二条河原の楽書

京都サンガF.C.を中心にJリーグを楽な感じで綴るサッカー忘備録(予定)

2016明治安田生命J2リーグ第34節 京都vs金沢

2016-10-03 | 蹴球

京都サンガF.C.0-0△ツエーゲン金沢


[警告・退場]
・京都
22'山瀬功治(C1反スポーツ的行為)
50'染谷悠太(C1反スポーツ的行為)
88'吉野恭平(C2ラフプレー)
・金沢
65'山藤健太(C2ラフプレー)


【全体の印象】
 10月ながら飲水タイム付きという酷暑のデーゲーム。互いに4-4-2の陣形同士で、オーソドックスなサイド攻撃などボールの運び方、奪いどころなども似ていたが、より組織的で勇敢だったのは現時点で最下位の金沢。京都はボールは保持するが、穴を見つけられず、崩しにかかる“攻撃のスイッチ”は半押し状態。前半の有田、後半のエスクデロに決定機はあったものの、前に人数をかけられないまま終盤にはキロス電柱作戦にチェンジしたが、シュートは枠に飛ばず。逆にダビを投入した金沢の力強いカウンターにゴールを脅かされた。終わってみれば勝点1を拾った印象。試合後思わずつぶやいたひとことは「これはあきませんなぁ」。


【雑感】
■歌を忘れたカナリア
 バドゥ監督の時に、「ボールをどう動かしていいか曖昧で、選手が迷って遅くなる」と指摘したことがある。今現在の京都もボールを持った選手が次を探している状態。そんなはずはない! 天皇杯2回戦セレッソ戦(前半)などは、パスの出し手も受け手も意図を通じ合い、半ばオートマチックに人とボールが動いて相手を翻弄していたのに…。
 石丸監督のチームは、確かにシーズン序盤こそ上手く行かなかったが、トライアル&エラーを繰り返しながら迷わずパスを回して敵陣に攻め込むチームになったはずだ。それが、松本戦を境にできなくなっている。昨日まで飛べていた7段の跳び箱が、突然怖くなって6段すら飛べなくなったような感覚。要因は怪我や疲労の蓄積などもあるだろうが、もはや意識付けの問題としか思えない。兵たちに余計なことを考えさせず一心不乱に走らせることは、優れた大将の資質のひとつ。今は選手個々に「俺がどうにかしなきゃいけない」という気負いも見えて、そういう個々の思いが歯車を狂わせている。
 ちょっと気になるコメントがあった。「外してしまったけど、ゴメ(堀米 勇輝)からのクロスに合わせたシーンも、自分たちでしかタイミングが合わなかったと思う」(有田光希)。これはA→Bだけの関係だけで崩せるという自負であるとともに、A-BにCやD(3人目、4人目)を加えて攻撃していく意識の欠落ともとれる。複数が絡みながらスピードアップした唯一の場面は75分、染谷のビルドアップをダニエルロビーニョが受け→エスクデロを経由→駆け上がった下畠がクロス、というシーン。天皇杯までは、こういう攻めをごく普通に繰り出せていたのだ。今はもう、歌を忘れたカナリアになってしまっている。


■見失ったスタイル
 攻撃時になかなかトップギアに入らない点について、3月の第4節の時点で書いたことがある。歌うことを忘れ、積み上げてきたものを見失い、そのあたりまで逆戻りしてしまった。石丸監督は「今日はポジションを固定し、ある程度「こういうふうにやっていこう」というのがあったのですが、もう少し流動的にやることも必要」「今はもう少し頭を柔軟にしながら発想を転換することが必要」と言うが、そのさじ加減を誤れば、発想力頼みで出し所を迷って停滞する「バドゥ化」への道も。今必要なのは、自分たちが目指すサッカーをもう一度整理すること。点を取りたい=フィニッシュにこだわりすぎて、見失っているものはないか。大きな道筋を指揮官がハッキリと示し、そのためにならば無駄走りや犠牲になるプレーが出てくるようにならないと、もはや上を目指すことは難しい。

 ここでもう一度、シーズン前に山中社長が掲げたチームコンセプトを思い出してみたい。

 闘争心を持ち
 フェアプレーに徹し
 最後まで全力でプレーする


 果たしてそういうチームになれているだろうか。最後まで全力でプレーするのは選手の仕事だ。だが最後まで全力を出し切らせるのは監督やチームスタッフの仕事。結果ばかりを欲し、急に電柱作戦をはじめてダニロビやイヨンジェは不完全燃焼にはなっていないか?オクトーバーにもなってバックパスが第一選択肢の臆病ばーになっていないか? もう一度自分たちが目指す「スタイル」を見つめ直したい。全力で闘える集団にならなければ、仮に運良く6位に滑り込めても意味はない。もちろん、全力を出し切れないチームが勝てるほどプレーオフも甘くはない。