倉野立人のブログです。

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青木島遊園地廃止問題…関わるほどに見えてくる「事実誤認・錯誤・矛盾」

2023-02-10 | 日記

今や大きな社会問題となっている「青木島遊園地廃止問題」ですが、問題が表面化してから相当な日数が経過し、で 私自身が案件に関わるようになってきた中で、どうやら(当初)私が聞かされてきた説明・内容と〝事実〟が異なることが分かるようになってきており、このことに いわば困惑させられると同時に、然るべく軌道修正しなければならないとの職責を実感するところであります。

で…その深層には、いわゆる「大人の事情」や「大人のメンツ」が見え隠れしており、そこには(これまでも繰り返していますが)肝心の「子どもたちのためにどうすることが最善か」との〝原理原則〟が置き去りにされている感を抱かざるを得ないところです。

 

私たちは当初「一部の住民からの遊園地に対する苦情に起因して 施設(遊園地)を廃止せざるを得ないことになった」との説明を受けていたところですが、後に関係者と関わり 話しを伺ううちに、実際には「それだけじゃない」ことを知ることになったのです。

さらに、それら 事実とされることに基づいて市が挙げている「遊園地廃止の6つの理由」にも「?」と言わざるを得ない点が散見されるようになり、このままの状況で廃止をゴリ押しするには やや…というより、かなりの無理があると言わざるを得ないことになっています。

 

この 遊園地廃止に向けた「?」については、既に信濃毎日新聞の特集『声のチカラ』で その多くが連載されており それも大いに参考になっているところですが、それを裏付けるような「事実」が私の方(ほう)にも伝わってきており…これは捨て置けないというのが実際のところです。

(以下、既に新聞報道等や これまでのブログで重複しているものもありますが ご寛容ください)

その事例をいくつか述べれば…

先ず、遊園地廃止の大きな理由になった 施設(遊園地)の草刈りなどを担う「愛護会」の〝廃止〟ついてですが、関係者によると 確かに担い手の減少やコロナ禍などで愛護会存続は難しい状況に陥ったけれど、当事者から「止(や)めます」とは一言も言っていないとのこと。

さらに言えば、現状の厳しさを伝えた際に 市の方(ほう)から「それなら止(や)めますか…」と水を向けられ、その際に(これは悔やまれるところですが)首を縦に振ってしまった経過があるようなのです。

と いうことは、市の方(ほう)から 愛護会廃止を促したと解釈される面もあり、非常に微妙ながら 禍根を残すことになってしまっています。

これに関しては、さっそくに愛護会復活の動きがあり 今後の遊園地管理に何ら支障は無いとのことです。

 

また 一部の世帯の「音」などに対する苦情についても、児童が遊園地で発する音に対する苦情は ほんの僅かで、その(苦情の)対象は 送迎のクルマなどの〝遊園地以外の要因〟であるとのこと…いつの間にか 苦情の中身(対象)がすり替わっているようなのです。

このことは「一部住民の苦情によって遊園地廃止 の方程式」そのものを否定する〝事実〟なのです。

 

また 関係者は、これまでの苦情対応について 市に何度も相談してきましたが、市はその度に対処療法を行なうばかりで 苦情者との対話など〝抜本的な解決〟に向けた努力を重ねた形跡が無いとのこと。

で、この背景には「職員の異動」があるのではないか との指摘が。

すなわち、いかなる問題があっても それは自らが担当でいる間は対処療法でやり過ごし、異動後のことは〝申し送り〟で後はヨロシク✋との 悪しき先送り体質が問題を膠着させてしまったのではないかのではないか、とのことなのです。

 

さらに 遊園地を使わないことでの「子どもに関わるリスク(危険)増加」を指摘する声も。

児童センターや保育園の利用者である子どもたちは、遊園地が使えなくなると それ以外の場所の利用を余儀なくされます。

そのことが 子どもたちにとって〝新たなリスク〟になるとの指摘が寄せられています。

現に 保育園の子どもは、遊園地から遠く離れた場所へのお散歩を余儀なくされていますが、その途上はクルマも走る一般道であり、常に交通事故のリスクを背中に移動する状況にあるそうです。

また、これで万一 遊園地が廃止になれば、放課後児童は(近いとはいえ)一般道を通って校庭への移動を余儀なくされることになり、そこには新たなリスクが生じることになるでしょう。

で…ここで問題視されるのが、関係者からの質問に対する市の回答です。

関係者は「子どもが校庭に移動することになって、万が一ケガでも負うようになったらどうするんですか?」旨の問いに、市の職員は返す刀で「万が一のことがあっても「保険」に入っているから問題ありません。」と答えたそうです。

この「回答」は、あくまで手続き上 もっと言えば〝大人の事情〟で大丈夫と言っているだけのこと。

万が一のことがあって傷つき痛みを覚えるのは 他でもない子ども自身なのに、その職員は 肝心の子どもの「痛み」について 何ら心を寄せていないのです。

こんな事務的な対応は 許されるものではないでしょう。

 

さらに言えば、側聞すれば 今でも青木島小学校の校庭は、放課後児童の遊び場として混雑の様相にあるとのことです。

そこに無理矢理 児童センターの子どもを放り込むようなことをすれば、混雑に拍車がかかり とても安全に見守ることはできないとの現状があるようです。

これまで、市が対応策として大きく掲げている「放課後児童は校庭で」の理屈は 実際には成り立たないことが(現場の声として)示されているようなのです。

 

また かかる校庭利用に向け、見守り要員として 職員(支援員)の増員を画策しているようですが、これは 市の掲げる廃止理由⑥「年間60万円の地代を払わなければならない」に矛盾することになります。

すなわち、遊園地廃止→校庭利用→支援員の増員→地代を大きく上回る人件費の発生 となり「カネがかかるから遊園地廃止」との図式が崩れることになるのは、誰の目が見ても明らかなところでありましょう。

 

もっと言えば、これまでの経過を記(しる)した「議事録」について、苦情主が「5人以内で遊べば可」旨の条件提示ついて、それが言われた時期より遡(さかのぼ)って その口述があったと(議事録が)されているとのこと。

この行為は 事実と異なる内容を議事録に残したこと、すなわち公文書の扱いの部分で問題となるものであり、これは別の次元で看過できないと言わざるを得ないところです。

 

 

・・・・・・。

このように、私自身 この青木島遊園地廃止問題に関わるうちに、日を追って「事実誤認・錯誤・矛盾」の〝新事実〟に触れることとなり、これは看過できないと認識せざるを得ない状況に至っております。

で それとは別に、純粋に子どものことを思う中で「遊園地存続を願う地元有志の会」の活動が多くの住民の賛同を得ながら活発化している事実もあり、事(こと)の解決は 行政サイドが描いた絵のようにはゆかなくなっていることが肌で感じられます。

11日には、荻原長野市長が自ら現地(更北公民館)に足を運び「市民の声を聞く」としていますが、果たしてどのような展開になるのか予断を許さないことになっています。

さまざまな「事実」を踏まえ、然るべき判断が為(な)されるのか…注目されるところです。