
神々が降臨する日 高千穂神楽
晩秋から初冬へかけて、朝の高千穂盆地は深い霧に包まれる。天空の彼方に浮かぶおとぎの国の乳色の海のほとり、あるいは、西方の国の、砂漠の中をさまよい続けているという幻の湖を連想させる霧の海<雲海(うんかい)>に、盆地を囲む黒々とした山の頂が浮かぶ。霧が晴れると、山襞(ひだ)に沿って刻み込まれた深い峡谷や谷筋ごとに点在する集落、収穫を終えた稲田、村の背後に控える里山の森などが姿を現わす。集落の入口に立つ幟旗(のぼりばた)が見える。午後の日がゆっくりと傾き、幟旗の影が、渋い鳶(とび)色と金色の縞となって村の小道に落ちるころ、太鼓と笛の音が、風に乗って響いて来る。村の上手の神社へと急ぐ人々。神楽の一日が始まったのだ。
古代、高千穂郷と呼ばれた地域は、東は五ヶ瀬川水系を通じて黒潮打ち寄せる日向灘・太平洋へと通じ、西は噴煙を上げ続ける阿蘇火山群に連なり、南は修験道・星宿(せいしゅく)信仰の名残をとどめる諸塚山系の広大な山脈を擁し、北は大蛇(おろち)伝説・姥嶽(うばたけ)伝承を秘める祖母山を仰ぐ広範な領域であった。高千穂神楽は、この高千穂地域に20座が伝わる。
―谷は八つ 峰は九つ 戸は一つ 鬼の住処(すみか)は あららぎの里
神楽歌が描く高千穂の里の風景は、太古の記憶と、国家創生の物語を語り継ぐ。古代、高千穂郷を治めたのは「三毛入野命(ミケイリノミコト)」(神武(ジンム)天皇の兄君)であった。当時、この地はあららぎの里と呼ばれ、「鬼八(きはち)」という先住の王がいた。激しい闘争の後、鬼八は征圧されたが、新しい支配者は鬼八の霊を鎮める祭りを行い、笹振り神楽を奉納した。これが高千穂神楽の原型の一つとされ、「猪掛(ししかけ)祭り」として高千穂神社に伝わる。


―注連(しめ)引けば ここも高天の原となる 集まり給へ 万世の神
高千穂神楽の「道行き」とは、山中または村の背後の森に鎮座する神社での「神迎え」の神事の後、仮面をつけたほしゃどん(奉仕者殿)たちが、「神楽宿」まで行進をする儀礼をいう。八百万の神々たちが、「外注連(そとしめ)」と「内神屋(うちこうや)」で荘厳(しょうごん)された神楽宿(かぐらやど)(民家や地区の集会所・公民館など)に舞い入り、夜を徹して三十三番の神楽が舞い継がれるのである。
道開きの神・猿田彦(サルタヒコ)に先導された神楽の一行が、神楽宿に舞い入ると、「御神屋誉(みこうやほ)め」の唱教(しょうぎょう)が唱えられ、猿田彦の「彦舞(ひこまい)」が舞われて、いよいよ神楽は始まる。神庭(こうにわ)に、かがり火が焚かれる。「式三番」の神事神楽が舞われ、やがて「杉登(すぎのぼり)」という演目の中で、「入鬼(いりき)神(じん)」として土地の氏神が顕現する。高千穂神楽は、集落の氏神の祭りであり、秋の稔りと収穫を感謝し、太陽神・天照大神の復活を願う祭りである。


―三日月は 何とて山を急ぐなり 山より奥は住処(すみか)ではなし
舞人(ほしゃどん)が優美な舞を舞いながら歌う神楽歌が、高千穂神楽の魅力を一層際立たせる。神楽歌とは、降臨した神や御神屋(みこうや)を誉める寿ぎの歌であり、演目や舞の由縁、土地の歴史などを語る叙事詩である。流麗な歌と神楽囃子に導かれ、夜半を過ぎると、神楽は佳境に入る。次々と古代史の英雄や、土地神が登場するのである。高千穂神楽では、「命(ミコト)づけ」といって仮面舞にも、仮面をつけない直面(ひためん)の舞人にもそれぞれ神名が付けられている。たとえば、彦舞(着面)に続いて舞われる「太殿(たいどの)」は神が降臨する神庭を清め御神屋を造る舞(直面)とされるが、久久之遅命(ククノチノミコト)、迦具土命(カグツチノミコト)、金山彦命(カナヤマヒコノミコト)、水波売命(ミズハノメノミコト)の舞となっており、中盤に舞われる「岩潜(いわくぐり)」は、素戔鳴命(スサノオノミコト)が激流を潜り抜けて高天ヶ原に向かう場面ともいわれ、武甕槌神(タケミカツチノカミ)、天目一箇神(アメノメヒトツノカミ)、手置帆負神(タオキホオイノカミ)、天穂日命(アメノホヒノミコト)の五神(直面)が剣(つるぎ)を持って勇壮に舞う。「五穀(ごこく)」では倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)、保食神(ウケモチノカミ)、大田命(オオタノミコト)、大巳貴命(オオナムチノミコト)、大宮売命(オオミヤメノミコト)(着面)が、米、黍、粟、稗、豆の五穀を持って舞う。唱教(しょうぎょう)や神楽歌(かぐらうた)、舞い振りや演目に秘められた伝承、登場する神々の名などを読み解くことで、高千穂神楽が、記紀神話に記された古代国家創生の物語を骨格とし、土地神の祭祀を織り込みながら伝承されてきたものであることを知ることができる。


―いにしえの 天の岩戸の神神楽(かみかぐら) 面白かりし末はめでたし
高千穂の山嶺を暁の色が染めるころ、「岩戸番付」が始まる。高千穂神楽は「岩戸開き」を頂点としてすべての番付と演目が展開されてゆく。御神屋正面に「岩戸」が設(しつら)えられ、荘重な「伊勢」の舞によって場が清められて、いよいよ「手力雄命(タヂカラオノミコト)」が登場し、大幣(おおべい)を採ってダイナミックに舞う。続いて「天鈿女命(アメノウズメノミコト)」が優美に舞い、「戸取(トトリ)」が豪快に岩戸を開く。そして最後に手力雄命が、日月の鏡を持って舞い、天照大神が岩戸から導き出されて、この世に光が回復するのである。
神楽のフィナーレは、降臨した神々を天上に送り返す「御柴(おんしば)」「注連口(しめくち)」「繰(く)り降(お)ろし」と続き、最後の「雲降ろし」で舞い納める。御神屋中央に下げられていた「雲=天蓋(てんがい)」が揺れ、万物の物種(ものだね)を表す五色の切り紙(御幣)が吹雪のように舞い落ちて、高千穂の里に豊かな実りが約束されるのである。(高見)


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このブログページでは本文と同じ編集は出来ないので、会場の展示とミックスするかたちで掲載しています。