茶語花香

人生は旅なり。
中国茶をはじめ、花のある暮らし、読書、旅などを中心に、日常の出来事を綴ります。

弘明寺、これまでありがとう!

2021-09-05 10:22:00 | 日常


もうすぐ離れる日が近づいてくる。
不意にこれまで弘明寺(ぐみょうじ)とあれこれのご縁を思い巡らした。


弘明寺、横浜市内最古の寺。

はじめて寺で祈願したのが、

お腹に八か月の命が宿ったときの事。

急な階段を登り切り、

喘ぐ私のために、

寺の住職さんが鐘を鳴らしてくださった。

寺院の屋根越しにその日の夕焼けが綺麗だった。

その二か月後に生まれた子が今は十八。

もちろん私も歳を取ったはずだ。


弘明寺と最初のご縁は学生時代に遡る。

商店街を挟んで市営地下鉄駅側の学生寮に私が住みはじめていた。

ここから大学生活が始まり、

大人への一歩を踏み出した。



弘明寺の商店街に静かに流れる大岡川がある。川辺の老桜の開花は、県内有数な桜の名所としても知られている。

江戸風情を名残る商店街に庶民の浴衣屋、駄菓子屋、お茶屋など今も健在する。


広州にいた五年間、日本に一時的に帰ってくる際、住ませてもらった部屋は、弘明寺の駅からかなり離れている。コロナ禍が勃発した後、急遽そこに私ひとりが住むこととなった。


駅から離れているおかげで、沢山歩いた。住んでいた"引越坂"という地名がまず面白い。気になって調べてみた。江戸から明治にかけて、戸塚方面から井土ヶ谷方面を抜けて横浜へつながる東海道の裏道(近道)として、人々にとっての貴重な生活道路だったらしい。網を引き越しして峠を通り抜く。そこから引越坂ときた。なんだか歴史の名残を感じる地名ではないか、と気に入った。


引越坂一帯は、横浜の丘陵地区、夜の風が尋常ではない。しかし、四季ごとに咲き誇る里山の野の花には恵まれている。野の花を持ち帰って生けるのが最大な楽しみなのだ。二年も住んでいれば、いつ何処にどんな花が咲くか、脳裏に花地図できた。里山の花草を離れるのが淋しい。


相方も私も生まれた星は風の星座なのだ。

いつまでも風になびかれて

転々とゆくのが私達の運命なのかな。

もしほんとにそうだとしたら、

至る処に景色ありと信じていたい。


弘明寺、これまではありがとう!







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