろしい病気」という誤った意識を国民に植え付けたのです。

終戦後には、アメリカからの有効薬や国内の研究者の努力もあり、ハンセン病は「治る病気」になりましたが、一度植えつけられた差別意識はそう簡単になくすことはできませんでした。それどころか国は、日本国憲法下においても「らい予防法」を廃止せず、強制隔離政策や「無らい県運動」を継続したため、ハンセン病への偏見が直ちに収まる患者と回復者への偏見・差別による人権侵害が助長されることになります。国が作り上げたハンセン病への「差別の歴史」は、1907年の最初の法律(らい予防法)の施行から1996年の法律廃止まで 実に90年に亘り、らい病患者の方々への人権侵害を通用させたのです。

この件に関するさまざまな経過を述べた後、記事は「患者や家族・遺族の方々に辛い思いをさせてしまった国や医学会、法律家、そして社会を構成する私たち国民も反省しなければなりません。」と結んでいました。

 

 

私はこれを「官製差別」と称したいと思います。

おそらくは、ハンセン病への正しい理解もないままに、後遺症に現れる「外見」から「恐ろしい病気と決めつけた」のではないでしょうか。

そして最大の悪は、そんな浅はかな根拠に 当時絶対的存在であった役人(行政)が乗り、政策としてハンセン病患者の隔離などを推し進めたことにあることは周知のところです。

これは間違いなく、行政がつくりあげた差別=官製差別と言わざるを得ません。

 

そして、この「官製差別」これは かかるハンセン病に限らず、社会の中に遍在していることも感じ取られるところです。

その最たるものは、障がい者の方々への見方でしょう。

障がい者の方々の能力を過小評価し、その活動を限定的なものにしてしまう、さらに その報酬(工賃)についても著しく過小に止めてしまっている等々、さまざまな面で「官製差別」が横行していることが側聞されています。

私は、これからの活動の中で、かかる「官製差別」にメスを入れ、あらぬ誤解や偏見による「誤った政策」の是正に努めてゆきたいと思うところです。

 

ハンセン病訴訟・控訴断念」の吉報に触れ、この「意識改革」が あまねく行政に浸透することを願いながら。

 


「熱」に応える努力を

2019-07-09 | 日記

7/8 Mon.

 

公私共にたいへんお世話になっているTさんの仲立ちで、かつて親交を深めるも ある時期から疎遠になってしまったMくんと数年ぶりの再開を果たし、旧交を温めると同時に「これから」について忌憚のない意見を交わすことができました。

 

くだんのMくん、とにかく「まっしぐら」な性格の持ち主で、何というか「ストレート勝負の力投型ピッチャー」と例えるのがふさわしいのかもしれません。

その一方で彼は、実に繊細な神経の持ち主でもあります。

社会のさまざまな課題、それも大衆が迎合しがちな課題ではなく、社会の片隅にありながら、それが現前(げんぜん)として「課題」となっていることに敢えて目を向け、そこに光を当てることで ひいては全体を良くしようという「ボトムアップ」を体現しようと自ら汗を流しています。

そんな彼が「ボトムアップ」の一環として見つめているのが「障がい者支援と障がい者行政(政策)」の実状と課題です。

現下の障がい者支援政策が、厚労省の主導で行なわれるも、その実態は「ヒモ付き行政」の影響で 省庁⇔自治体のみの価値観で推移し、肝心の当事者の方々が置き去りにされているのではないか?と、自らも障がい者支援に取り組む中で疑問を感じており、その旧態依然とした体質を打破したいと試行錯誤を重ねているのです。

 

私は、数年ぶりに再開したMくんの話しを聞くうちに、彼が あの頃と変わらず、いや、あの頃以上に「熱」をもって 障がい者支援の意識改革に臨んでいることを知り、改めて敬意の念を抱かされました。

 

