kyon's日誌

つれづれに・・・

泣きどころ

2014年01月17日 | 日記
ちょっと今朝のテレビで、「泣く会」なるものがあるんだって聞いた。
ドラマや映画を見てウルウルと泣く・・・涙をこぼす・・・貰い泣き・・・こういうのは楽しむって云うものなのかどうかは分からないけど、タノシムんだそうであります。

中々泣けない事だらけになっている現代人の渇いた心を潤す為に、わざわざ「泣きましょう」って・・へぇ・・・
何だか不思議な感じだが、驚いたのは「泣き落語」なるものまであるんだそうで・・・
泣けるような落語?・・・らしいよ(~_~;)を聞いて泣くんだそうです・・・(~_~;)

ドラマや映画、本を読んでてひょいと泣いてしまうことはあるが、そんなにちょいちょい泣く訳じゃない。(^^ゞ
けど、自分としては涙もろい、割と泣き虫だと思っていたんだが、実は我が妹や母の方がもっと泣き虫だったと最近分かって、んまぁ~・・・な~んでこんなんで泣けるん?と思うと、ちょっと腰が引けていくんでありますなぁ・・
自分でもよよと思いつ、う~今は泣けないわっ!って、まぁ、ちょっと堪えてるのにさ、先に泣かれると、何だかシラ~っと冷めていくん(笑)
どうも、人其々に、”泣きどころ”っつうのがあるんだろうなどと思う。

人は悲しいだけでは泣かない・・・大人になると余計に、悲しいほど泣けないっつうことがある。
感情が止まってしまうんだかね?
痛くてもそんなに泣かない・・・お産の時の痛さは泣こうと思えば泣けるはずなのにねぇ・・・生まれた子を見てホッとして泣いたりする(笑)
そうなんだよ、人は思わぬ優しさやほぅっとした時に、何気に泣けたりもするんだね。

実は「泣く」効果は中々のモノらしく、「笑う」事よりも効果的だったりもする事があるんだとか。

母が昼寝してる時、突然、痛い痛いと泣く・・・手が痛いと泣く・・・
最初は驚いてどうした?とさすったりしても、触られるともっと痛いというので・・・
私にはどうしようもない。
台所で鍋釜を洗いながら、う~~んん・・・あぃやぁ~・・・しかだねごど・・・などと思いながら何も出来ない自分でもあり、何だか情けなかったり心細かったり・・・
ホントに母がオイオイと泣くんで、あぁぁぁ・・・たまらんなぁ~と思ったりもする。

ひとしきり泣き終えると、少し気持ちが晴れたか・・・おトイレにと起きた。
何とかトイレもしてきて、なんとしようと自分の手を見てもう死んでもいい~とのたまう。
夕方になると相撲中継が始まって、やや痛みも治まったらしく、熱心にテレビ観戦。

夕飯時、やっと少し落ち着いたら今度は腕が痛いとか、やっぱり膝が痛いとか・・・
痛いところだらけだとこぼす。私の居ない時もこうして泣くんだと言う母に言うべき言葉は見当たらない。
フムフム・・しかたないねぇ~付き合うしか無いねぇと言うしかない。
幼子なら親の泣きだしたのに貰い泣きもあろうが、わたしゃ泣けん。
整形外科から貰った塗り薬もダメだと言う。

風呂は喜んで入る。長風呂でじっくり暖まってる。
枯れた親の皺だらけの手を撫でて、馬油を塗り、手袋をはめて・・・どうしようもないんだなぁと一しきりため息が出る。
その後は背中やら膝やら足裏や・・・馬油をまた摺り込んで、枯れた肌にどうか少しは効いてくれと思う。

疼痛の痛みに答えてやることが出来ない。
困ったなぁ・・・と思いつ、痛みの止んでる時は、あれこれ笑える時間があるのをまだ良しとせねばなるまいなぁ。
こういう時、私も一緒に泣いてやれたら母はどうするんだろ?
ツマラン事を思ったりしつつ、
まぁ、泣いて済むなら、それも良しとしよう・・・と(^^ゞ
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする