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森の空想ブログ

化外の民―漂泊民・被差別民・サンカなどの原像―「無宿人別帳」松本清張(1958・新潮社)/かさこそ森の読書時間③【かさこそ森の物語<16>】

二日前の雨と、昨日の暖かな陽気とで、一気に山桜の花が咲きだした。

大急ぎで、「かさこそ森」の桜の枝を数本、切り落とした。桜の染めは、蕾を一杯に付けた枝と、その枝に着いている蕾を一緒に煮出して染液を採り、染める。花が開くと、たぶん、色素が花びらに集中されてしまうのだろう、染めても良い色が得られない。すなわち、山桜の染めは、開花前のほんの二週間ほどの短期間の仕事なのだ。

かさこそ森は、元の保育園の跡地で、25年ほど前に植えられた山桜が枝を伸ばし、道路にはみ出したり、家の屋根を叩いたりするほどの大木に成長しているから、それらの下枝や脇枝を少しずつ採取するのだ。こうしておけば、水分の補給を止められた桜の開花は止まり、今季の染めは実行できる。

一仕事終えて、陽だまりの下で本を読む。

先日ご寄贈いただいた古い本の中から珍しい一書を得た。

松本清張「無宿人別帳」である。この本は昭和33年(1958)の初版だから、私が10歳の時に書かれたものだ。松本清張という人は、生涯に700冊もの著作を残した人で、その膨大な量と明晰な頭脳、創作のエネルギーなどは驚嘆すべきものだ。小倉の清張記念館の入り口正面にはその700冊余りの作品の表紙がずらりと表具されて展示されており、それを見るだけで、巨大な山岳を目の前にしたときのような畏怖と尊崇の念が同時に起こるほどなのだ。

松本清張は社会派といわれ、時局や世相を反映し、鋭い分析や批判を織り込んだ推理小説で一時代を築いた作家である。その人の初期の作品に、このような底辺の民を描いたものがあったということは、あまり知られていない。私も本書を手にし、読み進んで認識を新たにした次第である。

ここに描かれているのは、「無宿人」といわれる、いわゆる化外の民、渡世人や漂泊者、被差別民、罪人など、士農工商という身分制度の枠からはみ出したり、排除されたりした人々のことである。無実の罪で島送りになった職人や、ただの無宿というだけで牢に推し込められる若者、昔、悪名をとどろかせた老侠客などである。これらの人々は、凶悪な犯罪者もいるが、戦争に敗れて被差別部落に落とされた先住民や武士、一揆や逃散によって家や故郷を失った百姓、漂泊の職人や芸能者などがその基層をなす。正史の外にある「まつろわぬ民」の末裔としての陰影が付きまとっているのである。

時期を同じくして、五木寛之・沖浦和光両氏の対談による「辺境の輝き―日本文化の深層をゆく」(ちくま文庫:2013)を読んだ。この本では、サンカ、家船、遊行者、遊芸者、香具師など、山や海に暮らし、旅に生きた人々に焦点を当て、論じ尽くしている。彼ら漂泊民とは、既存の歴史観では顧みられることのない、体制の枠外に置かれた<マージナル・マン=周縁の民>であり、日本文化の深層を伝える人々であった。

この本についてはあらためて取り上げる予定だが、「無宿人別帳」の書かれた60年前と、「辺境の輝き」が出された20年前とでは、このようなジャンルに対する見方も受け止め方も大きく変化している。さらに20年が経過した21世紀の現在に至り、大きな進展がみられる。辺境や周縁とは、この列島の「基層文化」をかろうじて伝え、残してきた領域だということが、とくに若い世代の共通認識として広がってきているのである。

「無宿」と規定され、「異類」「雑種・賤人」と差別された史観と、「一畝不耕・一所不住」「一生無籍・一心無私」を根本の心意とする人々の感覚は、相反する価値観であった。作家・松本清張の初期の作品にこのような作品があったということは、その膨大な著作群の基底をなす視点であり、清張文学の根幹をなす視点と把握できる。その理解には、少しの「安心」が混じっている。


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