物事には始めと終わりがあるものです。このブログを始めようと思ったきっかけは、祖母井秀隆GMと大木武監督の就任、2011年のことでした。失望ばかりを繰り返してきた京都サンガというチームが、これで大きく変われるんじゃないか?という希望的な見通しを感じ取り、その変化の過程を忘備録として残して行こうかな、と。実際、クラブは大きく変わり、自分の書きためた1年分の戦評を年末に読み返すのも楽しいものでした。
「戦評」という形で一介の素人がああだこうだと書いてきた訳ですが、最初の頃はそりゃもう酷い文章です。ただ、開始当初からひとつだけ決めていたことがありました。それは「他とは違うリポートにする」こと。スタッツを追うだけならリーグやクラブの公式サイトで事足りるし、時系列に起こった出来事を並べる当たり障りのないレビューならJ'sGoalに毎試合上がる。また、自分よりもちゃんとサッカー見ている人がちゃんと書いているブログだってたくさんある。それを弁えた上で自分がこだわったのは、「戦況を視る」ということでした。
サッカーは1つのフィールドの両端に2つのチームが布陣してボールを動かしてゴールを奪い合うスポーツです。いかに攻めるか、いかに守るか。戦況は終始動いています。そのゲームの戦況が、後々読み返すであろう未来の自分に伝わるように書こう、と。細かい局面で「誰がどうして、どうなった」という因果的な過程を書けばキリがないので、ゲームを分けたものが何だったか、という割と漠然としたものにフォーカスしたつもりです。結構たくさん突拍子もない比喩を多用しているのですが、それは戦況という形のない曖昧なものを具体的にして(未来の自分へ)伝えたかったからです。戦略面での感想は時間が経つと薄れていくので、「可能な限りすぐ書いてアップする」ことも心がけました。
大木監督の繰り広げたサッカーは、良い時も悪い時もありましたが、書き留めておきたくなる戦況にあふれていました。3年目ともなると自分の文章も熟れてきて、去年のものを今読み返しても「楽しそうに書いてるなぁ」と我ながら思います。偉そうなダメ出しもたくさんしてますが、自分が対象と本気で向き合ってたからこそ出た言葉なんだと、今も納得しています。
拙ブログを始めて4年目の今年、監督が代わってサッカーの質も大きく変わりました。戦略的な意図を感じ取れないバドゥ氏のサッカーは、正直なところ自分には上手く消化できない素材でした。その後監督が代わった時点で「もう戦評書く意味ないよな…」と何度も思いつつも、だらだらと続けてしまい、見苦しい言葉ばかり垂れ流してしまう始末と相成りました。「後で読み返す」ために始めたのに、苦言ばかり書き並べた文章など心地良いものではありません。実際、今年のものは読み返そうとも思いませんでした。拙ブログをお読みくださっている皆様方におきましては、気分を害することも多々あったかと思います。本当に申し訳ありませんでした。
絵を描く時、モデルや風景を美しいと思って惚れ込んで描けば、(上手い下手は別にして)楽しく絵が描けるものです。文章も同じですよね。今の形での「戦評」を続けても、また読み返したくなくなりそうなので、ちょっと筆を置きたいと思います。来年このブログをどうしていくかについては、考え中。クラブへの距離感やスタンスは自ずと変わってくると思いますが、何かしらの戦評を書くのか、書かないのか(書きたいと思えるのか、思えないのか)。
これまで京右衛門的戦評をお読みいただき、誠にありがとうございました。自己満足的な世界観に満ちた訳のわからない文章にお付き合いいただいたこと感謝申し上げます。もし新しい「戦評」を書くならば、今度は「楽しく」て「楽ちん」なものにしたいなぁ。
「戦評」という形で一介の素人がああだこうだと書いてきた訳ですが、最初の頃はそりゃもう酷い文章です。ただ、開始当初からひとつだけ決めていたことがありました。それは「他とは違うリポートにする」こと。スタッツを追うだけならリーグやクラブの公式サイトで事足りるし、時系列に起こった出来事を並べる当たり障りのないレビューならJ'sGoalに毎試合上がる。また、自分よりもちゃんとサッカー見ている人がちゃんと書いているブログだってたくさんある。それを弁えた上で自分がこだわったのは、「戦況を視る」ということでした。
サッカーは1つのフィールドの両端に2つのチームが布陣してボールを動かしてゴールを奪い合うスポーツです。いかに攻めるか、いかに守るか。戦況は終始動いています。そのゲームの戦況が、後々読み返すであろう未来の自分に伝わるように書こう、と。細かい局面で「誰がどうして、どうなった」という因果的な過程を書けばキリがないので、ゲームを分けたものが何だったか、という割と漠然としたものにフォーカスしたつもりです。結構たくさん突拍子もない比喩を多用しているのですが、それは戦況という形のない曖昧なものを具体的にして(未来の自分へ)伝えたかったからです。戦略面での感想は時間が経つと薄れていくので、「可能な限りすぐ書いてアップする」ことも心がけました。
大木監督の繰り広げたサッカーは、良い時も悪い時もありましたが、書き留めておきたくなる戦況にあふれていました。3年目ともなると自分の文章も熟れてきて、去年のものを今読み返しても「楽しそうに書いてるなぁ」と我ながら思います。偉そうなダメ出しもたくさんしてますが、自分が対象と本気で向き合ってたからこそ出た言葉なんだと、今も納得しています。
拙ブログを始めて4年目の今年、監督が代わってサッカーの質も大きく変わりました。戦略的な意図を感じ取れないバドゥ氏のサッカーは、正直なところ自分には上手く消化できない素材でした。その後監督が代わった時点で「もう戦評書く意味ないよな…」と何度も思いつつも、だらだらと続けてしまい、見苦しい言葉ばかり垂れ流してしまう始末と相成りました。「後で読み返す」ために始めたのに、苦言ばかり書き並べた文章など心地良いものではありません。実際、今年のものは読み返そうとも思いませんでした。拙ブログをお読みくださっている皆様方におきましては、気分を害することも多々あったかと思います。本当に申し訳ありませんでした。
絵を描く時、モデルや風景を美しいと思って惚れ込んで描けば、(上手い下手は別にして)楽しく絵が描けるものです。文章も同じですよね。今の形での「戦評」を続けても、また読み返したくなくなりそうなので、ちょっと筆を置きたいと思います。来年このブログをどうしていくかについては、考え中。クラブへの距離感やスタンスは自ずと変わってくると思いますが、何かしらの戦評を書くのか、書かないのか(書きたいと思えるのか、思えないのか)。
これまで京右衛門的戦評をお読みいただき、誠にありがとうございました。自己満足的な世界観に満ちた訳のわからない文章にお付き合いいただいたこと感謝申し上げます。もし新しい「戦評」を書くならば、今度は「楽しく」て「楽ちん」なものにしたいなぁ。