倉野立人のブログです。

日々の思いを、訥々と。

社会構造そのものの変化に

2019-07-26 | 日記

7/25 Thu.

 

地域の方の そのまた友人のご家族(ご子息)が、家に居るだけだと嘆いている旨の話しを聞き及び、考えさせられたところです。

 

話しによると、くだんのご家族(ご子息)は、3年ほど前に、勤務先の会社でケガを負い、しばらく休業を余儀なくされたそうです。その後、ケガは順調に治癒したのですが、その後、会社へ行きずらくなってしまったらしく、欠勤を重ねるうちに いつの間にか退職してしまい、以来 家に居るようになってしまったとのことです。

親御さんとすれば、自分も高齢化の道を進むばかりの中、息子にはどうにか社会復帰を果たしてもらいたいところなのですが、本人も決してサボっているのではなく、自分なりに苦しんでいることが見て取れることから あまり強くは言えず・・・結果、家族全体がフリーズ(凍結)したまま現在に至っているとのことでした。

 

間接的に聞いただけなので、ご本人の会社でどのような立場にいたか とか、正規社員だったのか非正規社員だったのか、などは知る由もありませんが、今のご時世の中で、社会生活の途中で頓挫してしまう事例はそこここで聞き及ぶところです。

 

従前も触れましたが、80才の親が50才の息子(娘)の生活を支える「80・50問題」や、ふとしたきっかけで、まるで児童の登校拒否のように会社に行けなくなってしまい、結果「引きこもり状態」に陥ってしまう事例など、昨今、現役世代を取り巻く複雑な問題が多いことが肌で感じられます。

このことについて、そのような状態に至ってしまった本人ばかりを責められない「社会状況の変化」を感じざるを得ません。

ひと昔前の、ある意味安定していた終身雇用や年功序列制度が改革(非正規雇用法や労働者派遣法など)され、労働環境が厳しさを増すようになり、そこにリーマンショックなどの社会経済へのダメージが重なるなどして「働きにくい社会」ができてしまった。

また、現代の「若者気質」も、打たれ弱いなど社会の荒波に耐えられなくなってしまい、ひとたびの挫折が それを長い期間引きずるようになってしまい、結果、社会との接点そのものを拒絶するようになってしまう。

 

ご知人家族の状況を側聞し、私は「よりオープンな社会」が実現すればイイなと考えました。

人それぞれが課題を抱えながら生きてゆく中、それら課題を独りで抱え込まず、影響の無い範囲で表(おもて)に出すことで、新たな情報を得たり、自分の背負う荷物を軽減することができれば それは一石二鳥と言えるでしょう。

しかしながら、そもそも他人に言えないような悩みは、みだりに口外することはできにくいことでしょうから、そんなとき、私のような者でも つかの間受け止める存在になれれば、とも思ったところです。

「人は、喜びを話せば それは倍になり、悩みを話せば それは半分になる」と申します。

家にい続ける方が、何らかの理由で 社会とのチャンネルを閉ざしてしまったとすれば、何らかの形で、そのチャンネルを再接続できれば・・・難しい社会状況の中だからこそ できることはないか、試行錯誤の思いです。

 

 

 

伺ったお宅を辞するとき、宅前の道路に何やら影が。

 

 

クルマが走行する道路の支線に、カモが休んで?いました。

 

 

 

この2羽は、ここいら辺りでちょくちょく見かける番(つがい)ですが、以前は警戒心も強く、人やクルマに会えば慌てて飛び立ったものですが、最近は何だか慣れっこになったのか、私がファインダーを向けても動じる様子がありません。

 

 

ヒトの世の者が〝打たれ弱く〟なっているのに、カモ界の者?は逞(たくま)しさを増しているようなのでした。