二条河原の楽書

京都サンガF.C.を中心にJリーグを楽な感じで綴るサッカー忘備録(予定)

2014京都サンガ所感~総括あるいは総喝~

2014-11-16 | 蹴球

■エレベーター故障中
「このエレベーター、故障してませんかー!?誰かー!修理してー!」。かれこれ4年間J2に閉じ込められたまま、エレベーターは動いてくれませぬ。そして来季は5年目のJ2を迎えることに。とりわけ4年目の故障っぷりは、そりゃもう酷いもので。ひとことで総括すると「設計ミス」。今年のチームは根本的な設計図(プランニング)の時点で狂っておりました。

(エレベーターの話がレストランの話に代わって申し訳ないのだけど)飲食店の出店に例えれば、「どんな店構えで」「どういう食材を集めて」「どんな料理人を連れてきて」「どんなレシピで」…って以前に、この店がフレンチなのかイタリアンなのか中華なのか家庭料理なのかファストフードなのかさえも判然としていなかった。

 レストランの話ではないのです。京都サンガのお話です。そもそも、2014年の京都は、どんなサッカーがしたかったのか? チーム編成をみれば、大木前監督の残したレシピを元に味付けしていくんだろうな…とは考えたものの、キャンプ直前に「大黒将志加入」というリリースに接し、それも何だか怪しくなった。フタを開けてみれば、【個人能力任せ】の無策サッカー。バドゥ前監督については以前いろいろと書いたので、細かいことは省きまする。省くけど、要は明確なスタイルがないまま迷走したのです。

 好意的に受け止めれば、バドゥが目指した「自主性の伸張」は、大木氏が最後の最後でぶち当たったテーマでもあり、その1点においては(問題意識の)継続性があったように思います。ただしバドゥはあまりにも放漫で、掲げた理想に近づくための手段も具体性も持ち合わせていなかった。集団競技なのに個々がバラバラに戦っていた。それでも第18節までに26の勝ち点を積み上げ、第8節松本戦のようなエクセレントな内容のゲームも見せたことは、それなりに選手のポテンシャルは高かったのだと思うのです。まぁ、固定起用やら主力/サブ分離の練習などにより、ポテンシャルを存分に発揮できぬ烏合の衆になってしまったんですけどね。

 解任に踏み切った判断もタイミング(6月末)も、間違ってはいなかったと思います。この時点で残り24試合。自動昇格圏の2位磐田との勝ち点差は11、3位松本との勝ち点差は8で、6位大分との勝ち点差は3。挽回も十分可能だった数字です。監督選びさえ間違わなければ。


■なんでこんな監督連れてきたんだ?
 結論から先に言うと、「なんでこんな監督連れてきたんだ?」。森下監督代行2試合(1勝1分)を挟んだのち、報じられた後任監督の名を見て唖然としたのです。川勝良一氏がこれまで監督としてどの程度の成績を残し、どんなチーム作りをしてきて、いかなる手法でチームを率いたか、(ちょっと長くJリーグを見てる者なら)素人でも知っていることだったので。「何を期待して連れて来たの?」という部分がまるでクリアにならず、そして「設計図なんてなかった」ことを突きつけられた気がしたのです(今季の設計図を引いた人が全否定された、という見方も含め)。

 あらかじめ断っておきますと、拙者は川勝氏の手腕を非難するつもりは毛頭ないのです。過去の実績に照らせば「定評通り」であり、それ以上でもそれ以下でもなかった。問題は、一介の素人でも予測できたであろう近未来をプロクラブの強化担当がなぜ想像しえなかったのかということなのです。

 監督交代後にチームが掲げた大義名分は「昇格に向け勝ち点を積む」ことでした。けれども、川勝氏が勝ち点を積める監督かどうかは、過去の実績をみれば想像できることで…。3クラブやってパッとしなかったものが、4クラブ目で化ける夢物語なんてないのです。結局はチームが監督交代後に進むべき設計図がなかったと言わざるをえないのです(ある意味、設計図もなしにチーム作りを丸投げされた川勝氏には同情します)。