そして ひとわたりの話しの節目で、Mくんは何と私に「オレら、もう一度倉野さんに賭けてみようと思っているんだ。」と、口火を切ったのです。

それを耳にした私は、まさにど真ん中ストレートを投げ込まれたキャッチャーの心境、入魂したボールを受けたミットが痺(しび)れるかの「重み」を実感したところです。

 

正直いって 従前の私は多事に追われ、Mくんたちのグループとの交流は中途半端の域を出ないものでした。

もとより気の回るMくんは、そんな(忙殺される)私を慮(おもんばか)って活動からの離脱を認めてくれたのでしたが、そんな経緯があり、さらに今回、私があらぬ不祥事により公職を辞した身であるにも拘わらず、Mくんは再び、私を活動のパートナーとして再考してくれたのでした。

 

そこに私は、Mくんの並々ならぬ「熱」を改めて感じ取ることができました。

Mくん曰(いわ)くは、さまざまな視点で(障がい者支援などの)活動を重ねる中で意見反映させるために、窓口(行政)に「モノ申す」立場の者が不可欠なんだが、現状ではその「人材」が不在だとのこと。

 

しかし、Mくんは、ただ単に私を選択したのではありませんでした。

私に対しても「変化」を求めてくれたのです。

今までの「空白の数年間」の中でも、Mくんは私のことを気にかけてくれていました。

そのうえで、今までの私の素行や立ち振る舞いについて ときに厳しい指摘をしてくれ、それらの「改善」の必要性・重要性について「友だち目線」で示唆してくれました。

 

さらに彼は、私が公職を辞して以降の「地に墜ちた2年間」を無駄にするな、と指摘してくれました。

「何だか倉野さんは、辞めてからの2年間を 敢えて口(くち)にしないようにしているように感じられるけど、オレは それは逆だと思う。大きな不始末をして議員を自ら辞めて、社会に晒(さら)された後の2年間、いったいどんな思いをして、何を感じて今に至っているのか、それは隠すものではなく、逆にみんなに伝えるべきじゃないの。

あんな経過を踏んだうえで「出直す」とするならば、その2年間をみんなに伝えないことには、みんな(有権者)は、倉野さんの再評価のやりようが無いと思うよ。」と、まさにMくんらしい表現で激励してくれました。

 

 

この日のMくんとの再開は、私に大きな勇気と、そして「宿題」のような イイ意味での課題を与えてくれることとなりました。

こんな私が、Mくんの「熱」に どれほど応えられるかは判りませんが、少なくとも、こんな私に幾ばくかの期待を寄せてくれたことに感謝し、私なりに努力してゆきたいと 改めて思いをいたしたところです。

 

 

Mくんの言う「障がい者支援の意識改革」は、ひいては「社会全体の質(しつ)の向上」にもつながると考えます。

障がい者(社会的弱者)に優しい社会実現への努力は、超高齢社会が伸張する中で「高齢者にも優しい社会づくり」にもつながり、それは これからの社会全体が直面する課題に向き合うことにもなります。

さらに、霞ヶ関の省庁を頂点とする「ヒモ付き行政の打破」は、補助金行政の改善・民間感覚(価値観)による行政の実現にもつながります。

 

Mくんの活動の原点でもある「社会の片隅に光を当てる活動が、やがて全体を動かす力になる」マインドに改めて共鳴し、私としても それを活動の「熱」としてゆきたいと 改めて思いをいたしたところです。

 


クマが発する警鐘

2019-07-08 | 日記

7/7 Sun.

