古層の神のいますところ
山幸海幸伝承の概略をみておこう。
その神名が示すとおり、山の猟を得意とする山幸彦(弟)と、海の漁を得意とする海幸彦(兄)の物語である。兄弟はある日猟具を交換し、山幸彦は魚釣りに出掛けたが、兄に借りた釣針を失くしてしまう。困り果てていたところ、塩椎翁(シオツチノオジ)に教えられ、小舟に乗り「綿津見神宮(わたつみのかみのみや)」(又は綿津見の宮、海神の宮殿の意味)に赴く。
山幸彦は、そこで海神・大綿津見神に歓迎され、その娘・豊玉姫と結ばれて綿津見神宮で楽しく暮らすうち、3年もの月日が経ち。山幸彦は地上へ帰らねばならず、豊玉姫に失くした釣針と、霊力のある玉「潮盈珠(しおみつたま)」と「潮乾珠(しおふるたま)」を貰い、その玉を使って海幸彦をこらしめ、忠誠を誓わせた。この海幸彦は隼人族の祖。
その後、妻の豊玉姫は鵜戸の岩屋で子供を産む。それが鵜草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)であり、神武天皇の父である。すなわち山幸彦は神武天皇の祖父にあたる。

潮嶽神楽の御神屋造りは独特の様式である。
御神屋 (舞庭)の奥に高い注連柱が立っている。正面に竹の鳥居の立てられた祭壇があり、五色の御幣が飾られている。御神屋を囲んで青竹に結びつけられた十四本の幡と、中央に吊り下げられた天蓋に、それぞれ神名が墨書されている。藁薦を敷き詰めた御神屋を、暖かな春の陽射しが照らしている。注連柱(しめばしら)と御神屋正面の鳥居等は米良山系の神楽との共通項がある。2月の陽光が降りそそいでいる。梅の香が漂ってくる。厳しい冬の夜神楽シーズンを乗り切って、ここへ来ると、「ああ、春が来た」と実感する。のどかな春神楽の始まりである。

御神屋中央に下げられている「天蓋」(「雲」とも呼ばれる)は、他の地域にはみられない独特の造形である。天蓋の真ん中に四角い箱状のものが下げられていて、不思議な図案が描かれている。天蓋の上部には天神七代の神名が記されている。これを、デザイナーの川並良太君(カグラボ/宮崎神楽研究室)が図表化したものが上図。その箱の下には「大日靈貴」と書かれた神札が下がっている。「大日靈貴=オオヒルメムチ」とは、太陽神天照大神であり、箱の四面は五色・五行の配置である。すなわち天蓋が宇宙を表し、箱は四季とそれを統括する太陽神・天照大神をあらわすものと推理される。

このデザイン感覚が鮮麗である。これを分析すると「緑=東方神・木の神・クグヌチノコトコト」「赤・南方神・火の神・カグツチノミコト」「白・西方神・金属の神・カナヤマヒコノミコト」「紫(=黒)・北方神・水の神・ミズハノメノミコト」「黄・中央神・土の神・ハニヤスノミコト」となる。ここまではわかったが、この直線で引かれた文様が、文字なのか、記号なのかが不明である。文字だとすれば、どこの国の何という字体なのか。あるいはどこから伝わったものなのか。今後の課題としておこう。