 まだまだ挽回可能だった7月の段階で、どこに向かって軌道修正を図るかという戦略さえあれば、違う未来を描けたはずだったのではないか? 以下、監督交代後の不可解な点、失策かと思しき点を書き散らします。


◆アクションサッカーの放棄
 2011年の祖母井GM就任以来、このチームは「自分たちから仕掛けるサッカー」を掲げてスタイルを築いてきました。バドゥも、(ノープランだったけども)能動的に自ら仕掛けるサッカーであり、同じ方向を向いていたと言えます。ところが、川勝氏はアクションサッカーにつきまとうリスクを恐れ、これを否定(あるいは破壊)することから手を付けました。“チャレンジする”や“仕掛ける”というサッカーの魅力を削ぎ落とし、結果、ゲームの前半を様子見のために費やして得点が奪えず、活力を欠く弱腰のサッカーに。かといって、完全に守備的に受けて立つほどのリアクションサッカーでもない。実に中途半端なサッカースタイルになりました。川勝氏は悪くないです。連れてきた人が悪いのです。


◆走力不足→走力不足
 バドゥは選手を上手く走らせられなかった監督でした。それは決してキャンプで身体づくりができていなかったという訳ではなく、「何をすればいいのかわからない」から判断が遅れ、走れていなかった。極端な話、後任監督は走る道筋を示すだけでも、走力に関しては大幅な改善が見込めたのではないかと思うのです。ところが監督交代後も「走る」という点についても低調でした。「球際、球際」というフレーズがよく出てきたけども、多くの場合は「相手に対応するための球際」。要するに火消しのための走りで、ボールホルダーを追い越していくフリーランとか、ボールを引き出すための無駄走りではありませんでした。ヘトヘトになるまで出し切った、走り切ったといえるゲームは数えるほどで、結局持てる走力を限界まで発揮できたかどうかは甚だ疑問です。川勝氏は悪くありません。連れてきた人が悪いのです。


◆奔放→規律
 自由奔放がスーツ着てグラサンかけて歩いているようなバドゥのサッカーから、一転して規律を求める指揮官にチェンジ。規律といえば聞こえはいいけれど、逆の表現をすれば柔軟性がないってこと。4-5-1を主体にポジションを縛って、リスクを消したいあまりトップ下に置いた中山博貴を守備の役割に使う…とか、何ていうか「そこまで怖いの?」みたいな。去年まではむしろポジションを崩しても走ることに強みを持っていたチームだった訳で、まったくの正反対。川勝体制では常に窮屈で柔軟性に欠け、なおかつ臆病なサッカーをやっていた印象です(川勝氏が去年までの屋台骨を壊すためにやってきた使者というなら話はわかるのですが)。この点ではバドゥ以上に「素材(土台)」と「シェフ」の相性がマッチしていませんでした。川勝氏がとうこうではなく、連れてきた人が悪いのです。


◆放任→カミナリ
「前半寝ていたので、特殊な方法を使って目を覚まさせた」―これは川勝氏がJリーグアフターゲームショーで言い放った東京V時代の名言。怒鳴って組織を引き締めるタイプの上官であることは有名で、京都では就任3試合目にして「ソフトなカミナリで寝ている人を起こしてあげました」と。鞭で叩いて発奮させる手法の存在は否定しないけれども、個人的にはとても嫌いです。そもそもこのクラブの普及部には『「叱らない」育て方』の池上正氏がいて、サッカーの魅力をホームタウンの子ども達に伝導している訳で、クラブ全体としてブレてるというか何というか。「勝利至上主義だ!プロなら厳しくて当たり前!」という主張もわかるのですが、叱ることで勝ち点積み上げられた訳でもなく…。評論家のように冷めた目線客観的な視点を持つ川勝氏ですから、結局は鬼軍曹までなりきれず、ただのカミナリオヤジ止まりなんですよね。人心掌握の手法は、このチームには合っていなかったと思います。川勝氏は悪くありません。連れてきた人が悪いのです。