 

長野県内でクマが出没し、人的被害が出てしまったことが報じられました。

7日朝、長野県野沢温泉村で、河川脇で作業中だった男性が、やぶの中から現れたクマに襲われました。

警察によると、男性は頬や額などに切り傷を負い、大怪我を負ってしまいましたが、幸い命には別状はないとのことです。

男性は地区の区長を務めており、この日の午後に予定されていた地区の草刈りに向け、用水路の水を止める作業を1人でしていたところ災難に遭ったようです。クマは、警察や猟友会などが捜したものの見つからず、住民に注意を呼びかけているとのことです。

 

最近「クマ情報」がそこここで飛び交い、憂慮を深める者の一人です。

長野市で戸隠森林公園に複数回に亘り「クマ目撃情報」が流されたほか、2012年にはJR長野駅にホームにクマが現れたことも驚きをもって報じられたことが記憶にあるところです。

クマは、河川を伝って下ってくることが多いとされ、今回の野沢温泉村の現場しかり、過去の長野市の事例も「裾花川」を伝って市内に下りてきたと見られています。

 

クマの人里への「出没問題」は、ヒトの社会圏とクマの社会圏が著しく近くなった、下手をすれば重なり合うようになってしまったことで起こる必然の問題であり「自然界との共存共栄」が如何に難しいかを具体的に示す課題となっています。

そこには、ヒトの社会生活重視のあまり、自然への敬意を置き去りにしてきた過去の経過が、今になって「天に唾する」の如く、私たちの社会生活に影響を及ぼすことになってしまったと思わざるを得ず、私たちは、ヒトとクマの「ニアミス」の話題に触れるにつけ、動物との「棲み分け」をどうすべきかなど、さまざまな課題について考えさせられるところです。

 

 

折しも参院選が熱を帯びているところでありますが、各陣営におかれては、大局を論じる一方で、地方都市・地方の集落で現実問題となっている自然界との向き合い方、それはひいて言えば 環境問題にもつながることと思いますが、そんな部門についても目を向けてくれることを期待するところです。

 

 

 


人徳を偲ぶ

2019-07-07 | 日記

7/6 Sat.

 

高校時代の同窓生があい集う機会がありました。

実はこの日「ご命日法要」の日なのです。

というのも、高校の同窓生のTくんが5年ほど前に急逝してしまい、その生前を偲(しの)んで、彼ととりわけ親しかったMくんの声がけで その命日にみんなで集い 彼に思いを馳せる日としているものです。

 

急逝したTくんは、ただの同窓生ではありませんでした。

高校生のころから自立心が強く、在学中から「ひと旗挙げる」を公言してはばからず、実際に卒業後は遠路 板前修業に励んで独立、若くして「一国一城の主(あるじ)」となったのでした。

自(おの)ずと、一旦は進路を異にし ちりぢりになった同窓生も、ことあるごとに彼の店に集まるようになり、いつしかその店は 同窓生の「拠点」となったのです。

 

Tくんには、独特の「求心力」がありました。

人の話しをよく聞いてくれ、ときに励まし、ときに慰めてくれる「兄貴肌」の持ち主で、みんなは 仕事に疲れたり、さまざまなストレスと向き合うごとに彼の店に足を運び、美味しい一品をいただながら心身をリフレッシュしていたものです。

 

そんなTくんでしたが、残念ながら接客業の忙しさのあまりか 自己管理が不十分なまま毎日を過ごしていたようで、とある日、暖簾(のれん)を下げた後の店内で、駆け抜けたかの人生に幕を下ろしてしまったのでした。

 

この日 集まったみんなは、笑顔で会話を交わし「最近どうよ?」などと互いの近況に触れながら杯を交わしていましたが、その心の通底には、言葉にはしないものの、みんながTくんへの 恋慕に近い郷愁心を抱いているのが伝わってきました。

この場にTくんがいれば どんなに盛り上がったか、いや、そもそも この集いは、元気なTくんが仕切る店でやりたかった・・・みんなが時間を共有する中で、みんながTくんの存在感を心に持ちながら、和気あいあいのひとときを過ごしていたものでした。

 

 

そのうえで、みんなは思っています。

「Tくんの分も、がんばって生きよう。」

それは、私も同じ思いです。

 

彼の人徳に思いを馳せ、会話が紡(つむ)がれたひとときだったのでした。

 

 

 

自立心がひときわ強く(早く)あったTくん、18才になったと同時に、自分の力でクルマを購入、みんなの羨望を受けていました。

そのことは、今でも語り草になっています。


 

 


「帯状疱疹」にご用心

2019-07-06 | 日記

7/5 Fri.