御神屋の周辺に竹竿が立てられ、神名を記した幡が取り付けられている。早春の風に幡がさやかに翻る。
「天神七代」の概略。
『日本神話で、天地開闢(かいびゃく)の初めに現れた7代の天神。日本書紀では、国常立尊(くにのとこたちのみこと)、国狭槌尊(くにのさつちのみこと)、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、(以下は対偶神。二神で1代と数える)埿土煑尊(ういじにのみこと)・沙土煑尊(すいじにのみこと)、大戸之道尊(おおとのじのみこと)・大苫辺尊(おおとまべのみこと)、面足尊(おもだるのみこと)・惶根尊(かしこねのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の7代。古事記では、国之常立神(くにのとこたちのかみ)、豊雲野神(とよくもののかみ)、(以下は対偶神)宇比地邇神(ういじにのかみ)・須比智邇神(すいじにのかみ)、角杙神(つのぐいのかみ)・活杙神(いくぐいのかみ)、意富斗能地神(おおとのじのかみ)・大斗乃弁神(おおとのべのかみ)、於母陀流神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)、伊邪那岐神(いざなぎのかみ)・伊邪那美神(いざなみのかみ)の7代。』
・「地神五代」は
『天神七代に続き、神武天皇以前に日本を治めた5柱の神の時代。すなわち、天照大神・天忍穂耳尊(あまのおしほみみのみこと)・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)の5代。』
潮嶽神楽の御神屋の周囲に立て巡らされた神名の旗(幡)。幡は14本あり、天神七代、地神五代以外の神名が墨書されている。ちょっと面倒だがインターネット検索により一柱ずつ読み解いてみよう。
・振魂尊(ふるたまのみこと)掃部連らの祖。魂振りの神事に関わる氏族だろう。
・天合尊((あまあいのみこと) または天鏡尊(あまのかがみのみこと)という。一柱で化生された天つ神の、第三世の神である。
・泥土煮尊(ういじにのみこと)原初の泥土を神格化した神 。
・左/大八下尊(読み不詳。おおやつしものみことか)。大八椅命(おおやつはしのみこと)国造りの神、農業神、商業神、医療神 御歳大神:穀物神、田の神、恵方えお司る神 天火明命:天忍穂耳命の御子神、瓊々杵尊の兄とあるが、関係の有無不詳。
・右/萬魂尊(よろずみたまのみこと)。
・左/国常立尊(くにとこたちのみこと)。「日本書紀」では、天地開闢(かいびゃく)のときあらゆる神に先立って現れた第一神。国土生成の中心的神とされる。「古事記」では、国常立神の名で、第6番目に現れた神。国底立尊(くにのそこたちのみこと)。
・右/天八百日尊(あめのやおひのみこと)。「先代旧事本紀」独り成られた天神の第四世の神。中臣・藤原氏の祖神の一神。
・左/大戸道尊(おおとじのみこと)。神世7代の第5代男神で,女神大苫辺尊(おおとまべのみこと)と対をなす。「古事記」では意富斗能地神(おおとのじのかみ)。
・右/武乳速尊(たけちはやのみこと)。 ナガスネの反乱の時、アウヱモロと共に大和の層富にナガスネ軍の動きを防いだ神とある。振魂尊の系譜 振魂尊の子神で 前玉命 掃部連らの祖。
・左/天三下尊(あめのみさがりのみこと)。宮城県石巻市・南部神楽解説に「五龍」位置神、天に対しては元気火徳の神、地に対しては二気元火の神、人に対しては心火元霊の神であり、夏を司る神。
・右/豊斟渟尊 (とよくんぬのみこと)「日本國史」に國常立尊・國狭土尊・豊斟渟尊の三尊を独化の神。
ここまでは、古記録に記される神々である。が、次の神名が長い間読み取れなかったが、これも川並君が調べてくれた。それによると、
・天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊(あめゆずるひあまのさぎりくにゆずるつきくにさぎりのみこと)」
『昔、元の気は混沌としていて、天地はまだ分かれてはいなかった。卵がほのかな兆しを含むようなものだった。その後、清らかな気は昇りたなびいて天となり、浮き濁ったものは重く沈み、滞って地となった。国土が浮き漂い、開け分かれたというのはこのことである。たとえば泳ぐ魚が水の上に浮かぶようなものである。天が先に定まり、地が後に定まった。この後、高天原に生じた一柱の神の名をいう。独神だった。これ以降、共に生まれた二代。夫婦で生まれた五代を神代七代というのはこれである。天祖・天譲日天狭霧国禅月国狭霧尊』
とある。
まさに読んで字のごとし。天神七代・地神五代よりも古い神である。縄文の神、あるいはそれを遥かにさかのぼる地球生成の記憶を秘める神だとみることができる。「古層の神」がここに祀られていたのである。
以下にフェイスブック仲間の神田竜弘さんからのメッセージを追記。
『・国常立尊の名や天合尊(天合魂命)、天八下尊(天八降魂命)、天三下尊(天三降魂命)、天八百日魂尊(天八百日魂命)の名がありますね。
・中世に興った吉田神道(唯一神道)では、国常立尊は大元尊神とされ、宇宙の根源の神とされ、大変重要視された神です。
また、天合尊は、五大輪神とされ、地大輪神=天八降魂命、水大輪神=天三降魂命、火大輪神=天合魂命、風大輪神=天八百日魂命、空大輪神=天八十万日魂命とし、この五柱の神々は、仏教が説く万物の構成要素である地水火風空(五大)を司る神とされました。
ちなみに、吉田神道では他にも、元気水徳神=国狭槌尊、元気火徳神=豊斟淳尊、元気木徳神=泥土煮尊・沙土煮尊、元気金徳神=大戸之道・大苫辺尊、元気土徳神=面足・惶根尊で、この神々がそれぞれ天の五行を司り、三生元木神=句句廼馳命、二儀元火神=軻遇突智命、五鬼元土神=埴安命、四殺元金神=金山彦命、一徳元水神=罔象女命が、地の五行を司るとされました。
・この地の五行神は、神楽の天蓋の五方のこの神々の名が記された神名幡をよく見かけますが、神楽でこの神々を五方に祭るのは、近世に吉田神道の影響を受けたためではないかと思います。
舞庭のどの位置にこれらの神々が祭られたのか写真だけではわかりませんが、この神楽でも、このような五行や五大を司る神々を舞庭に勧請して、神楽をおこなったのではないかと思います。
国常立尊の名や天合尊(天合魂命)、天八下尊(天八降魂命)、天三下尊(天三降魂命)、天八百日魂尊(天八百日魂命)の名がありますね。』
・豊岩間戸尊(とよいわまどのみこと)櫛岩間戸尊(くしいわまどのみこと)。近くは宮崎県高原町霧島東神社の祭神の一柱として祀られ、全国各地に分布する。霧島東神社は、高千穂峰の中腹、標高500メートルの高台に鎮座。創建は第10代崇神天皇の代、と言われ、ニニギノミコトが天孫降臨された際に、初めて祖先の神々を祀ったところと伝えられている。祓川神楽を伝える。
同類の神名として西都市銀鏡神楽の「シシドギリ」の翁と媼は狩猟神「豊岩龍命・櫛岩龍命」である。この二神は土地神であることがわかる。
調べてみれば、記紀の他、古資料に出てくる神々が大半であった。「国史」を勉強している方々にとっては常識の範囲内であろう。が、明らかに土地神と思われる神名もあり、このような設営の手法と合わせて、興味はまた深まったのである。