武石憲太郎さんが会場を訪れて下さり、キャプション付けなどの仕上げを手伝ってくれたという。武石さんの字はそれ自体が「絵のよう」な雰囲気を持っている。この手書きのキャプションを作品の裏側に張り付けておいたら、後々、付加価値が附くのではないか。
と、それは冗談だが、憲太郎さんが来てくれたことが嬉しくありがたい。
この笑顔に出会っただけでも、展覧会を急遽立ち上げた甲斐があったというものだ。
一つの企画展を開催するには、時には数十年もかけるほどの長い準備期間を必要とするものだが、今回は二ヶ月足らずで展示にまでこぎつけた。その二か月前にアトリエを訪ねた時には、作品が行方不明になるという不幸な出来事(詳細は現時点では非公開)のために憔悴し、このまま死んでしまうのではないか、画家としての生命は絶たれるのではないか、と私は心底、心配したのである。その一ケ月後に長年の交友関係のある小鹿田焼ミュージアム渓声館の梅原君と旧スッフの吉川君を誘って再訪し、その場で開催を決定した。それにはこれまで作家との交流を重ね、経験と技術を習得してきた裏付けがある。そしてこれがこの展覧会の開始である。40年以上の交友という「とき」が過ぎ、まだ巡りきて縁のある「人」が出合った。これからどのような推移があるか、観察と観賞を続けて行こう。
スタッフからも情報がアップされ始めているので転載しておきます。
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