 

地域の御仁が体調を崩され、往生したあげく「意外な診断」を下された経験談を話してくださいました。「みんなも気をつけた方がイイよ。」とのことでしたので、特筆させていただきます。

 

くだんの御仁(70代/男性)、とある頃から背中に張りを覚え、整骨院に通っていました。たまたまゴルフコンペが続いたことから「ゴルフのやり過ぎでしょ。」と家族にもからかわれながら、マッサージと電気治療を続けていたそうです。

ところが、しばらく通っても一向に良くならず、それどころか身体が熱っぽくなって倦怠感が増したことから、今度は内科を受診したそう。

エアコンの効いた部屋に長時間いることから、風邪ではないかと疑われ、頓服薬を処方してもらったとのこと。が、それでも体調は戻ることなく時間が経過し、たまらず総合病院で精密検査を受けることに。

そこで下された診断結果が「帯状疱疹です。」とのことでした。

医者に言われてヨク見ると、最初に張りを感じた背中の辺りに疱疹の帯が認められ、どうやら背中に張りを覚えた頃から発症していたそうです。

 

その方には直ちに入院措置がされ、4日間ほどの入院加療の末回復となり無事に退院、ほどなくして背中の張りや微熱傾向も収束したとのことでした。

「ドクターから、もうちょっと(勘違いから)放置していたら、慢性化してしまったり、視力に影響がでるなどの思わぬ症状につながることもあったと脅かされちゃったよ。」と、今でこそ笑って話してくれました。

 

 

 

帯状疱疹は、身体の中に潜む「ヘルペスウイルス」の一種で、水痘(すいとう)・帯状疱疹ウイルスによって起こる皮膚炎で「大人の水ぼうそう」とも言われているそうです。

 

主に幼少の頃かかった「水ぼうそう」によりウィルスが体内の神経節に潜伏(潜伏感染)し、その後の加齢やストレス、過労などが引き金となって免疫力が低下すると、潜んでいたウィルスが再び活動を始め、神経を伝わって皮膚に到達し、帯状疱疹として発症するとのことです。

その症状もさまざまで、症状によっては、当初 帯状疱疹と判らずに過ごしてしまうこともあり、また 重症化したり発症の部位によっては、しびれが身体に残ったり、視力に重大な影響を及ぼすこともあるそうです。

 

 

いずれにしても帯状疱疹は、永年に亘る生活の中での「疲労蓄積のバロメーター」とも言えることから、疲れが抜けない中で皮膚の張りなどを感じたら帯状疱疹を疑い、帯状疱疹に罹患したら「あ、オレは疲れているんだ」と自覚し、その際には シッカリと心身を休めることが肝要ということでしょう。

 

思い起こせば、実家のオフクロも、親父を在宅介護している最中(さなか)に帯状疱疹に罹患しました。そのときは「介護ストレスが一因」と診断されたと話してくれたものでした。

 

 

読者?のみなさんにおかれましても、さまざまなストレスや疲労を抱えながら社会生活を送っておられることと思いますが、特に長寿者の方におかれましては、常に「帯状疱疹」を念頭に置き、心身に異常をきたしたら早めに受診されることをお勧めする次第であります。

 

健康に勝る財産は なし、病気ほどの損失は なし、ですからね。

 

 

 

 


参院選公示など

2019-07-05 | 日記

7/4 Thu.