◆大黒頼みからの脱却
 大黒将志という日本屈指の“点獲り職人”がいたため、バドゥ体制は極端な大黒頼みに陥りました【⇒全得点中の大黒率45.8%。川勝氏はこの点を見抜いており、就任早々に指摘したのはさすがでした。「大黒依存からの脱却」に言及し、過去3年なされなかった夏の補強によりドウグラスを獲得。けれども、結局最後まで大黒依存からは脱却できず【⇒大黒率42.9%(41節まで)】。不調に陥るたびに「やり方を変えないといけない」との部外者のようなメッセージを発し続け、得点パターンは〈石櫃洋祐のクロス〉〈大黒頼み〉の2通りに落ち着きました。あ、バドゥと一緒ですね。ちなみに総得点数と平均得点は【バドゥ18試合24得点・1試合平均1.33得点【川勝21試合28得点・1試合平均1.33得点となっており、あらまぁ同程度。蛇足ながら【大木3年目=42試合68得点・1試合平均1.62得点/トップスコアラー(原一樹)依存率17.7%でした。川勝氏が悪いのではなく、連れてきた人が悪いのです。


◆フィルター付きの選手起用
 練習の段階からメンバーを固定するという極端なことをやったバドゥに比べれば、川勝氏は至って正常でした。前任者が意味不明すぎたため、「若手を積極的に起用した!」という錯覚もありますが、駒井善成以外でスタメンを掴めた若手はゼロ。選手起用にもちょっとフィルターをかけてしまう指揮官のようで、闘争心を表に見せるタイプがお好みでした。大きな声でコーチングが目立つ田中英雄を偏愛したのもこのあたりでしょうか。とりわけのお気に入りは駒井で、怪我人続出で緊急的に回されたはずのSBで使い続けました。駒井に埋もれたのが、闘争心があまり表に出てこない福村貴幸で、レギュラーを掴むのは終盤の33節から。ちょうどそのあたりからようやく工藤浩平を攻撃の中心に据えて現在に至りますが、最適解を見つけるのに13節を費やしました。また、怪我人がかつてないほど続出したのも川勝体制の特徴。練習との因果関係は不明ですが、フィジカルコーチを連れてきても、さほどフィジカルが強化された印象もなく。最後の方でオスンフンと何やらあったっぽいのは、非常に残念な出来事でした。それで杉本大地が経験を積んだことを喜ぶべきか、どうなのか。川勝氏はそういう監督です。連れてきた人が悪いんです。


◆モチベーター能力の欠如
 バドゥはちゃらんぽらんでしたが、盛り上げる・その気にさせるという点では稀有な魅力を持ち合わせていました(ただ、選手に重要な判断の負担を強いていたのでプラマイゼロです)。川勝氏はおよそ真逆のキャラクター。会社の上司なんかでも同じですが、部下たちのヤル気をいかに引き出すかというのが、上司・上官・指揮官の重要な役割です。川勝氏は前出の「カミナリ」に代表されるように“圧”をかけて闘争心を引き出すタイプでした。例えば「走らない選手は使わない」(月刊J2マガジン11月号)などと宣言したそうですが、そうではなく「走る選手から順番に使う」と言えば受け止める方の印象も変わるはずなのです。傍から見てもヤル気を引き出すモチベーターとしての資質を欠いていたことが、ここ一番での勝負弱さ、勝ち運のなさとして現れた気がします。ポジティブなヤル気は、苦しい時に踏ん張る底力に相関するはずなので。少なくとも追いかける立場のチームが連れて来るべき人ではありませんでした。連れてきた人が悪いのです。


◆素材とシェフのミスマッチ
 さまざまな点においてズレがあったことは、結局の所、用意していた食材と連れてきたシェフが合っていなかったということに尽きるのです。「大木印」の素材をグラサンのシェフが放たらかしにして半分腐らせ、なぜだかわからないけど呼んできた川勝料理長は「使いたい食材が少ないんだけど、これで何作れっていうんだ!?」みたいな。それでもドウグラスと田中を調達してきてもらいましたけどね。去年までの3年間は夏のウインドーで1度も補強しなかったことを思えば、この夏に何やらクラブ内部に地殻変動が起こったことは想像にかたくありません。世の中には冷蔵庫の余りものでもそれなりの料理を作ってしまうタイプ(徳島の小林さんとか)もいるのですが、川勝氏は割と理想を掲げ、自らの理想のフォーメーションを組んで選手を当てはめていくタイプでした。理想はバランス重視のイタリアっぽい何かでしたかね。残念ながら適合する素材がいなかったのは川勝氏には不運でした……ではなくて、どうしてこの監督呼んできた?


