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森の空想ブログ

「田の神」と「翁面」の源流 宮崎の春神楽<3>


写真左/田の神 写真右/田の神(霧島山系)
*九州民俗仮面展示品

宮崎平野から日南海岸、霧島山系へかけて分布する「田植え祭り」と「春神楽=作祈祷神楽」がもっとも古い形態の農耕儀礼を伝え、先住の民が祀る土地の精霊神の祭りであること、その芸能が、「大和王権=日本国」の樹立直後に政権の中枢部で服属儀礼として奉納されたものであることなどをこれまでに確認した。そしてその芸態が、「田の神」が演じる仮面祭祀である可能性も浮上してきた。
「田の神」の祭りには、「翁」が登場する例が多い。「田の神=翁」とは、その土地の地主神であり、祖先神である。霧島神宮のお田植え祭りには古式の翁面と媼面が出て田植えの模様を演じる。高原町狭野神楽の「田の神」は黒い翁面をつけて出る。西都市南方神楽に出る翁と媼の一対には文亀4年(室町時代後期)年号が入っており、この地方でこの時代に翁面と媼面をつけた芸能が分布していたことを示している。宮崎市生目神楽では、最終演目で翁が出て神主と問答をする。これが最も古い形態の翁であると思われる。今年の生目神楽取材を楽しみにしているところである。


写真左/南方神楽の翁*古作は西都氏歴史民俗資料館に展示
写真右/生目神楽の翁 神主と問答をする

古い資料や絵巻などに「田植え祭り」や「田楽」の様子が描かれたものがあるが、その中に、早乙女たちが田植えをする田んぼの脇で、翁面をつけた舞人が滑稽な所作で舞を舞う場面がみられる。民間の農耕儀礼は服属儀礼として朝廷で演じられ、さらに貴族や地方の豪族の庭などで上演されることが流行し、やがて「田楽」「申楽」を生み、観阿弥・世阿弥父子によって「狂言」「能」という芸術的表現へと完成されていったのである。


古田楽面「翁」
*九州民俗仮面美術館展示品

ここで、以前このブログで連載した「宮崎の神楽を語る」の中で述べた能楽と神楽の「翁」の関連について、その一部を再録しよう。

『「能楽」の完成者・世阿弥は、その著「風姿花伝」で、能楽の根本は神楽であり、三十三番の神楽が凝縮されたものが「式三番」であると説く。能楽の式三番とは、「白式尉」「千載」「黒式尉」による三部構成の神事芸能である。まず白い翁(白式尉)が出て厳かに神事舞を舞い、次に清めの舞である稚児の舞・千載があり、最後に黒い翁(黒式尉=三番叟)が舞い収める。黒い翁が登場する時、白い翁とすれ違う場面があり、白い翁と黒い翁は問答をする。この場面を、能楽(あるいは大和王権を樹立した民族)の祖神としての白い翁と、先住の山の民・農耕民などが祀る地主神・黒い翁の闘争と服属、対立と和解の場面と読み解くことができる。式三番における黒い翁の芸態は、白い翁の所作を真似る「もどき」である。これは、支配者の前に出て滑稽な芸を披露し、子孫繁栄・五穀の豊饒を祈り、服従を誓う「服属儀礼」の芸能化したものであろう。
「能楽」における「式三番」は、能楽成立以前の「神楽」「翁猿楽(おきなさるがく)」等の様式をとどめる芸能と解釈できる。もともとは五穀豊穣を祈願する農耕儀礼で、「翁=白式尉(はくしきじょう)」は集落の長の象徴、「千歳(せんざい)」は若者の象徴あるいは穢(けが)れのない神性をそなえた稚児(ちご)、「三番叟(さんばそう)」は先住神の象徴とされる。』


写真左/白い翁(霧島山系)
写真右/黒い翁
*九州民俗仮面美術館展示品

能楽の「翁」と宮崎の「田の神=翁」が深く関連していることがわかる。宮崎の「田植え祭り」と「作祈祷神楽」の「翁」が翁面の源流部に位置すると仮定しながら春神楽を見ていくと、一層、楽しみは増すのである。

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