 

第25回参議院議員選挙が公示されました。

安倍政権への審判・それに内包される改憲問題や消費税問題など、論点はさまざまあるところですが、私は いち有権者として、(従前にも触れましたが)各陣営に対し「いかに地域(地方)を考えているか」それと「将来に向けた環境問題をどう考えているか」に特に注目し、それらを判断材料に加えてゆきたいと考えています。

「地方分権」と言われる昨今、であるとすれば「長野県区」の代表たる参議院議員が、国の制度設計の中枢で政治活動を行なう中で「選出」される選挙区=長野県をどうより良くしてくれるのか、その「思い」や「ビジョン」に注目してゆきたいと思います。

さらに「環境問題」については、さきに軽井沢で行なわれた「G20環境関係閣僚会議」で議論された、プラスチックごみ削減問題を初めとする いわゆる「ごみ問題」や、地球温暖化問題、また地方にあっては、例えば「山と河川に恵まれた長野県」において優位な「水力発電」の発揚などの「新エネルギー」への所見など、将来に向けた循環型社会の構築に如何に心を砕いているか、を見定めてゆきたいとも考えています。

 

読者?のみなさんにおかれましても、大きく論じられる「総論」の一方で、それぞれがそれぞれの立場で、問題や課題と思われることを「検証テーマ」とし、それら課題について 各陣営がどのように考えているかを比較検証してみることも「選択肢」になると思いますよ。

 

いずれにしても7月21日(実質20日)までの長丁場、広い長野県を 各陣営は走り続けることになります。

 

 

 

 

 

一方、この日の信濃毎日新聞の【地域欄/22面】に、来る9月に執行予定の長野市議会議員選挙の候補予定者一覧表が掲載されました。

定数を大幅に上回る候補者が発表され、現職優位の中、さらにフレッシュな新人が多数手を挙げており、私のような者には厳しい状況が増すばかりを如実に示す表となっておりますが、いかに茨(いばら)の道といえども、自分なりに一歩 ゝ 進むしかないと、決意も新たにしたところです。

 

こんな私でも、応援してくださる方々がいることに感謝しながら。

 

 


水勢

2019-07-04 | 日記

7/3 Wed.

 

九州南部(鹿児島)地方に降り続く雨は、ついに臨界点を超え、各地で河川氾濫を起こしており、その模様が刻々と報じられました。

 

 

鹿児島市は、40以上の川が流れる 河川の多いまちと聞いています。おそらく日常では、豊かな水がまちを縦横に流れ、灌水(かんすい)と景観に寄与してくれているのでしょうが、今回の長雨においては、各河川がもつ許容量を超え、道路や水田、また住宅地へと被害を及ぼしたようです。

また 隣接市の南さつま市では、市の中心を流れる河川が決壊・氾濫し、多くの被害が発生したことも報じられていました。

 

 

今後、この雨雲は東日本へと移動、関東エリアにも大雨を降らすことが予想されることから、気象庁は厳重な警戒を呼びかけているとのことです。

 

 

雨の被害と言えば、私は信州人として「平成18年7月豪雨」を思い出さざるを得ません。

平成18年に長野県を襲った豪雨災害は、県内的には岡谷を初め中南信地域への被害状況が大きく報じられました。

 

 

しかして あの豪雨は、長野市にも大きな被害を及ぼしたのです。

篠ノ井信里灰原地区では土砂崩れが発生、幸い人災には至らなかったものの、一部家屋と農地・山林が土砂に埋まる被害を受けました。

また、千曲川の氾濫により、松代西寺尾地区の河川敷にある農地が軒並み冠水し、農作物に被害が及ぶと同時に、上流から流れてきたゴミ等が 育成中の長芋のツル柱に大量に引っかかり、処理に大きな手間を要することとなりました。

また 身近では、この年4月に完成した「犀川南マレットゴルフ場」が、犀川の自然堤防を超えた濁流に呑み込まれ、できたばかりのコースは水没・・・皆で肩を落としたものでした。

しかし そこで我々はあきらめることなく一念発起し、その年のうちに復旧を果たし、現在に至っています。

あのとき復旧をあきらめていたら、マレットゴルフ場は また「ただの河川敷」に戻り、今の姿は無かったことでしょう。

 

今 映される「水勢」に因(よ)る被害状況を見るにつけ、私たちの周辺でも実際に起こった水害を思い起こすを余儀なくされています。

 