◆コメントと振る舞い
 川勝氏のいい部分も挙げておきましょう。試合後に出すコメントがいたって客観的で的確でした。しかし、そこで発見していたはずの問題点を糧にしてチームを作れていたかどうかは、「結果」を見ればわかること。今まで率いたチームでも「そこそこ」の成績しか残せてないのも、反省が能書きがにしかなってないあたりに原因がありそうです。もうひとつ気になるのは、やたらと「気持ち」を強調したりカミナリを落としたりする割に、立ち居振る舞いからパッションを感じなかったこと。チームに闘争心を要求するならば、いいか悪いかは別にして、指揮官自らが気持ちを前面に出すやり方だってあります。たとえば福岡のプシュニクはややオーバーアクションが過ぎましたが、誇り高くクラブの旗を高々と掲げていた点では好感の持てる監督の一人です。バドゥもそうした面では魅力のある監督でした(本当に旗振ってたのは別にして)。川勝氏は、常に客観的で達観した素振りで、地元出身だからといってそれを押し出す訳でもなく、一歩引いてとても評論家然としておりました。川勝氏が悪いのではありません。評論家を連れてきた人が悪いのです。


■これにて終わりです
 以上素人の戯れ言を長々とお目汚し申し訳ございませんでした。ひとつだけ確実に言えることは、チームの将来像をきちんと描くことがいかに大事かということです。10年後どんなチームにしたいのか。それを目指すためにはどんなスタイルのサッカーをすべきなのか。それはトップチームだけじゃなくて、ユース年代~ジュニア年代、地域との関わり、ファンサービス、全てを包括するグランドデザインです。目指すべきサッカーは、グランドデザインから抽出していけば簡単に弾き出せるはずなのです。設計図がなければ、砂上の楼閣と同じ。方向性すら示せないまま適当に見繕っただけの監督を呼んで来たとしても、それはまたしてもその場しのぎになるだけですよ?
 今季の大失敗でさすがにみんな呆れて、もう「すぐに昇格しろ!」なんて言わなくなった今だからこそ、しっかりと足元を見つめ直してもらいたいものです。








【おまけ・森下氏について】
 J2を席巻したのは、シンプルな道筋をなりふり構わず迷わず爆走した湘南でした。一方京都は、バドゥ体制でも川勝体制でもスピード感を欠き、もたもたと遅いサッカーでした。結果論ですが、今年の京都で最もスピード感があって推進力があったのは森下仁志監督代行の2試合。もし森下氏に経験豊富なヘッドコーチを付ける形で後半戦を戦っていれば、今より良い成績を残せたはずです、たぶん。なぜならば、森下氏はアクションサッカーを掲げ、選手の距離感が近く、前へのフリーランを促すスタイルだったから。それが去年までのサッカー、今年用意していた素材に一番適していたと思われるから。若手を積極的に抜擢・起用したのも森下氏ですね。ただ、森下氏はヘッドコーチとしてはバドゥとも川勝氏とも折り合っていなかったように感じます。バドゥ体制末期には指揮権が半ば森下氏に移譲していたらしき話もありますが、川勝体制でも37節松本戦あたりから森下氏の権限が大きくなった印象です。あくまでも推測ですが、サッカー観の違う二人が妥協しながら足並みの揃わない戦術でやってたような…。せめて残り10試合の段階(32節山形戦の敗戦後)で川勝氏から森下氏にスパッと変えてしまう決断があれば最終節をもっと違う形で迎えられていたのではないか、と一介の素人は思うのであります。