 

水は実に正直です。常に低い方へ低い方へと流れ、いくらかでも弱い部分があればそこに勢いを集中させ、ときに容赦なく突破してゆきます。

地域内の低床部には、豪雨時には決められたように水が溜まり、堤防の脆弱な部分は 時間と共に水圧がかかり決壊を招くのです。

 

私たちは経年に亘り、ことあるごとに「水勢」と対峙してきました。

水多き日本列島は、その「水」の恩恵を甘受しながら豊かな生活を送っています。しかし、その水がひとたび牙を剥(む)くと、それは直ちに私たちの社会生活を脅かす存在にもなります。 

 

大雨のニュースを耳にし「水勢」による被害状況を聞くにつけ「自然との付き合い方の難しさ」を思い知らされるところです。

 

 


天災・人災 近況二題

2019-07-03 | 日記

7/2 Tue,

 

【九州の雨 降り止まず】

九州地方に雨が降り続いており、列島に暮らす同胞として心配を募らせています。

6月28日の雨の降り始めから2日午後1時までの雨量は、鹿児島、宮崎両県で700~300ミリ、熊本県で350~300ミリと、記録的な大雨になっており、宮崎県えびの市末永では783・5ミリと、この数日で 既に平年の7月の798ミリに匹敵する雨量となっています。

九州エリアには、今も活発な梅雨前線が停滞を続けており「九州は、いつどこで非常に激しい雨が降ってもおかしくない気象状況」となっているそうです。

 

 

このまとまった雨に伴い、土中には許容を超えた水分が溜まってしまい、今後の少しの雨でも土砂災害が発生しやすく、場所によっては 地下深い岩盤ごと崩れる「深層崩壊」などの大規模な災害の可能性もあるそうです。

気象庁は「自らの命を自ら守らなければならない状況が迫っている。」との異例の呼びかけを行ない、住民に早期避難を促しています。

 

 

昨年の豪雨災害から一年、今年もまた九州を雨雲が覆っています。大自然の気まぐれは、ときに私たちの社会生活までも翻弄(ほんろう)しながらさまざまな影響を及ぼしてゆきます。

どうか大きな災害だけは起こしてくれるなと、遠く東の空から願うばかりです。

 

 

 

【ごみ収集 再開】

月に起きた火事のあと、ごみの受け入れを中止していた長野市のごみ処理施設「資源再生センター」が、1日から不燃ごみの受け入れを再開したことが報じられました。

ことし4月、長野市のごみ処理施設「資源再生センター」で、処理する前の不燃ごみを一時的にためておく「ピット」と呼ばれる場所から出火する事故が発生しました。

 

 

この火事の影響で、市は不燃ごみの施設での受け入れを中止し 民間業者に処理を委託していましたが、この度 施設の火災報知設備の復旧が完了したことから、市は7月1日から「資源再生センター」での不燃ごみの受け入れを再開しました。

ただ今回の受け入れ再開は、火事で燃えた「ピット」を使わずに行なう一時的な措置で、市はことし11月の本格的な復旧を目指して工事を進めることにしているそうです。

今回の火災は、不燃ゴミの中に発火物が入っていた可能性が示唆されるなど 明らかな「人災」ですが、平常時、普通のこととして認知されている「ごみ行政」が、ひとたび滞ると大きな社会的影響が出てしまうことを踏まえ、私たちは「ごみ出しルール」を遵守し、関係者に無用な負担をかけないよう努めるべきことの自覚を新たにしたところです。

 

また、基本的なこととして、先日 軽井沢で行われた「G20」の環境閣僚会議で プラスチックごみの減量について議論されたように「ゴミそのものを出さない努力」を重ねることも肝要と思うところです。

 

 

 

 

人智の及ばぬところで発生する天災、工夫や努力で発生を抑止できる人災、二つのニュースに、思わされることアリ、の感でした。